05:買い出し
アパートに帰り、直ぐさまPCを立ち上げカエルの毒を調べてみた。
驚いたことに、馴染み深いアマガエルも毒をもっているらしい。
といっても、蛇や蜂の毒とは全く違う。
カエルはカビなどの細菌が繁殖しやすい、湿気の多い場所で生きている。
そんな雑菌から身を守るため、皮膚の表面から毒を分泌する。
アマガエルを触った手で目を擦ったりしない限り人体に悪影響はない。
更に調べていくと、いわゆる毒カエルに分類されるカエルの毒は、自然界のエサによって毒性の強弱が決まる。
例えば、水族館で飼育されている毒カエルは毒性が弱まるそうだ。
ここまで調べて判ったのは、
「時間の無駄だな」
ということ。
恒久対策は毒にフォーカスするのではなく、元凶のカエル駆除を考えるべき。
でも、体長三〇センチはあるカエルが、数えられないくらい密集していた。
一〇〇匹近くいそうだから駆除は無理だし、殺したら後始末も大変だ。
試してみたいアイデアの結果を見てから本格的に考えよう。
今考えるべきことは、大量の水を煮沸する方法。
要件は簡単で低価格。これは考えるまでもなく、
「カセットコンロでしょ。ネットの方が安いはず」
二九八〇円のコンロを一〇台で二万九八〇〇円。
ガスボンベは四八本セット五八〇〇円を…とりま三つで一万七四〇〇円。
合計四万七二〇〇円。
お高い…それでもバウムクーヘン三〇個より七〇〇〇円くらい安い謎。
「通勤が大変になるけど実家暮らしに戻ろうかな」
今後の仕入れ資金を考えれば仕方ないと考えつつポチっとな。
これも土曜の午前配送にしておこう。
次に買うのはトイレットペーパー。
速水さんと俺の精神衛生のためには欠かせない。
あっちのトイレは、丸い穴を開けた板の下に糞尿壺が置いてあるだけ。
そこは我慢するとしても、トイレットペーパーがないのは無理だ。
ラウネ村の人たちは何でお尻を拭いているのだろうか。
色々と尋ねて、近い内に電源不要の簡易シャワー便座に替えたい。
「っていうか、速水さんを巻き込んでいいのかな…」
異世界へ行くことになった原因は俺だ。
速水さんはたまたま一緒にいただけで、たぶん興味本位だと思う。
俺は頑張る気満々だけど、速水さんが「もう行かない」と言う日は近い。
そう覚悟しておかないと、精神的ダメージが大きすぎて死ねる。
ジャジャジャジャーーーン! ジャジャジャジャーーーーーン!
「うおっと!」
スマホがベートーベンの運命を鳴らした。
運命は会社の誰かからの電話だ。
慌ててスマホを手に取ると、岡田部長からの着信…
「お疲れ様です部長、村上です」
「村上、今朝の言葉を取り消す。頭ごなしに言ってしまいすまなかった」
動きが早いな内部監査室。まぁシステムログで簡単に判ることか。
とぼけておかないと速水さんに迷惑かかるかな。
「すみません部長、どういうことでしょうか」
「三回の手配ミスは起こるべくして起こったと判明した。いや違うな。あの案件数でミスを三回に留めた村上は良くやった」
部長は現時点までの調査結果を斯く斯く然々と説明してくれた。
俺が所属する産機四課は、半導体製造向けの装置や機器、部品を扱っている。
四課の営業マンは俺を含めて十六名。
その内、課長と係長を除く十三名が、重点顧客以外の案件処理を俺に押し付けていた。
扇動したのは安藤主任で、俺と同期の山口は「村上に謝りたい」と涙を零したという。安藤さんは俺様系だから、嫌々ながらも従うしかなかったんだろう。
俺の残業申請を決裁する松野課長にも、内部監査室は注意勧告を出すそうだ。
「事情は理解しました。私はどうすればいいでしょうか」
「通常どおり出社してくれ。来週早々に主任代理の内示を出す。入社から一年が経つ半年後には正式に主任だ。頼むぞ、村上」
「はい! 精一杯頑張ります! ありがとうございます!」
内部監査室がこんなに早く動いたのは、速水さんに対する部長や本部長の信頼度が高いからだろう。後で速水さんにちゃんとお礼を伝えなければ。
暫くは課内がぎくしゃくすると思いつつ、ヘルメット片手にアパートを出た。
晴れた休日にしか乗らないバイクのカバーシートを取り、エンジンをかける。
