7 マティアス様の地雷
初めてマティアス様とヒュエスをした日からひと月が経った。
相変わらず私は王子がいない時間、屋敷の掃除に精を出している。屋敷に大小あるサロンからは埃を駆逐した。次は客間の掃除にも取り掛かるつもりだ。
最近は通いで来ている庭師のおじさんに相談して花をもらい、水差しにさして屋敷を飾りはじめた。お客様はいないとしても、マティアス様や私達の目を楽しませることはできる。これはヘンリーにも好評である。
マティアス様のヒュエスの相手をすることも多い。彼は強いので一度も勝てたことはないが、まだマシな対戦をできるようにはなった。
ゲームをしているとき、マティアス様はよくしゃべる。
「王城の西門前に雑貨屋があるのを知っているか。そこに中々いい品が売ってるんだ」
「西門のほうはあまり行ったことがないですね。あ、でもそういえば兄がそんなことを言っていたかも」
文房具から玩具まであったとか、甥のためにいくつかそこで玩具を買ったとか、そんな話を聞いた気がする。
「ライラの兄は……そうだ、アレス。アレスだったな」
「そうです。兄の事をご存じでしたか」
王子と兄に関わりがあるとは思えないので、彼に認知されていたことが意外だ。
「お前の兄だからな」
「あぁ……そうか、雇う前に調べますよね」
王族の使用人になるのだから、家族情報は調査するに決まっている。私が納得して頷くと、マティアス様は苦笑した。
「今日は出かけるから、この対戦が終わったら準備をする」
「そうでしたか。街歩きでしょうか、夜会でしょうか」
「あぁ、夜会だ……」
少々浮かない表情で彼は伸びをした。
ヒュエスは今日も私の完敗だった。盤上を片付け、私は彼の準備を始めた。
◇
「行ってらっしゃいませ」
夜会に出かけるマティアス様に礼をする。今日の彼はクランシー伯爵だ。
クランシー伯爵のとき、白銀の髪は黒く目は若草色になっている。といっても太い縁の眼鏡をかけて黒髪はもっさりとセットされているので、顔は見えない。夜会服も本来よりも大きめのサイズで仕立てているからか、体形が分からない。しかも十年ほどまえの流行の形のものだ。
端的に言うと、とても野暮ったい。
こんな格好で出歩くのは嫌ではないのかと疑問に思い、仕立て直しては……と言うと、こうした方が空気のように扱われるからいいんだ、とマティアス様は言う。
本来夜会というものは社交の一環で、情報交換や家同士の繋ぎを深めるという目的が多数。あとは年頃の令嬢令息たちの交流——しかし彼が夜会に行く理由はそこにはないので、下手に話しかけられない方が都合がいいらしい。
本来のマティアス様は美男子だと思う。白銀の髪は陽の下で見ると光ってきれいだし、紅玉の瞳は神秘的だ。着替えを手伝うときに知ったが、病弱設定は何なのかと思うほど引き締まった体躯をしている。きっとマティアス様としてそれらしい装いをすれば、多くの令嬢が虜になるはずだ。
それなのに、実にもったいない……。
「ライラ、遅くなりますから先に寝ておいてくださいね」
「分かりました」
夜会の日はいつも同じようにヘンリーは言う。
馬車にマティアス様とヘンリーが乗り込むのを見送って、私は屋敷の掃除に戻った。
◇
夕食の片づけを終えたマーサがダニエルに軽食を用意しておいて、と言ったので、不思議に思っていると、どうやらマティアス様の分らしい。
「夜会に出てもあまり食べて来られないから、こうして用意しているのよ」
「いつも疲れ切ってらっしゃるよなぁ。可哀想に」
「そうなのね」
夜会の日のマティアス様はいつも顔色が悪く疲れ切った様子で帰ってくるという。そんな主を心配してマーサがいつも起きて待っているらしい。マティアス様が帰ってきたら軽食を出し、あたたかい飲み物をふるまっているというのだ。
ヘンリーは彼らにも「先に寝ておくように」と言っているのを見ているので、自主的にやっていることだろう。
ふぁ、とマーサがあくびをした。彼女も疲れているらしい。最近腰が痛いと言っているし、年齢的に体力が落ちてきているのだろう。
「マーサ。マティアス様は私が待っているわ」
「でも……」
「大丈夫。私はまだ眠くないし、湯の沸かし方ぐらい分かるわ」
夫妻に笑顔を向けると、ようやく納得してくれた。私は自室から本を持って来て、主の帰りを待つことにした。
(『大魔導士マーガレット』シリーズの新刊が出たのよね!)
