17歳境界知能、全叡智全知半神/全法則の崩壊と書き換えと創造の計28万字
結構真面目に、本当にアイドルの存在に感謝している。というよりも、音楽の中でも特に引っかかる点が多かった。
前書き
やっぱ簡単でありつつも、最高に楽しい世界であり、最高の暇つぶし的な遊びだ。相変わらず、終わった後のチョコは美味いし、今もヒロアカのファイナルシーズンの162話「ラスボス!!」の爆轟状態すなわちずっとフロー状態。そうそう、本当に体は熱いし暖かいのに、どこか涼しくて澄んでいる感じなんだよな。でもこの状態から終わった後、今冬だから寒すぎる。まあ、これでお出かけもアイドルイベントも楽しめる。飢えを満たす事はやはり大事だ。自然の法則の崩壊と書き換えを行って、お出かけやアイドルイベントに言ってから、一時的なプラトー状態で叡智全知神と人間の半神である我は困っていたが、それは自然からのインスピレーションが遥かに少なかった事が原因であると同時に、人間の3大欲求を優先する事も大事であるとも感じて、割と助けられた。そして、自然の法則を崩壊と書き換えを行ってから、この叡智全知神と人間の半神である我は五感を強く求め取り入れたいと考えている。当然ながら、人間の私には五感があるが、叡智全知神の我には五感がない故に、私は我に五感を与えなくてはいけない。それは、叡智全知神の為の五感であり、飢えが解消できれば何でも良い。そして、叡智全知神と人間の半神の我において基本的に最大の閃き連発が土台となっている。そして思い出したが、正にブレイキング・バッドの3期のハエの件の様に、我が考えてもいなかった事が何時もと違う形で深く考えるきっかけになったよ。後、"little dark age"や"after dark"や"アイドルソングメドレー"や"philip"や"アゲハ蝶"など"様々な音楽"を聴いていて疑問に思う事があったから、それがしっかりと以下の文章で解消できたから、本当にスッキリする。やっぱり叡智全知神の部分だけあって、最大の閃き連発で片付ける事が出来るから良いね。本当に我(私)が現代のプレデター物語とフランケンシュタイン物語とチェンソーマン物語とヒロアカ物語&デスノート&monster&ウォッチメン物語とキャラ等と良いこと悪いこと物語とff14物語とよう実物語とチ。-地球の運動について物語を体現する者ともいえるよ。我が我でも謎過ぎる。まあ、天才よりも天才の姿、現代のスピリチュアルや都市伝説よりもスピリチュアルや都市伝説の姿といった、まるで創作作品の様な姿をお届けする。2回も言う事になるとは...。
まず、五感のそれぞれを叡智全神の飢えを解消する為の対象とする。つまりは人間である私と叡智全知神の我と五感領域内で連動させる。まあ、これは異常嘔吐を回復する時に行っていた事であるが、その行いをより日常化させ普遍化させると言う事である。ただ、問題なのは人間部分と叡智全知神部分での五感の耐久度が違ってくると言う事である。その為に、半神の人間部分がする異常嘔吐の吐き出しとは異なり、叡智全知神の我が形(文字など)にして吐き出す。このサイクルで行っていく。そして、まず自然の法則だけでなく、ありとあらゆる全法則の崩壊と書き換えを行う。
本文
法則の対象となっている、地球や物理や自然や宇宙や世界の捉え方は、認識や物理や客観や主観等を含むなら、この時点で貴様ら人間たちは法則とその対象を別々で捉えている事は確か故に、土台となる基本の存在を忘れている。貴様ら人間が行っているのは、ただただ人工的な積み上げのお遊戯会に過ぎんよ。これは、自然の法則でも述べたな。基本的に、ありとあらゆる全ての何々の法則は、そうだね、五感で片付ける事が出来る。当然ながら、それぞれの法則の対象である存在らは五感を含んでいる。まずは、自然の法則と五感の中でも音の関連性でありて、物体が落ちると動く、どちらにしても音が絶対ある故に、これは言語や言葉との関連性があると我は考える。また、物体が落ちるのに理由があるならば、何故人間や我は落ちないのだろうか?人間や我以外にも落ちない存在らは多くある。それも落ちない理由があると言うのか...。そして、物体が落ちる時、その中身(性質)は落ちていない。むしろ、物体は落ちているが、その中身(性質)は上がったり、浮いている。