ダイヤグラム地獄
─電車とは社会だ。毎日毎日、それは計算されたダイヤグラムで我々を迎える。ドアが開くと人々が溢れ出し、我々はその後に吸い寄せられ、息苦しさと不安に包まれる。
痴漢をされないか、冤罪をかけられないか、周りの迷惑になっていないか、この位置で出られるかなどといった考えが頭の中で渦巻く。
だがここでいつも得をするのは迷惑をかける側なのだ。奴らは時たま現れ、イヤホンを貫通して音を垂れ流し、喚き散らし、やたらと大きな声で会話している。時には公然と電話をかけてすらいた!
人生で追い詰められた人間は駅や電車で凶行に走るケースもあるが、そこが彼らにとって最も身近で憎たらしい社会だからだ、と私は時に思うのだ。
大抵時刻通りに来るあの忌々しい鉄の塊とその信奉者を最もイラつかせるには、人間一人が暴れるだけで足りる。暴力も自殺も衝動的であることには変わらない。乗客に包丁を振り回すのも、車内にガソリンをぶち撒けるのも、電車の前に身を投げることもそう違いはない。
だがそこまでしても人間一人の社会的、あるいは肉体的生命とはせいぜいたった数億程度の損害としか引き換えられないのだ。数十分、長くて数時間。一日も経てば大抵ダイヤグラムは整然な状態に戻る─それ以上長引かせることは一人の人間には出来ない。「今日は最悪だ」という言葉で済まされてしまう。
人間を轢き潰しながら社会は回り続けるのだ。




