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9話:合った視線

我ながら馬鹿なことをしたなあと思う。

でも仕方ないじゃない。

気付いたら身体が動いていた後だったのだから。

でも後悔はしていない。

今のところは、まだ。


「…今のところは、だけどね」


見事竜の背にクリーンヒットしたコンクリートの破片が地面に落ちてかつんと音を立てた。

ゆっくりと首だけを捻って竜がこちらを向く。

ぎらぎらとした輝きを放つ黄金が私を認識した、途端だった。

今までとは比べものにならないくらいの恐怖と威圧感が身体を襲う。

肋骨が軋む。額からは汗が噴き出して膝が笑い、思考が一気に全て吹き飛んだ。

後悔よりも先に死を覚悟した。

殺されるんだろうと確証もなく思った。

竜は私をただ見ているだけでなにもしない。それが余計に恐怖を駆り立てた。


「…っ、いいこだから」


喋る、という動作にここまで労力を費やしたのは初めてかもしれない。今後はそんな経験したくないなと場違いに思いながらカラカラに乾いてしまったくちびるを舐めた。


「…いいこだから、自分の居場所に帰りなさい。あなたのいるべき所は、ここじゃないでしょう?」


心臓が暴れる。手足は尋常じゃなく震えるし、汗は滝のように身体中を流れるし、やっとの思いで絞り出した声は掠れている。

本当はみっともなくともいいからこの場から叫んで走って逃げ出したい。

けれどこの竜に背を見せれば、瞬く間に殺されるぞと本能が告げる。

私をここに留めているのは微かな意地と理性と、本能だった。


「………、…」


単語ひとつを口から発するのが苦痛で仕方ない。

思考は相変わらず飛んでいったままで、自分でもなにを言いたいのか今なにを言っているのかわからない状態だ。

それでも、それでも私は口を開かなければ、と思った。


「あなたが探している相手は、きっとここには、いないから。ここにあなたがいても、あなたを含めていい、思いをする人はいないと思わない?…だから、お願い。あなたのためにも、私たちのためにも、あなたはあなたの居場所へ帰るべき、…でしょう?」


恐怖で息が続かないため大分途切れ途切れな話し方になってしまうが、私の言葉は目の前にいる竜に伝わっているのだろうか。思考回路が正常に働かない今、文法や常識を気にする余裕などない。きっと色んなところが可笑しいだろう。

