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19話:作戦

「むむむむむむっむ、無理っ…じゃなあーい無理じゃない無理じゃない出来る出来る私なら出来るやれば出来る子私はやれば出来る子やって出来なかったらそれはその時考える!」

「よーし、いいぞレリア。ナイスポジティブ」


目の前に顔がある。

それは凄く大きくて細長くておまけに横幅もあって、触るとつるりとしていて冷たそうだ。

そんな事実確認を半ば現実逃避気味に考えていれば、唐突にぶわっと生温い風が身体の全面にかかって、その生温かさに背筋が冷えた。

うおおお、ほんとに冗談抜きで近い距離にいるよ私ってば…!

たらりと頬を伝う冷や汗と、やんややんやと背後から愉しげで無責任に私を囃し立てる先輩の声に、自分が置かれている状況がありありと表れているような気がして悲しくなった。


「そのまま手ェ伸ばせば届くよ」

「うわああ!もう止めて下さい冷酷無慈悲な現実を突き付けるのは!」


…結果から言えば、私は相談する相手を間違えたのだ。明らかなる人選ミスである。

なんであの時この人にヘルプの声をかけちゃったのかな、私はさ!

今さら変えようのない過去の自分を叱り飛ばしてもどうにもならないのはわかってる。

でも、もし自分自身に言い訳をさせてもらうなら、ニロバニアさんは相変わらず政府関係のゴタゴタに巻き込まれていて忙しく、ロヴィーナさんは任務で首都へ、サクラスに相談するのは絶対いやだし、アニタは論外で、まだ見ぬ隊長と隊員は未だに帰還していない。じゃあ後は誰が残っているかと言えば…この人しかいなくて。

頼れる人たちのスケジュールを知って、このままじゃ助けを求める人がいないのでは…と途方に暮れかけた私の前にリチャードさんが姿を現した瞬間は嬉しくて飛び上がって飛び付いたのに、今になったらあれは大いなる間違いだったのだと声を大にして言える。

数十分前の自分に、止めなさいその人は天使の皮を被った悪魔だよ、と教えてあげたい。

…でもそしたら結局誰にも助けを求められなくて、ひとり物悲しく落ち込む自分の姿がありありと想像出来てしまったので、これでそれなりによかったんだと今の自分に言い聞かせた。


「今さらですけど、ほんとに本気で言ってるんですよね!?」


こちらは半ば命の危機に瀕しているというのに、まるでバラエティ番組を見ているみたいに笑って茶々を入れてくるリチャードさんが有り難くも御教授して下さったアドバイスによると、取り敢えず触ってみないことにはなにも始まらないよ、らしい。

触るって、竜に…?なんていう疑問は愚問でしかなく、さすがにそれは無理だと顔面を青白くする私に、騎乗しなきゃいけない相棒相手に触れないなんてそれ以前の問題だからと正論を頂きながら、私はリチャードさんと“彼”のいる地下室まで逆戻りしてきた。

戻って来るなり機嫌の良さそうなリチャードさんに拘束具で制限されている“彼”が近付いてこれる範囲の縁ぎりぎりに立たされて、そうすれば元から私に興味を示している“彼”が私に近寄って来るのは当然で、結果として今の私の目の前には首を精一杯伸ばした荘厳な竜の顔がある。

あまりにもぶっ飛んだ現実に頭がくらくらするが、こんなことで躓いているわけにはいかないのだ。だって私は、行く行くはこの竜に乗らなければいけないのだから。


「ってなれば百点なんだけどなあ…!」


そういう気持ちは有り余るほどあるが、現実はそう甘くない。

いつまでも腰が引けている状態では駄目だと自分に言い聞かせても、頭はくらくらするし内臓は引っくり返りそうだし心臓は口から飛び出そうと暴れ回っているし冷や汗はとどまることを知らない。

この程度で尻込みしている場合ではないと理解はしているが、どうにも身体がそれを拒否してしまう。…まあ単に、その気持ちとやらが身体に拒絶されてしまうほど小さな決意だからいけないのかもしれないのだけど。

とにかく、どうにもこうにもにっちもさっちもいかなくなって、本気なのかそうなのかと後ろをちょっとだけ振り返って親愛なる先輩に問いただせば、返ってくるのはやはり予想していた答えだった。


「俺は何時でも本気ですよ、お嬢さん」

「嫌な真面目さだ…!」


てゆーかその言葉自体が嘘過ぎて話しにならない。

この人が本気になるのは人を虐げる時とか嘘を吐く時とかアニタと遊ぶ時くらいだろうに、いけしゃあしゃあと何時でも真面目な俺すてきとか人の神経逆撫でするようなこと背後で言い募るリチャードさんには、もう善良的なアドバイスは望まないことにした。

なので、目の前にある竜の鼻先から視線は外さないまま、とりあえず一番重要なことだけ尋ねてみることにする。


「私、死にませんよね!?」


出した自分が言うのもなんだが、かなり情けなくて切実な声音だった。

その声の震え具合を聞いて、後ろでリチャードさんが爆笑しているが…いやいや、だってこれ、ほんとに生命の危機に晒されている気がしてならないんですけど!笑い事じゃありませんよね!?

まあ、でもリチャードさんがああして笑っているくらいなのだから実はそんなに危なくないのかもしれない。うん。だってほら、いくらなんでも死ぬか生きるかの瀬戸際に立たされて顔面蒼白で顔の筋肉が引き攣っている後輩を見て、ひいひい言いながら笑っているほどえげつない人では、…ない、はずだし。

しかし、悉く現実は…いや、リチャードさんは甘くなかった。

この人は、たぶんきっと誰かが慌てふためいたり困ったり窮地に追い込まれたりする、そういうのを見るためにライダーになったに違いない。じゃないと説明がつかない。

勝手にそれほど危険じゃない、と判断して落ち着く私に、げらげらと所々に遠慮のない笑い声が混じる台詞が叩き付けられた。


「あんまり大声出してっと、もしかしたら興奮した相棒に食われてお陀仏するかもね」

「っ…!ううううう、うそそそそそそそそそそそ」

「残念ながらほんとー。事例もあるし、気を付けな」

「ひぃー…!?」


なんでそういうことさらっと告白しちゃうの!聞いたのは確かに私だけども!

