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籤神社の生贄

心霊スポットに向かう車内には、まるで最初から顔見知りかのように騒ぐゼミメンバーたちの声で溢れかえっていた。

けれど、実際のところは今日初めてゼミの講義内で自己紹介を済ませたばかりで、出身高校が違うはずのメンバーたちは旧友のように打ち解け合っていた。高校時代は理系の学科を選択していた僕は、文転して入学した文系学部に巣食う人種とは相容れることができていなかった。完全に、乗り遅れていた。

「今から行くとこはマジで超ヤバイから!」

 顎髭を生やした色黒のメンバーが、サングラスを額に乗せながら囃し立てた。「ふーっ!」という別のメンバーの声が車内の盛り上がりに薪をくべた。男女問わず、かなりノリのいい人たちらしく、イケイケな曲を盛大に流しながら歌を歌っていた。車窓を開けながら、である。

 僕は思わず溜息を吐いて後部座席のシートに背中を預けた。すると、隣からぐりゅりゅりゅ―、と音がした。振り返ると、ピンク色のボブに耳ピアス、真っ黒いアイシャドウで目元が鋭くなったメンバーの女性が、開いた窓の縁に肘を乗せながら景色を眺めていた。聞き間違いかと思って再び視線を前に戻すと、さっきと同じ音が彼女のお腹から聞こえた。車内は騒がしいため、真隣にいる僕にしか聞こえていないようだった。

 僕は肩から掛けた鞄の中から軽食用に取っておいたピーナッツ入りのパンを彼女に差し出した。すると、彼女は面倒くさそうに目を細めながらこちらを振り返った。訝しむ彼女に、僕は言い訳をするみたいに慌てて言葉を添えた。

「ゼミが終わってから突然決まったもんね」

 僕が苦笑いしながら言うと、彼女はパンを一瞥してから「ありがと」と口にしてそれを受け取った。無意識のうちに息が詰まっていたらしく、僕は彼女の様子に安堵してから息を吐き出した。ゼミメンバーの誰とも打ち解けられないのは流石に堪える。相手がどんなに奇抜なファッションセンスの持ち主だとしても、少なくとも一人は話し相手が欲しかった。

 ゼミでの初回オリエンテーションが終わった後、この車を所持しているサングラスさん(名前は覚えていない)の提案で親睦会を開くことになった。そして、その親睦会というのは名ばかりで、実際は心霊スポットの散策というただの悪ノリだった。それでも、僕は同行を拒む度胸がなかった。

「君は、幽霊とか平気なの?」

 パンをもしゃもしゃと咀嚼する彼女に声を掛けてみた。彼女はチラリと僕に視線を寄越すと、再び窓の外を眺めながら答えた。

「嫌い」

「えっ」

「行ってもろくなことにならない」

「あー、そうだよね。僕も実は気が進まなくて」

「みんなが今向かってる心霊スポット、あそこは本当にヤバイ」

 忌々しそうにそう言う彼女の横顔は、何か事情を知っているように見えた。

「そういうのに詳しいの?」

「……それもそうだし、視える」

「え、霊感があるってこと?」

 僕が思わず訊ねると、彼女は頷いた。

「じゃあ、どうしてみんなに着いて行くことにしたの?」

「取り返しのつかないことにならないように」

 そう言う彼女の表情が真剣だったから、僕は思わず息を呑んだ。

「……除霊とかできるの?」

「いや、できない」

「……それじゃあ、どうするの?」

「行くのを止めるしかない」

「……でも、今みんな意気揚々と向かってるよ、そこに」

「分かってる。だから困ってる。とても止められそうな雰囲気じゃない」

 彼女の言葉で車内を見渡すと、みんなノリノリだった。もしもここでやっぱり引き返そうなんて興の醒めることを口にしてしまえば、次回のゼミから除け者にされることは間違いないだろう。

