23話:揃う時
通算38回目の転落の余韻を泣きたい気持ちで味わう私の元に訪れたのは、幸とも不幸とも取れる知らせだった。…あとは、百パーセントの痛み、かな。
「レリア、っちゃーん!!」
「ぐほぉっ!?」
大の字で地下室の冷たい床に転がっていた私のお腹の上に、躊躇いも遠慮も配慮も一切ないダイブをしたのは、隊の…いや、WGSFのマスコット的存在であるアニタだった。
何時この室内に入って来たのか、とか、何故そんな殺人的ダイブを私にかますのか、とか、言いたいこと聞きたいことは山ほどあるが、残念なことにそれどこれではない。
衝撃でくの字に折れ曲がるほど、盛大にお腹に与えられた圧迫に口から苦鳴が漏れる。
あまりにもダメージが大きくて愛らしく笑うアニタに返事をしてやる余裕もなく、彼女を腹の上から振り落として床で芋虫のような動きで悶え苦しんだ。
これは真面目に、やばい…ちょっと内臓破裂とかしそうなほどの激痛なんですけど…。
「レリアちゃん、内臓破裂したことあるの?」
「ない…です……」
「じゃあたぶん、違うんじゃないのかな。ねっ」
「…だと…、いいな…」
言葉らしき言葉も出ないほど痛みに蔑まれる私の横で、原因を作った張本人は朗らかに笑っている。その純粋たる悪意と無邪気さが一体化した笑顔を見ていると、もうなにも言えなくなった。
だって…ねっ、なんて言われちゃったらもうほら…頷くしかないじゃない…。
相変わらずの臆病者さと、自分の不甲斐無さにいつもこうして涙を呑む。
「…ぐすん」
「よしよし、いいこいいこ」
年下にまで小馬鹿にされてるってどうなの、とも思わなくはないが、いくら約十も歳が離れていようとも、彼女はれっきとした私の先輩だ。
無邪気故に度々とんでもないことを仕出かして、WGSFの人間を老若男女と困らせる彼女は、その見た目や性格からは想像し難いが、齢八にして《支配者》になった自他共に認める天才少女だ。
ちんたらちんたら、一歩進んでは二歩も三歩を後退さる私からするとなんとも羨ましい話しではあるが、噂で聞いたところによると、いつも天真爛漫な表情しか見せない彼女には、驚異的とも言えるほどの速さで今の地位を手に入れたことに理由があるのだとか。
本人に直接聞いたことはないが、まあきっと大小はあれどこの噂は現実なのだろう。
史上最年少で栄えある軍職に名を連ねることになったそんなアニタは、まだ候補生である私に対しても決して気取ることもなく光栄なことに“友人”として接してくれる。
こういった少々度が過ぎた悪戯も…まあどうにか許せる範囲だし、可愛いと思えば…思えなくもない。大丈夫、耐えられるし。
天才で、なんだかちょっと訳ありで、小さな先輩ではあるが、まだまだ遊びたい盛り、確かルーラーになってから二年経ったと言っていたから、今は十歳である彼女に懐かれているのはとても嬉しい。
暇があれば自室で一緒にゲームをしたり、バーバラさんの所へ一緒に遊びに行ったり、我が儘を聞いてあげたりと可愛い妹のようでもあり、その実、相談にもそれなりにのってくれたり(答えは期待しちゃいけない)、私が人見知りをすると知っているからか、あれやこれやと私が周りに馴染めるように仲も取り持ってくれたりもする、良い先輩でもある。
小さな手のひらで床に倒れている私の髪を撫でてくれる彼女に微笑み返して、まだ痛むけれど回復したお腹を抱えて上半身を起こした。
「ありがと。よくなったよ」
「んふふー、どういたしまして」
…ほんとに無邪気だ。ここまでくると無邪気とは悪意の中の一種類なのかとも思えてくる。
ピンクのリボンでひとつに纏められた金髪が動きに合わせて揺れるのを見つつ、アニタに首を傾げて見せた。
