03:毒水
村長さんの家は村の真ん中付近にあって結構大きい。
中に入ってその理由が判った。大家族だ。
全部で何人いるのか判らないけど、少し開いている扉からは、五人の子供が好奇心旺盛な顔でこちらを覗きこんでいる
「こら! 客人の前で無作法をしちゃいかん!」
躾けに厳しいのだろうか。
「すまなんだ。この辺に客人が来るのは稀なものでな」
「気にしてませんから村長さんもお気になさらず」
大家族だけあって通されたリビングは広い。
継ぎ接ぎだらけの革ソファアに座らせてもらうと、スプリングやウレタンが入ってないからか、浅く座らないと体が沈み込む。
「儂は村長のクラウス。ジェリドは長女の夫じゃ」
苗字を言わないってことはないんだろう。名前が前にくるんだろうか。
まぁいいや。
「村上ひなたと申します。ひなたが個人名です」
「なっ…お、お貴族様でいらっしゃいますか?」
貴族ときますか。というか、超未来的な異世界ってないのかな。
優位が取れなくてどうしようもなくなりそうだけど。
「貴族ではありませんから気軽に接してください」
「ふぅ、寿命が縮んだわい」
コンコンコン
扉の向こうから、二人の女性がお茶を持ってやって来た。
中年女性が持つトレイには平皿、若い女性のトレイには木製カップ。
木製カップからは薄っすらと湯気が立ち昇ってる。
テーブルの中央に置かれた平皿には茶色い……漬物?
「ありがとうございます」
「いえ…」
「あの、これ何ですか?」
「燻した山羊のチーズです」
「チーズの燻製ですか。頂きます」
塩っぱい…お茶うけにしても塩っぱすぎる。
後から鼻に抜ける香りもかなりキツイ。むしろ臭い。
お茶の風味は馴染みがあるような……ああ、これマテ茶に似てるんだ。
「そうだ、お菓子があるので食べてみませんか?」
バックパックからバウムクーヘンの箱を出すと、村長さんとジェリドさんが身を乗り出した。女性陣も興味津々って感じ。
「これは…紙か?」
「判らないが美事な包みだ」
「偉そうなパッケージですよね。喜一郎っていう専門店のお菓子です」
箱を開けてプラスチック包装を引き破る。
皿がないけど、プラスチック包装の端を破いて広げればいいか。
「木のようじゃが甘い匂いがするのぉ」
「その通りです。バウムクーヘンっていうんですけど、木の焼き菓子っていう意味なんです。すみません、ナイフ貸してもらえますか? あと小皿も」
「アンナ、良い皿を」
「はい、母様」
アンナさんが持って来てくれたナイフは何と言うか、ザ・ナイフ!っていう感じ。サバイバルナイフみたいな。小皿は三枚だけ。
大家族だから大きく切ると足りなくなそうだ。小さめに切ろう。
「村長さん、ジェリドさん、どうぞ。残りは皆さんで食べてください」
「いいのですか?」
中年女性は俺じゃなく村長さんに尋ねた。
「ありがたく貰っておけ」
「ありがとうございます」
お礼は俺に言うと。亭主関白じゃなく男尊女卑の臭いがする。
「むぅ!? う、美味いのぉ…」
「この甘さと香り…とんでもなく贅沢な菓子だ…」
「気に入ってもらえて良かったです」
美味いよね、バウムクーヘン。
あるとついつい食べちゃうから、物凄いカロリー摂取になってしまう。
「ヒナタ、この菓子は如何ほどの値で買えるんじゃ?」
「この辺の通貨と物価が判らないので何とも」
この話題、使えそうな気がする。
「例えば、これ一個で部屋を一日貸して欲しい、と言ったらどう思います?」
「駆け引きせずとも、巡検官様用に建てた離れを使えばいい」
「…いいんですか? なぜです?」
村長さんは、俺の衣服や持ち物が逸品ばかりだと言った。
