Gene Waterhouse3 ジーン・ウォーターハウス3
ジーンが口元に向けて手をのばしてきた。
アンブローズはタバコをくわえたまま顔を横にそらし避けると、ヒップポケットからとりだした銃をジーンの額につきつけた。
「動くなよ」
そう告げる。
かすかな機械音が、ジーンの薄青の目の奥から響いた。
「特別警察のヒューマノイドだな」
ジーンの顔をしたヒューマノイドが、両手を上げて苦笑いする。
「……そんな表情もできるのか」
アンブローズは目をすがめた。
半世紀ほどまえまで、まばたきと不自然な笑みくらいしかできなかったヒューマノイドだが、脳科学と抗老化医学から派生した肌の研究の進展で、いまではかなり自然な表情が浮かべられるようになった。
生身の人間側の慣れに関するメカニズムの応用と脳の補正機能とで、現在ではほとんど違いに気づかないことが多い。
「俺の遺伝子情報を盗むつもりだったか」
アンブローズはそう問うた。
口からタバコを外す。
とうぜん唾液がついていた。
ヒューマノイドは、無言でこちらを見つめている。
おそらくこの状況は、眼球内のカメラで特別警察の内部に中継されているだろう。
「虹彩と指紋は、まあコピーできなくもないからな」
そう告げて、アンブローズはつけ加えた。
「軍仕様の指紋認証は、指紋についた体液からもあわせて遺伝子チェックするようになってる。指紋だけまねてもムダだ」
アンブローズはそう説明した。
「それならば、あなたを拉致して認証機のまえに連行するまででしょう」
「はじめからそれにしろよ。延々とムダ話させやがって」
アンブローズは眉をよせた。
「なるべく騒ぎは起こさず。善良な国民の気づかないあいだに国体護持のさまたげになる個人や団体を処理をするのがわれわれの役割です」
ヒューマノイドが淀みのない口ぶりで返答する。
「その国体護持のさまたげとなる個人や団体とやらは、いまおまえらの人工脳のプログラム内ではどうなってる」
「憲法の基準にそっています」
「ウソつけ」
アンブローズは拳銃の安全装置を親指で引き下げた。
死にたいする恐怖のないヒューマノイドに命を脅かすという意味の脅しは通用しないが、特別警察なら人工脳を回収されて機密が漏れることへの危機感は存在する。
「われわれは、ウソをつくというプログラムはされていません」
「それもそうだな」
アンブローズは、ハッと息を吐いて笑った。
ヒューマノイドが、爪を立てた手を顔に伸ばしてくる。
顔を横にかたむけ避けた。
皮膚片をとる気か。
アンブローズは、思わず手の甲で頬をぬぐった。
携帯用灰皿をジャンパーの内ポケットからとりだし、くわえたままだったタバコを押し込める。
拳銃をヒューマノイドに向けながら、灰皿をふところにしまった。
「いちおう聞くが」
アンブローズはそう切りだした。
「顔をすげ替えていいのは、法律上、潜入捜査のときのみとなっている。これはちゃんとプログラムにあるか?」
「現在、潜入捜査中です」
ヒューマノイドが答える。
きわめてうすい青色の目の奥で、かすかな光が点滅していた。
「潜入の目的は」
「国体護持のさまたげとなる軍人一名の監視と遺伝子情報の取得」
ヒューマノイドは地面を蹴り飛びかかると、ふたたびアンブローズに向けて手をのばした。
アンブローズは拳銃をもちかえると、グリップでヒューマノイドの米かみを思いきり殴りつけた。
人工脳の重要な回線が集中している箇所の一つだ。
ヒューマノイドの動きが一時的ににぶる。
「軍は除隊して無関係だと何度言えば」
「……および、国体護持を目的としたわれわれの行動を妨害した、軍属の人物の逮捕」
かなりタイミングのずれた感じでヒューマノイドがそうつづける。
「それがLOC-Dにいる人物だと判断したってことか」
アンブローズは拳銃を持ち直した。
「軍の療養所の病室LOC-Dにいる人物の名は、ドロシー・G・ダドリー」
アンブローズは無視した。
下手に何か言えば、そこから重要なことを勘ぐられかねない。
「LOCは、一部の外国で使われている略語、通常ならGCS。“意識消失状態” の意」
アンブローズは目をすがめた。
「病室の通称は、“意識消失状態のドロシー” の意」
ヒューマノイドが、感情のない声で言う。
アンブローズは黙って銃口を横にずらした。
さきほどまでのような雑談なら、一般人も知っているレベルのものだ。
あの程度なら話しても支障はないが、どうにもまずそうなところも知られた感じだ。
さっさと機能停止させて回収するか。
人工脳の構造は、生身の人間の脳にかなり似せている。
記憶のデータをとりだすのが可能な状態で運動だけを停止させるには、脳幹や脊椎にあたる箇所を撃つのが有効だ。
正面からでは撃ちにくい。
こちらの狙いを察したのか、ヒューマノイドが口の端を上げた。
「ダドリー大尉!」
頭上から、若い男の声がした。
とっさに上体をかがませる。
ヒューマノイドがその動きを目で追い、頭部をやや下に向けた。
つぎの瞬間、ヒューマノイドの喉仏からゆっくりと煙がただよい、宙にほそく立ちのぼる。
ヒューマノイドが膝から崩れおちた。
「ちょっと待ってください、いま……」
さきほどの男の声だ。
アンブローズは頭上を見上げた。
トイレか何かと思われる小さな窓から、金髪の若い男がライフル銃を引っこめるのが見える。
あれがほんもののジーン・ウォーターハウス中尉か。
倒れたヒューマノイドに目をうつす。
脳内のブレインマシンに、軍の連絡先につなぐよう指示した。
一般用の通報、問い合わせ用のフォームが表示される。
一般人の通報を装って、不審物の回収を依頼する。
通報者名はハリー・カルコサ。
この名で通報すれば、ブランシェット准将のもとへも伝わるようになっている。
視界の右端に、いくつかの項目があらわれる。
脳波と目線の動きに反応して、半透明のカーソルが動いた。
職員の募集要項、地方本部への問い合わせ、イベント情報、苦情、相談、その他。
氏名、年齢、性別、ID。
ヒューマノイドの後頭部からただよっていた煙がとぎれる。
一部がショートしているせいか、うっすらと焦げたにおいがした。
コラーゲンスポンジを主な原材料に作られる人工皮膚は、生身の皮膚と同じようにやわらかい。
狙撃された部分は弾丸がめりこみ小さく穴が開いていた。
半透明のカーソルを備考欄に動かし、「不審物の回収」と書きこむ。
ややしてから「お近くの保安庁保安部、および保安署にもご通報ください」とAIの回答が表示される。
打ち合わせ済みの遣りとりだ。
保安庁保安部、保安署の住所一覧と地図画面に切り替わる。
地図上の現在地に人型のカーソルがあらわれ、画面のはしに現在地の景色が表示される。
アンブローズは、画面を閉じた。




