06:速水愛琉という人
相談は食べ終わってからということで、世間話が始まった。
「村上くんも独り暮らし?」
「はい、就職を機に。でも引き払って実家暮らしに戻ろうと思ってます」
「どうして??」
大層不思議そうな顔の速水さんに説明する。
毒水対策用品や今後の仕入れ資金を考えれば、月に七万六千円の家賃は痛い。
光熱費やネット回線、スマホ代を含めれば十万を超える。
実家なら三万くらい食費を渡せばいいだろうから、七万近く浮く。
仮に異世界で稼げるようになったとしても、日本円には換金できない。
「何を買ったの?」
買った物をつらつらと列挙し、トイレットペーパーを買った理由を話したところで速水さんが『ぐっじょぶ!』と言った。
続けて「簡易シャワートイレを!」と言うので笑ってしまった。
「私も半分払うよ」
「受け取りません。異世界へ行くことになった原因は俺ですし、こんなにお洒落で広いマンションを買った速水さんだって余裕はないでしょ?」
「そこは反論できないけど…」
速水さんはラウネ村に行ってないから、正確なところをイメージできないはず。
遠目に眺めたラウネ村は、美しいばかりの光景だ。
家屋もちゃんとした造りだし、白壁と青い屋根で統一された村は、ラウネ湖の景観に溶け込み観光地かとさえ思えた。
だけど、家の中は違う。
村長さんの家でもソファは継ぎ接ぎだらけで、村長さん以外の家族は服にも継ぎ接ぎがあった。
ジェリドさんにしても、革鎧を脱げば下は継ぎ接ぎのある服だと思う。
湖に行く途中ですれ違った子供たちは裸足だった。
村民の皆さんが着ている服は、麻袋に袖を付けたような物だった。
何より、時間的な繋がりがないと判った時、俺は本気で頑張ると決心した。
そうじゃないと、お稲荷さんの好意に対して申し訳が立たない。
そういった彼是を度外視しても、俺自身が物凄くワクワクしてる。
たぶん俺は、承認欲求が強いタイプなんだろう。
「だから、速水さんはいつでも好きな時に日常へ戻ってください」
「なんだか突き放された気分……村上くんは私が一緒だと嫌?」
「まさかっ! あ、いえ……嫌じゃないです。本当に、嫌じゃないです…」
「なら良し!」
可愛い人だな。本当に可愛い。
だからこそ、速水さんを深入りさせちゃ駄目だと思ってしまう。
「ねえ村上くん、実家じゃなくてここに引っ越さない?」
「はあ!? どどど同棲って意味ですか!?」
「あはは、村上くん顔真っ赤だよ? 同棲じゃなくてルームシェアね。お部屋ひとつ余ってるからお家賃いらないよ? 共用品とか自炊する時の食材費を折半すれば、実家暮らしと変わらなくない?」
こ、この人は何を言ってるんだ…
俺は男であって女じゃなくて……あぁ脳ミソが痛くなってきた…
「やっぱり私と一緒は嫌なんだ、そーなんだ」
「違いますよ! だって速水さんは! …あの、彼氏さんとかいないんですか?」
「うっ、心が痛い…なーんてね(笑)彼氏なんてずーーーっといないよ。中学も高校も大学も女子校だったし、お父さん厳しいし、門限七時だったし、七時に固定電話に電話かけてくるし、コンビニも三つしかない田舎生まれだし…やだ、思い出したら泣きそう!」
意外すぎる。生まれも育ちも東京だと思ってた。
こんなキラキラした人がド田舎で生まれたなんて、異世界よりファンタジー。
「私の暗い青春は横に置いといて、一番の理由は村上くんが誠実だから。初日に一戸建て引っ張っちゃうなんて凄いよ。それと、私ってね…」
言いかけた速水さんは立ち上がると、俺の手を引いて廊下の奥へ歩いて行く。
突き当りの右側にあるドアノブに手をかけると、俺の顔を見てドアを開けた。
そこは…
「うわぁ…」
よく床が抜けないなと思う量の本が整然と並べられていた。
大半がラノベ系だと判るタイトルで、一画にはBLだろうタイトルが集中している。かなり古い名作と謳われるタイトルも網羅されている。
シリーズ物の間にはフィギアまで並んでいて、これ系のヲタが見たら狂喜して涙を流すに違いない。
何しろ、窓を無視して壁の全てを本棚が占領している。
「病んでます?」
「ちょっとだけ?」
「この量と内容は重症かと?」
「だ、だって仕方ないでしょ! お父さんゲームもダメって言うくらい厳しかったし! ブックカバー付けてればバレないし! お小遣いで買える物なんて本くらいしかなかったし! それも通販で!」
通販って言葉を久しぶりに聞いた。
にしても、今どきゲームを禁止する親なんているんだ。生きた化石?
