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26話:なまえ‐壱

「…やばい」

「なにが?」

「名前…決まっちゃったんです…」


それの何が悪いんだ、と大した関心もなさげに薬品の整理に勤しむラッセ先生のクールな対応にもめげず、私は頭を抱え込んでソファに沈み込んでいた。

うん…ちょっとこれはやばいかもしれない。

悶々と抱え込んだ頭を訳もなく左右に振ってみるが、元より解決方法なんてふたつにひとつだ。これ以上どうなるはずもない。

もうどーしよ…いやいや、どうするもこうするも、そんなのは私次第であって…。いや、でもなあ、あまりにもちょっとあの名前は…どうなんだ?いいのか?

自分でもわかっているのに中々踏ん切りがつかなくて、更に悶々とする。

あーだのうーだの唸って仕事の妨害をする私を邪険にはしないが、若干疲弊はしているらしい先生が、溜め息混じりに苦言を申し立ててくる。


「まったく忙しない奴だな、お前は。ついこの間まで名前が決まらないと落ち込んでいたのに、今度は名前が決まったと落ち込むのか」

「う、…返す言葉もないんですけど…でも、なんていうか…決まった名前が問題で…」

「じゃあその名前にしなければいい。これで万事解決だろう」

「だってあの子にこれほどまでにぴったりな名前は他にない気がして!」

「ならそれにすればいい」

「いや…でも……うじうじ」

「…俺はここで医者兼カウンセラーとして働いて結構経つが、お前ほど面倒な人間は見たことがないな。もう好きなだけ悩んでろ」

「ううううー…」


見捨てられたあ、とソファに雪崩れ込む。

ばふん、と勢いよく倒れ込んだにも関わらず埃ひとつ上げない清潔感溢れる、正に医務室のソファに寝転んで、天井を見上げた。

目を閉じると閃光のような黄金が浮かびあがってくる。

名前。フレデリックさんに言われてからというもの、それでも相変わらず中々決められなかった彼の名前。色々な人にアイディアや経緯などを聞き回ったはいいものの、なにも変わらず決められず、どうしようかと悩んだ挙げ句に当事者に相談するのが一番だと気付いて早一日。そう、早一日。もう一日、されど一日、だ。

そう、彼に相談を持ち掛けてから大した時間なんて経っていないのに、今までひとりで悩んでいたのが馬鹿らしくなるほど簡単に決まってしまったのだ。

彼自身の、名前が。吃驚するほど単純に、まるではじめから用意されていたかの如く、ぽん、と決定してしまったのだ。

けれど、これは大変喜ばしいことであって、別にいま私が悩んでいることには直接関係していない。なにせ決定した瞬間は感極まって雄叫びを上げながら彼に抱き付いたほどだ。

そうではなく、その決まった名前自体が…ちょっと問題ありと…いうか。なんというか。

先ほど先生に言ったように、これほどまでに彼に似合う名前というものを私は知らず、またわからないから、個人的にはこれで良いと思っている。

それでも、なんか…邪魔をする見栄とか恥とか周囲とか、とにかく私が気にしなければそれで済むようなことを気にして私は此処でうじうじしているのだ。

…我ながらなにしてるんだか。

もうそんなのいいじゃん、と開き直る私と、でもさあ、と背中を向ける私がいる。

そんな意気地なしな私の方の背中をもの凄い勇気を出して蹴飛ばして、もう腹を決めて誰かに報告しに行くか、とソファの弾力を利用して飛び起きた矢先、先生が徐にカーテンの向こう側を顎で示した。

なんだろう、と目線をそちらに向けると、簡易ベッドが幾つか置いてある医務室の隅に行き当たった。いつもは使用者がいない限り区切りを付けているカーテンは開け放たれたままなのだが、そのうちのひとつが閉まっている。

今さら誰か休養でもとっていたのか、だったら騒がしくして悪かったなと気まずくなって先生の顔を覗き見ると、先生は私ではなく、そのひとつだけ閉められたカーテンの向こうを見ていた。