「で、なにか用があったのかな?」
「そだ!あのね、レリアちゃん呼んで来てー、リチャードに頼まれたの。控室にみんないるよ。早く行こ」
「控室……みんな…?」
軽やかに飛び跳ねて私の袖口をアニタが引っ張る。
待ってるから、と繰り返す彼女の小さな背を追い掛けながら、伝えられたその言葉になんだか嫌な予感がするのだけど…勘違いだろうか。…そうであってほしい。
****
第一印象は、ちょっと怖そうな人、でした。
「レリア・シュープリー、です。宜しくお願いします…」
へこん、と下げた頭をおずおずと上げる。
怖い怖いいや失礼だろ私、と心中で呟きながら相手の様子を窺うように、完全には上げきっていない頭の位置から視線を送った。
アニタに引き摺られてやってきた控室には、彼女の言葉通り第3突撃部隊の主要メンバーが揃っていた。部屋の中央に置かれているローテーブルを囲むように配置されているソファに、みな思い思いの体勢で腰掛けている。
姿勢正しいロヴィーナさんと半ば背中で腰掛けていると言っても過言ではないリチャードさん、長くない(でも私よりはたぶん長い…)足を組んで座るサクラスに、いま私と一緒にやって来たアニタと…それから見たことのない人が、ふたり。
ひとりは浅黒い肌に前髪だけが少しだけ長い黒髪をした、高身長の男の人だった。年齢は、ぱっと見では判断出来ないが、きっと20代後半辺りだと思う。瞳の色は前髪に邪魔をされて今一わかり難い、…が、たぶん灰色だろう。
全体的に暗い色を纏った彼はソファには座らず、ある人の背後で直立不動の体勢でいる。
…その、ある人、が、ちょっと問題だったのだ。
いや、別に命の危機を感じた、とか、敵意剥き出しで睨まれた、とか、そういったことをされたわけではない。そういう問題、ではなくて…なんと言うか、直感したのだ。
――…あ、この人きっと第3部隊の隊長だな、と。
問題だ。果てしない問題だ。一難去ってもないくせにまた一難だ。だって問題でしょう?まさか御帰還なさっていたとは…!心の準備とか、出来てないんですけど!
なにが問題なのか、と聞かれれば特に特記すべきことはない。
ただ敢えて、強いて言うならば、言わせて頂けるのならば…今日会うとは思わなかった、というのはもちろんだが、そうじゃなくて、なんと言うか…この人めっちゃくちゃ怖いんですけど!?
予想通り隊長さんだった男の人に挨拶をするように促され、なんの捻りもないほんとにただの挨拶だけを告げてから、失礼とはわかっていても気付かれない程度にまじまじと彼の容姿を観察してしまう。
くすんだ赤茶の髪を大雑把に後へと撫で付けた髪型に、座っているから断言は出来ないものの、すらりと高い体躯をライダースーツで包む彼は、まだ30そこそこの見た目であるのに貫禄たっぷりだった。
老けている、というわけではなく、オーラとでもいうのだろうか、取り纏う空気が凛としていて洗練されている。歳を重ねて放つ重とした威圧ではなく、躍動感溢れる瑞々しいながらも尖った、只者ではない雰囲気だ。
まあ、誉れ高き《竜騎士》であるだけではなく、たくさんのそのライダーたちやルーラーたちを纏める立場にいるのだから当然っちゃ当然なのか。それとも他とは違う雰囲気を持つ人間だからこそ、部隊長という大任を任されているのだろうか。
どちらでも良いが、霊感もへったくれもない私でも肌で感じられるほど威光あるそんなオーラをさんさんと振り撒く隊長さんは、本当に失礼な話しだが、…ぶっちゃけ怖いのだ。
だって、別に取り立ててなにをしているわけでもないのに、威圧がバリバリってどうよ?
