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十三話 悠久の景色 2

「私の名前はリュウ 飛英ヒエイ


 比較的、人の少ない市場通りを歩きながら、少女はそう名乗った。


 フランドールはもう彼女を捕らえていない。

 だが、フランドールから逃げられないという事がわかっているのか、逃げようとはしなかった。

 実の所、何度か逃げようとしていたのだが、その度にことごとく捕まってしまい、諦めてしまっていた。


「あんたは? こっちから名乗ったんだから、そっちも名乗れよ」

「あ、ああ、ふらん……どおる? でしたっけ?」


 若干、言いよどんだのは、どう名乗っていいのかわからなかったのと、フランドールという異国の発音で語られる名前に戸惑ったからだ。


「変な名前。こっちに聞かれても困るし。それって嘘の名前なんでしょ」


 飛英はぎこちない男の嘘を簡単に看破し、険しい声色で返す。

 フランドールは誤魔化すように苦笑した。


「ま、いいや。私がスリをしている理由だったな。簡単だよ。金がほしいからさ」

「だから毎日のように、スリをしていたのですね」

「見てたのかよ。まったく、どこから……」


 それが男の言う当てというものだった。

 あの丘から彼はずっと彼女を見ていた。

 だから、彼女が人ごみに紛れてスリをしていた事も知っていたのだ。


「日々の糧とするために、金は必要な代物でしょう。しかし、ならば労働で稼ぐという手もあったはずです」


 フランドールが言うと、飛英は鼻で笑った。


「どこの誰が、私みたいな子供を雇うっていうんだ」


 もっともだと思い、フランドールは「ふむ」と納得する。


「それに、私には沢山の金がいるんだ。真面目に働いていたら手に入らないような大金が」

「どうして?」

「腕利きの武術家を雇うためさ。そして、復讐するんだ」


 復讐。

 その単語を聞くと、フランドールはめまいにも似た感覚に陥った。

 嫌な気分になる。


 何か思い出せそうだったが、心地良い感情はそこになかった。

 気持ちの異常を悟られないように、フランドールは歯を強く噛締めた。


「理由は話したんだから、もういいだろ?」


 飛英は言って駆け出した。


「ああ。話の代だ。その財布は差し上げよう」


 それを聞いて、飛英は振り返った。

 悪戯っぽい笑顔を向ける。


「なんだ。気付いてたのか」


 飛英はフランドールが腰から下げていたはずの財布を手の平の上で軽く投げて弄んだ。

 そして、今度こそどこかへと去っていった。


「「おい、おっさん! 勝手に渡してんじゃねぇよ!」」


 クラークは彼の勝手な行為に激昂する。

 しかし、男は慌てるでもなく、むしろなだめるようにクラークへと応対した。


「申し訳ありませんね。でも、大丈夫です」

「「ほとんどは別に分けて懐に収めています」」


 男に代わって、フランドールが答えた。


「盗まれない自信はありましたが、流石に他人の金銭をぞんざいには扱えませんからね。あ、渡した分はいずれ返します」


 男が言う。


「「やっちまった事には違いねぇじゃねぇか!」」

「「ええまぁ。でも、宿代とあなたの酒代ぐらいしか使い道がないのですから問題はないかと」」

「「う……。それは暗に、俺が浪費してるといいたいのか?」」


 フランドールに言われて、クラークは言いよどみつつ訊き返す。


 フランドールは食物を分解して燃料として動く事もできるが、本来は固形燃料一粒と太陽光発電で十分に事足りる。


 だから、無理に食事をする必要もないし、むしろ発電のために野宿した方が効率は良い。


 宿を取るのは、主にクラークの希望があっての事で、酒も彼が定期的に飲みたがるからである。

 だから、フランドールの出費の殆どはクラークの物欲から発生していた。


「「元より有り余っていたくらいですから、使い切ってくださるのならそれでもよいのですけど」」

「「ちょっとは節約するよう心がけるよ。まぁ、それはいいとして。あのガキで間違いないのか?」」


 クラークから訊ねられ、男は頷いた。


「「何か、思い出せましたか?」」


 フランドールも訊ねたが、それには首を振った。


「いえ、しかしまだ気になります。出来る事なら、もうしばしあの子を見ていたい。よろしいでしょうか?」

「「ええ、構いません。どうぞ、あなたの気が済むまで」」

「ありがとうございます」




 小さな影が、人ごみを縫って走る。