「ねぇ、拓人。もし私が悪い霊に憑りつかれたらどうする?」

 猫撫で声を出す女性が、サングラスさんの腕に自分の腕を絡めて言った。サングラスさんの本名はどうやら拓人らしい。

「早苗は可愛いからな。霊が寄って来やすいだろうから、こういう時のために鍛えてる身体でお前を守ってやるよ」

 拓人さんがそう言うと、早苗さんは「きゃーっ」と黄色い声を発した。

「あーあ、顔が強ぇ奴らって得だよなぁ。インスタで入学前から繋がってたのずりぃ。俺のアカウントはアイコンがブスすぎて女からのフォローが全然ねぇんだよなぁ」

「政伸は投稿してる内容もダサいからな」

「くぅあー、痛いところ突いてくるねぇ。救いようがねぇや」

 政伸さんは頭を掻きながら自嘲した。

「ねぇ、更科さんは彼氏とかいるの?」

 政伸さんは突然、横からこちらを振り返って言った。目が合ってしまったと驚いたけれど、僕は柊木(すぐる)という名前である。必然、僕は隣の彼女を振り返った。

 彼女は鋭い瞳で政伸さんを睨んだ。政伸さんは引き攣った顔で「てっぺきー」とおどけた。

「更科さんは美人だけど、愛嬌がねぇ」

 早苗さんは助手席から見下すように微笑んだ。けれど、彼女はそんな皮肉を無視して窓の外を見るのに終始した。早苗さんはつまらなさそうに唇を尖らせると、拓人さんの肩に頭を乗せた。

「おいおい、ゼミで女子なのは早苗と更科さんだけだろ。仲良くしなくていいのか?」

「いいの、拓人さえいれば」

 また二人の痴話が始まった。僕はこんな人たちと同じゼミのメンバーになってしまったのかと肩を落とした。彼女に視線を向けると、気に留める様子もなくただただ窓越しに流れていく景色を眺めていた。

 某ファミレス店の駐車場でもう一台の車と合流した。ゼミのメンバーは僕を含めて九人で、僕が乗っていた方の車は五人、もう一台の車は搭乗者が四人だった。そのファミレスで一言も話すことなく僕はただただ食事を終えて、得意げに拓人さんが怪談話をするのに耳を傾けていた。やがて、ファミレスの営業時間が終了し、いよいよ心霊スポットに向かうことになった。

 山道に入ってしばらくすると、先ほどまで漂っていた車内の陽気な雰囲気が衣替えしたみたいに緊張感を帯びたものに様変わりしていた。バックミラー越しに見える拓人さんの額には汗の粒が浮かび上がっていた。助手席に座る早苗さんも二の腕を摩りながら周囲の暗澹に心細そうな目を向けている。街頭のない山道は、僕たちが乗る心許ないライトによって照らされている。後部座席の端に座る政伸さんは背後を振り返り、後続車のライトを見て安心したように息を吐いた。

 山道をどんどん上っていくと、舗装されていない逸れ道に差し掛かった。

「ここ、だったよな」

 少し震える声で拓人さんがそう呟くと、ハンドルを左に切った。後続車もこちらの進路に合わせてきた。それからしばらく車底からの振動に耐えていると、ある石段にたどり着いた。そこで恐る恐るエンジンを切った拓人さんは、車から降りた。僕も続いて車から降りたけれど、ドアの開閉音ですら怖くてそっと車体に馴染ませるようにドアを閉めた。後続車も適当に駐車すると、懐中電灯を手にしたメンバーたちが降りてきた。時刻を確認すると、ちょうど午前二時頃だった。

 石段は神社まで延びている。あまり傾斜のない造りではあるけれど、懐中電灯から延びる円筒の光によってのみ照らされるため、心理的には足を踏み入れるハードルが高い。石段を上ぼってすぐに赤い鳥居が居を構えている。闖入者を呑み込むための番人みたいだった。

