6話:我が身と友の身
「避難して!」
「さあ早く!」
怒鳴りつけるように叫ぶ先生たちの声を聞きながら、私はなにも出来ずにその場にただ呆然と立ち尽くしていた。
もうもうとドームに開いた穴から立ち上る煙は灰色を通り越して黒になりつつある。
まさかこんな事態になるとは誰も思っていなかっただろう。
やはり私たちは《支配者》という職業を甘く見ていたのかもしれない。
「レリア!なにやってんの!?あたしたちも避難するよ!」
「え?……あ…」
立ち上る煙からはなせなかった視線が友人の声で逸らされる。
声がした方を向くと早くと手招きをしている友人と目が合った。
「ここも危ないから早く出ないと!」
「あ」
なにやってんのよもう早くしなさい!と怒る友人に言われてやっと気付いた。
私はなにをぐずぐずしていたんだ。
がらがらと音を立てて除除に崩れていく訓練施設と横隣に面しているこの待機所にいたら危険だなんて火を見るより明らかなのに。
ぼさっ、としていた私を待っていてくれた彼女に申し訳ない気持ちになりながら私はやっと出口へと走り出す。
「ごめんっ!」
「ホントに危なっかしいよねレリアって!」
真剣に謝る私に友人は笑ってくれた。
しかしその表情も一瞬で厳しいものに変わる。
「中の人たち、大丈夫かな…」
追い付いた私と共に走り出した彼女は心配そうに後ろを振り返る。
私もそれに倣って振り返ると、丁度、施設の窓硝子が地面に落ちるところが見えた。
「っ!」
スローモーションで落ちていくように見える窓硝子の動きに思わず息を呑む。
地面に吸い寄せられるようにして叩きつけられた硝子はがしゃああん、と大きな音を立てて盛大に砕け散った。
その様を見て、友人の問いかけに言おうとしていた大丈夫だよという言葉は喉の奥で消えた。
…大丈夫なわけ、ない。
あんなに煙が出てるのだ。中はきっと激しく燃えてるに違いない。
異種族が逃げ出さないように特別頑丈に造られている訓練施設の建物が、あんなにボロボロと壊れていってるのに、簡単に大丈夫だなんて言えるわけない。
「だい、…じょうぶだよ」
それでも自分自身に言い聞かせるかのように、無意識に私の口からは便利な言葉が滑り落ちていた。
大丈夫。きっとみんな助かるはずだ。
違う言い方をすると、そう信じていないと、どうにかなってしまいそうだった。
「…そうだよね」
本格的に全力で走るために前を向いた友人が私の言葉に頷いた。
彼女もそう信じないといられないのかもしれない。
「………」
「………」
互いに無言になったまま、とにかく出口を目指す。
がらがらと背後から聞こえるドームが壊れて行く音の間隔が、段々と狭くなっていた。
「…………」
真剣に前だけを見て走らないといけないのはわかっているが、背後から追いかけてくるように聞こえるその音に、どうしても取り残されただろう同級生たちのことが気になってしまう。
後ろを振り向きそうになっては慌てて前に向き直ることを走りながら続けていた私を見兼ねてか、無言だった友人が私の顔を窺いながら口を開いた。
「レリア、アデラのことが心配なのはわかるけど、あたしたちが行ってもなにもできないし、先生たちに任せるしか…」
アデラ。
友人の言葉に私は目を見開く。
そうだ、なんで忘れてたんだろう。
彼女はまだ、あの建物の中にいる。
「レリア!?」
気付いた時には足が勝手に動き出していた。
待機所から我先にと出て行く生徒たちの波に逆らって、今まで走ってきた道を戻って施設を目指す。
驚いて私の名を呼ぶ友人や止まれと叫ぶ先生の声を振り切るように全力疾走で施設の中に入った。
「アデラ…!」
入口周辺はまだ煙が蔓延していないようで建物の内部を遠くまで見渡すことができた。
しかしアデラの姿は疎か、他の生徒の姿も見えない。
もっと奥にいるのか。
すぐに奥へと走り出そうとしたが、この広過ぎる施設内を今のこの状況で走り回って探すことは不可能に近いと思い直す。
取り敢えず、どこがどんな所なんだか確認するべきだと思い、確か入口付近には案内板があったはずだと周りを見渡すと、先ほどの大きな爆発の風に巻き込まれたのか見るも無残なボロボロの状態の案内板が地面に横たわっていた。
こんなの読める状態じゃない。
一瞬にして頭の中が白くなった。
危険を伴うルーラーという職業を目指すにあたってこういう状況にぶち当たった場合、どんな行動をとればいいか授業で散々教えられたはずだが、都合良くその授業の教え通りに身体は動いてくれない。
第一、頭の中が真白になって思考するどころじゃない。
どうすればいい、どうすれば、アデラを見付けられる?
