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甘き死よ、来たれ

終末論は楽観論である。

一見不可思議に思えるかもしれないが、要はすぐに死ぬか苦しみながら死ぬかという話だ。


例えば隕石が落ちて人類が滅亡するならば、その死は一瞬だろうと皆は思う。

核戦争で人類が滅ぶというイメージは、自分達が爆弾で跡形もなく吹き飛ばされると外国人の多くが思っているからだ。

しかし、この言語の読める人間ならばそんなことは起こらないと分かっているはずだ。

半端に被爆して、もう助からないが死ぬまでに時間がかかる人間の苦しみを聞いたことがあるだろう。


それと同じだ。終末論を唱える人間は、人類が直ちに滅ぶことが出来ると思っている。


だが実際のところ、人類は終われなかった。

トバ・カタストロフという仮説では、太古の昔に起きた大噴火によって人類のほとんどが死滅し絶滅寸前になったとされている。それでも人類は現在まで子孫を繋げられてしまっている。

核戦争も同じで、あれで死ぬのは人類の何割かと文明だけだ。肩パッドを身につけたモヒカンがバイクを乗り回す話があるように、あくまで国と人類の文明が一度死ぬに過ぎない。


個人の終わりという面で見てみれば、人間の死とは非常に多様なものだ。その中で本人が苦しみを味わうことなく死ねるケースは極めて限られている。

例えば急死というラベルが貼られているものは事故死か心臓・脳の急な症状によるものだが、それでもなお苦しみなく死ぬのは難しい。

痛みが出る前に意識を失うか、意識が追いつく前に身体を吹き飛ばしておく必要がある。


ゆえに、苦しむことなく死ねるというのは楽観論だ。我々はそれなりの確率で苦しみながら死んでいく─個人差がありつつも。死は平等だが、死に至る苦しみは不平等だ。

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