01:真摯な願いで世界を越える
また手配ミスをやらかしてしまった…
「前回は数量を間違え、今回は型番の間違えか。前々回は何だった」
「納品先拠点を間違えました…」
どうして俺はこう駄目なんだろう…
自分で自分が嫌になる…
「村上、次はないと言ったことを憶えてるか?」
「はい、憶えています」
「外回りがないなら私物を纏めて今日は帰れ。ひと昔前なら懲戒処分だ」
「はい、本当に申し訳ありませんでした…」
入社から半年も経たずに異動か。
オリエンとOJTが一ヵ月間だったから、実質は四ヵ月。
最初は調子良かったのに…
懲戒処分じゃないだけ感謝しないといけない。
デスクの引き出しを開けて、印鑑を手に取りバッグに入れる。
私物が印鑑だけというのも何だか虚しい。
周りには嘲笑を浮かべる先輩たちの顔が並んでいて、すごく気まずい。
「お先に失礼します…」
「まだ九時なんだけど(笑)」
「俺も有り得ない凡ミスして早く帰ろうかな?(笑)」
「社史編纂室に異動したいならいいんじゃないか?(笑)」
「嫌ですよ、ジョークですって(笑)」
「編纂室って地下にあるんですよね? 暗そう(笑)」
そんな先輩たちの声を背中で聞きながらエレベーターホールへ向かっていると、後ろから足早なヒールの音が聞こえてきた。
(朝イチのアポで出かける時間だもんな)
エレベーターホールにも外出する人たちが大勢いる。
帰るだけの俺に急ぐ理由なんてありはしない。
二基をやり過ごして三基目に乗り振り向くと、憧れの先輩がどこか不機嫌な様子で乗り込んで来た。
速水さん、速水愛琉さん。
俺と三つしか違わないのに、産機三課で係長を務める営業部の華。
「お疲れ様です、速水さん…」
「村上くんもお疲れ様」
肉体的には全く疲れてないから返事のしようがない。
エレベーターを降りて、急ぐ皆さんの邪魔にならないよう壁際に避ける。
地下鉄の階段は正面エントランスの真ん前にあるけど、どうにも真っ直ぐ帰る気になれない。
(そうだ、お稲荷さんにお参りしよう)
駅の反対方向には、オフィスビルに挟まれて建つ稲荷神社がある。
敷地が三坪もない小さなお社だけど、幹線道路から離れていて静かだ。
行き先を決めて社員通用口へ向かっていると、後ろからゆっくりとしたヒールの音が聞こえてくる。
ピッ
社員証をセキュリティボードに当てながら守衛さんに会釈を送り、自動ドアを抜けて歩を進める。
「村上くん、どこへ行くの? 駅は逆方向じゃなかったかしら?」
「は、速水さん……えっと、その、お稲荷さんにお参りしようかと…」
「この辺にお稲荷さんがあるの?」
「十分もかからないくらいの場所に、小さいけど閑静なお社がありましゅ」
噛んだ! ヤダ恥ずかしい!