「じゃあ、行こうぜ」

 拓人さんが先陣を切って石段を上ぼり出した。全員、足が竦んでいるのが分かった。けれど、ここまで来て引き返そうと提案する方が勇気を要した。僕たちは観念して石段を上ぼり始めた。

 ここが異界ではなく山であることを証明するためだけに石段の両脇に茂る木々が葉音を鳴らしているようで薄気味悪い。その割には虫の鳴き声一つ聞こえてこないのが、生命活動をする者がいるべきではない空間であることを物語っているようだった。呼吸をしてしまえば生を察知した異形が目敏く襲ってきそうで、思わず息を止めてしまう。

「雰囲気あるな……」

 政伸さんがボソッと呟いた。好奇心旺盛な少年のように、懐中電灯のライトを行ったり来たり周囲を照らしている。

「この神社、籤神社っていうらしいぜ」

 先頭を歩く拓人さんが、少し明るい調子でそう言った。

「なんで籤って呼ばれてるんだろう」

 後続車に乗っていたうちの一人が素朴にそう口にした。けれど、誰もその質問に対して返答しなかった。彼は気まずそうに咳払いをした。すると、彼女が突然口を開いた。

「この神社では昔、籤が生贄を差し出す儀式に使われていたの」

 彼女の意外な言葉に、その場に居た全員が息を呑んだ。

「おいおい、マジで?」

 政伸さんが思わずといった様子で聞き返した。それに応えようとしてか、彼女はさらに言葉を続けた。

「籤という名前の由来はダブルミーニングで、文字の通り村の繁栄のために籤引きで生贄を差し出す風習があったのに加えて、陰陽師のシンボルである陰陽が関係している」

「それって、白と黒の勾玉みたいなあれ?」

 僕が確認すると、彼女は頷いた。

「魔を払うために用いられた九字。臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前という言葉が表すように、九という数字が陰陽道の陽における最高数なの。だから、この神社では昔、生贄を捧げるための丑三つ時に異形の闇を照らすという名目の下、九人で神社に生贄を捧げた。九人で神社にいる間は、人ならざる者から襲われることはないと信じられていたから」

 ここに来て彼女が流暢に話をしていることに驚きつつ、僕は疑問に思ったことを訊いた。

「生贄も含めると、神社の中に居る人は十人じゃないの?」

 僕の彼女への問いかけに「確かに」と誰かが呟いた。すると、彼女は平然とした様子で答えた。

「生贄は、人とはみなされない」

 耳鳴りがするほどの静寂が僕たちを取り巻いた。底知れない気持ち悪さが毛穴の奥から噴き出してくるみたいで、全身を悪寒めいた恐怖が駆け巡った。けれど、そんな僕たちの様子を意に介することなく、彼女は尚も続けた。

「だから、もしこの場に居るのが九人じゃなかったら、私はどんな手段を使ってでも、みんなを止めてた」

 彼女の発言に、数人の足が止まった。そして、人数を確認するために互いの顔を見合った。そのことを背中で感じたのか、先頭にいる拓人さんがこちらを振り返った。

「おい、マジになんなよ。あくまで伝承か何かなんだろ? なんなら、嘘っぱちかもしれない。更科さん、悪いがそれ以上はよしてくれないか。早苗がさっきから唇を紫にしてぶるぶる震えてるんだ」

