ふたりだけの、自由の味
「鳥って、自由だよなァ……」
彼はしみじみとそう言った。部室の外には、校舎の屋上のアンテナで羽を休める、一羽の鳥がいた。私も、ちょうど彼と同じことを思っていたところだった。私が鳥を見ていたから、彼も同じように鳥を見てそう言ったのか、はたまた偶然同じタイミングで同じものを見たのかは、分からないけれど。
「そうだね。なんか、羨ましい」
「分かるわぁ……」
彼はノートに走らせるペンを一旦止め、椅子に思いっきり背中を預けながら顔だけを窓の外に向けていた。クーラーの効いていない文芸部の部室はそれなりに暑かったが、勉強会を開くのにお互いいちばん気楽に来られる場所が、ここだったからしょうがない。別に、私の家の私の部屋だってクーラーがないのは同じだし。彼の家は違うらしいけど。
私は勉強に戻るふりをして、ちらりと彼の顔を見てみた。彼の表情は、その言葉に違わず非常に羨ましそうだった。
「あ」
彼がそう言ったので、私も窓の外に視線を戻した。ちょうど、あの鳥がどこかへ飛び去っていくところだった。
「「行っちゃった(ね)」」
声が重なった。一瞬お互いの顔を見つめ合ってから、それから急に何かおかしく思えてきて、二人同時に吹き出した。気がついたら私もペンを机に置いていて、勉強のことなんかどうでもよくなっていた。
「いつでも好きな場所にいけるっていいよな」
「そうだね」
私も同じことを思ったことがある。
鳥は自由だ。人間と違って。
「私達に翼はないし、あったとしても行くのはせいぜい学校だろうね」
「な。人が飛んだらニュースになるだろうし、好きなときに好きな場所に、なんて無理だわな」
人間は自分の足で地面を這って歩かないと移動できない。それに社会的なしがらみがあるせいで、好きなときに好きな場所にいけるわけではない。今日だって、私達は『学校』という社会的なしがらみのために、何時間も学校という空間に拘束されていたのだから。
「空から見える景色って、どのくらい綺麗なんだろう」
「な」
毎日学校に行くだけの人生では、目新しいことなんてそう多くない。せいぜい、隣のクラスの何々さんと何々さん付き合ったらしいよ、とかそのくらいだ。あとは、購買の新作のパンが美味しいらしいとか。
窓の外のずっと向こうに広がる、山々の大自然。ああいうものに比べれば、私達の学校生活なんて随分ちっぽけなものだ。
……それじゃあ、あそこを登ってみたらちょっとは『ちっぽけじゃないもの』を見つけられるのだろうか。あの山は私の家からも結構近い位置にあるけれど、当然登ろうなんて思ったことはない。そこに何があるかなんて見てみないと分からないのに、登ってみようなんて考えたことは一度もなかった。
もちろん、山登りの知識がないとか色々あるけれど、結局はそれだってただの言い訳だ。やろうと思えば、今からでも行けなくはない。
……いやでも、普通に体力がきついな。あと、こんな暑いのに山登りなんてしたくない。
彼の方を見てみると、彼は後ろに転げてしまいそうなくらい背もたれに体重を預けて、天を仰いでいた。もし彼が、私と同じように山登りのアイデアを思いついたとして、彼もきっとそれは無理だと言うだろう。だって暑いし。
「旅行……ねぇ」
彼は呟いた。どうやら、彼は旅行について考えていたらしい。
とはいえ、『何か自由になれるもの』を探そうとしているという点で言えば、私も彼もそう変わらないのだと思う。
「いいんじゃない?」
私は軽い口調で肯定した。
「でもさぁ、準備とかダルいじゃん。行くなら沖縄とか行きたいけど、遠いし」
「まあ、それはそうだね」
「計画立てて予約して準備して、当日も計画的に行動して……それがもうできないわ。失敗したらダルいし。あーこんとき俺が鳥だったらなァ〜」
彼はちょっとおどけた口調でそう言った。気持ちは分かる。
でも――
「別に、それは鳥じゃなくてもいけるんじゃない?」
「えぇ〜、さすがに沖縄は厳しくない?」
「うん」
「ああそっか、いやうん。まあそうだよな」
どうやら彼は、私が『今から沖縄に行ける画期的なアイデア』を出してくれることを期待していたらしい。私の言葉を聞いた途端、分かりやすく落胆した。なんかちょっと申し訳なくなる。
いやそうじゃなくて。別に、私達はわざわざ沖縄に行く必要はないのだ。そんな大きなことから始めなくても、もう少し小さいことからでいい。私は心の中で小さく息を吐いて、少しの勇気を溜め込んでからこう言った。
「明日、隣町に行かない?」
私の言葉に、彼は神妙な顔でこう言った。
「それは、おデートの誘いってこと?」
「そっ……そう」
予想外の返答に狼狽してしまうところだったが、なんとか平静を装って返答することに成功した。そう、そうなんだけど、べつにわざわざ言わなくていいじゃん。
「それは嬉しいけど、来週定期試験でしょ」
それから、彼は少し眉をひそめてそう返した。デートにはうろたえないクセに試験の前に遊びに行くのには不安になるのか。なんなんだコイツ。
「そんなのいいじゃん。試験に縛られて行けないところがあるなんて、自由じゃなくない?」
「……まあ、たしかに」
彼はまだちょっと不安そうだった。
でも、私はもうこの決定を曲げるつもりはなかった。なんだか、このまま学校や社会というしがらみに絡め取られて、好きな場所に行けないのは、少し『間違っている』ような気がしたから。
私は証明したい。私達は自由であると。学校や社会というしがらみがあろうとも、好きな場所に好きなときに行けるのだと。他でもない、自分自身に対してそう証明したい。
私は、私の目の前にぶら下げられた『自由』という果実の味を、確かめたくてしょうがなかった。
「ふらっと学校帰りに電車で隣町行ってさ。なんかテキトーにふらついて、カフェとか入って、街見てから帰ろうよ」
「あー、なんか、楽しそうだな」
ちょっと不安が和らいだような表情で、彼は言った。
「でしょ? それぐらいなら、なんか失敗しても『失敗したね』で終わるしさ」
「たしかに」
彼は神妙な顔で頷いた。
「じゃあ、決まりだね」
そう言って指差した先にある彼の表情は、少し楽しそうなものに変わっていた。




