10 マリアンナ王女のお茶会
マティアス様の予想通り、マリアンナ王女からの招待状は数日も経たないうちに届けられた。
先日の夜会で出会って意気投合した、という筋書きのようだ。まるっきり嘘というわけでもない。あの夜会で初めて会ったのは確かだし。
こと、とヒュエスの駒を置きながら、マティアス様はマリアンナ王女からの招待状を見ている。
「俺の侍女のライラ宛ではなく、ディアニー子爵令嬢のライラ宛か」
「そのようです」
「あの方は普段からこんな風に色々な令嬢とお茶会を開いているし、姉上の周囲もよくあることだと思っているだろう」
「なるほど。あの……王女殿下は私とマティアス様のことを誤解されているようでしたが……どういたしましょうか」
マリアンナ王女は私とマティアス様が良い仲だと思い込んでいるようだった。マティアス様は苦笑する。
「姉上は思い込みが激しい。しかも人の話をあまり聞かない。たぶんお前が何を言っても無駄だ。でも悪い人ではないんだ。深く考えずに楽しんできてくれたらいい」
マティアス様の許しも得たので、私は取り急ぎ承諾の返信を書いた。
◇
実家から持って来ていたドレスを着て、王城の指定された部屋へ約束の時間に行くと、王女の侍女が案内をしてくれた。
王城で開催されるお茶会には何度か参加したことがある。今日の会場は庭園を望むガゼボのようだ。ガゼボからは色とりどりの花が見えて目にも楽しい。
お茶会のテーブルセットの前に、すでに王女が待っていた。
「マリアンナ殿下、本日はご招待ありがとうございます」
「来てくれて嬉しいわ!」
案内された席に座ると、王女が侍女たちに下がるようにと告げた。侍女たちはガゼボから遠ざかり、声が聞こえないところへ下がる。これで心置きなくお喋りできるわね、と王女がにっこり笑った。そうか、と思う。彼女たちを下がらせたのは、きっとマティアス様の話をするためなのだ。
テーブルには椅子が三脚ある。だれか来るのだろうか。
「実は、お兄様にも声をかけているのよ。……ふふ、内密にね」
その仕草が、初めてマティアス様の正体を知ったときに「内緒だぞ?」と言った主の仕草に似ていて、やっぱりこの方はマティアス様の姉なのだな、などとどうでもいいことを思う。
いや、そんなことよりも。今日、オースティン王子がくる? そんな話、一切聞いていない。
「王太子殿下がお越しに?」
「えぇ。だってあのマティアスが近くに置いている初めてのご令嬢だもの! お兄様だってあなたに会いたいに決まっているじゃない」
うふふ、と楽しそうに笑う王女を前に、私はなんと言えばいいのか分からず、ぎこちなく微笑むしかなかった。
王女との会話は思いのほか弾んだ。
彼女は明るく話題に富んでいて、私のように全く違う環境で育ってきた人間にも話を合わせられるらしい。今のところオースティン王子が来ないこともあって、いつの間にか緊張もほぐれていく。
「わたくしが学生のころは学園の図書室によく行ったわ」
「私もよく行きました。蔵書が豊富で楽しいですよね」
「あら、あなたも本が好きなの? わたくしは王城で神話や古典ばかり読まされていたから、あそこでたくさんの物語の世界を知ったわ。借りて帰ったら教育係に叱られるから、図書館で読むしかなかったのよ。ライラはどんな本が好きなの?」
教育係に叱られる種類の物語だというと、まさか、自分と同じ趣味……? 私は目の前の気高そうな女性を探るようにうかがい見た。
「わ……私は、『大魔導士マーガレット』シリーズが」
王女の瞳がカッと開かれる。
「マーガレットシリーズは当然読んでいるわ。わたくしは第二部の登場時には明らかに雑魚モブとして描かれていたサミーの活躍が描かれている第四部と、彼の悲しい背景が明らかになる第七部が好きよ」
「ま、まさか…こんなことって」
思わず声が震えてしまう。彼女があげたエピソードは、マーガレットシリーズを最新刊まで読んでいなければ出せないものだ。
(この方、かなり読み込んでいるわ……)
『大魔導士マーガレット』シリーズは7巻まで発刊している小説で、魔導士マーガレットの冒険活劇だ。マーガレットの活躍も魅力的だが、脇を固める登場人物たちも魅力的で、とても面白い。しかし際どいエピソードや下品な表現も多く盛り込まれていて、貴族令嬢的には完全にアウトな本である。だからこそ、なぜあれが王立学園の図書館にあったのか不思議で仕方がない。置いてくれた人には感謝だが。
同じものが好きだというだけで、王女への好感度がぐんと上がる。それは王女も同じだったらしく、それから二人で『大魔導士マーガレット』シリーズの細かい考察の話や、最近話題の本について語り合った。
「……あ、つい盛り上がってしまったわ。今日はライラにマティアスのことを聞こうと思ったのに」
はっとした様子でマリアンナ王女は時計を確認した。マーガレットシリーズの話でお茶会が終わるところだったわ、わたくしったら、と言いながら王女はカップを優雅に手に取る。
「それで、マティアスとは仲良くしているの?」
「は……はい。よくしていただいています」
仲良く、という表現には語弊があるものの、関係は悪くないと思う。