 すばしっこく動くそれは、数多の人々が行きかう大通りにおいてまったく人の目に留まらない。


 小さな影は人の死角をつく術を知っていた。

 そして、その死角から迫り、通り過ぎ、その際に銅銭の入った布袋を金属の触れ合う音すらさせずに抜き取っていく。


 小さな影は人ごみから出て、路地裏に入った。

 その正体は、思いのほか幼く、可愛らしい少女だった。

 その影、飛英は手にした収穫物を見て、にんまりと笑った。


 路地裏の少し奥まった場所に進むと、財布の中身を確認する。


「大漁大漁、ひっひっひ。やっぱ私は天才だね」


 彼女は昨日、一人の少女から簡単にあしらわれてしまった。

 腕が落ちたのかとも思ったが、それは杞憂であったらしいと改めて自信を取り戻す。


「昨日は相手が悪かったんだ。私より少し年上なんだろうけど、筋骨隆々なおっさんでも盗まれた事に気付かないんだから、あいつが特別だって事だよね」


 あの姉ちゃん、只者じゃないのかもしれない。

 自分を捕まえた手腕もさる事ながら、攻撃だって全部受け流されてまともに当たる気がしなかった。


 もしかしたら、あの姉ちゃんは武術の達人なのかも……。


「もしかして、あの姉ちゃんだったら仇を討ってくれるかもしれないな」


 ぼんやりとそんな事を呟く。


「はは、なんてね。私が言うのもなんだけど、あんなにやせっぽちな体で大の男が倒せるはずないよ」


 彼女は笑う事をやめると、俯いた。


「でも、できるんじゃないかって、期待したくなっちゃう」


 人生は辛酸に満ちている。

 彼女は幼い身でありながら、それを重々承知していた。


 何事も全てが上手くいくわけじゃない。

 都合よく、自分の願いを叶えてくれる相手が自分の前に現れるなんて、そんな能天気な考えはできなくなっている。


 それでも、希望にすがりたいという気持ちは簡単に消す事ができないのだ。

 だから彼女は、その希望のための努力を怠らない。


「さて、バリバリ働こう。いくら大漁だからって、これっぽっちじゃ全然足りないんだから」


 伸びをして体をほぐす彼女であったが、再び人ごみへと赴く前に金属を叩く派手な音が耳に入った。


 一度ビクリと身を竦ませてから、彼女は音の元を探ろうと振り返る。


 路地から覗き見ると、道にいくつもの鍋が放り出されていた。

 鍋の持ち主は、市の行商とは違って町に昔から店を構えている金物屋の店主だ。


 その店先で、店主と二人の若者が何やら揉めているらしかった。

 若者の一人は筋骨隆々の大男で、もう一人は対照的に細身の体に長髪を流す男だった。


 年老いた店主が、若者に突き飛ばされて地面に倒れる。

 道を行く人々の流れも、その店を遠巻きにしていた。


 その若者達が着る服の背には、剛の文字が縫いこまれている。

 それを見て、飛英は小さな拳を握りしめた。


 若者達が背負うあの文字は、劉家剛火山拳の門弟である事の証だった。

 それは、彼女の仇の手下である事を示していた。


 実際に目の当たりにすると、その悪行も相まって耐え難い怒りが湧く。


 気付けば彼女は、走り出していた。

 軽い体の全体重をかけて、彼女は若者の一人に跳び蹴りを放つ。

 狙ったのは大男の方だ。


「うおっ」


 蹴りを受けた大男は小さく声を上げたが、倒れるでもなくそれどころか全く蹴りを意に介していないようだった。


「何しやがる!」


 振り返った大男は、粗暴な髭面に似合った荒々しい声で飛英を怒鳴りつけ、ぎょろりと大きな目で睨みつけた。


「てめぇら恥かしくないのか! こんな枯れかけの爺さんを寄ってたかって虐めやがって!」


 そんな飛英の言葉に怒ったのか、蹴られた大男は彼女に怒鳴り返す。


「馬鹿野郎! みかじめを渡さねぇこいつが悪いんだろうが!」


 そう言いながら指されて、店主の老人は「ひぃ」と怯えた声を出した。


「そんなもの、前はなかったじゃないか!」


 叫んで、飛英は大男に向かっていった。

 自分の三倍以上大きな相手に対して、飛英はその歩みに一分の怯みも見せなかった。


「おおりゃあっ!」


 大男が雄叫びを上げ、向かい来る飛英に腕を叩き下ろす。

 当たれば、飛英のような小さな子供は全身の骨が砕けてしまう事だろう。

 飛英はそんな一撃をかいくぐり、腹を狙って飛び蹴りを放った。

 が、その足が長く細い手に掴まれる。


「なっ!」


 驚く間も無く、飛英は地面に叩きつけられる。

 肺が潰れ、息が一瞬止まる。


「お前、こんなガキ相手に本気でつっかかんなよ」