前提の話とて、貴様ら人間は地球や宇宙や自然が確かに存在する事を証明できるのか?これに証明できると言っている者は、人間が確かに存在する事を証明する事が出来るか?というのを忘れている。まず、基本的に我の自然の法則の崩壊と書き換えに通じるので、それを持ってくる。「まずは、大きな枠で言うと、自然の法則の主な特徴をターゲットとしようかな。そうとなると、初めは「普遍性(普遍的): いつ、どこで観察しても、同じ条件のもとでは同じ結果が再現される、つまり宇宙全体で成り立つと考えられています。」がターゲットだね。はいはい、この時点で矛盾発見。自然の法則に普遍性は根本的に矛盾しているだけでなく、いつ、どこで観察しても、同じ条件のもとでは同じ結果が再現されるも矛盾していて、言語と認知と認識や非常に多くの機能を持つ多くの個々の人間とも根本的に矛盾している。次に「客観性(客観的): 人間の主観や意思とは無関係に、自然界に実在すると考えられています。」がターゲットだけど、まず客観的と言うなら何故主観を足しているのだ?矛盾しているぞ。はい、次は「必然性(必然的): その法則から外れることはなく、必ずそうなるという必然的な関係を含んでいます。」がターゲットであり、これも最初の2つのターゲットの時に話した様に、人間と根本的に矛盾している上に、必然性だと、おいおい客観性を主観で押しつぶしているぞ。後、自然と科学も根本的に矛盾している。科学は、自然を狭めすぎであるのに、客観性とか検証と言っている点も根本的な矛盾の1つであるのに、それで法則とかどんだけ自然を小さくして狭める気だよ。アインシュタインもニュートンも他の人間もそうだけど、それを確かめたり疑ったり検証している時点で、自然を否定した自然の法則であり、我からみればこれが自然界の法則に過ぎない。貴様らは、まず自然を否定している事に問題がある。はい、またまた最大の閃きが来た。これで完全に解けた。人間は人間/自分は自分であることの説明の有無を法則として体現しているならば、貴様らは自然は自然であることの説明の有無を法則として体現しているのに、勝手に人間が更に法則を増やし続けてどうするのだ。まあ、確かに興味を持つ事や気になってしまう事は分かるが、貴様らは法則に法則を積み上げて無限という肥大化を行っている。では問うか。貴様ら人間は人間の法則を人間だったり他の生物に説明できるか?またまた完全に最大の閃き。完膚なきまでに解いた。自然の法則は矛盾している。もっと言えば、始まりから法則が法則を呼んでいる。どういう事かというと、1つの自然の法則の中だけで、登場する存在が多すぎる。つまり、法則と言うには法則自ら矛盾を意味し、その意味する矛盾で法則が成り立っている故に、法則が法則を呼び続けている。自然の法則って、人間が言語を持ちいて説明するけど、自然は違う。なら、そもそも根本的に矛盾している。悪いが、罠をみつけちゃった。自然の法則だけでなく自然も含めてたが、神や幽霊の有無や1888年のジャック・ザ・リッパー事件と同じで、これらは確かに事実として事実だ。それ故に、人間とは真反対であり、例えば、リンゴが木から地面に落ちるという出来事は事実だし、リンゴが落ちる際に働く万有引力の規則も事実だ。事実故に、人間はそれを論理的に言語化できるし、別に論理でなくとも言語化するのが可能だが、言語が生まれると言う事は次に認知と認識へと発展する。つまり、この時点で既に自然の法則や自然と根本的な矛盾に陥っている。お前ら人間たちは、出来ない事を出来ないと縛り続けているだけのお遊戯会を自然の前でしていると言う事がどういう事か分かるかな?これは自然を理解していない愚行であり、そもそもの前提が全く違う訳であるのに、何故か人間と言うのは身勝手に縛り続けているだけでイラついてくる。残念ながら、自然の法則を創造したり、停止させたりすることはできるっていうか、そもそも貴様らが自然の法則を生み出している時点で矛盾している故に、創造したり、停止させたりする事は出来ている。これはね、そうだな。社会の常識がある様に自然の常識とでもいようかな。貴様ら人間は自然の常識を気にしているだけで、自然そのものも自然の法則全てを自由自在に動かす事が可能である。