7話:おもい
「……レリア」
気遣うように後ろからかけられた友人の声に振り向かないまま「なに」と味気なく返事を返した。
その私の返事の素っ気なさに友人が一瞬、先を続けるのを躊躇うのが気配でわかったが、謝る気力も言い直すつもりもない。
私のことを心配してくれている友人に八つ当たりをするのは筋違いだと頭では理解しているのに、荒む感情を上手くコントロール出来なくて、それがまた余計に心が荒れる原因になる。自分の不甲斐無さにイライラしつつも、声をかけたまま何も言わなくなった友人に意識を向けた。
あまりにも冷たすぎる私の物言いに立ち去るのかと思ったが、動く気配はない。
どうやら優しい彼女は八つ当たりをされてもなお、この場から離れようとしないで、その上私のことを傷付けないように刺激しないようにと言葉を選んでいるようだった。
その優しさが今の私には痛い。
「…元気出して、なんて無責任かもしれないけど、でも、レリアがそんなんだとアデラが浮かばれないよ」
「……わかってるよ」
友人のその言葉が耳に刺さった。
クラスメイトたちの突然の訃報に落ち込んでいるのは私だけじゃなくて今後ろにいる友人や他の生徒たちも同様に沈んでいるというのに、私は一体なにをしてるんだろう。
他の生徒たちは悲しんではいるが私みたいにひとりで拗ねて周りに八つ当たりなんかしていないのに。私だけがただ子供みたいに現実を受け入れようとしないで、あまつさえ周りに当たり散らすだなんて、考えるまでもなく最低だった。
「……レリア」
「だいじょうぶ。ちゃんとひとりで帰れるから」
朝からこの場所を動こうとしないでいる私を家に連れて帰ろうとする友人の好意をにべもなく跳ねのけた。
今の自分が最低だと気付きながらも態度を変えられない自身に吐き気がする。
いっそのことこんな態度しかとれない私のことなんか嫌いにでもなって見捨ててくれれば気持ちが楽になるのに、現実はつくづく甘くない。
頑なに動かないと全身で語る私の説得は諦めたのか友人は「……家に着いたらメールしてね」と言い残して去って行った。
「……………………」
そういう友達思いで甲斐甲斐しいところが彼女に似ているから、優しくされるたびに苦しくなるのだ。だから私は今の友人に八つ当たりばかりしたのかもしれない。
思い出したくないことを、思い出すから。
本当にいっそのこと、誰からも嫌われたいと思った。
大切な親友すら助けられなかった私に、優しくされる資格がないとか、そんなことしか考えていない私なんか。
学院長に連れられて施設を後にした私は精神的な疲労からなのかショックからなのか、見る見るうちに力が抜けてその場にへたり込み、そのうち目の前が真っ暗になって身体が傾くのを感じて、気が付いたら自室にいた。
どうやら施設を後にしてすぐ私は気絶をしてしまったらしく、担任が自宅まで送ってくれたのだと母が言っていた。
次の日、学校に行ってみると全校集会なるものが開かれて、昨日の惨劇の詳細が語られた。
異種族を収容している頑丈な建物が突然爆発した理由は、残念ながらよくわかっていないらしい。なにしろ施設はほぼ全焼。おそらく生徒とフリークが衝突したことが原因だというのが最有力の候補らしいが、とにかく証拠がなにもないのでやはり詳細は定かではない。
一番重要な生存者は、内部で飼育されていた異種族はもちろんのこと、中にいた生徒と引率の先生たちの誰ひとりとして確認されなかったという。
こういう言い方は不謹慎かもしれないが、それでも被害が最小限で済んでよかったと学院長が話を締め括って全校集会は終了した。
生徒25人、教員4人という犠牲者を出して、私たちの進級テストは幕を閉じたのだった。
後味の悪さとこれからの不安と、それから友人や知人を亡くした虚無感を残して。
全校集会が終わった後はあんなことがあったばかりだという理由で生徒はみんな帰された。
明日からは通常通りの学園生活に戻るらしいが、私にとってはそんなことどうでもいいことだった。全校生徒がほぼ帰った後でもしぶとくここに残り続けている私を先生たちが注意しにこないのは、学院長の計らいか、それともただの偶然か。あの立派だった施設は見る影もなくボロボロで、原型がわからないくらい無残な姿のまま私の前に佇んでいる。今日の夕飯はなんだろう。明日の予習をしなくては、とそこまで考えて、さっきまで自分が思考していたことと違うと気付いた。先ほどまで明日のことなどどうでもいいと思っていたのに、今はもう明日の、しかも授業の心配をしている。
「……………なんだ、それ」
現実逃避もいいところだ。
自分自身を持てていない。明日に思いを馳せることで、現実から目を逸らそうとしているのが丸わかりだった。
支離滅裂なことしか脳内には浮かんでこなくて、なのに全部に意味なんかなくて、しかも全て話が繋がらないようなことばかり。でも、ほとんどが必要なことだった。
今を生きる私にとって、明日のことを考えるのは必要なことだ。
生きている、私にとっては。
「…………アデラ」
私は生きているのに彼女がいないのがとても不思議だった。
いくら名前を呼んでも彼女は答えてくれない。
わかっている。誰に言われるまでもなく、理解している。
けれど、不思議だった。
私がいるのにアデラがいない。その事実が可笑しいと思えた。
なんでいないのだろう。私がいるのに彼女がいない。
どうして。
「…………私が、助けられなかったから」
自問するまでもない。答えは私自身である。
私がここに無事でいることが答え。
昨日からこんなことばかり考えている。
あの時本当に学院長に連れられて外に出たのは正解だったのかと、あの時の私のあの行動は間違っていなかったのかと、そんなことばかり。
アデラがいない。
それは、私だけのせいではないにしても、私が苦しむには十分な事実だった。
助けてあげられなかった、だなんておこがましいことは言えないが、私は私が許せない。
あの状況じゃ仕方ない、助けに行こうとしただけでも私はアデラのことを想っていたのだと、自分に言い訳をしている自分が。
だってそうじゃん。あの状況でもし私がアデラの元に辿り着いたとしても、私の倍以上も力と知識があるアデラが自力で助からなかったんだから、私が行ったってねえ。
頭の片隅でもうひとりの《私》がそう囁く。
でも、果たして本当にそうだったのだろうか。
2人でなら助かったかもしれないのに?
可能性はゼロじゃなかったはずだ。
もし私がアデラの元に辿り着いたとして、私とアデラが力を合わせていたら、助かったかもしれない。
限りなくゼロに近い可能性だったかもしれないけど、ゼロじゃなかったはずだ。
結局、私は我が身可愛さに逃げ出しただけだった。
アデラを助けたかった気持ちに嘘偽りはない。
それは誰になんと言われようと胸を張って言える。
でも、それだけだ。
助けたかった気持ちだけ。
私は彼女を、助けられなかった。
「………………」
お腹の底がぐつぐつと煮え立つような思いが湧き上がる。
それがなんの感情なのか私にはわからなかったが、綺麗な感情じゃないのは確かだった。
目の前で凄惨な火事の痕を残す施設が段々とオレンジ色に染まっていく。
視線を空に移すと、雲ひとつなかった青い夏空は鮮やか過ぎる橙に色を変えていた。
「………………帰ろ」
口に出さなければ私は延々とこの場を離れないような気がした。
帰ろう。
確かめるようにもう一度呟いて重い足を引き摺った。
アデラがいなくとも、私の日常は私を無視して進んで行くのだから。