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28話:陽日の影

「次、20(ニイマル)、98(キュウハチ)、41(ヨンイチ)を旋回後、常時のルートに則って帰還して下さい」

「了解」


装着したインカムから流れる指示と大気に投影されるホログラフィーの地図に従って、手綱を操る。素直に鼻先を帰還ルートに乗せてくれたシトラスの首をぽんぽんと軽く撫でて、改めて薄い雲に覆われた前方を見据えた。遠く下方におぼろげに見える着陸地点をきちんと目で捉えて頭の中で幾度と繰り返した手順を反覆させる。

それから…はたと特に深く考えなくとも必要な順序を正しく踏めている自分に気付いて…、まだまだこれからが本番だとは思いつつもひとりで小さく笑ってしまった。

フレデリックさんに指摘されてからきちんと装着するようになった手袋のおかげで汗で手綱を取り落とすこともなくなったし、無様に転げ落ちることもほぼ皆無に等しくなった私は、はじめてシトラスに乗れたあの日を思い出してなんとなく懐かしい気分に浸る。

あの日っていっても、たぶんまだ一ヶ月も経っていないのに最近の多忙さに押されて遥か昔のことのように感じるのは、目に見えての成長のおかげなのか、それとも私の能天気さからくるものなのか。

当初はあんなに一杯一杯だったのに、今ではこうして他のことを考えながら背に乗っていられるほどになった実感を噛み締めて、びゅうと吹き荒ぶ風と後方に流れる景色に目を細め、あともう少しだと手綱を強く握り直した。




「おかえり、レリア、シトラス」

「ただいま帰りました」


バインダーを手に出迎えてくれたテムジン先生に軽く頭を下げれば、私の背後を大人しく着いて来ていたシトラスも倣うように長い首を折った。

下がってきた顔に手を乗せていいこいいこと撫で回すと、嬉しそうに金の双眸が細まる。

その様を見ていたテムジン先生が、まるで自分のことのように幸せそうな表情をしているのが横目でわかって、…なんだか途端に恥ずかしくなった。

少しだけ気まずくなってシトラスから手を遠ざければ、テムジン先生は快活に笑った。


「はじめはどうなることかと思ったけど」

「はは…すみません…」

「謝ることはない。程度の違いはあれど、新人なんかはじめはそんなものだ。今は立派に成長したのだしね」

「…そう…ですかね?」

「おや、実感がないかい?」

「いえ、……私からすると、自分で言うのもなんなんですけどそれなりに頑張ってるんじゃないかなあって思うんです。実際、結構努力してるつもりですし。でも、ここで満足しちゃいけないのはわかってるんです。私、まだ候補生もどきだし、…だから…なんていうか、あんまり褒められると調子乗って自分に甘くなりそうで…」


上手く言えないが、そういうことである。

騎乗を果たしたあの日から、私とシトラスの猛特訓は始まった。

と言っても、やることと言えばひたすら私が彼の背に跨って飛ぶことの一択である。

騎乗は大まかなもの、例えば手綱捌きなどの根本的な部分に違いはなくとも、癖やコツ、タイミングなど細やかなところが人それぞれだ。

それを互いに認識し私とシトラスの息を合わせるためにはとにかく実践あるのみ、身体にその全てを覚えさせるまでひたすら飛び、その最中で親交や意志の疎通を深めることが大部分の目的を占める。

薄暗い地下から出て、WGSFの所有する広大な緑が生い茂る土地で飛行練習を繰り返す毎日は、私に十分過ぎる程の充実感を与えた。

それはきっと、シトラスもだろう。

嬉々と雄大に翼を広げ、私の指示の元、軽やかに飛行する姿を見る限り、きっと。

…ただ、その充実感はいずれ慢心となる。確信にも似た言葉が脳内で塊となる。

もしかしたら…もうその“心”は足許まで迫っているかもしれない。

シトラスに乗れるようになったあの日から、私はWGSFの職員たちによく褒められるようになった。今まで落ちこぼれのレッテルを甘んじて受け、それでも苦汁を舐めてきた思いは拭えない自分の過去とは正に反転した勢いで称賛を受ける。

それは単純に嬉しく、誇らしく、心地よくて…だから私はそれが怖い。

褒められ慣れていないからか、それともその称賛が買い被りにでも聞こえるのか。

いつまで経っても人の期待が重荷に何処かで感じる私はもちろんいて、でも恐らくこの感情は単純にプレッシャーではない気がする。

褒められることは嬉しい。だってこんなに人に激賞されたことなんかなかった。

だから華やかな今に気取られて、ひたひたと音もなく静かに、なのに確実に近付いて来る落穴に背中を押されて呑みこまれやしないかと、そんな日がいつか必ずくるのではないかと怯えてしまう。気にしてしまう。

素直に周囲が惜しみなく与えてくれるあたたかい言葉が受け取れない自分が後ろめたくて、それでもそんな暗い気持ちは振り払えなくて。

上手く言葉では言い表せない、もやもやとした見えないものがある。

曖昧にしか自分でも認識出来ていない気持ちは言葉に出来るはずもなく、なんと言っていいものかと首をテムジン先生に傾げた。

困って眉尻を下げる私を見て、同じく先生も首を傾げる。それからなにかを思案する眼差しをした先生は、突然合点がいったようにああとひとり頷いた。

どうしたんだろう、と今度は私が先生の内心を探ろうとする。

不思議がる私に、先生は普段の少々そそっかしい性格からは想像もつかないほど落ち着いた表情で、淡く微笑んでくれた。


「レリアは、それでいいんだよ。きっとね」




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