 彼女を捕らえた手の持ち主である細身の男が、飛英の足を掴んだままにやけた笑顔で大男に言う。


「へへ、大人気おとなげねぇってか? このガキが生意気な口をたたいたからだ。仕方ねぇだろ?」


 細身の男に言われて、大男の厳つい顔が笑みに歪んだ。

 細身の男が飛英に目を向ける。


「こいつ、確かこの界隈でスリをしてるガキだな。盗人に外道を諭されるなんざ、世も末かねぇ?」


 首をかしげながら、細身の男は楽しげに語る。


「うるせぇ! 私は人の道を外れても、志だけは曲げないんだよ!」


 叫ぶ飛英の頭を細身の男はつま先で軽く蹴る。


「吼えるんじゃねぇよ、ガキが。手前様に大それた志があろうが、実力が伴わなきゃそんなもんは耳障りな夢物語なんだよ」


 悔しげに顔を顰めながら、飛英は細身の男を睨みつける。


「夢なもんか。私は絶対にお前達に復讐してやるんだ。金を溜めて、強い武術家を雇って、お前らまとめてぶっ殺してやるんだ!」

「復讐だと? はっ、それは恐ろしいな。とても恐ろしいから、今の内に物騒な夢は潰しておくか」


 細身の男は厭味ったらしく飛英に言うと、大男に向く。


「お前の無駄にでかい足で、この小枝みたいな指を踏み潰しちまいな」

「ははは、それは面白そうだぜ!」


 それを聞いて、飛英は青ざめた。

 指を潰されれば、想像を絶する痛みが伴うだろう。

 しかし、それ以上に恐ろしいのは、スリにとって商売道具である指が使い物にならなくなる事だ。


 スリができなくなっては、もう金を稼ぐ手段がなくなってしまう。


 今すぐにでも許しを請いたい気分になる。

 だが、彼女はその言葉が出そうになる口を噤んだ。

 こんな奴らに弱々しく懇願する自分を思うと、悔しくてならなかったからだ。


「おら、いくぞ。ガキぃ」


 大男の太い足が上がり、細い手を目掛けて踏み下ろされる。

 飛英は自らの指が潰される場面に、つい目を瞑った。


 痛みが訪れて、自分の指が原型を留められなくなる。


 その瞬間を想像して、ますます恐ろしくなった。

 しかし、その痛みはいつまで経っても訪れなかった。


「ぎゃあああっ!」


 野太い悲鳴が聞こえた。

 勿論、飛英のものではない。


 それを聞きつけて飛英が目を開けると、見覚えのある背中が見えた。

 それはフランドールの背中。

 そして、その先には膝を反対方向に曲げられた大男が激痛に悲鳴を上げながら倒れている光景があった。


 目を瞑っている間に何があったのか? 

 あの大男の膝を折ったのはフランドールなのか? 

 飛英は一瞬の出来事に少し混乱する。


「あ、あんた……」


 飛英が驚きの眼差しをフランドールに向ける中、フランドールは胸元を払いながら緩やかな動きで細身の男へ向いた。


「て、てめぇ何者だ!」


 細身の男が動揺しつつ問う。


「それは私が訊きたい所だが……。どちらにしろ、君のような恥知らずに名乗る名ではないよ」

「なめやがって……」


 細身の男はフランドールを恐れているようだったが、自尊心からか逃げようとしなかった。

 勇気を振り絞り、腰から小刀を抜いてみせる。


「お友達も尋常でない状態だ。逃げるのならば、追うつもりもないが?」


 あくまでも理性的に、フランドールは提案する。


「そうはいくかよ。なめられてたまるか!」


 細身の男は言うが、どうみても威勢は弱かった。

 相手の圧倒的な力量に怯んでいる。


「ふむ、いいだろう。どうしてもと言うのなら、お相手しよう」


 言って、フランドールは左手を相手へ突き出すように構えた。

 同時に、男が小刀を片手に雄叫びを上げながら突っ込んだ。


「うおあぁ!」


 全ては一瞬の出来事だった。


 小刀を持った手を左手で絡め取り、右手が男の胸に触れた。

 それだけの事だった。

 少なくとも、飛英にはそれだけのように見えた。

 その瞬間、細身の男の体が宙を舞った。

 細身の男は地面に叩きつけられ、気を失った。


 強い……!


 フランドールはとても強かった。

 それも飛英が少しも敵わなかった相手を子ども扱いできるほどに……。


 飛英の見る前で、フランドールは金物屋の店主に感謝されていた。


 あんな細い体なのに。自分と少ししか歳も代わらないだろうに。

 彼女ならきっと……。


「見つけた……。見つけたよ、父さん」


 飛英は自分の求める存在を見つけ、歓喜に打ち震えた。

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