もしかして速水さんって…
「めちゃくちゃ異世界に憧れてたりします?」
「ハイ! 今でも将来の夢は冒険者デス! 女剣士希望デス!」
「それはまた何と言うか、ご愁傷様です」
「酷くない!?」
速水さん自身がファンタジー生物ってオチか。
残念ながら、ラウネ村にギルドっぽいものはないと思うけど。
もしあれば、毒カエルなんて冒険者が討伐しちゃうでしょ。
それはさておき…
「速水さん、本当に住んでいいんですか? 俺も一応は男です」
「…村上くんは女性を襲っちゃう人なの?」
ズルイ質問だ。
でも、速水さんはそんな不安を抱えながら、ルームシェアをと言ってくれてる。
そんな気持ちを踏みつけるような真似なんて出来る訳がない。
そんなことをしたら速水さんに見限られてしまう。
何よりもそれが嫌だ。
実利面を考えても、この立地は魅力的。
ここからなら、お稲荷さんまで三〇分とかからない。
乗り換えもないから荷物を運ぶのも楽だ。
「速水さんを襲うなんて有り得ません」
「うん、知ってる。ズルイ聞き方してごめんね?」
ほら、こういうとこ。どんどん好きになってしまう。
「速水さん、ルームシェアさせてください。お願いします」
「はい。村上くん、こちらこそよろしくお願いします」
「何ですかそれ(笑)」
「分かんない(笑)」
ダイニングに戻って後片づけを済ませ、リビングへ行って腰を下ろした。
宅食って片付けも楽でいい。
「毒水の煮沸は分かったけど、カエルはどうやってやっつけるの?」
「やっつけません。追い払ってネットフェンスを張ろうと思ってます」
「なるほどぉ。でもいっぱいいるんでしょ? どうやって追い払うの?」
バックパックを開けて、ホームセンターで買った物を一袋取り出す。
「爆竹だ! 村上くん頭いい!」
「最初は火を考えたんですけど、火炎放射器なんて売ってないですからね」
次に考えたのはロケット花火だけど、音の大きさと連続性なら爆竹だと思った。
とはいえ、音に動じないようなら没案なので、ネットフェンスは値段だけ確認しておいた。
湖岸の崖が崩れて砂地になってる幅は、目測で一〇メートルくらい。
ネットフェンスは一メートル×三〇メートルで、一万二〇〇〇円くらいだった。
カエルのジャンプ力によるけど、二セット買えば余裕で足りるだろう。
「上手くいったらそれなりのお金もらっていいと思うんだけど」
「そうなんですけど、自給自足みたいだからお金の使い道がないと思います」
貴金属でもらうことも考えたが、何にしても日本円に換金できなければ意味がない。その辺はラウネ村のことを知った後で考えるしかない。
「ゴハンはどうするの?」
「取り敢えず缶詰、レトルト食品、パックご飯を持って行きます」
小麦か大麦か判らないけど、麦畑と野菜畑はかなりの面積があった。
お金を稼げるなら買う。物々交換でもいいはず。
粗食だけど体には良いだろうし、ジェリドさんの体格からして、動物性たんぱく質の入手方法もある。というか、間違いなくジビエだろう。
「聞いてるだけでワクワクしちゃう♪」
「世界が違うだけで楽しく感じるって不思議ですよね」
「村上くんが一緒だから寂しくないしね」
「俺も同じです」
思いつく事柄を相談したところで、大まかな行動サイクルを決めた。
退社したらそのままラウネ村へ行き、暗くなったら寝る。
起きたら夕暮れまで村のためになる事と、神通力の訓練をやってマンションに帰って寝る。そして出社するの繰り返しだ。
バイクがあるから、先々はそれこそ冒険旅行をするのも楽しいに違いない。
こっちの週末はまったり過ごすことが多いだろう。
俺にとって至福の時間になることも間違いない。
「そろそろ帰ります」
「うん。引っ越しはいつ頃にする?」
「遅くても今月内にと思ってますけど、いいですか?」
「もちろんだよ! 楽しくなるね♪」
人生最大の幸福感に包まれて家路についた。