 拓人さんの言う通り、拓人さんの手を爪が食い込むくらい強く握る早苗さんの手が小刻みに震えていて、顔色が悪い。

「彼女さんの身を案じて、ここは引き返すのが得策じゃない?」

 彼女がそう言うと、拓人さんは一瞬考える素振りを見せたけれど、すぐに首を横に振った。

「ここまで来て引き返すのはやっぱり納得がいかない。早苗、頑張れるか」

 口調こそ優しいけれど、要求していること自体は早苗さんにとって酷なものだった。早苗さんは潤んだ目を拓人さんに向けながら言った。

「私に何かあったら、助けてくれるんだもんね?」

「あぁ。約束するよ」

「うん、信じる」

 早苗さんは自分の頬を両手で叩いて「よし」と声を上げた。

「みんなごめん。私なら大丈夫だから、先に進もう」

 早苗さんの前向きな声音に、みんなが戦意を取り戻したみたいに頷いた。

 彼女は「はぁ」と呆れたように頭を掻きながら、仕方なさそうに石段を上り始めた。僕は一抹の不安を抱えながら彼女の後に続いた。

 石段を上り終えると、僕たちは恐る恐る鳥居を潜った。その瞬間、肌に染み込むような冷たい空気が漂った。乗車中にトンネルに入って感じる気圧の変化が耳の中で起こった。異様な感覚は僕以外の全員も受けたみたいで、その場でしばらく立ち尽くした。

 すると、きっかけをつくるように拓人さんが懐中電灯を掲げながら前に進み始めた。境内の参道に沿って御社殿を目指してみんなで固まりながら歩いていく。参道の石畳から逸れると砂利で覆われていて、参道から十メートルほど離れた位置に木々が立ち並んでいる。

ミシミシ……

 右側から何かが軋む音が聞こえた。思わず足が竦んで立ち止まった。音がした方を振り返ると、木々に茂る葉が風に舐めつけられて静かに揺れていた。僕は胸を撫でおろしながら先を進もうとした。すると、彼女が突然声を上げた。

「危ない!」

彼女はこちらに傾く大木を指さしていた。それは、前方を歩いていた政伸さんに向かって倒れ込もうとしていた。

「うわぁ」

 政伸さんは咄嗟に前に転がり込んだ。その瞬間、つい先ほどまで政伸さんが立っていたところに大木が倒れ込んだ。地震でも起きたのかと錯覚するほどの地響きが境内を襲った。その直後、事態を呑み込めないメンバー全員は張り裂けそうな恐怖を表現する余裕なくその場に佇んだ。政伸さんは、両手を地面について後退しながら大木から離れようとしている。

「いやあああああああああああ」

 早苗さんが突然叫んだ。かと思えば、参道から逸れて懐中電灯も持たずに境内の奥の方へと駆け出して行った。

「おい、早苗! どこ行くんだよ!」

 拓人さんと数名が早苗さんの後を追って走って行った。一心不乱に早苗さんを追いかけるみんなの懐中電灯の光が周囲を慌ただしく照らした。

 この場に残ったのは、僕と彼女、政伸さんと後続車に乗っていたドライバーだった。

「九人いれば大丈夫なんじゃなかったのかよ」

 半泣きになりながら、ドライバーは彼女を責めるように言った。彼女が肩を竦めると、ドライバーは声にならない声を上げながら鳥居の方へと走って行った。

「ダメ! 九人じゃなきゃ全員死ぬかもしれない!」

 彼女が慌ててドライバーを引き留めようと叫んだ。けれど、ドライバーは恨めしそうにこちらを振り返りながら「そんなの迷信なんだよ! 全然効き目ねえじゃんか!」と吐き捨てた。

 ドライバーが鳥居の前まで来た途端、鳥居の貫に並べられていた岩が彼の目の前に落下してきた。そして、それが地面に打ち付けられて破裂音がした。ドライバーはメデューサと目が合ったみたいにその場で固まった。あと一歩前に進んでいたら、彼の命はなかっただろう。

