07:物価の謎
翌日はバイク通勤で出社した。
社内規定ではバイク通勤非推奨なのだけど。
オフィスへ入ると四課が勢揃いしている。
始業は八時半で、俺はいつも七時半頃に出社するので少し早い。
課長と一位、二位を争う感じなのに、今朝は部長までいる。
「村上、会議室に行こうか」
「はい」
何が始まるかはお察しだ。
予想通り、すこぶるバツの悪い顔をした安藤主任が一番に頭を下げた。
予想外だったのは、課長と係長まで頭を下げたこと。
「皆さんどうか頭を上げてください。ケジメが大切なのは判りますけど、雰囲気が悪くなるのを避けたいのが本音です。今後ともよろしくお願いします」
言って頭を深く下げた。本当にそう思ってるから。
「村上がそう言うのなら、今回の一件はこれで手打ちにする。昔はよくあった事だが、時代が違うと認識して猛省しろ」
「「「「「「「「「「「「「「「はい!」」」」」」」」」」」」」」」
「村上、私も営業部の長として謝罪する。すまなかった。今後も村上らしく仕事に励んでくれる事を期待している」
「承知しました! 精一杯励みます!」
儀式染みた謝罪イベントが終わり、オフィスへ戻った。
この二ヵ月間が異常だっただけあって、激減した仕事量に時間を持て余しそうになる。それを考えれば、スパルタで鍛えてもらったと喜んでもいい気がする。
流石に前向きすぎるかな?
正直なところ、残業しなくて良くなったことが何より嬉しい。
業務日報と勤怠を入力し終え定時で席を立つと、速水さんと目が合った。
速水さんが口の動きで「ま・た・あ・と・で」と伝えてくる。
最高に幸せだけど、勘違いしないようにしなければ。
駅前の駐輪場まで走ってバイクに跨り、少し遠回りをしてお稲荷さんへ。
そこには速水さんの姿があった。
「大きいバイク持ってるんだね。持って行くの?」
「はい、石碑から村まで距離があるので。これ、速水さんのメットです」
「もしかして私のため?」
「えーと、まあ、そんな感じです」
「嬉しい…ありがと!」
花が咲いたような速水さんの笑顔が、俺を照れさせる。
半分照れ隠しで周囲を見回し人目がないことを確認し、バイクを境内へ押し入れ、二人で柏手を打った。
石碑の前で振り向けば、やっぱり美しいラウネの景色が胸を高鳴らせる。
スーツ姿でメットを被った速水さんは、映画に登場する女優のようだ。
俺もメットを被ってればそう見え…ないな。
「俺の肩を支えにして、ここに足をかけて跨ります。大きく跨がないとサドルバッグに引っ掛かりますから気をつけてください」
「えいっ! へぇ、思ったより座り心地いいんだね! これって大型バイク?」
「四〇〇シーシーなので中型です。すいませんけどバックパック背負ってください。俺の胸下に腕を回して掴まって、肩に顎を乗せれば前が見えると思います」
「はーい! わ、村上くんって逞しいんだね。着痩せするタイプ?」
「ふ、普通ですよ。男は誰でもこんなもんです…」
速水さんこそ着痩せするタイプですから。
心の準備を軽く蹴っ飛ばす遠慮のない掴まり方と感触が…ヤバい。
これで事故ったら洒落にならないため、深呼吸をして気持ちを落ち着けた。
「ゆっくり走りますけど、もし怖かったら言ってください」
「はーい! 出発進行ー!」
ノリノリだ。速水さんが楽しそうだと俺まで楽しくなる。
なるべく凹凸が小さいルートを選んで走っていると、速水さんがどんどん元気になっていった。
最後には『ヒャッホー!』と最近は聞かない奇声を上げ始め、聞きつけた村の人が慌てて村長さんの家へ走って行く。
当然ながら槍を手にしたジェリドさんたちが駆けつけた。
(十人くらい来ちゃったよ。鍬持ってる人もいるし)
木柵から一〇メートルほど離れた位置で停車し、メットシールドを上げて声を張る。
「ジェリドさん! 俺です! ひなたです! 後ろは姉です!」
「なっ…」
「初めましてー! ひなたの姉の愛琉でーす!」
溜息をついたジェリドさんが振り返り、村の人たちに言葉をかける。
そして腕を引くジェスチャーで「来い」と合図をくれた。
「お騒がせしました。姉は少し疲れやすい体質なので乗り物で来ました」
「特異種の魔物かと思ったぞ、ったく」
「魔物! ひなたくん聞いた!? 魔物だって!」
「聞きました…あ、バックパックありがとうございました」
怖がるパートだと思うのは俺だけだろうか?