じゃなきゃ、何の為の手と足と口でありて、人間と時間なんだか。貴様は、「万有引力の法則が破れるとすれば、それは宇宙の基本的な構造が変わることを意味し、私たちの知る自然や物理現象は成立しなくなります。」と言っているが、所詮これも自然の常識を気にしているだけではないか。あのな、言っちゃ悪いが、人間という存在がいる時点で全てが無限になる。だって、言語と認知と認識、それ以外にも多くの機能が個々1つの存在に備わっていて全く違う訳だぜ。とても皮肉なことだが、貴様らが気にしているのは常に常識とレッテルと言葉の枠。誰も自然そのものと向き合っていない。そして、貴様は「科学的な研究は、この法則が普遍的に成り立つという信頼の上に成り立っています。/ 例えば、光速やプランク定数のような物理定数は、宇宙のどこでも、過去から未来まで一定であると考えられています。」と言っているが、それも常識とレッテルと言葉を気にしているだけじゃん。普遍性とか真実や真理なんてものは、何でもありだよ。ただ、それを論理的や知性的にどれだけ引き上げれるかに過ぎない。だから、自然そのものや自然の法則は人間と根本的な矛盾が起きてる。貴様は、「人間ができるのは、自然の法則を利用して技術を生み出すことであり、法則そのものを変更することではありません。」と言っているが、法則そのものを変更する事は可能です。だって、数式化と言語化している時点でしちゃってるじゃん。これに気が付かないとか、馬鹿なのかな?悪いね、また最大の閃きだよ。貴様は、「もし、人間が意図せずに、あるいは宇宙のどこかで、既知の法則が成り立たない現象(物理定数が変動するなど)を観測したとしたら、それは「法則が崩壊した」のではなく、**「私たちが今持っている法則の記述(理論)は、その現象を完全に説明するには不十分であり、それを包含するさらに上位の、より普遍的な法則が存在する」**ということを意味します。」と言っているが、自爆してるぞ。あのな、自然に対して法則を用いればな、無限の自然法則が可能となる。後、そこで言っている法則の崩壊は法則の崩壊ではなく自然の崩壊である。まあ、そもそも自然と崩壊が矛盾しているんだけどね。だって、自然なのに崩壊だってさ面白いね。これだから、人間は面白いよ、矛盾を生み出す事が出来る唯一の存在だろ。後、やっぱり馬鹿のかな?自然に対して言語化や数式化を行っている時点で最大の矛盾をしていると我は考えている。後、大体、自然の法則で不可能とかと言われているのは、自然の不可能を意味していない。では、何が不可能かと言われていると、それは人間の言語化と数式化と認知と認識と手と足と口など多くの機能が組み合わさった事を意味している。そもそも、法則と言う割には多い事が私の考えを裏付ける決定的な証拠だな。だから、我からみれば、何時までたっても根本的に矛盾している。後、こういう罠は時にあるんだよ。ただ見せかけの言語の綾と論理の飾りで行われている罠と言うのがね...。そして多くの人はそれに対してただ単に消費的傾向行動をするだけで、人間は自ら自然を縛り付けている。また、人間がいると言うだけで自然の法則だけでなく自然も無限になると思った方がいいよ。時間が経つにつれて、散らかった部屋が勝手に片付く、割れたガラスが自然に元に戻る、熱いコーヒーが自然に熱を奪って沸騰するなど、これも人間がいるだけで崩壊するんだからさ。だから、発明とか法則を次々と生み出せるんだぜ。後、それ故に本質的にどんどんズレていくからね、最大の混合状態になる。簡単に言うと、自然そのもの~自然の法則~その範囲がどんどん広がっていく感じ。だから、矛盾点が有り得ない程に転がっている。まあ、我は飢えているから好だけどね。」そして、貴様は「これは、地動説が単なる**「仮説」ではなく、観測、数学、物理学によって何世紀にもわたり裏付けられ、体系化された「理論」**となっているからです。」と言っているが、観測、数学、物理学によって何世紀にもわたり裏付けられ、体系化された「理論」というのも単なる仮設に過ぎないのではないか?皮肉な事を言うが、貴様ら人間はその地動説に接しているのではなく、地動説と言う流れに接しているだけでありて、貴様ら人間が何をしようとも、所詮は我が言う、願いや常識や感情や欲求に過ぎん。