「おい、大丈夫か!」

 政伸さんは先ほどの倒木で腰が抜けたのか、足をふらふらさせながらドライバーの方へと駆け寄り、茫然とするドライバーの肩を揺らした。

「僕たちを、神社から出さないようにしている?」

 僕が隣で難しい顔をする彼女に問いかけた。彼女は自分の思考を整理するためか、ぶつぶつと独り言を発していた。すると、僕の方を振り返って混乱した様子で言った。

「九人で居たら、大丈夫なはずなのに」

「……でも、この神社は僕たちに攻撃してきてる」

「どうしてなのか、分からない」

 彼女は親指を噛みながら、頭を掻いた。どうしてこんな状況になってしまったのか、必死に考えているのだろう。

「ねぇ、もし九人を下回った人数で神社に入ったらどうなるの?」

「……神社に居る人間全員を殺そうとするはず」

「じゃあ、むしろ九人よりも多い人数で神社に入ったとしたら、どうなるの?」

「全員を殺そうとするけど、九人になった時点で神社は誰かが鳥居の外に出るまで手出しできないはず……まさか」

 彼女は目を見開きながら僕を振り返った。僕は彼女に頷いてみせた。

「この神社には、僕たち以外に人が居る」

 彼女は政伸さんたちの方を振り返った。

「誰か一人、鳥居の外に出て!」

 彼女の言葉に、政伸さんとドライバーは顔を見合わせて首を傾げた。

「帳尻合わせしないと! この神社には私たち以外にもう一人居る!」

 彼女の発言を聞いて、二人は顔を青ざめさせた。

「で、でも、鳥居の外に出るのがどっちにするかなんて決められないし」

「出たとして、一人で鳥居の外で待つのもおっかないぜ」

 二人の発言に「あー、もう!」と頭を掻きむしりながら彼女は苛立ちを露わにした。僕は彼女の怒りを鎮めるつもりで、二人の方へと身体を前のめりにさせた彼女の前に腕を伸ばした。彼女がギロリと僕を睨んだ。

「この神社には多分、僕たち以外に二人居る」

 僕がそう言うと、彼女がまたも驚いたように目を見開いた。

「二人とも、鳥居の外に待機してもらってもいいかな。また攻撃がいつ飛んでくるか分からないから、出来るだけ早く」

 僕がそう言うと、二人はまた互いに顔を見合わせた。それからこちらを振り向くと、勢いよく頷いて鳥居の外に飛び出した。今度は、何も起こらなかった。


「どうして二人居ると思ったの」

 境内の奥に進んでしまったメンバーを探しながら木々の間を縫って進んでいると、彼女が僕に訊ねてきた。懐中電灯は常に四方八方を照らしている。先客がどこに潜んでいるのか、潜んでいたとしたらどうしてこんな時間にこんな所に居るのか分からないという警戒心による行動だった。

「僕たち以外にってことだよね? すごくシンプルな理由だけど、攻撃を受けたのが二人だったからだよ」

「……倒木と、落石」

「うん。ただ、倒木で殺し損ねたから、今度はターゲットを変えて岩を落としたとも考えられたんだけど、今の状況で二人が冷静にその話を聞いてくれるか分からなかったから、賭けで二人を鳥居の外に出すことにしたんだ」

「うわ、あんた危ないことしたんだね。見掛けによらずギャンブラーだ」

「もし境内でまた恐ろしいことが起きたらすぐに一人に引き返してもらうつもりだったよ。だけど、今の境内はすごく静かになってる」

「他のメンバーの声すら聞こえないほどにね」

 僕と彼女は肩がくっつくほどの距離で隣り合って歩いていた。虫の音は相変わらず聞こえてこない。あの鳥居を境に、現実世界とは一線を画しているらしい。

「ねぇ、何か聞こえない?」

 彼女が声を潜めながら言った。耳をよく凝らしてみると、川が流れる音が聞こえてきた。

「そういえば、この神社に流れる川に生贄を流してた過去があるらしい」

「……近づきたくないね」

 そんな会話をしながらさらに木々の間を進んで行くと、古びた木製の階段が下へと続いているのを見つけた。懐中電灯がなければ絶対に足を踏み外すほどの幅しかない。

「おい、しっかりしろ!」

 突然、階段の下の方から誰かの叫び声がした。僕と彼女は目配せして慎重に階段を下りて行った。

 川辺の砂利の上で、早苗さんが小刻みに震えながらしゃがみ込んでいた。耳を必死に塞ぎながら、早苗さんを立ち上がらせようとしている拓人さんに向かって「いやっ!」と叫びながら拒絶している。拓人さん以外の三人は困惑しながら二人の様子を窺っていた。

