感情論
怒るという行為は基本的に役に立たない。というよりも、悪感情というものは人生において煩わしいものだ。それどころか、むしろ人生に害すら及ぼし、喜怒哀楽の全てがそうなりうる。
例えばスポーツチームの優勝で喜びに満ちたファン達が街に繰り出した後、何が起こるかは分かりきっているだろう。あるいは安らかな環境への執着─例えばあと五分眠りたいという感情が、本人のその一日を最悪なものにする時もある。
ただし、他者と感情を共有できなければならないというのが人間の難しい所である。空気を読んで、あるいは雰囲気に酔って我々は喜怒哀楽を共に味わなければならない。社会が感動の物語を演出するならば、それに口を挟んではいけないのだ。
このように、感情とは社会人にとって自律してはならないものなのである。他者と感情を共有できない共感性の乏しい人間は、大抵の場合社会から孤立する。気味が悪いからである。葬式の時に笑ってしまうような人間に、気味の悪さを感じずにいられるだろうか?
しかしそれが出来ないのが感情の苦しい所で、漏れ出る時は漏れ出てしまうものだ。その点で、私は度々ロボトミー手術が恋しくなる─だが、それは何の解決策にもならない。上記に述べたように、感情は社会に適応するために必要だからである。
つまりは、我々は感情という面でも社会の歯車になることを強いられている。学校の授業における道徳の授業のようなもので、社会が気まぐれに発する"問題"に正しい答えを示さなければならない。そこに個人の意思は介在しない。
それこそが感情の最大の問題なのだ。