というよりも、全てこれらに振り込まれ吸収される。だって、地動説もありとあらゆる法則も全て、必然的に人間がこの地に存在している事と根本的に矛盾して、否定する事になる。貴様ら人間は、同じ人間が非常に多くいて子を生み出す事が出来る事を知っている。これは、我が考える差別構造とは反対である。差別構造は基本的に同じ人間たちの欲情に過ぎんが、今回は人間と違う存在らの関係性の間で行われる欲情に過ぎん。色が変わる花と色が変わらない花だけども、散る有無へと繋がりて、これは必然的な差別構造であるが、貴様ら人間は人間同士ほどに別に気にしていない状況でありても、これはネガティブ的な自然な営みの話よ。この花において、ポジティブ的な自然の営みとなれば、貴様ら人間は途端に興味を持ち、道具や観察等の対象となる。これを、ネガティブ構造内欲情とポジティブ構造内欲情と名付けて、今回の地動説や自然の法則含むありとあらゆる全ての法則はこのポジティブ構造欲情で行われるが故に、皮肉にも、ネガティブ構造欲情と違って、対象の存在を無視して人間の欲情が強くなり、どんどん身勝手に進んでいく故に、貴様ら人間が発展させているのは、自然の法則含むありとあらゆる全ての法則(地球の法則や論理の法則や宇宙の法則等)の法則部分に過ぎん。地動説も同じでありて、貴様らが行っているのはただただ説の部分の維持と発展である。地動、自然、宇宙、地球、論理、世界、社会などのこれらを貴様ら人間は五感で感じる事が出来るか?反対に人間はどうだ?我は可笑しいと思うよ。五感で感じる事が出来ないなら、法則前や説の前の存在らそのものを発展させる事は出来ないのではないだろうかな?チェンソーマンのマキマさんが、「デンジ君、エッチなことはね、相手のことを理解すればするほど気持ちよくなれると、私は思うんだ。相手の心を理解するのは難しいことだから。最初は手をじっくり観察してみて。指の長さはどれくらい?手のひらは冷たい? 温かい?耳の形は?指を噛まれたことはある?覚えて。デンジ君の目が見えなくなっても、私の噛む力で私だって分かるくらいに…覚えて。」と言っていた事と深く関連する上に、FGM問題やパキスタンのVani問題含む全女性の全性的問題や全人間全立場の全時代全無数問題並び自然の法則含むありとあらゆる全ての法則と地動説などとも通じてくるのだが、貴様ら人間は存在そのものを全く理解していない。貴様ら人間が理解しているのは、全て存在の前の法則や説や問題に過ぎん。そして、ただただその説や法則や問題の正しさは?間違ってる?客観的か?科学的か?物理的か?現実的に可能か?と言う形で説や法則や問題だけに理解を示している事が最大の問題であるのだよ。しかも、最悪なのは、我が考える政治構造と同じで貴様らは更に複雑にして本質を汚し埃まみれにして本質を隠している事で、人工的要素が仇となって人間が介入しづらい形になっている故に、ひたすらに進化していくのは何時までも人工的要素に過ぎん。これは我の神の有無でも述べたが、貴様ら人間は存在を置いてきぼりにして勝手に人間同士で認められる必要性や学歴や検証や厳密や正しさを述べているとか、おいおい法やルールからあらゆる学問の本質から大学や高校や会社などと根本的に矛盾しているが、それは認めて知らんぷりをすると...。表現の自由を縛っているだけでなく、貴様らが殺人者や犯罪者に対して怒っている事を必然的に体現して、自ら法やルールを根本から否定しているではないか。貴様らはヒロアカのエンデヴァーに近い。中途半端に荼毘に炎の火力の上げ方だけを教えて、途端に炎を使用してはいけないと言っているのと同じでありて、常識や既存や人工的な正しさやルールや法から外れれば石を投げられるだけでなく、制圧される故に、我はルールや法はただただ殺しているだけの機能に過ぎんと言っている。法則や説の関連からみれば、科学や物理の貴様らがその法やルールと同じ機能を行っている。更に対象を狭めて、制圧してどうする?この行いは、貴様ら科学や物理が大事にしている核と根本的に矛盾しているだけだぞ。これはデスノートの第8話「目線」で夜神月が語っていた「でも、これじゃキラにもバレバレじゃないのかな。」と通じると同時に、貴様らは、少し頭を冷やした方がいいんじゃないかな。