ドルンッ! フォン! フォン! ドッドッドッドッ…
すぐ必要になる物を買いにホームセンターへ向かった。
お稲荷さんの境内は広くないけど、バイクは余裕で入れる。
あっちへバイクを持って行けば、速水さんを乗せて石碑と村を行き来できる。
問題はフルフェイスヘルメットがお高いこと。
安い物なら五〇〇〇円なんてのもあるけど、あっちに舗装道路なんてない。
「速水さんの安全第一で。おぅふ、二万四八〇〇エーン…」
プロテクターと革ジャンは俺のお古で我慢してもらうとして、忘れちゃいけないのはガソリン携行缶。
俺のは満タンで五〇〇キロくらい走れるけど、頻繁にバイクでお稲荷さんに出入りしてたら通報されそうだから買う。
他の小物を買うついでにカセットコンロの値段をチェックしてみたら、やはりネットの方が安かった。満足です。
買い物を済ませたその足で茅ヶ崎の実家へ走り、「どうして平日に?」と問う母さんの軽自動車を借り、使ったことのないガソリンスタンドへ。
「すいませーん、携行缶に給油してくださーい」
「はーい、結構大きいですけど二つもですか?」
「実家が農家なんで耕運機用です(ごめんなさいウソです)」
携行缶への給油は面倒だけど仕方ない。
大き過ぎると重くて運べないから、一〇リットルを二つにした。
そのままアパートへ帰って携行缶を玄関に置き、再び実家へ。
「車ありがと。んじゃ帰る」
「え? 夕飯食べて帰りなさいよ」
「無理。会社の先輩と約束してる」
「えー、ひなたの分も買い物しちゃったわよ」
「言っとけば良かったね、ごめん。帰る」
「もお!」
俺の好物を作ってくれるんだろうけど、お袋の味より速水さんが優先だ。
玄関先で『親不孝者ー!』と声を張る母さんに苦笑しつつ帰り、シャワーを浴びて小綺麗な服に着替え、待ち合わせ場所の品川駅に舞い戻った。
何気にギリギリセーフで、速水さんは既に来ている。
「お疲れ様です速水さん、待たせちゃいましたか?」
「ううん、今来たとこだからヘーキだよ」
この会話…感動的! うん、やはり俺は病んでいる。
「どこで食べます?」
「話を聞かれない場所がいいよね?」
「そうですね。俺はカラオケボックスとかでもいいですけど」
「カロリー高い物しかないし歌っちゃうからNG」
「歌っちゃうんですか。聞いてみたいですけど」
「金曜か土曜の夜に行こうね。今回も場所は任せて」
そう言った速水さんは、改札へ向かって歩き出した。
電車に乗って部長から電話があったことを話していると、速水さんは二つ目の大森駅で俺の手を引いて降りた。大森で降りるのは初めてだ。
歩きながら話の続きとお礼を伝え終わったタイミングで、速水さんが…
「あの、ここマンション…ですよね?」
「私のお家だから遠慮しなくていいよ」
「えっ…え?」
「いいからカモン村上くん! ゴハンはレンチンだけどカンベン!」
気が動転したままなし崩し的に上がらせてもらった部屋は、広い。
外観も内装もすごくオシャレで…速水さんの匂いがする。俺は変態だな。
「もしかして新築の分譲ですか?」
「うん、頑張ってローン払ってる。それよりこっち来て選んで」
手招きされてキッチンへ行くと、冷凍庫には冷凍弁当がギッシリ詰まっている。
「宅食ってやつですか?」
「そうだよ。管理栄養士監修だから美味しくて低カロリー。おまけに安いの。仕事で疲れて帰って作るの面倒でしょ? あ、週末は自炊してるからね!」
「女子力低いとか思いませんって。宅食っていくらくらいです?」
「二〇食を月イチで頼んでるんだけど、送料込みで一万円くらい」
「うわ、コンビニより安くつく…」
生活力が高いと思いながら、チキンのトマト煮を選んだ。
速水さんは白身フライと野菜の黒酢餡かけ。それも美味しそう。
「村上くんってお酒飲む人?」
「嫌いじゃないです」
「ふふっ、好きなんだね。ビールと無糖レモンハイどっちがいい?」
「ビールを頂きます」
レンチンしてダイニングテーブルに座ると、速水さんは炭酸水を持って来た。
「飲まないんですか? 俺だけ飲むのは気が引けます」
「飲んで飲んで。私もお酒好きなんだけど、弱いからすぐ酔っちゃうんだよ」
酔わせてみたいと思う俺は死ぬべきだ。