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十二話 悠久の景色 1

 私は誰なのでしょう?


 幾度となく繰り返した問いが、胸中にまた生まれる。


 自分がここに居て、この景色を長い間見てきたのは憶えている。

 飽きる事を知らず、この場所でずっと私は過ごしてきた。

 ここから去ってしまってもいいはずなのに、何故か躊躇いがあって。


 今の私はその気持ちに従っている。


 不思議と、この場所が落ち着くという事もある。

 この場所から……。

 この街を一望できるこの丘の上から、人々の暮らしを眺める事が私には好ましく思えた。


 かなり距離は離れているけれど、私にはそこで暮らす人々がよく見える。


 市場で肉を切る男。

 洗濯物を干す女。

 ひたすら鍛錬を続ける青年。

 千差万別の有様。

 人生……。


 それらを眺めるのが好きだ。

 特に、子供が遊んでいる所を見る事が好きだった。

 ここから街を見ているだけで、飽きる事がない。


 泣いている子供を見つけ、それに手を差し伸べられない事をもどかしく思いながらも、私はそんな日常を眺めている。


 夜が近づき、子供が帰り始める頃まで、ずっと私は街を眺め続ける。

 夜になれば、視線を下から上へと向け、星の海に浮かぶ月を見た。


 美しい。

 これもまた、見ていて飽きない。

 夜が開け、朝が来るまでずっと眺め続ける。


 そしてまた朝が訪れ、私はまた街を眺める。


 私はそんな毎日が好きだった。


 だが、最近は気分が優れない。

 心がざわつき、落ち着かない。


 どうしてでしょう?