「これはどういう状況なわけ?」

 彼女は呆れた様子で拓人さんに訊いた。

「分からない。俺たちが早苗を見つけた時にはこうやって縮こまってたんだよ。何があったのか確認してもずっと首を横に振るだけで話にならねぇんだ」

 後頭部に手をあてながら、拓人さんは溜息を吐いた。

 その場にいる全員が解決策を考え始めると、静寂に溶け込むのは川のせせらぎだけになった。けれど、この場で一番大きいはずである川の音を背景にして、脳内で乾いた音が突然鳴り響いた。

コーン。コーン。

 その場にいる全員が互いに顔を見合わせた。

 鹿威しみたいに規則的に鳴り響く不気味な音が、嫌に耳の中をこだました。

「これって……釘を刺す音?」

 拓人さんが答え合わせをするみたいに口を開いた。その声は、音を鳴らす主に気づかれてはならないように咄嗟に潜められたものだった。

 僕たち以外に境内にいるのは、二人。そのうちの一人は、釘を打ち込んでいる人物で間違いない。そうなると、禍々しいことを画策しているのは、二人……?

 そんなことを考えていると、拓人さんが音のする方へと進み始めた。

「お、おい……」

 メンバーの一人が躊躇いがちに拓人さんを制止しようとしたけれど、拓人さんは構わず歩みを続けた。他のメンバーたちは困惑しながら顔を見合わせている。

「僕が彼についていくから、みんなは早苗さんの側にいてあげて」

 僕の提案に、みんなが安堵の表情を浮かべて頷いた。

 僕も意を決して歩き出そうとした瞬間、彼女が「きゃっ」と小さく悲鳴を上げて僕に抱き着いてきた。動揺しながら振り返ると、彼女は川の面を見つめながら小刻みに震えていた。

「……君も一緒に行く?」

 訊ねると、彼女は小さく頷いて言った。

「ここにはいたくない」

「……なにか見た?」

「…………川に流された人たちの顔が無数に水面に浮かび上がってる」

 彼女の言葉に思わず振り返ったけれど、川の水面に異常があるようには見えなかった。彼女と違って僕には霊感がないけれど、彼女が見たという光景を想像して背筋が寒くなった。

 僕は腕を絡めてきた彼女と一緒に、拓人さんの後を追った。

 木々の間を縫って、僕たちは慎重な足取りで音のする方へと向かった。規則的な音が次第に大きくなってくる。釘を打つ音は、どうしても藁人形を思い浮かべてしまう。機械的に一定の間隔で鳴り響いているため私怨を感じられず、かえって不気味だ。

「おい、物陰に隠れろ」

 拓人さんが、声を潜めながら僕たちに言った。僕たちは慌てて木の後ろに身を潜めた。

 白装飾の着物を身に纏った男性が、木に固定された蝋燭の灯りに照らされながら釘を打っていた。目を凝らすと、藁人形が木に巻き付けられているのが見えた。

「なんて数だ……」

 拓人さんは思わずといった様子で口を開いた。無理もない。藁人形のそこかしこの部位に釘が打ちこまれていたのだ。

 しばらく男性の様子を窺っていると、突然釘を打つ音が止んだ。その途端に辺りが異様な静寂に包まれた。静脈の流れる音さえ聞こえてきそうな静けさが数秒この場を支配した後、男性がこちらを振り返った。