真白になる頭で、それでもとなけなしの理性で懸命に打開策を考えようとするが、いい案が浮かぶどころか更に頭の中が白く塗り潰されていくだけで、なにも考えられなくなる。
「シュープリー!」
空になっていく私の脳内を揺らす厳しい先生の声が背後から聞こえた。
避難するどころか自ら危険な場所に入って行った生徒を連れ戻しにきたのだろう。
ばたばたと遠くで走り回る足音に、身の危険ではない危機感が芽生えた。
こんな入口付近でうろうろしていたら捕まってしまう。
とにかくここから離れないと。
しかしどこを目指せばいいのかわからない。
それでも早くここから動かないと、連れ戻される。
そのことがまた、私の気持ちを焦らせる。
どうしようどうしよう、頭の中はこの5文字でいっぱいだ。
取り敢えずどこかに走りだしてこの難を逃れてもいいのだが、見当違いな方向に向かったらアデラを助けるどころか犬死してジ・エンドなのは目に見えていた。
「…あれ……?」
自分で考えた最悪な考えに、今更になって己がどれだけ危ないことをしているのか認識した途端、脚に力が入らなくなった。
脚が震えて膝が笑う。
…このままじゃ、私も死ぬかもしれない。
その事実に頭が混乱する。
今、私は立っているのか座っているのかも、わからなくなった。
だって地面を踏み締めている感覚がない。
煙が段々と奥の方から私が佇む出入り口に忍び寄ってくる。
その灰色の影に赤い炎がちらちらと見え隠れしているのも見えた。
「シュープリー!」
背後からは先生の声。
「返事をしなさいシュープリー!」
さっき聞こえた時より声が近くなっていたが、どうやら蔓延してきた煙で私の姿が確認できないみたいで、正確な居場所までは把握できていないみたいだった。
「あ………」
ここにいます、と叫びたかったが、喉が震えて声が出ない。
それに居場所を伝えてしまったらアデラを助けに行けなくなってしまう。
それじゃあ本末転倒だ。
……助けに行けなくなる?
自分が思ったことにはっとした。
助けに行けなくなるだって?
こんな状態で、まだ助けに行こうとしてる?
こんなに、脚どころか身体中が震えて声すらでないのに?
…無理だ、無理。
だって怖い。
身体が動かない。
すぐそこまで炎と煙が迫っていて、奥に進める状況でもない。
それに、この状態で行ったて、私はなんの役にも立たないんじゃないか。
このままじゃ私まで死んでしまう。
――嫌だ。私はまだ、死にたくない。
でも、でもじゃあ私が諦めたらアデラはどうなるの?
先生たちが、助けてくれる?
「シュープリー!!」
「な……」
突然耳元で名前を呼ばれて我に返った直後、凄い力で二の腕を掴まれた。
「いった…!」
思わずその手を振り払おうとして後ろを振り向くと、そこには厳しい顔をした学院長がいた。
もう、追いつかれた…?
突然の出来事に私は掴まれていた腕を振り払おうとしていた動きを止める。
「…………」
「学院長……?」
厳しい顔でなにも言わない学院長に恐る恐るそう問いかけると、ぎりぎりと腕に学院長の指が食い込んだ。
「がく、いんちょ…」
「っあなたは!自分が今やっていることがどれほど危険なことなのか理解して行動しているんですか!?《支配者》になるのを夢見ているのなら冷静さとなにごとにも揺るがない精神を持ちなさいとあれほど……!!」
余りの強さに眉を顰めていたい、と続けようとした言葉は学院長の怒声に巻き込まれて消えた。
声を震わせて最後まで言い切れずに押し黙ってしまった学院長は、自分を落ち着かせるように一度大きく息を吐く。
それから唖然としている私の目を見て、戻りましょう、と言った。
「え……?」
学院長が言った言葉が、頭の中でぐるりと回る。
理解できないわけじゃないのに、耳から入った言葉が消化できないでいて。
「…戻りましょう、シュープリー。ここも時期に火の手が回る」
「いっ、いやです!だってアデラが…!」
「シュープリー!!」
この期に及んで、動きもしない身体で、本気で心配してくれている学院長の想いを裏切ってまでアデラの元に行くと言い張る自分に吐き気がした。
だって、わかっていた。
本当は、始めからわかっていた。
きっと今から助けに行っても、間に合わないってことくらい。
先生たちが中の生徒を助けに行かず、外の生徒を避難させてることも、きっともう無理だと、助けられる生徒を優先させているのだと、わかっていた。
だってこんなに燃え盛る建物の中に少なくとも25人はいるはずなのに、悲鳴ひとつ聞こえない。
聞こえるのは建物が崩れていく音と、フリークたちのけたたましい鳴き声だけだ。
ヒトの気配がない。
掴まれている腕が酷く痛んだ。
「…シュープリー」
学院長が聞きわけのない子供を諭すように私の顔を覗き込む。
早く行こうと瞳で語られている気がした。
わかっている。
理解は出来るけど、諦めたくない。
助けに行かなきゃ。
きっとアデラは私以上に怖い思いをしているはずだ。
私が今、感じている恐怖なんかとは比べものにならないくらい。
怖かろうとなんだろうと、私は。
「…行きましょう」
掴んだ腕を緩く引っ張られて、助けたいと思う自分の意思とは裏腹に、私は学院長の後をのたのたと歩き出した。
出口に近付くにつれて、現金な私の身体の震えは段々と治まっていく。
助けなきゃ。
そう思っているのに、足は意思を裏切って前へ前へと進んで行く。
「…………」
諦めたわけじゃない。
きっとこれが最善な方法なのだと自分自身に言い訳をして、硝子が落ちる音とものが燃える臭いを背に私は学院長に連れられて訓練施設を後にした。