 頭の中で様々な考えが一瞬で巡り、それでもこの気持ちの正体が何かわからない。


 しかし、気分が優れないのか。

 それは、正しく憶えていた。


 街で、一人の少女を見かけてからの事だ。


 何故か、はわからない。

 しかし、その少女を見ると、私の中の何かが揺れ動いた。


 すぐにでも会いたい。

 会って、この気持ちの正体を確かめたい。


 だけれど、私はここから動けない。


 私は、どうすればいいのでしょう……。


 そんな時、私の前に一人の少女が現れた。

 流れる風に銀色の髪を揺らしながら。




「こんにちは、お嬢さん」


 フランドールは、ピクリと眉を動かした。

 彼女の目にする場所には、落ち着いた表情の男性が立っていた。

 地味な灰色の服に身を包み、長い髪を後ろでくくった男だった。


 目線を下に動かせば、足が半ば透け、縦長の石が地面に埋まっていた。

 縦に突き立つように埋められた石は、墓標のように見えた。


「こんにちは」


 フランドールが挨拶を返すと、男は驚いたような仕草をした。


「おや、私が見えるのですね、珍しい」

「そちらこそ珍しい」

「「何が?」」


 クラークの声が響き、フランドールに訊ねる。


「おや、連れが居ましたか」

「「おう、いるぜ。で、何が珍しいんだよ?」」


 挨拶もそこそこに、よほど気になっているのかクラークはフランドールに答えを求める。

 フランドールもそれに応えるため口を開いた。


「一般的に、自縛霊はその未練の強さに比例して妄執的に人を死に引き込もうとするものです。このように、穏やかに挨拶する自縛霊は稀です」

「ほう、つまり私は死んでいるわけですか……。謎が一つ解けました」

「どういたしまして」


 落ち着いた様子で言う男性に、フランドールは答えた。

 続いて、クラークが驚きの声を上げる。


「「おい、こいつ自分が死んでる事、知らなかったみたいだぞ」」

「それは珍しくありませんよ。大体の自縛霊は、自分が生者だと信じているものですから。むしろ、死を受け入れてなお居続けるクラークさんの方が稀です」

「「そうなのか……」」


 クラークは呟いた。


「ひさしぶりに会えた話し相手。お暇があれば、少しお喋りに付き合っていただけませんか?」


 男性はそう申し出る。


「ええ、いいですとも」

「ありがとうございます。ところで、失礼ながらお名前は?」

「フランドールです。苗字はありません。貴方は?」

「すみません。お恥かしい事に、訊ねておきながら憶えていないのです」


 その男が言うには、自分が何故ここに居るのか、それすら憶えていないとの事だった。

 昔は覚えていたかもしれないが、今は忘れてしまっているという。


「きっと、長くここに居すぎたせいで忘れてしまったのでしょうね。いつからこうしているのか、まったく憶えていませんから」


 はっはっは、と男はほがらかに笑う。


「「おいおい、なんかこいつ思っていたより暢気だな」」

「長く居たのなら、少しは悪霊に近付くものですけど。彼の場合は……」


 クラークの言葉に、フランドールは答えた。


 答えながら、フランドールは男の足元へ目を向ける。

 薄く透けた足の下に、石の墓標がある。


「丁重に埋葬されたのでしょう。供養もなされている。彼がここに留まるのは、未練以外の強い気持ちがあるからなのかもしれません」

「いやはや、その気持ちとやらも忘れてしまったのですが」


 男は困ったように言う。


「「こいつ、駄目だぜ」」


 そんな様子に、クラークは呆れた声を出す。


「しかし、最近は少し気になる事がありましてね」

「気になる事?」


 フランドールが訊ね返すと、男は街を見下ろした。

 フランドールも同じように見下ろす。


「あの町の、ほら、あの子」

「「どれだよ」」


 街を指差す男に、クラークは尋ね返す。


「あの子ですよ。髪を後ろにくくった」

「「見えるか! 適当言ってるんじゃないだろうな?」」


 と言いつつ、クラークがフランドールの中から目を凝らすと、急激に視線が町に近付いた。


「「うおっ!」」


 驚くクラークの視界は、一瞬にして町の住人一人一人の顔がはっきりわかるほどに引き伸ばされる。


「ズーム機能です」


 淡々とフランドールは告げる。


「「びっくりするだろうが!」」

「男女含め、あの町にはおさげ髪の人間が多くいるようです。指をさされても、誤差範囲内から特定する事は難しいでしょう」

「「無視かよ」」


 疲れたように溜息を吐くクラーク。


「そうですか……」


 男は残念そうに呟いた。


「あの少女を見ていると、何かを思い出せそうな気がするのです」

「なら、実際にあの子と会ってみますか?」


 男にとって、フランドールの申し出は不可思議なものだった。

 しかし、彼はその不可思議な申し出を受ける事になる。




 インストール開始。約四十秒後に完了予定。

 ……

 …………

 ………………

 インストール完了。




 フランドール達が訪れた町は漢飛と呼ばれていた。


 大戦時に一度焼き払われた過去があり、ビルなどの建造物は一切無い。

 あるのは木材やレンガで造られた家屋ばかりだ。


 多少くたびれてはいるが、それでも色合いの派手な建物が多くあり、入り口からほどなく歩めば市が立っている。


 市では人が盛んに動き回り、全体が活気に満ちていた。

 果物から陶器、大戦時の壊れた兵器や金属板など売り物は多岐に渡っていて、それを売る商人の中には異国の人間もちらほらと混じっている。


 自分がこれほどまでに人で溢れている場所に立てるとは……。

 フランドールの体を借りる男は、辺りを見回して感慨深く思った。


「しかし、遠目から見ればいざ知らず、こうして直に見て探すとなると全体が見渡せない分、探すのも難しいかもしれません」

「「すみません」」


 男の心に、フランドールの声が響いた。


「「あの時に把握できていれば、私のセンサーでどうにか探す事もできたのですが……」」

「いえ、今の私には動ける足があります。それだけで十分です。それに、心当たりが無い事もないので」


 言いつつ、男はあえて人ごみへ紛れるように歩く。

 四方八方が人で埋め尽くされた道でありながら、男の足取りは無人の野を歩くようだった。

 バランスを崩す事もなく、当たりそうになった人の肘を最小限の動きでかわし、それでいて歩幅は一定だった。


「しかし、こうまで早く目論見が当たるとは」


 呆れた声で言いながら 男は細い腕を無造作に掴む。

 その腕は、人ごみに紛れて突き出されたものだ。


「げっ!」


 発せられた声は驚きに満ちていて、何より可愛らしく幼い声だった。

 掴んで引いた手の主は、おさげ髪の少女。

 そのまま男は、彼女と共に人ごみから外れる。


「お前、後ろに目でもついてんのかよ!」


 人ごみから連れ出された少女は気の強そうな声で叫び、男は無言で困ったような顔をした。

 普段のフランドールと少し似ているが、かすかに感情の混じる表情だった。


「「センサーで察知したのか。でも、いつの間に教えたんだ?」」


 クラークはフランドールに問い掛ける。

 その問いをフランドールは否定した。


「「いえ、察知はしていましたが、伝えていません。これは彼自身が身につけている技術です」」

「「マジかよ。目の良さといい、何者なんだよ。このおっさんは」」

「「おっさん、ですか……」」


 フランドールの言葉は何かを含むような響きを持っていた。


「「……ああそうだよ。俺だっておっさんだよ。おっさんで悪かったな!」」


 意図に気付いて、クラークは怒鳴った。


「何故、こんな事を?」


 男は叱るでもなく、少女に優しく訊ねた。

 こんな事とは、彼女が自分の財布を狙った事だ。

 彼女はフランドールが腰に提げていた財布を狙っていた。

 そしてこの財布は、彼女を釣るため男があえて目立つように提げていたものだった。


「あんたに教える義理なんて、ねぇ!」


「ねぇ!」と発音するのと同時に、彼女の細い足が蹴りを放った。

 しかし、男はその蹴りに威力が乗る前に、自分の足の裏を当てて止めてしまう。


「いぃっ!」


 イメージしていた動きを阻害され、少女はバランスを崩して倒れそうになった。

 男はそれすらも見透かしていたように、少女をそっと抱きとめた。


「何も、罰しようとしているわけじゃありません。ただ、少し事情を知りたいだけです。むしろ、それを話してくれなければ、このまま開放するつもりはありませんよ」

「ううぅ」


 どうにかもがいて自分を抱く腕を振りほどこうとする少女だったが、どうあっても抜け出せないと悟って、悔しそうな顔でうめきを漏らした。

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