「やべぇ」

 僕たちはさらに身を屈めた。けれど、その甲斐虚しく、男性は僕たちに話しかけてきた。

「そこにいるのは知っているよ」

 指摘されて尚も隠れている意味はないと思ったのか、拓人さんが観念したように立ち上がった。僕と彼女も、遅れてゆっくりと立ち上がった。

「君は五十嵐拓人だね」

「……どうして俺の名前を」

「小鳥遊早苗の彼氏だよね?」

 拓人さんは目を見開いた。

「お前、早苗のことを知っているのか」

「うん。だって、俺の彼女だもん」

「…………は?」

「うん、固まるのも無理はないね。だって、早苗が二股してたなんて事実、認めたくないもんね」

 男性は可笑しそうに笑いながら木に固定された藁人形を指さした。

「すごい釘の数でしょ。実はあんたらが神社の石段に到着する前に、俺も別の入口前に到着していたんだ。街で早苗とあんたが腕を組んで歩いてるのを見て浮気してるって気づいてから、彼女のあらゆる服に盗聴器を仕掛けておいたんだ。実は俺は早苗と同棲してるんだよ? びっくりだよね。盗聴器のおかげで、今夜あんたたちがこの神社にやってくることを知った。だから、この機会を利用しようと思ったんだ。釘を打った呪いがうまく早苗に働いたとして、ただ苦しんで死ぬだけだ。そんなのもったいないと心変わりしたんだ。だから、やっぱり早苗には生きていてもらうことにした。精神的な苦痛を、早苗には一生抱えて生きてもらうことにしたんだ」

 気づけば男性は、僕たちの目の前まで来ていた。それなのに、拓人さんは金縛りに遭ったみたいにその場で立ち尽くしたままだ。

「あんたは大丈夫なのかよ」

「え?」

「藁人形に釘を打つ姿を見られた人間は、死ぬ。あんたは私たちに見られたんだぞ」

 彼女の疑問に、男性は平然とした様子で答えた。

「あー、そうだね。うん。俺は死ぬつもりだよ」

「…………」

「だって、愛していた早苗に裏切られたんだ。俺は生きていく意味を見失った。だから、俺はあんたらを利用して死ぬことにしたんだ。そして、早苗には代わりに後ろめたさを背負いながら生きてもらう。だって、早苗ってばひどいんだよ?」

 男性は拓人さんの目の前で、歪んだ笑みを浮かべながら言った。

「早苗は、俺の子を妊娠しているんだ」

「な……ん、だと?」

 拓人さんの顔から血の気が引いていく。拓人さんは男性から数歩後退った。

「浮気が発覚してから、早苗の携帯を確認したことがあるんだ。ま、画面ロックのパスワードなんてだいたい検討がつくからね。それで、あんたと交際を始めた時期を知った。それから、早苗の部屋を調べたんだ。そしたら、妊娠検査結果表を見つけたんだ。検査した日時とあんたが早苗と交際を始めた時期を比べると、検査をした時期の方が早かった。つまり、早苗は俺の子を身籠ったと断定できる」

 男性は得意げに話しながら、いつの間にか座り込んでいた拓人さんを見下ろした。

「全く、何を考えているんだろうね、早苗は。自分に子どもができたことを知りながら浮気するなんて。あ、そうそう。そういえば、さっき早苗は俺が釘を打つ姿を見て発狂しながら逃げて行ったよ。もう見つけたかな? まぁ、俺にはもう関係ないことだけど」

 拓人さんは頭を抱えながら叫んだ。

「そうか。僕たち以外にこの神社に紛れ込んでいたのは、あなたと、早苗さんの子どもだったのか」

「ん? あー、確かにね。先回って境内で待機してようかと思ったけど、早苗に仕掛けた盗聴器から丑三つ時に九人以外で境内に入ることは許されないってそこの彼女の言葉が聞こえたおかげで、俺はあんたらが境内に入るタイミングで侵入できた。俺の身に何かが起きたら早苗に復讐ができなくなるからね。感謝するよ」