伝わっているのかいないのか、竜は首を捻って顔だけをこちらに向けたままだ。

なにも、しない。

燃える金の双眸は、未だに狂気を孕んだまま。

人間の分際でなにを偉そうにとでも思っているのか、それとも考えてすらないのか。

どちらにせよ私が危険な現状は変わらない。


「……お願い」


訴えるしかなかった。

ひ弱な人間の私なんかいくら重症を負っているとしても、異種族(フリーク)の頂点に君臨する竜に力で叶うはずがない。

とにかく訴えるしかなかった。

あなたにも私たちもここで争っていいことなどないのだと、それを伝えるしかなかった。


「…帰ろう、よ」


あの少年はどうしたんだろう。

蒼白な顔をして動けなかった少年を思い出す。

確かめたかったが、今、竜から目を離すわけにはいかない。

…どうにか逃げられたといいんだけど。

竜は、まだなんのアクションも起こさない。

ただ黙って、なにをすることもなく、視界に私を収めている。


「っ、お……願いだから…っ」


そろそろ限界かもしれない。

手先と足先に血液が巡っていないのか感覚がなくなってきた。

息がし辛くて、頭の芯がぼんやりとする。

竜の瞳はそれ自体が本物の凶器なのだと授業で習ったことがあった気がした。

なにがどうして凶器なのか、この状況下だからなのかもしれないけれど、残念ながら忘れてしまった。

でも身を以って体験した。そんな体験御免被りたかったが、成り行き上仕方なく。

間違いない、あれは凶器だ。あの眼に捉えられたが最後、自分が今死ぬことは決定事項なのだと悟って、その通り死んで逝くのだろう。

頭の中心がくらくらとする。

視界がじんわりと滲んで、滲んだその世界で竜が動くのが見えた。


「《竜騎士(ドラゴンライダー)》だ!!」


ああもう確実に死ぬんだと私が覚悟を決めたのと、誰かが背後で叫ぶのは同時だったと思う。

その巨体を私向きで正面に正していた竜が空中に視線を走らせる。それにつられて私も竜と同じように視線を空へと持って行こうとしたが、それは叶わなかった。


「わっ……」


がくん、と突然膝が折れて私は情けなく地べたにへたり込んでしまった。

竜騎士(ドラゴンライダー)》。

どうやらその言葉を聞いて緊張の糸が切れたらしい。

助かるのかもしれないと一抹の希望が今更心中に湧き上がる。

足腰に力は入らないけれど、身体の震えはそれだけで大分おさまっていた。

…相変わらず現金な私。

やっと大きく息を吐いて空に目をやる。

電網が僅かにちらついて見える空を背景に、小さな点が二つ見えた。

…ドラゴンライダーだ。

本当によかったと胸を撫で下ろして、それからはっとした。

極度の安心感から忘れていたが、そういえば私はまだ竜の眼前にいるのだった。

なんたる失態。慌てて視線を前に戻そうとすると、なにか大きなものが動く気配と強風。

強い風に目を細めながらも風の発生場所に目を向けると、血飛沫を上げながら翼を動かし、その巨体を空へと持ち上げようとしている竜の姿があった。ばさばさというより轟々という羽ばたきの音が鼓膜に叩き付けられる。破れて傷付いた翼でもあの程度ならまだ飛べるらしい。…余談過ぎるが、竜本体のあの巨体を蝙蝠のような薄い皮膜で出来ただけの翼でどう持ち上げ、しかも空の王者と称されるほど縦横無尽に天を駆け巡るのかは人類にとっての永遠の謎だ。

竜はドラゴンライダーとの衝突を避けるためにこの場を去るつもりらしい。

自分の状況と状態を考えて撤退を判断出来るのならもう大丈夫だろう。

なにがどう大丈夫で私はなんのつもりで竜の心配をしているのか意味不明だったが、とりあえず安心した。

羽ばたきの音の間隔が段々と狭くなって巻き起こる風も強くなる。

強風に煽られる私には目もくれず、竜はそのまま空高く飛び立たつ…のかと思いきや、地面から2~3メートル離れたところで突然の空中停止。

空中停止、というかホバリングだ。器用に翼を一定の速度で上下させてその場に留まっている。


「え、ちょっ…」


空中停止(ホバリング)したままの竜は、あろうことか私を見下ろしていた。

今ここに急行しようとしているおおよそ竜にとって脅威になるだろうドラゴンライダーでも、私たちを囲むようにして周囲にいる見物人や野次馬でもなく、竜は私を見下ろしている。

頬が引き攣るのがわかった。偉そうに帰れ帰れと指図した人間の小娘だけは腹が立つから仕留めて行こう、とか考えているのだろうか。

私のばか!なんであんな偉そうなこと言ったんだ!

今更悔いても意味がないが、どうすればいいかわからないこの状況でそれは酷というものだと、誰に文句を言うわけでもなく心の奥底で呟いた。


「っ………」


目が、合ってしまった。

私のことを凝視している竜と竜を見上げている私の視線が合うのは必然だ。

けれどあの瞳を見たらお終いだとさっきの経験で身に沁みていたから合わせないようにしていたのだが、そうそう自分にとって脅威となる存在から意図的に視線を外せるものではない。つまり私の努力は無意味で下らなかったというわけだ。

防衛本能で恐怖に身を固くした私が竜の瞳に映り込む。

けれど私のことを見詰めるその瞳は先ほどとは打って変わって知性も理性も宿していなかったあの燃える黄金の凶器ではなく、今は水面に映りこんだ淡い月のように思慮深く凪いでいた。

恐怖はあった、どうしようという気持ちもあった。でも不思議と身体は震えなかった。

私と視線を合わせたまま竜は瞬きを数回繰り返す。目の前のフリークがなにをしたいのかまったくわからなくて困惑と恐怖に私も瞬きをするしかない。

なにも出来ないままのその時間は永遠にも感じられたが、長くて約4、5秒だっただろう。

安心感から緩みきっていていた思考に喝を入れてどうしようと解決策を考えていた間に竜は唐突にふいと私から視線を外し、さっきまであんなに凝視していたとは思えないほどあっさりと私を無視して今度こそ力強く翼で空気を叩きながら空高くに舞い上がって行った。

……なんだったんだ…。

竜の姿が雲間に見えなくなった途端、身体中から力という力が抜けて地面に座っているにも関わらず自分で自分の身体が支えられなくなった。ゆらりと身体が右に傾く。そのまま大した受け身も取れずに私の右半身は地面に突撃した。

…結構いたい。

打ち付けられた衝撃で瞼を閉じると、辺りが急に騒がしくなった。

もしかしたら私が緊張で気付かなかっただけでもとから騒がしかったのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。

真っ暗で薄れていく意識の中でそんな下らないことを考えた。

今日はとても疲れた。昨日の事件があってからロクに寝てないし食べてもないし暗い考え事ばかりしていたものだから、身体に疲労が溜まっていたのかもしれない。

だから、少しだけ。少しでいいから休ませてね。

気になることはたくさんあるが、瞼を持ち上げるどころか意識を保つのも難しい。

竜の輝く瞳が脳裏を横切る。

後悔はしなかった。どうしようもなく怖かったし、これでよかったのだと胸を張れるかと聞かれれば即座に是とは答えられないけれど、それでも後悔はしていなかった。

さっきも、今も。

人が走り回る足音の振動が地面に接している右頬から伝わってくる。

しかしそれも段々と曖昧になって、なにも感じなくなる。

ゆらゆらと揺らいで消えていく意識の最後、「よくやった」と誰かが私の耳元で囁いた。





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