惜し気もなくバウムクーヘンを差し出せる者が、このラウネ村で盗みを働いても儲かりはしないと。
「ありがとうございます。離れを見せてもらってもいいですか?」
「俺が案内しよう」
離れの離れ方がハンパなかった。
五分くらい歩いたのだけど、大層立派な二階建ての一軒家。
間取りは5LDKに…うっわ、これがトイレなのか。隣は…
「ここ洗濯場ですか?」
「洗濯にも使えるが、巡検官様の湯浴み場だ」
風呂場だから石敷きなわけね。
壁には大きくて深い湯桶が立て掛けてある。
サイズは大きめのビニールプールくらい。かなり重そうだ。
「ここを使わせてもらえるということで?」
「義父殿がいいと言ったのだから使えばいい」
「どれくらいの期間でしょう?」
「三年は誰も使わない。三年に一度の巡検は先月終わったばかりだ」
こんなに上手いこと住居を押さえられるとは。
早く速水さんに報告したい。
「ジェリドさん、ラウネ村に困り事ってあります?」
「唐突だな。困り事だらけだが、何より困っているのはラウネ湖の毒水だ」
「えっ?」
「二人死んだ。話すより実物を見る方が早い」
顎をしゃくったジェリドさんが、ラウネ湖へ向けて歩き出した。
ラウネ湖は村側の湖岸が急激に落ち込む深場になっていて、頑張って掘ったのだろう用水路沿いには、水車小屋が幾つも建てられている。
用途は小麦を挽いたり、水を汲み上げたり。
村の対岸も同じだけど比較的に浅く、一画に湖岸が崩れた砂地があるそうだ。
その砂地で、大きな毒カエルが大繁殖していると。
「あれだ」
「え……あの緑色の塊が全部カエルですか?」
「そうだ。水を一度沸かせば毒は消えるんだが、そんなことをしては二月と経たず薪がなくなって冬を越せない」
爺ちゃんが、薪ストーブに薪をくべながら言ってたっけ。
伐った生木を薪として使えるのは、半年くらい乾燥させた後だって。
それも冬に伐採した針葉樹が半年くらいで、広葉樹は一年以上かかるとか。
「この辺はもうすぐ冬ですか?」
「当たり前だろ? 自分がどの辺にいるか判ってないのか?」
「初めて来たし地図もないから知りません」
「まさかお前、姉と二人で大山脈を越えて来たのか?」
ああそういう? あの長い山脈には山道とかないんだな。
「そんな感じです。大変でした(と言っておく)」
「…呆れたヤツだ。普通は死ぬぞ(悪人ではないが嘘をつく事情はあるのか)」
ですよねー。遠からず色んな辻褄が合わなくなりそう。
それに、今ここでアレコレ考えてもカエル対策の答えは出ないだろう。
情報だけ集めて速水さんと相談すべきだ。
「ジェリドさん、毒水は少しでも飲むと死ぬんですか?」
「いや、コップ半分くらいで痙攣を起こす。一杯飲むと酷い痙攣を起こして息が出来なくなる。効きが早いから死人は二人で済んだが…」
即効性でも毒性はそこまで強くない。痙攣と呼吸困難ってことは神経毒か?
いかんいかん、素人が下手に考えるととんでもないことになりそうだ。
「姉と相談してきます。今日は戻って来ないかもしれません。もしかすると、戻るのは明々後日になるかもしれません」
「どうにか出来そうなのか?」
「分かりません。けど、最善を尽くして解決したいと思ってます」
「…そうか、分かった。義父殿には俺から伝えておく」
頷きを返し、洞穴へ向けて駆け出す。十分くらい走った頃に、改めて自分の体力や心肺機能が人間離れしていると確信した。
(お稲荷さんに会って尋ねたいな)
結構な上り傾斜を三十分くらいで走破し、石碑の前で柏手を打つ。
するとそこは、淡い金色に満たされた空間で…
「お稲荷さん」
純白の九尾が静かに佇んでいた。