本さえ読んでいればいくらでも待っていられる。私は本の世界に没入し始めた。
◇
「あれ、ライラ? 寝ていなかったんですか」
「はい」
私の姿を認めて目を丸くしたヘンリーの後ろからマティアス様が入ってきた。
「……ライラか」
ゆっくりとした動作で屋敷に入ってくる彼。これは、確かに。ずいぶん疲れている様子だ。
私は本を置いて急いで湯を沸かし、二人にはちみつを入れたハーブティーをつくる。ダニエルが作ってくれた軽食と一緒に出すと、礼を言って手を伸ばしてくれた。
「うまい」
マティアス様の表情が少し和らいだ。お腹がすいていたのか、すごい速さでたいらげて、ふう、と息をつく。
「はー……少しは落ち着いたな。帰って来たという感じがする」
「それはなによりです。ライラ、ありがとうございます」
夜会で何も口にしていなかったのだろうか。
心配になる。ここまで疲れ切るほど、一体彼は夜会で何をさせられているのだろう。
「気になるか」
本来の色に戻ったマティアス様が私をじっと見ていた。私はそんなに分かりやすいだろうか。
「夜会では貴族たちの動向を探っている。それを兄上に報告している」
「オースティン殿下に」
「あぁ。俺は竜人の血が濃いから、色々と特技があるんだ。諜報活動にうってつけな人材だ」
髪や目の色を変えられるのも、“特技”の一つということらしい。
王太子オースティンがクランシー伯爵あての招待状を用意して、彼が夜会に参加する。そしてオースティンが求める情報をとって報告する——それが彼の仕事らしい。
「俺は認識阻害の魔法も得意だからな。だれもクランシー伯爵のことなど印象に残っていない。しかしさすがに夜会の間ずっと魔法を使い続けて望む情報をとってくるのも疲れるんだ」
「でも今日は珍しく出席者とお話されていたじゃないですか。びっくりしましたよ」
「あぁ。あれは驚いたな。誰かと思えばバーナード・コネリーだったから更に驚いた」
「バーナードが……!?」
久しぶりに聞いた名前に思わず声を出してしまう。
なぜ彼が、マティアス様——いや、クランシー伯爵に接触したのか。
「いやにお前を気にしていたぞ。元気にしていますか、としつこかった。適当にあしらったけどな」
大方父か兄から私がクランシー伯爵の侍女になったことを聞いたのだろう。元婚約者のその後を知るために面識のない伯爵に迫るなど、彼らしくもない行動だ。
マティアス様が言うには、認識阻害魔法はすでに彼を認識している者に対しては効果が薄いのだという。おそらくバーナードはクランシー伯爵を探して接触を図っていたので彼を認識できたのだろう。
「お仕事ですのに、私のことでご迷惑をかけて申し訳ありません」
「確かに邪魔だったが、ライラのせいではないだろ。あの男の連れも困っていたし」
連れ、というのは間違いなくあの日出会った彼の番だろう。
そうか、バーナードは番と共に出席していたのか。でも夜会にはパートナーを伴うのが普通なのだから、当然のことだ。彼らはとっくに婚約しているだろうし。
あの夜会で出会ったバーナードの番のことを思い返す。
大きな瞳を真ん丸に開いて、バーナードを見詰めていた。可愛らしい令嬢だった。周囲が目に入らない様子で、二人は寄り添った。
まだ塞がりきっていない部分がじくじくと痛む感じがする。
「番に出会ったのに、なぜ私のことなど気にするのでしょう」
「そんなもの、お前が好きだからだろう」
「は……」
マティアス様がさも当然のように言ったので、私は数秒フリーズした。
彼が番に出会ったという事実を前提に、まだ私が好きだという結論に達する意味が分からない。愛し愛される番という相手と結ばれて、それ以外の人間が目に入る筈がないのだ。
「番を選んだがライラも忘れられない。それだけの話だ」
マティアス様の言葉にはとても同意できなかった。あの日まで、共に人生を歩んでいくパートナーとして関係を築けていたのに、簡単に終わってしまったのは、彼が出会ったのが運命の番だったからだ。
「……それはないと思います。彼らは運命で結ばれた二人なのですから」
「……運命?」
はっ、とマティアス様が鼻白むように笑った。
「運命なんて、あるわけがないだろう」
紅玉の瞳が射抜くように私を捉えた。急変した空気に戸惑ってしまう。
カップに入ったハーブティーを無言で飲み干すとマティアス様は立ち上がった。
「これ、美味かった。ありがとう」
「い……、いえ」
私が答えると、彼は「もう寝る」と言って部屋に戻っていった。
主が去って行ってしまった部屋には、しばらく沈黙が落ちていた。
「私、なにかまずいことを言ったでしょうか。謝罪しなければ」
ヘンリーが困ったように「うーん」と声を出した。
「ライラには言ってなかったので仕方ありませんが、運命とか神とか……そういった単語はマティアス様のちょっとした地雷なんですよ」
「……」
「大丈夫です。あなたは悪くないですし、謝る必要はないですよ。明日にはケロッとされていると思います」
だから安心して寝てください、とヘンリーは言った。
彼が言ったとおり、少々緊張して迎えた翌朝には、本当にマティアス様は元通りになっていた。