「本当に嬉しいわ! 義妹になる子が同じ趣味だなんて!」
「あの、そのことなのですが。私とマティアス様はそういった仲ではありません。あくまで主従関係です」
王子が侍女とただならぬ関係にあるだなんて、万が一噂になったら大変なことだ。マティアス様は何を言っても無駄と言ってはいたが、それでもしっかり否定しておくべきだろう。しかし、やはりと言うべきか、王女は全く信用していない。
「またそんなこと言って……隠さなくてもいいのに」
「隠しているというわけではなく、」
「——うん。今のところは、本当にそうみたいだね」
突然上から男性の声が振ってきたので、私はビクっと震えた。
まさか……。
ぱっと声の主を見上げると、そこには赤色の瞳と白銀の髪をした男性が立っていた。マリアンナ王女と同じ色で、そっくりな顔立ち。
私は慌てて立ち上がり、カーテシーをした。
「やぁ、ライラ・ディアニー子爵令嬢。いつも弟が世話になっているね。初めまして。私はオースティン」
「リューゼ王国の若き太陽にお目にかかれまして光栄でございます、王太子殿下」
「うんうん。私も君に会いたかったよ」
ははは、と朗らかに笑いながらオースティン王子は椅子に座った。王子と王女とは双子だった。双子というものは男女でもこんなに顔が似るものなのか。
「本当に来られたのね、お兄様」
「まぁ頑張って何とかしたからね」
マティアス様とは雰囲気が全然違う。オースティン王子ってこんな軽い感じの人だったんだ……。と少々失礼なことを考えてしまう。
彼はにこやかに頬杖をついて私を見た。
「……可愛らしいね。マティアスが入れ込むのも分かるなぁ」
「お兄様もそう思いますか? 可愛いマティアスの隣に可愛いライラ。素敵よね」
私を見ながらそんなことを言い合っているのは、王子様と王女様なのだ。信じられない状況だ。どんな反応をすればいいのか全く分からない。
「それで、ライラ嬢。うちの可愛い弟は大丈夫かな。妹からは少し顔色が悪かったと聞いて心配している。手紙では頻繫にやりとりをしているんだけど、顔は長いこと見ていないからね」
「マティアス様はお元気です。その、夜会の時はお疲れになるようで」
オースティン王子はそうかぁ、と頷いた。夜会の日のマティアス様は魔法や『特技』を酷使して疲弊している。あの日も疲れて外の空気を吸いに会場の外に出たのだ。
「あの恐ろしく不細工な格好を抜きにしても、マティアスの顔色は悪かったわ。お兄様もいい加減、マティアスを便利使いするのはおやめになったらいかがかしら」
「人聞きが悪いな。そんなつもりはない。私としては、マティアスが普通に夜会を楽しんでくれたらいいと思っているんだけど」
「マティアスはそう思っていませんわ。可哀想に魔法を酷使して、真っ青でしたわよ」
「……マティアスからの情報に助けられている私が言っても説得力がないかもしれないけど。私がマティアスに夜会の招待状を届けるのは、あいつの気分転換になればいいと思っているんだよ。別に強制じゃない」
「それならそうと、ちゃんと言えばいいじゃない。本当に殿方って、そういうところがあるわよね。言わなくとも伝わるとでも思っていらっしゃるのかしら」
でもマリアンナ王女の言うように、マティアス様は夜会を仕事だと捉えていた。そして『兄上の役に立ちたいのは俺のほう』だとも。二人の思いはすれ違っているのかもしれない。
しかしこれだけは分かった。このお二人はマティアス様のことを弟として大事に思っている。
「あの、殿下……」
勇気を出して私は二人に向き直った。私から話をするとは思わなかったのか、王子と王女は意外そうに私を見ている。
「なぜ、マティアス様は病弱ということに?」
あぁ、ついに聞いてしまった。詮索してはいけないと思っていたのに。
でも口にしてしまった。もう開き直るしかない。
オースティン王子は一度目を伏せ、また私を見た。
「ごめんね。私からは言えないんだ。でも、マティアスは話す権利がある。君ならきっと、マティアスが答えてくれる」
「……私なら?」
そうなのだろうか。
でも確かに、オースティン王子の言うとおりだ。マティアス様の事はマティアス様に聞くべきだ。私のことを信頼してくれていればきっと話してくれる。
「ライラ嬢は、マティアスのことをどう思っているのかな? 同級生だったよね」
「はい、同級生です。学園にいたころはそこまでお話をしたことはなかったのですが。その、マティアス様は優しくて素敵な主だと思っています」
「そう! そうなんだ。あいつは優しい」
オースティン王子は嬉しそうに頷いた。そして、少し探るように私を見る。
「怖くは、ないか?」
「怖いですか? マティアス様が……?」
思いもよらないことを聞かれ、私は首をかしげる。学園時代から思い返しても、彼を怖いと思ったことはない。
「穏やかな方ですし、怖いと思ったことはありません」
きっぱりと答えた私を見て、王子は笑みを深めた。隣のマリアンナ王女もまた、優しく微笑んでいる。
「そうか。おかしなことを聞いたね。これからもマティアスと仲良くしてやってくれ」