ソファに腰掛けて、対面しているだけだというのに、野生の異種族と遭遇している時の感覚と勝るとも劣らない。
始めて学院で、小物ではあるがフリークと対峙した時と少しだけ似ている。圧迫感とかが。
いや、我等が第3部隊の隊長さんは、人間ですよね…?なんて、なんだか半信半疑ではあるが、疑ってしまうクラスである。
しかもそれをハイスピードで加速させているのが、眼だ。
彼の雰囲気にはそぐわない明るいバニラの瞳は、その色こそは名前通り甘くて温かい。
だというのに、放たれる光は甘さの欠片もない。むしろ冷たいと表現しても過言ではないはずだ。
つまり、一言で言えば、彼は眼光が鋭いのだ。頭にやたらをくっ付けてもいい。
オーラも相まって、冗談抜きで野生の獣みたいだ。…こわい。
首を竦めて、半端に身体を折った体勢のまま、これまた微妙に距離のある位置に足を組んで腰掛けている隊長を見詰める。
たぶん視線がちょっときょどってるはずだ。証拠にリチャードさんが笑いを堪えている顔をしているのが見える。…こっちは真剣だってのに!
「ま、まだまだ未熟者ですが、精一杯がんばりますので、よろしくお願いします…」
名前以外なにも告げなかった自己紹介と、この場の空気に耐えかねて、とって付けたように呟いて、頭を下げ直した。それから勢い付けて上げられずにいた上半身をばっと上げる。
改めて目の前にいる隊長さんを正面からしっかりと見詰めた。
始めてきちんと噛み合った視線に促されるように、隊長さんが口を開く。
「フレデリック・バーンズだ。後の奴はダン・ブロウズ」
名乗りを上げてから、隊長さん…改めフレデリックさんは背後にいる浅黒い高身長の彼を親指で指差す。
つられて視線を彼に移すと、前髪から見え隠れする灰色の瞳と目が合った気がして、私は軽く会釈した。彼…ダンさんもこくん、と頷くように会釈を返してくれて、その大きな身体なのに小動物みたいな仕草に張り詰めていた緊張の糸が僅かに緩んだ。
フレデリックさんも、もう少しダンさんを見習ってくれればいいのに…。もうちょっと目力緩めませんか?こめかみの血管切れちゃわない?
「隊長!!」
そんな私の失礼な心中を察したわけではないだろうが、今まで大人しくしていたサクラスが突然勢い良くソファから立ち上がった。
何事かと思い、そちらに目をやると、サクラスは器用にフレデリックさんには太陽の如く輝くばかりの眼差しを、私には地面に転がるごみくずを見るような眼差しを送って来る。
なにこいつ…。なんでこの状況で喧嘩売って来てるの?
真意の読めない不可解な行動に対してひくりと引き攣る頬を隠しもせずに、対抗してキッチンコーナーに収まる生ごみを見る目付きを返せば、サクラスは今まで以上に敵意を剥き出しにして私を睨み付けた後、フレデリックさんに視線を移した。
「こいつの竜捕獲するの、オレも手伝ったんですよ!」
と、思ったらなにやらフレデリックさんに自慢を始めた。
私のことを指差して、あーだのこーだのとフレデリックさんが不在だった時の自分の話を真剣に熱演している。
…今この瞬間この場でしなくちゃいけないこと?それ。
言葉にせずとも顔面にありありと書いてあるのがわかったのか、斜め前のソファに座っているロヴィーナさんが、私の顔を見て苦笑した。
「ごめんね。サクちゃん隊長の熱狂的ファンだからね、多分レリアちゃんに取られちゃうんじゃないかって思ったのかも。今まで第3部隊で候補生は自分だけだったけど、レリアちゃんが入ってからはレリアちゃんの方が新米だからさ、必然的に隊長が割く貴重な時間は君に注がれるはずだから、それで…うん、嫉妬してるんだろうね」
「はあ…」
