表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1/5

Woman with the same face. 同じ顔の女


 巨大な一枚ガラスの窓にアンブローズ・ダドリーは自身の姿を映した。


 平均よりもやや長身、細身の体躯。

 黒髪、二十五という年齢にしては少々下の年齢に見える大きめの目をした顔立ち。

 下町の若者がよく身につけているラフな合成素材のシャツとジャンパー、安物のデニムのスラックス。


 ガラス窓から下をのぞきこむ。


 すでに夜半を過ぎていたが、地上七十階にあるフロアのはるか足下には車が何台も連なって走っている。

 無数のあかりをつけた高層のビルがアンブローズのいる議会庁舎ビルをとり囲んでいた。


 視界の一角にある古典遺産建物地区。


 その中心にある時計塔が、二十一世紀の終わりを告げたのは三年前の話だ。


 ポケットに手を入れて、思い出したようにすこし猫背になってみる。

 政治関係者、軍人、官僚などしか出入りしないフロアだ。

 間違えて来てしまった下町の青年をよそおった。


 広いフロア内には、さきほどまでは何人か人がいた。


 テーブルセットで銘々に雑談などをしていたが、気がつくと誰もいない。

 誰かが飲んでいた合成コーヒーの香りがうっすらとただよい、消臭装置により消える。



 ふいに。

 ピンヒールの靴音がした。



 靴音の主がいちど立ち止まりこちらを見る。

 長い黒髪の女だ。

 年齢は二十歳ほど。大きな黒い瞳に、形のよい(あご)と唇。華やかな花柄のワンピース。

 アンブローズはわずかに目を見開いた。

 ド……。

 かすれた声でよく知る名前を言いかけて、とっさにわれに返った。

 表情をとりつくろう。

 女は微笑してこちらを見ていた。


 その表情が、本人とは違う。



 ニセモノだ。



 アンブローズが何も反応しないのを見ると、女はゆっくりと首をかしげた。

 しばらく沈黙して、たがいがたがいの出方を待つ。

 建物の設備から発せられるかすかな機械音が、耳よりも触覚のほうに伝わった。

 


「三年前に、その真下のクイーン・ゲートで起こった事件」



 女がグロスを塗った唇を開く。

「ある一人の人物が、軍仕様の自動小銃を持ちだし通行人をつぎつぎと射殺した」

 女がピンヒールの靴音をさせ、こちらに近づく。

「死者八十三名、負傷者二百余名」

 アンブローズは無表情で女をじっと観察した。

「設置されたカメラに、犯行者の姿ははっきりと映っていた。年齢は二十歳前後、女性、身長は女性としてはやや長身。長い黒髪、カラフルな花柄のワンピース」

 「ところが」と女がつづける。


「この犯行者、まったく身元が分からない。どこのデータにもない。どういうことか」

「なぜ俺に聞く」


 アンブローズはそう返した。

「この事件の直後に、あり得ない “除隊” あつかいになったアンブローズ・ダドリー大尉」

 女の目元のあたりから、キリキリキリというかすかな機械音がした。


「軍の遺伝子選別で生まれて軍で教育された者は、法的には軍の所有物。一生除隊はあり得ない。なのに」


「タバコいいか」

 アンブローズは、ジャンパーのポケットからタバコのパッケージをとりだした。

 三十年ほどまえから普及している唾液で火をつけるタイプのものだ。

 フィルター内に詰まっているのは、カフェインやサプリメントを配合したハーブ。気分を出すためにあえて出る煙は、水蒸気とおなじ成分のものだ。


「時期的にも、どんなぐうぜん?」

「偶然に理由があるか」


 アンブローズは表情を変えず答えた。

「あなたが軍の情報将校だということは分かっている。諜報活動としてこの件を追っているのでは」

「ないな」

 アンブローズは答えた。

「大失敗やらかして、さすがの軍にも愛想をつかされただけだ。言わせるな」

「うそ」

 女が微笑する。

「そこまでの失敗の記録など、どこにもない」

「上官が気を遣って削除してくれたんだろ」

 アンブローズは煙を吐いた。

「直属の上官はノエル・ブランシェット准将。ほんとうに削除したのだとしたら、上官は重罪です」

 女の顔の内部から発せられる機械音が、わずかに大きくなった。

「そもそも」

 女が切りだす。



「特別警察のわたしたちにも追えない形で、データを削除できるわけが」



 女の瞳の色が、ゆっくりと入れかわる。


 黒目がちの瞳から、内部の機械構造が透けて見えるスケルトンの瞳に。

 特別警察のヒューマノイド隊員だ。

 人工の水晶体の奥で、小さな赤い光が点滅している。

 内臓のカメラだろうかとアンブローズは推測した。

「こちらも一つ疑問がある」

「質問はなんなりと。情報交換いたしましょう」

 女が唇の両端を上げた。



「その事件の死者と負傷者とやらはどこに行った」



 女がスケルトンの目をまっすぐにアンブローズに向ける。

「どこの病院にも運びこまれた形跡はない。ただ死者数と負傷者の数だけが報道された」

「ノーコメント」

 女が返す。

 アンブローズは眉をよせた。

「情報交換にならないだろう」

「機密事項に触れます」

「その顔……」

 アンブローズは手近な灰皿に灰を落とした。



「わざわざ犯行者と同じ顔を造ったのか」



 女の目の奥から、かすかな機械音がする。

「若干の頬のこわばり、発汗、心音の変化はあったものの、微妙なレベル」

 報告するような口調で女がつぶやく。

 立て(えり)のジャンパーを着ていたのは正解だったとアンブローズは思った。

 この顔を見たさいには動揺したが、立て襟なら息を呑んだときの首や口元の動きを隠しやすい。


「 “妹” の顔を見れば、なにか反応があるかと思ったのだけど」

「幼稚な作戦だな」


 アンブローズはそう返した。

 コツ、コツ、とピンヒールの靴音をさせ、女がアンブローズに近づく。

 艶っぽいしぐさでアンブローズの(ほお)にほそい手をあてた。

「われわれ特別警察は、あなたがた軍と対立しているつもりはない。あなたがたがどう思おうと」

 女が微笑する。

「ほんとうのことを話してくれませんか?」

「悪いが、軍のことなんかもう思い出したくもねえな」

 アンブローズは口の端をあげた。

「いまは下町でクダ巻いて暮らしてる身だ。この(なり)見て分からないか」

 アンブローズはジャンパーの見頃(みごろ)を開き、自身のラフな格好を見せつけた。

「いまさらこんな軍のお偉いさんが来るところに呼びだされるのも恥ずかしい。もういいか」

 アンブローズは、女とすれ違うようにして出入口に向かった。

 ジャンパーのポケットから、携帯用の灰皿をとりだす。

 タバコの火を消し、吸いがらを灰皿のなかに入れた。



 女の体の内部のかすかな機械音が、背後から聞こえつづけていた。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