やっぱりいるんだな、魔物。
「今日は戻らないと思っていたが早かったな?」
「水を沸かす道具を幾つか持って来ました。毒カエルに試したい物もあります」
村長さん家の前で説明すると伝え、速水さんに降りてもらってバイクを押す。
舗装されてない場所で押すのがこんなに大変だとは。
三つのカセットコンロと十六本のガスボンベを出していると、村長さんが出て来た。後ろから村長さん一家もぞろぞろとついて来る。
もっと運べると思ってたけど、サドルバッグに入る限界数だ。
何か良い方法を考えないと何度も往復することになる。
「ジェリドさん、底が平らな鍋に毒水を入れて持って来てもらえますか?」
「アンナ、煮鍋を持って来い」
「はい」
アンナさんがジェリドさんのお嫁さんなんだろう。
程なくアンナさんが持って来た鍋はそこそこ大きい。
こんなこともあろうかと、五徳が高いコンロにしといて良かった。
低かったらボンベに干渉して使えないところだ。
受け取ったジェリドさんが、用水路の水を鍋で軽く掬って差し出してくる。
そりゃそうか、湖まで行く必要はないよな。
「鍋がバタつかないように置いて、この摘まみをこう捻ります」
カチッ ボォオオオオオ…
『おおっ!?』
「凄いよ母様火がついた!」
「凄いわね!」
「ヒナタ、これは魔導具なのか?」
「魔導具!?」
「速…愛琉姉さん、少し静かにしててくれます?」
「はーい…」
「魔導具じゃありません。只の道具です。あれはお高い道具です」
言ってバイクを指差すと、知らなかった村長さんたちがビクっとした。
「な、何じゃあれは…」
「乗り物です。餌が要らない馬ですかね。燃える水は必要ですけど」
村長さんがジェリドさんを見遣ると、彼は苦笑しながら頷いた。
そうこうしていると鍋底に気泡ができ始め、程なく沸騰した。
「早いな」
「全くじゃ」
水が少ないからね。薪の方が火力は強いと思うけど違うのかな?
「ヒナタ、この道具は幾らで買える?」
「んー、お菓子の二個分より安いくらい、じゃ判りませんよね」
「むぅ…」
「高いことしか判らんな」
「ねえねえ、お菓子って?」
「喜一郎のバウムクーヘンです。小さい方の」
「一八〇〇円の?」
「それです」
何かを思案した速水さんが、村長さんに目を向けた。
「村長さん、このお鍋は幾らで買えるのかしら?」
「新品なら二万ゴルドくらいじゃが」
「それならお鍋五つ分の値段と同じくらいね」
「そんなに安いのか!?」
速水さんが一瞬だけニヤリと笑んだ。
もし一ゴルドが一円と等価なら、詐欺で捕まるレベルのボッタクリ。
しかし村長さんは安いと驚いた。物価が全く分からない。
「無償でお家を貸してくれるなら、この三つと燃料は進呈するわ」
「真か!? もちろん無償で構わんとも!」
口調は違うし結構上から喋る速水さんの腕を引いて少し離れた。
「どういう計算したんです?」
「この文明水準だと鉄鍋は高級品だと思う。でも、魔導具は庶民がどう頑張っても買えない超超超高級品だよ。だからお鍋五つ分でも安く感じる」
「……それ、ラノベの話では?」
「うん(笑)それにね、十万ゴルドを安いって言うなら、それなりに現金を貯めこんでると思うんだ。四台目からは売っちゃおうよ」
「…速水さん」
「愛琉姉さん」
「愛琉姉さん」
「なーに、ひなたくん」
「一緒に来てくれてありがとうございます」
「一緒に来させてくれてありがとう。すっごく楽しい♪」
速水さんはニッコリと笑んだ。