不思議に思ってもう一度視線を走らせると、件のカーテンがもぞもぞと律動しだす。


「サクラス、レリアはお前の後輩だろう。どうにかしてやれ」

「あ?」


先生の台詞と言葉尻に被さるガラの悪い、このところで聞き慣れた声に驚いた。

カーテンが波打って、履き古されたレザーのブーツに覆われた足が飛び出てくる。

予想外の人物の登場の予感にただ突っ立っていると、寝癖を携えたサクラスが白い波から出てきた。うわあ、こいつがいるところで騒いじゃった…。

もうどうしよう、と目線を逸らしつつこの場を切り抜ける言い訳を考えていると、向こうも私に気付いたらしい、いつもの如く開口一番で罵詈雑言が飛んでくる。


「なんかうるせえと思ったらお前だったのかよ、ちんちくりん」

「……………ゴメンネ」

「…んだよ、なに騒いでたんだよ」

「いや、サクラスには関係ないから。気にしないで」

「てめえ!」


こいつはほんとに二言目にはてめえだな、と言う勇気はないので心の中で嘲笑って首を振った。ふん、誰が言うもんか、と強硬姿勢で突破するために、隣にいるギスギスする空気を作り出すきっかけになったはずなのにしらっとした顔で隣に立っているラッセ先生に軽く頭を下げた。


「じゃあ先生、お邪魔しました。誰か先輩に相談してみますね」

「オレも先輩だろーが!」

「いやあ、ロヴィーナさんは同僚でもあれって言ったし」

「っ例えそうだとしても先輩であることに違いもねえだろ!話せ!」

「偉そう」

「ほんとになんだてめえは!!」


先生が返事を返してくれる前に、サクラスが噛み付いてくる。

ほんとにこいつ私より年上なのか、というほど子供じみた悪口を並べ立てて騒ぐサクラスに溜め息を吐く。


「おい、何で悩んでるんだよ。早く言えよ」


最早私を心配してのしつこさというよりも、私に断られて傷付いた自尊心からくる意地でへばりついてきているに違いない。…しかし理由はなんであれ、そもそもこいつに話そうとは思わないのだ。だから話さない。

苛々とした体で足を小刻みに踏み鳴らすサクラスに再度首を振る。


「いいから、ほんと。大丈夫」

「別にお前の心配してるんじゃねえよ」

「…だよねえ」

「は?」

「こっちのはなし」

「まあどうでもいいけど、話せよ」

「触ってないよ」

「そっちの離すじゃねえんだよ!ったく、いい加減にしろよな!せっかくオレが聞いてやるって言ってんのになにを躊躇う必要があるんだよ」

「なんでそんなに自意識過剰なの…」

「早く。あと三秒以内。はい、いーち、にー」

「…………」


どうにかして躱そうとしてもとにかく教えろと詰め寄って来るので、渋々、仕方なくさわりだけ教えることにした。それでどうにか納得させて撒くしかない…!


「…名前がさ」

「誰の」

「…私の相棒くんの名前がさ、決まったんだよ」

「…へえ、そりゃオメデトウゴザイマシタ。で?なんでその自慢話が悩みの種になってんんだよ」

「それそのものが悩みの種だったんだよ」

「あ?訳わかんねえぞ、もっとわかるように…」

「悩みの種だったの!でも、だっただから!過去形なの!もう大丈夫だから!ほんとに!じゃ、話聞いてくれてありがとね!私、フレデリックさんに報告しに行かなきゃ!」

「あ、おい!なんでそれがあんなにギャアギャア騒ぐ原因になったんだよ!てめっ、つーか隊長いま部隊会議に駆り出されてんだぞ!!」


ギャアギャア騒いだのはあんたも一緒でしょ!と正面切って言うのは止めて(また絶対突っかかって来る)、私は何故だか親切にフレデリックさんの居場所を教えてくれたサクラスに手を振りながら全速力で医務室を後にした。




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