二話 荒野の墓標 2
「少し、ごたごたがあっただけだ。ニエット。もう、終わった」
ニエットと呼ばれた女性はそれを聞いて、不機嫌そうに顔を顰める。
「まったく、どうして男はそうなのかしら? 自分の雄雄しさを示したいんなら、外でやってほしいものね。これだから、ガンマンは嫌いなのよ」
「悪かったな。だが、俺は男じゃねぇぜ」
少女が告げると、女性は初めて少女を見た。
「まぁ、びっくり。こんな小さなお嬢ちゃんがガンマンなの?」
本当に驚いているのかどうなのか、両手を小さく広げてニエットは言う。
そして、少女の頭を帽子越しにぐしゃぐしゃと強く撫でた。
疎ましそうにする少女に構わず、ニエットは快活な笑みを向ける。
「見かけはあてにならないわ。ここに座っているって事は、勝ったのはあなたなんでしょう? 強いのね、あなた」
「あれくらいなら、たいしたことじゃない」
別に謙遜でもなんでもない。
彼女にとって、あの芸当はさしたる苦労もなく、簡単にできる事だった。
「私はニエット。あなたは?」
「ク……いや、フランドールだ」
「へぇ、可愛らしい名前。もっと勇ましいのかと思った。っていうか、これお酒じゃない!」
ニエットはフランドールの持つグラスの中身を見て、バッとグラスをひったくった。
「マスター、こんな子にお酒出すなんて、何を考えてるんですか?」
「ここは俺の店だ。この店で注文を受けて、それが金を払う客ならなんだろうが出す」
「限度がありますよ、もう……」
むくれてマスターを睨む彼女の手から、フランドールはグラスを取り返した。
「あっ」
「酒は魂で飲むもんだ」
フランドールに言われて、ニエットは子供っぽく頬を膨らませた。
今度はボトルを手にとって見る。
「ウイスキーだなんて、よりによってアルコール度数の高いものを出すなんて。それに、これは……」
彼女は言いかけて口を噤み、ボトルを置く。
「そんなお酒、全部飲んじゃってよ」
ニエットは不機嫌になり、自分の言葉をひるがえして吐き捨てる。
そのまま彼女は、カウンターから出ていってしまった。
フランドールはその背中を見送る。
「そのボトルに刻まれた名前は、あいつにとって見たくもない名前なんだよ」
マスターはグラスを磨きながら、しみじみと語る。
グラスを通して虚空を見るその目は、懐かしさと悲しみを湛えていた。
彼は深い哀愁を背負っている。そう思えた。
「よほど、馬鹿だったんだろうな。そいつは」
フランドールは吐き捨てるように呟く。
「どうして、そう思う?」
「ニエットが嫌っているようだからさ。ろくでもないガンマンだったんだろうさ」
「確かに、馬鹿だったのかもしれない。だが、彼女があいつを嫌っているのはそんな理由じゃない。嫌っているのは、あいつがガンマンに、いや、男としてあるまじき事をしたからだ」
フランドールはぴくりと眉を動かした。
「何をしたんだ?」
マスターは溜息を吐いた。苦々しい記憶を思い出し、それを吐き出すように。
やがて、重い口が開かれる。
「今でも信じたくは無い。だが、あいつは――」
マスターが語り始める前に、店の扉がバンッ! と大きな音を立てて開かれた。
店の誰もがそちらに目を向ける。フランドールが見ると、数人の男が店に入ってくるところだった。
その男達の中でも一番に目を引くのは、群れを率いるかのように先頭を歩く男。
テンガロンハット、皮のベスト、白いシャツ、青いジーンズ。
それらを着込む細身で長身の男。
整った口髭を蓄えた頬のこけた男だ。
そしてその男は、皮ベストの胸に星型の金バッジを付けていた。
それは、この町の保安官の証だった。
店の雰囲気が、一気に変わる。
恐れと緊張感に満たされる。
それだけで、客達に歓迎されていない事がわかった。
保安官はきょろきょろと店を見回し、目当てのものを見つけてにやりと笑った。
その目当てのものである彼女は、ゲッとあからさまに嫌そうな顔をした。
