A A Abbott2 アリス・A・アボット2
アンブローズは、インスタントのパスタを口に運んだ。
フタを開けて空気に触れるだけでパッケージが加熱し温かいパスタが食べられる。
もとは災害用として外国で開発されたものだが、いまは日常的な軽食になっていた。
テーブルの向かい側では、アリスがいちごケーキを上品に頬ばっている。
いらないというのに、もうひとつのケーキをアンブローズの真んまえに置いていた。
安価な工場栽培茶葉の紅茶に文句を言うかと思ったが、意外にもすなおに飲んでいる。
「ゆうべ夜半に行っていらしたのは、政府のセンタービルですわね」
アリスがしゃべりながらもいちごケーキを行儀よく食む。
護衛ヒューマノイドが、かたわらでおかわりの紅茶をそそいでいた。
「地上七十階。政府関係者か特別警察か軍人しか出入りしない階ですわ」
アンブローズは、だまってパスタを食んでいた。
バターとソイソースを組み合わせた味つけはクセになる。
「そのあとはパーラメントガーデンのいかがわしいお店、そのあとはクロス駅近くの女性が半裸で踊っていらっしゃるお店、そのあと朝までいらしたのはホワイトホールのお酒だけが提供されるお店」
「子供は寝ている時間帯だったのでは」
アンブローズはそう返した。
「待っているあいだにブレインマシンから各所の映像記録と顔認証を照らし合わせさせていただきましたの」
アリスが言う。
「ひらたく言うとクラッキング」
「わが社製造のカメラと、わが社製造のヒューマノイドの頭脳内の記録、わが社製造のブレインマシンを経由したデータだけをのぞかせていただきましたわ。合法です」
「すごい理屈だなおい……」
アンブローズは眉をよせた。
「自社の商品の機能点検ですわ」
アリスがそう返してケーキの上の大きないちごをぱくりと食べる。
「そこに何の情報もなければまあまあ合法か」
「点検したさきざきに、たまたま有益な情報がありましたの」
「なるほど」
アンブローズはパスタを口にした。
「だけど、どうしていまだに一括して入りこめるようになっていないのかしら。カメラからカメラに、ヒューマノイドの人工脳から人工脳にと移動するの、ものすごくめんどうでしたわ」
「どこの世界に不正アクセスに便利なようにシステムを作るバカがいるんだ」
アンブローズはパスタを食んだ。
「河ぞいに移動していらしたのね。いざというときは泳いで逃げるつもりだったのかしら」
「お嬢さまはリバーボートというものを知らないのか」
「それにしてもなんでしょう、あの特別警察のヒューマノイド隊員のお顔」
アリスがケーキを食べ終え、フォークをメタルシートでていねいにつつむ。
護衛ヒューマノイドが横から手をだし、ペーパーナプキンでアリスの口をぬぐう。
「わざわざ顔を変えていらしたの? あれ」
アリスがあきれたように言う。
アンブローズはパスタを口にしながらうなずいた。
国体護持のさまたげになる過激な思想家や、国家反逆をくわだてる個人や団体等を査察、内偵、とりしまることを目的としたのが特別警察だ。
時代ごとに公安、秘密警察、特別高等警察などと呼ばれてきたものと同等の組織といえる。
実動隊員は長身細身の女性型ヒューマノイドだけで構成され、そのヒューマノイドたちはすべておなじ顔をしている。
顔やボディをすげ替えるのは可能だが、変えていいのは内偵のときのみと法で定められている。
「危険人物あつかいですわね」
アリスは唇を尖らせる。
「たしかにあんな大きな事件の実行犯の情報を知るかもしれない人物は捜査の対象になるでしょうけど、いきなりああいう形で揺さぶりをかけるものかしら」
アリスは安物の紅茶を口にした。
「あれ、内偵のうちに入るんですの?」
「ちなみにどこのカメラからのぞいた」
アンブローズは尋ねた。
アリスが上品に紅茶を飲み干す。
「フロアのちょうど中央にあるカメラですわ。入口の向かい側」
「あれ、アボット社製か」
「あのフロアはあそこだけ。あとは設備入れ換えのときにNEICに入札とられましたの」
「ネオ・イースト・インディア・カンパニーか」
アンブローズは紅茶を口にした。
「前総帥がまだ存命のころですわ」
アリスが答える。
「かなり長いこと病床にいたな」
前総帥アーサー・A・アボットは死去した当時、百歳を越えていたといわれる。
アリスを含む子息たちは凍結保存された精子による人工受精で生まれた。
晩年は、ひたすら優秀な跡継ぎを残すことに心血をそそいでいたともいわれる。
「ほとんど生命の維持をしていただけでしたわ。脳機能と意志疎通だけ保持されてた感じですわね」
アリスが、おとなびたしぐさで手をゆるく組む。
「その状態で経営の指示をしてたわけか」
アンブローズはパスタの最後のひとくちを口にした。
前総帥がアボット社を設立したのは、連合からの脱退により国の経済が落ちこんだ時期だったと聞く。
その後、国が間接的に参加した紛争での特需で成り上がったわけだが。
波乱万丈のなかで財閥にまで大きくした企業には、やはりそれ相応の執着があるのか。
「後継に知識や経験を委譲するためのシステム的な準備をする時間も必要でしたし。そのあいだの生命維持はしかたないですわ」
アリスがそう口にする。
「お嬢さまの頭のなかには、前総帥の知識と経験がコピーされてるわけか」
もちろんそれがコピーされたからといって、だれもが経営者歴百年近くの大ベテランになれるわけではない。
そのコピーされた知識を活用するにはもともとの頭脳と適切な教育は必要だ。
「だからあなたよりも大人なんですわ」
アリスが紅茶を口にする。
護衛ヒューマノイドが品良く上体をかがませ、ふたたびおかわりの紅茶をそそいだ。
「そんなにガバガバ飲んでいいのか、お嬢さま。おもらししても知らんぞ」
アリスが品良くカップをテーブルに置く。
護衛ヒューマノイドがペーパーナプキンでアリスの口をぬぐった。
「このつぎはラ・ピュセルのガトー・オ・章姫・デコレでいいかしら」
「何でもいいから、ぜんぶ平らげていけ」
アンブローズは自分のまえに置かれたケーキの皿をアリスに差しだした。
「ひとつにしておきますわ。ダイエット中ですの」
「子供のうちからダイエットなんかするもんじゃない」
アンブローズは眉をよせた。
ふう、とアリスが息を吐く。
「うちで製造された特別警察仕様のヒューマノイドが法を無視するような不具合を起こしてたとなれば大問題ですわ。引きつづき調べてくださる?」
あらためてそう言う。
「調べはするが軍の人間としてだ。お嬢さまは下手に首を突っこまずに部屋で解決の報告だけ待ってろ」
「お姫さまあつかいですのね」
「子供あつかいだ」
アンブローズはそっけなく返した。
アリスは飛び降りるようにしてイスから降りると、ワンピースのスカート部分を両手で直す。
「前時代的に “女子供は引っこんでいろ” という男の人は嫌いではありませんわ。財閥総帥の婿になるかたは、そのくらいの気概のあるかたではないとと思ってますの」
アンブローズは顔をゆがませた。
ませてるにもほどがある。
「また寄らせていただきますわ」
アリスはそう言うと、護衛ヒューマノイドとともに会釈した。