こっそり小声で私にサクラスのことをフォローするロヴィーナさんは、まったくもって良い先輩だ。出来た人。ロヴィーナさんの隣で必死なサクラスを見て爆笑しているリチャードさんとは大違いである。
けれど、わざわざフォローまでしてくれたロヴィーナさんには悪いが、私だって気持ちとしたらリチャードさんと一緒なのだ。爆笑はしないけど…まあ失笑レベル。
そう言えば前にも、…二ロバニアさんと初めてこいつと会った時にも、こんな感じの状況にならなかっただろうか。
パターンで動くのか、こいつ、と一生懸命フレデリックさんの気を引くために乙女宜しく間違った方向に努力するサクラスを眺めて思った。
「よく構ってもらってるから、懐いてんだろ」
「犬みたいですね…」
「ああ、そんなに変わりないかもね」
呆れて物も言えない私に、頬杖を付いて暇そうなリチャードさんがどうでもよさそうに話し掛けてくる。
サクラスが聞いたら激怒しそうな台詞も、リチャードさんはさらりと肯定して、言葉尻に被さる欠伸を零した。知ってたけどほんと自由だこの人…アニタに至っては眠そうに目を擦るリチャードさんの膝の上で丸くなって寝てるし。
「レリアちゃん、こっちおいで」
「はい」
隊の人間の半分に違和感を覚えて、この場合私はどう動いたらいいのだろう、と模索する。
難しい表情を作る私に気付いたのか、ロヴィーナさんが明るい笑顔で手招きしてくれたことをこれ幸いと、そそくさ彼女の隣に座り込んだ。
その間も、サクラスの熱心な言葉の数々は収まることを知らなくて、聞かされているフレデリックさん本人も止めるのが面倒臭いのかサクラスには甘いのかわからないがわりと大人しく聞いているし、リチャードさんはアニタにつられるようにして居眠りを始めてしまった。
ロヴィーナさんとダンさんだけが正しい姿勢を保って此処にいることだけが救いかもしれない。これでいいのか栄えあるライダー諸君たちよ。
まあいい加減もいいとこだ。何処の控室だ、此処は。
…でもきっと、硬い雰囲気も厳かな人も苦手な私には、このくらいの緩さ加減が丁度いいのかもしれない。ひとりで緊張して肩肘張っているのが馬鹿らしくなるくらい、ゆるやかな空気が。
「だから隊長、オレそこでこいつに言ってやったんですよ。ライダーはそんなに甘くねーぞ!って!」
…取り敢えずサクラスは調子乗り過ぎだと思う。話を過剰にして自分を美化するのやめなさいよ。あんたの話の中の私は、幼稚園児にも劣りそうなんだけど。
怖そうな雰囲気を漂わせるフレデリックさんに、怖気づかず全力でぶつかっていけるところだけは評価するが、それ以外は全部ペケだ。私にダメだしされてるようじゃ、サクラスもまだまだだね。…なーんて、いつか本心から言える日がくればいい。
はあ、と溜め息を吐いて、見えないはずの耳と尻尾を揺らすサクラスを夏休みの自由研究をする気分で眺めていると、ふと、フレデリックさんと目が合った。
彼を彷彿とさせる、強い輝きを放つバニラの眼。
なにも考えていなかった時に目が合ってしまって、ちょっとビビる。
どうしようなにか言うべきかな、とは思ったものの、生憎とそんなに利口ではない頭ではなにも考え付かなくて、それを誤魔化すために軽く頭を下げる。
わあーい、気まずいですって態度で語っちゃったようなものだこれ…。
今さらかもしれないが、更なる気まずさが襲ってくる。
それでも何時までもお辞儀している方が可笑しいので頭を起こせば、変わらぬ瞳の光と無表情を湛えたフレデリックさんが、予想外に応えるように目礼してくれたものだから単純な私はそれだけで少しなりとも心の負担が軽くなった。
わりと良い人なのかも…?
人は見掛けによらないって、言うしね。
やっつけ仕事だった感が…否めません…。
要修正。