第一章:数を操る手、祈りのかたち
それは人間が「数える」ことを覚えた日から始まった。
指を折って羊の数を数え、石を並べて種の収穫量を記録する。
あるときは骨に刻み、あるときは結んだ縄の数で、その日を記憶した。
記録とは祈りだった。
「どうか、この命が明日も続いてくれますように」
「どうか、この収穫が災いに奪われませんように」
文明が文字を持つよりも前に、人類は“数”を生んだ。
それは言葉よりも正確で、物よりも抽象的で、時に神よりも信じられた。
そして数が溜まれば、そこには「思考」が芽吹いた。
――「もし、明日も同じ量を得られれば?」
――「もし、10年分を先に記録しておけたなら?」
この問いこそが、未来を知ろうとする最初の演算だった。
やがて都市が生まれ、収穫と租税が交わされる時代が来た。
バビロニア、エジプト、ギリシャ、インド――人類は数の体系を洗練させていった。
「計算」こそが文明の礎となった。
天体を観測し、河川の氾濫を予測し、兵を数え、貨幣を発明し、
人は数を道具に変えた。
やがてそれは石版から紙へ、紙から歯車へと姿を変え、
西暦1642年、ひとりの少年が父親の税務作業を助けようと考案する。
ブレーズ・パスカル。19歳。
彼が生み出した機械は、世界で初めて“手を使わずに数える装置”だった。
その名は「パスカリーヌ」――人力でレバーを回すだけで、加減算が可能な歯車式の計算機。
それはまだ「機械」ではなく、「延長された人間の指」だった。
けれど確かに、この瞬間から、
人類は“知性”を道具に委ねるという選択を始めていた。
それが――すべての始まりだった。