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違法建築のひしめく住宅事情のせいで、カーテンを開けていても薄暗い自宅の寝室。
アンブローズはベッドのそばに置いたPCのデバイスチェアにゆっくりと座った。
肘かけについた小さな起動パネルに手を置く。
PCが起動し、空中に画面があらわれた。
幻覚を見る作用を利用しているブレインマシンの表示とは違い、こちらは再帰反射を利用しているので、自分以外の者が表示を見ることもできる。
諜報にはいまいち向いていない気もするが、ブレインマシンにくらべるとやはり機能も容量も違う。
NEICのほうはジーンにまかせるとして、あのときドロシーは何をつかんでいたのか。
国家転覆の計画と見当はつけたものの、たしかな証拠はまだない。
このままNEICの関係者を軍事法廷に引っ張っても、立証はできないだろう。
少しうしろに反れるようになっているデバイスチェアの背もたれに背をあずける。
ふいにブレインマシンにメール着信の文字が現れ、アンブローズは米噛みに手をあてた。
ジーン・ウォーターハウスの名が表示される。
いまの時間帯はNEICの事務職として勤務中のはずだが、何かあったのか。
軽く眉をよせてメールを開く。
「いま何してんの?」
メールにはそう表示されていた。
何だそりゃと思いつつも「仕事中」と送信する。
「ドロシーちゃん元気?」
そう返って来た。
「会ってない」
そう返すと、「じゃ、お兄さんでがまんしとく」との返事がくる。
まどろっこしくなり、通話してもいいかと問う。OKとの返事に、アンブローズはややイラつきながら通話に切りかえた。
空中に三重、四重に回転する歯車のような表示が現れる。
空中に向かってひとりごとを言う奇妙な人に見られないよう、通話時は他人にも見えるかたちでこの表示が出る。
表示されないようにすることも可能だが、そんな機能を使うのは隠れて通話するときくらいか。
「何だ」
アンブローズは問うた。
手近にあったタバコのソフトパックに手がのびる。
一本くわえて唾液で火をつけた。
「いま何してるかと思って」
ジーンの返事に眉をよせる。
まさかこんな付き合いはじめの十代の子供みたいな問いが本題ではあるまい。
「本題に入れ」
タバコを人差し指と中指で押さえつつ、アンブローズは話をうながした。
「アン、旅行に行かない?」
ジーンがウキウキとした声で切りだす。
ほんとうに言葉通りの意味じゃないだろうなとアンブローズは眉間にしわをよせた。
「……どこだ」
「ハイゲート、ブロンプトン、カム川沿いでお散歩もいいねえ」
アンブローズは言われた地名をPCのキーボードに打ちこんだ。
「ちょっと足をのばしてサウス・ロナルド島」
「もうちょいヒントよこせ」
サウス・ロナルド島、と打ちこむ。
「もうぅ。今回はその辺でかんべんして。そのうち土地でも買ってあげるからさあ」
ジーンが能天気そうな声で言う。
ほかの職員が横に来たのか、小声で「あ、結婚間近の彼女のアン」とつづけた。
誰がだと思ったが、周辺に人がいるならしかたあるまい。
打ちこんだ地名に共通点はあるか、あちらこちらの角度から検索し、軍仕様のAIにも意見を求める。
「……カム川沿いが分からない」
ハイゲートとブロンプトンはここから近い。
共通点はいろいろあるが、有名どころだと自転車のブランドと古くからの大きな墓地か。
「アン……」
ジーンが声をひそめる。
「大学の地下で、きみにプロポーズしたのは僕の一生の思い出だよ」
「……ほかに文言思いつかなかったのか」
アンブローズは顔をしかめた。
言いたいのは大学、地下だろうか。
プロポーズやら思い出やらは、いままでのパターンから考えればこいつのおふざけの一環の気がする。
大学、地下と打ちこむ。
一世紀近くまえのニュース記事が出た。
カム川沿いの大学の地下で、大量の人骨が見つかったことを報じる記事だ。
大学が中世の病院跡に建てられたといううわさは以前からあったが、それを裏づける発見。
人骨は当時病院で亡くなった患者たちの一部と推測され、その後に長年かけて死亡した年代と死因が特定された。
サウス・ロナルド島のほうは、石器時代の大量の人骨が発見された島だ。
軍の教育過程で習った覚えがある。
墓地、大量の人骨。そのうち三ヵ所は、ここから比較的近い土地。
うっすらと言いたいことに気づいた気がしたが、アンブローズはいったん背もたれに背をあずけてタバコの煙を吐いた。
「もう一声」
空中の通話口に向けて告げる。
「休日だと人いっぱいいるかも。混むかなあ」
ジーンがつづける。
「土地を買う」。さっきそんなこと言ってたなと打ちこんでみる。
NEICが買った土地ということだろうか。
いままでにNEICが購入した土地、売却した土地の一覧を表示する。
さほど収入の割合を大きく占めてはいないだろうが、不動産業もやっている企業なので項目数はそれなりだ。
しばらくながめて、アンブローズは目をすがめた。
「六年前から三年前にかけて、ハイゲートとブロンプトンの墓地の一部を購入してんな」
ヒューマノイドとすりかえた三百余名の要人を、殺害後はここに「埋葬」するつもりだった。
そういう意味かと思いいたったが、三百余名分ではせまい気もする。
「返信はいいよ。きょう家に行ってもいい? アン」
ジーンが、むだに甘い感じのもの言いで尋ねる。
周辺を警戒してこの伝えかたなのは分かるが、ぜったい楽しんでやってるだろこいつと思う。
「はじめからそうしろ。こっちに出向いて簡潔に説明しろ」
「勤務時間内なんだよ、無茶言わないでよ。愛してるよ、アン」
「じゃ、昼休み終わりだから」とつづけてジーンが通話を切る。
いままで組んだ相手にもこんな感じだったんだろうかこいつとアンブローズは思った。