 男性はそう言い残すと、その場から去って行った。

 僕は急いで政伸さんに連絡して、鳥居の中に踏み込むように指示した。男性が境内から立ち去ることで、八人になることを防ぐためだ。

 それから、僕たちは川辺に戻ってなんとか早苗さんを立ち上がらせて、数人がかりで神社から脱出した。みんなの計らいで、拓人さんと早苗さんは別々の車に乗ることにした。帰りの車内は、行きとは正反対の静けさが支配していた。

 後日、早苗さんが退学したことは風の噂で知った。そして、拓人さんはあの日以来、ゼミメンバーの誰とも口をきくことがなくなった。僕たちも、拓人さんにかける言葉が見つからず、気まずいままだ。親睦会として籤神社に行ったこと以外で、プライベートでの交流は皆無になった。ゼミが終わると真っ先に、僕は講義室を出るようになった。

 相変わらず、誰とも交友関係を持つことがないまま日が経った。食堂でいつものように昼食をとっていると、隣に座った人に声を掛けられた。

「元気?」

 振り返ると、僕に声を掛けたのが彼女だと分かった。

「あ、うん。君は元気?」

 僕が訊くと、彼女は不満げに唇を尖らせた。

「あのさ、そろそろ名前で呼んでくれてもよくない? 君じゃなくてさ」

「あ、ごめん。琴音さんは元気?」

「いきなり名前呼びかよ」

「え、あ、ごめん。名前で呼んでって……そっか。苗字だよね、普通」

「ま、いいんだけどさ。うん、元気」

 琴音さんはそう答えて笑った。琴音さんが笑うところを初めて見た。

 それからしばらく黙々と食べていると、琴音さんが神妙な声音で言った。

「あの男、今どうしてるんだろうね」

「……神社で釘を打ってた人?」

「うん。呪い返しで今頃やばいことになってるんじゃないかと思ってる」

「もしかして、それも琴音さんには分かるの?」

 琴音さんは強張った表情で頷いた。

「あの時、あの藁人形に込められた私怨が、あの男に纏わりつくのを見たんだ」

「……そう、だったんだ」

「やっぱり、心霊スポットに行っても良いことなんて何もない」

「それは、そうだね。うん、今回のことで僕は随分と懲りたな」

 僕が苦笑すると、琴音さんは何かを思い出すみたいにどこか遠くを見つめた。

「昔、友達とよく心霊スポット巡りをしてたんだ」

「え……」

「私には霊感があるから、本当にやばいところには近づかなければいいやって軽い気持ちで巡ってたんだ。そしたら、ある時いつもみたいに心霊スポットを巡ってたら、急に友達が苦しみだして、錯乱状態になった。急いでお寺まで行って除霊してもらったんだけど効果がなくて、精神病院に幽閉された。その友達は、今もその精神病院にいる」

 琴音さんは当時のことを思い出したのか、忌々しそうに歯ぎしりをした。

「霊感があるから大丈夫だと驕っていた自分を、許せなかった。その心霊スポットに入る前に、ある儀式をしないといけなかったらしいんだけど、私たちはそれを知らずに心霊スポットに足を踏み入れた。友達に降りかかった脅威は鳴りを潜めていて、私が察知できなかった。それから、霊感だけじゃなくて知識も必要なんだと知って全国の心霊スポットやオカルトについて調べた。私の知り合いが危ないところに行かないように、あるいは行ったとしてもサポートできるようにした。でも、今回も私は結局何もできなかった」

 琴音さんは悔いるように俯いた。

「そんなことないよ。琴音さんの知識がなかったら、あの夜、僕たちは無事では済まなかった。琴音さんのおかげで助かったよ。ありがとう」

 僕の言葉に、琴音さんは困ったように眉を下げながら微笑んだ。

「ありがとう、逸」

「……僕の名前」

「だって、そっちは私のこと名前呼びするのに、私だけ苗字で呼ぶの変じゃん」

「……それも、そうだね」

 照れ臭くなって頭を掻くと、琴音さんは今度は屈託のない笑顔を浮かべた。


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