「おお、ハニー!今日も麗しい」
保安官は満面の笑みのままに、両手を大仰に広げてニエットに近付いていく。それに対して、ニエットはじりじりと後ずさる。
「ええ、麗しいわよ。今日も明日も明後日も。だから、こう毎日見に来なくてもいいんじゃなくて? 保安官」
あからさまに笑顔は引きつり、彼女がその男を苦手にしている事は誰が見ても明らかだった。
「それは酷というものだ、ベイビー」
ハニーじゃないのか? フランドールは心の中でそんなツッコミをいれる。
「一日でも会えない日があれば、私は悶え死んでしまう」
胸と額に両手をそれぞれ当てて、彼はポーズを取る。
「あら、それが本当ならどんなに嬉しい事かしら」
彼女の皮肉に気付いているのかいないのか、彼は動じずに彼女へと詰め寄っていく。
それに反比例してニエットも後退する。
「あ……」
しかしここは際限なく広がる大地じゃない。
広いとはいえ、際限ある酒場である。
後退していけば、道を阻む壁もある。
彼女は店の壁に追い詰められてしまった。
そんな彼女の手をとって、男は甲に口付けをした。
「ぴゃっ」
ニエットは奇妙な悲鳴を上げる。
「おお、なんと可憐な反応。ますます好きになってしまう」
頭が悪いのか、趣味が悪いのか……。
ニエットは手を振りほどく。
「来てくれて悪いけど、見ての通りあなた達の座る席がないわ。ここに客以外の人を居座らせる気なんてないわよ」
「ああ、それは残念だ」
特に残念そうな様子も見せず、男は言う。
そして視線を自分の率いてきた男達に向ける。
すると、保安官の考えを察して男達は笑った。
男達が、一つのテーブルに近付き、ポーカーに興じる客の一人を椅子から引き摺り下ろす。
「何しやがる!」
引き倒された男は怒声をあげるが、鼻先に黒い銃口を突きつけられると黙り込んで青くなった。
他の男達も、客に銃を向けていた。
「ここは保安官が座るんだ。お前ら、快く譲るよな?」
ひときわ体躯の大きな男が、威圧するような笑顔で訊ねる。
疑問系の問いかけではあったが、そこに否定の余地は残されていなかった。
客達はすぐに席を立って、怯えた表情で店から出て行った。
「席が空いたようだぞ?」
保安官はニエットにいやらしい笑みを向けた。
そんな笑顔に、ニエットの掌が音を立ててぶつけられた。
「最低ね、あなた。それでも保安官なの?」
「気の強いところも素敵だ」
保安官は笑顔を崩さずに言うと、ニエットの腕を掴んだ。
「でも、おしとやかなのも嫌いじゃない」
言って、保安官は身動きを封じるように、ニエットを壁に押し付けた。
ニエットは抵抗しようとしたが、彼女の力では保安官から逃れる事はできなかった。
ニエットの顔が悔しげな表情に歪む。
そんな彼の脇腹に、何かが突きつけられた。
保安官の体が緊張で固まる。
「そこまでにしたらどうだ?」
幼く可憐な声。
保安官が感触のする方に目を向けると、フランドールが手で拳銃の形を作って、人差し指を突きつけていた。
本物の銃ではなかった事に安堵して、保安官は緊張を解く。
「悪戯好きなお嬢さんだ。もし本当の銃なら、子供とはいえここで撃たれても文句は言えないところだった」
「そうかい?」
フランドールは悪戯っぽく笑うと、腰の銃を抜いて保安官に向けた。
「なら、それはそれでかまわねぇぜ」
「ほう」
保安官は軽く笑うと、表情を厳しく引き締めた。
フランドールも敵意を隠さない挑戦的な面持ちで応じる。
睨み合う二人。
「三十過ぎたおっさんが、十も違う小娘の尻を追いかけてるんじゃねぇよ」
「私はロマンチストなんだ。愛に歳の差はないさ。そして、人の平等も尊重している。殺す相手との歳の差も気にしない」
「表に出な」
「ああ、いいとも。だが、相手をするのは私じゃない」
フランドールの視界が、陰って暗く染まる。
「お嬢ちゃん。俺が遊んでやるよ」