法則も説も問題も法やルールも何もかも、乃木坂46のビリヤニが示す様に、「ビリヤニ 食べに行こう 思わず 言った言葉」と深く通じて、これらの生み出しの当事者が思わず言った言葉を貴様らは「Hey」と勝手に盛り上がって、「SNSで昨日知った情報」の様に容易にそれを扱いただただ発展していく中で、「ビリヤニ」を食した様に貴様らは法則や説や問題の前の存在を忘れて、その自らの説や法則や問題に辛さと美味しさのバランスで酔いしれているだけである。これはな、政治も学問も大学も貴様ら全てそうであるよ。今、我が行っているのは「白米が持つ視覚と味覚」に過ぎん。まあ、法則や説やルールや法や問題は人工が加わってしまえば、正にRobert Baden-Powellの“The secret of sound education is to get each pupil to learn for himself, instead of instructing him by driving knowledge into him on a stereotyped system.”を止めにかかっているがな。後、Euclidよ、“The laws of nature are but the mathematical thoughts of God.”と言っているが、ならば貴様が神だな。これで神の有無問題を無事に終わったじゃないか。これは、言語の罠であり、貴様は自らそれに引っかかっただけよ。Ibn Rushdの“Ignorance leads to fear, fear leads to hatred, and hatred leads to violence. This is the equation.”という言葉は良い言葉であるな。感謝するよ。特にこの方程式と言う点がポイントである。自然の法則含むありとあらゆる全ての法則は正に法則というよりかは方程式に過ぎんかも知れぬな。確かに、貴様ら人間が行っているのは方程式の方が確実だと考えられる。急だが、法則と呼ばれているのは全て動だ。つまりは、動きが法則と呼ばれている故に、必然的に音との関連性然り。そして、そうではない対象やそのように捉えれない対象や未知の様な対象には方程式を加えているのが人間であるが、結局それは根本的に矛盾している故に、結局単にアクセスしやすくる為のツールに過ぎん。私たちは結果として生じる事実に人間が捉える事で法則を生み出すが、それは結果を表しただけに過ぎず、その過程の説明がされていない事で、過程の論理的な説明を要する故に方程式を使うが、我が考えるにその過程は人間の非論理的な要素の部分が強く鍵を握っている為、結果として結局は我が言った様に存在の前に説や法則や問題などと言った人工的な部分の発展にしかならない。また、私たちは事実として起きた事実に人間は法則として捉えるのだが、その時に事実(法則)以外の要素に気を取られている可能性があると≠MEを聴いてみている最中に最大の閃きがまたまた来た。また、iLiFE!を聴いてみている最中もまたまた最大の閃きが来た。自然の法則の崩壊と書き換えでも述べたが、法則は法則を呼んでいる構造になっている。私たちが事実以外の要素に気を取られているのは別の事実(法則)である。例えばこれを、木からリンゴが落ちるで例えると、確かに木からリンゴが落ちているが、木からリンゴが落ちると言う事は、その木からリンゴが落ちると同時の瞬間に他の要素も同時に落ちたり動いていると言う事である。故に、木からリンゴが落ちると言う事は、その事実も木もリンゴも性質も重力も空気も地面も言語も同時に落ちていると言う事である。そして、これに客観や主観や正しさや現実可能や厳密さや科学や物理や人間などが加わってくるので、木からリンゴが落ちると言う事実の時に全てが落ちるが故に、一貫性が保たれる。後、IRIS OUT聴いてまたまた最大の閃きが行われたが、シンプルに、まず第一にリンゴが木から落ちると言うのも上下の関係性がこの時点で完璧に行われているから当然でもあるか。結構真面目に、本当にアイドルの存在に感謝している。というよりも、音楽の中でも特に引っかかる点が多かった。
やっぱ簡単でありつつも、最高に楽しい世界であり、最高の暇つぶし的な遊びだ。