「んふっ、ごめんね、笑っちゃった。私も一緒していいかな? お参り」
ちょっと意味が分からないけど……断る理由は何もない。
「もちろんです。ご案内します」
「ありがと♪」
(か、可愛い。沈んでた気持ちが浮き上がってくるみたいだ)
何を話すでもなくお稲荷さんへ行き、小ぢんまりとした境内で柏手を打ち瞼を閉じた。
(神様お久しぶりです、村上ひなたです。また手配ミスをしてしまい異動になります。またいつか役に立てるよう頑張りますので、どうか見守ってください)
瞼を開いて顔を上げると、視界の端に映る速水さんは俺を見ていた。
「何をお祈りしたか聞いていい?」
「お祈りというか、報告をしました。また役に立てるよう頑張りますと」
優しく微笑む速水さんは本当に綺麗だ。
男性社員の憧れの的で、速水さんに会いたいから来社するお客様もいるとか。
そんな速水さんの顔から…笑顔が消えた。
「ねえ村上くん、この二ヵ月で三回もミスした原因に気づいてる?」
(三課でも噂になってるのか…隣のシマなんだから当然だよな)
「ダブルチェックを怠ったからです」
「なぜ怠ったの?」
「それは…」
「業務量が激増したからでしょう? 定時退社なんて不可能な量よね?」
言い訳になってしまうけど、否定できない事実だ。
二ヵ月前から急に増えた。初見の帳票ばかりが異常なくらいに。
「故意よ。独りでは到底捌けない量を、村上くんは押し付けられてる」
「え…?」
「今から三ヵ月前。言い換えれば、村上くんのOJTが終わった翌月の第三週、自分が何をしたか憶えてるでしょう?」
もちろん憶えてる。この会社に就職できて良かったと、遣り甲斐のある仕事に巡り合えて嬉しいと、心の底から思えた出来事。死ぬまで忘れられない。
「初めて新規の大口顧客を獲得しました」
「受注額は?」
「十八億七五〇〇万円でした」
「粗利率は?」
「三十八.七三パーセン…ト……あ、まさか…」
速水さんがゆっくりと頷いた。
「キャリア二ヵ月目の村上くんは、ベテランでも難しい仕事をやってのけた。
私は一年目に七億近い新規を獲得したの。
二年目には十億超を受注したわ。
私が主任を飛び越えて係長に昇進できた理由よ。
もし村上くんが来年も一定額以上の受注を取ったら、部長は私という前例に倣って、私以上の実績を作った村上くんを二年以内に係長へ昇進させる。
キミの周りに座ってる先輩たちはそれを阻止するために、子供染みた真似を上手にやっているの。部長に知られないよう、とても上手に」
なにそれ……なんだよそれ。
俺にどうしろって言うんだよ。
部長にチクれって?
ふざけんな! 会社は小学校じゃないだろ!
俺は…俺は! 精一杯頑張って役に立ちたいだけなんだ!
『汝の真摯なる願い、この九尾が聞き届けて進ぜようぞ。コーーーン!』
「「えっ?」」
声が聞こえたお社へ目を向けると、お社の輪郭に金色の光が走り始めた。
光はあっという間もなく境内の端を走り、鳥居の輪郭まで金色に染めた。
瞬間――。
「え゛…」
「うそ…」
淡い金色に染め上げられた空間。
狭いのか広いのか判然とせず、少し離れたところに大きな大きな純白の狐がいる。
前脚をピンと伸ばして座っている狐には長い尻尾が九つあって、渦巻のように円を描いている。額には第三の目が…閉じてるけど。えーと、お稲荷さん?
『村上ひなた、二月ぶりであるな』
「は、はい、ご無沙汰してました?」
「村上くんって、お稲荷様とお知り合いなのね」
そんな訳ないでしょ…っていうか、速水さん何気に余裕ですか?
『速水愛琉よ』
「ひゃい!」
「ぷっ」
「村上くん?」
「ごめんなさい…」
美人が睨むと怖いんですね。余裕もなかったようで。
『汝も村上ひなたと共に参るか?』
「どこ…いいえ、彼と共に行かせてください!」
『相分かった。されば汝らに幾許かの加護と神通力の種を授けよう』
九つある狐の長い尻尾が更に伸びて、俺と速水さんの体を包み込んだ。
ふかふかして気持ちいいなと思っていると、俺たちの体に金色の粒が浸み込むように流れ込んでいった。
『戻りたき折は碑の前で柏手を打つがよい。時に村上ひなた、いつぞやの油揚げは美味であったぞ?』
「…あっ、あれ爺ちゃんの手作りです。また作ってもらってお供えします」
『喜ばしきかな。されば願いを叶えに異界へ行くがよい。コーーーン!』
眩いばかりの金色で染まった視界に色が戻ると、俺たちは浅い洞穴に建てられた石碑の前に立っていた。