巨躯の男が下品な笑いを浮べて、フランドールを見下ろしていた。
「誰が相手だって構わねぇよ」
フランドールは余裕の表情で応じた。
太陽は真上。
太陽光が目を遮ることは無い。
風は止み、砂塵も舞わない。
目を眩ます事も弾道を曲げられる事もない。
絶好の決闘日和だった。
そんな時間の大通り。
大きな体の男と小さな体の少女が真っ向から睨み合っていた。
「へへ、もう、泣いても逃げられないぜ」
男はフランドールに向かって、楽しげに告げる。
「決闘から逃げる事は、ガンマンの世界で一番の恥だからな。お前こそもう逃げられないぜ」
対してフランドールは自信に満ちた声でそう返した。
「ぬかしやがる……」
生意気な言葉に、男は苛立って顔を歪める。
眉間に皺を寄せる。
そして、腰の銃に手を近づけた。
少女もまた、マントを右側だけ肌蹴て銃に手を近づける。
しかし、両者の手は銃に決して触れない。
触れた時は、銃を抜く時だからだ。
勝負のルールはたった一つ。
どちらかが銃に触れた瞬間、相手を弾く。
だから、触れるまではまだ勝負ではない。
「お嬢ちゃん、先に抜いてもいいぜ」
どちらが先に抜くのか、明確にそれは決められていない。
どちらかが、自分の裁量で抜き、それに応じてもう一方も抜く。
ゆえに、先に抜いた方が断然有利だ。
だが、少女は首を左右に振る。
「それはそっちだろ。ハンデとしてはまだ足りないだろうがな」
男は眉間の皺をますます深めて、押し黙った。
その沈黙は、勝負の始まりを予感させた。
止んでいるはずの風の音。
風にすらなりえない空気の流れる音が耳に入ってくるほどの静寂。
二人を何人ものギャラリーが見つめている。
目を細めて見据えるマスター。
自分のせいで起こってしまった決闘に罪悪感を覚え、少女の身を案じるニエット。
ただ勝負の行く末だけを見守る保安官。
好奇に湧く店の客達。
大勢に見つめられ、二人は一瞬の勝負に挑む。
男が動く。
グリップを握り、引き金に指をかける。
腕を引き上げ、ホルスターから銃を抜き放とうとする。
その間に狙いをつける。
決闘の度に、何度も行ってきた動作。
寸分違わぬ角度で銃を上げ、撃てば必ずその狙いへと鉛弾をぶち込めるだろう。
そして、男は勝ちを確信した。
フランドールはまだ、銃に触れてさえいなかった。
男のホルスターから完全に銃が抜き放たれた。
一発の銃声と悲鳴が響き渡る。
「ぐあぁぁっ!」
悲鳴は、男のものだった。
撃たれた利き腕を庇いながら、倒れてのたうつ。
「え?」
そんな気の抜けた声を出したのはニエットだった。
あまりにもあっけなく、あまりにも一瞬の出来事だったからだ。
勝負の瞬間。彼女は瞬きをした。
その一度の瞬きの間に、フランドールは銃を抜き放ち、発砲していた。
目を閉じる前には、銃に触れてもいなかったというのに……。
刹那というのは、きっとこういうものを指すのだろう。彼女は思った。
そして、その刹那の神業に驚愕していたのはニエットだけではない。
保安官もまた、その神業に驚愕していた。
フランドールはマントを正し、保安官に向かって歩いていく。
「次はお前だ」
保安官の前に立ち、フランドールは言い放つ。
保安官は驚愕の表情を正すと、逆に笑った。
「いや、今はやめておこう」
「逃げるのか?」
「決闘から逃げるのは、最大の恥辱だ。……明日だ。明日、決闘をしよう」
ほう、とフランドールは意外そうな顔をした。
「お前の名前は?」
「フランドール」
「ガベイだ。いくぞ、あいつの手当てをしてやれ」
手下の一人に撃たれた男を任せると、ガベイは歩き出した。
「いいんですか? このままにしておいて」
取り巻きが訊ねる。
すると、ガベイは真剣な顔で返した。
「女にうつつを抜かした今の頭じゃ、あいつには勝てない。あの速さは、間違いなく……」
ガベイの最後の呟きは誰の耳にも届かなかった。