しかも事例があるだって…!?

そう言われれば、…いや、言われなくともわかりそうなことだ。

リチャードさんが言う事例は知らないし思い当たる節もまったくないが、動物の目の前で、しかも危険過ぎる竜の前で大声を出しちゃいけないなんて、普通に考えて常識だ。

竜騎士(ドラゴンライダー)》や《支配者(ルーラー)》を目指していなくとも、異種族(フリーク)と隣り合わせで生きているこの世界の人間ならば誰だって心得ていることなのに、ルーラーどころじゃなくライダーになるために奮闘している私が初歩の初歩、というよりもほんとにどうしようもない常識を忘れるとは…。

そろりと視線を上げて高い位置にある“彼”の瞳を覗き見すると、瞳孔は開いてないし目付もたぶん温厚(半ば希望によるとこがある)で、なにより理性と知性を湛えたまさに竜を代表する水面の瞳だったので安心した。

にしたってちょっと頭足りな過ぎやしないか、私…。


「ううえ…」

「どうした、新米候補生。後ろ向きなポジティブになるんじゃなかったの?」


生憎とそんなことを言った記憶は欠片もない、…が、それを言い返すほどの勇気と気力が今の私には残されていない。

目の前にいる、というより壁の如く聳える竜に神経を尖らせて削るのにもう精一杯だ。

“彼”が息を吸い込むたびに私の髪は吸引されるように大きく揺れて、吐き出されると毛が全部吹き飛ばされそうなほどの風圧が身体中を襲う。

距離があっても凄そうな鼻息が前代未聞の距離にいることでそれに拍車を掛けている現実が重く肩に圧し掛かってくる。

と、いうか、さっきから凄い鼻息なんですけども…これって匂いを嗅がれているのかな…。

そうだとすれば、なんとなくその動作が犬っぽくて可愛いなとか思ってしまい、無駄なほど力んでいた身体の力が少しだけ抜けた。

そんなことで和んでいる場合じゃないんだけど、ね…。

竜にこれだけ接近するのにもぎゃあぎゃあ言いながらいらないほど時間を遣ったが、やっとこの状態になれてからも売るほど時間を費やしている。

馬鹿みたいにありえないことをしているのだと現状を拒否する思考と、さっさと進展しろ、と己を急かす思考とを戦わせているからこそ、この状態のままなんだけど…けれどやっぱり、このまま進展せずだと冗談抜きでまずい気がする。

荒っぽくはあるがリチャードさんが提案してくれたこの方法はやっぱりちゃんと道理である気がするし、むしろそのくらいしないと鶏以下の私は前に進めない予感さえするのだ。

だってほんとに、自分でも吃驚するくらい、成長を歩む歩幅が狭いんだもん…。

過去の自分の数々の失態や醜態が思い出されて思わず場も弁えないでげっそりする。

けれどすぐさま竜の目前にいるんだったと思考を切り替えて、私は“彼”を刺激しない程度に軽く頭を振った。

――…うん、よし。

暗い気持ちは出来得る限り追い払った。

それから、合言葉は騎手の方が尻込みしてどうする、だったよね。

私のチキンな性格をがっちり把握しているニロバニアさんがそう言うんだから、きっと私にとってプラスになるアドバイスに違いない。

いつまでもその場で足踏みばかりしちゃいられないと、お腹に力を込めてからゆっくり“彼”と視線を合わせた。

そこにあるのは緊張してひとりあたふたする私なんかとは天と地とも差のある、変わらず凪ぐ静かな黄金の眼だった。

…この間は目を合わせるだけで重労働だったのに、こうも簡単に視線だけでも噛み合わせられるようになったのだから、これだってそれなりの進歩かもしれない。

そんなことを考えながら星のように輝く瞳を見詰めていると、…なんとなく気付くことがあった。気付くっていうか…感じることかもしれない。

知性の泉のような“彼”の瞳は、凶暴な感情なんかはひとつも浮かんでない、ほんとうに私がなんなのか、たったそれだけを考えていると一目でわかる純粋そうな澄んだ色を放っている。

…今まで竜の前にいるんだって、その事実ばかりに囚われていたから思いもしなかったけれど、こうして深い色をした双眸を見詰めていると、怖くないと言えば嘘になるが別段そんなに慄かなくともいいのかもしれないと思わされた。

前回だって、恐怖よりも緊張が大半を占めていたわけだし…。

あれ…ひょっとするとちょっとこれ、もしかするとだけど触れるかもしれない…?

湧き上がった珍しく前向きな提案を、自分の中の小さなポジティブが一生懸命支援して後押ししている妄想が頭の中を巡り出す。

ほらほら、いけるって絶対!ニロバニアさんだって言ってたでしょ、騎手の方が尻込みしてどうする、って!今こそそれを実行するべきだよ、レリア!大丈夫だって!この子はいずれ、きみの最高のパートナーになるんだから!

天使の羽根をくっつけたちっちゃいポジティブが、暗い私を押し退けて動かそうとする。

いやでも、…確かに言う通りかも、しれない。

騎手の方が尻込みしてどうする。今ここで、それを活かさなくていつ活かす。

今日に限ってやたらうるさいポジティブに唆されるようにして、私は汗でびちょびちょの手をゆっくり身体の横から持ち上げてみた。

いつの間にか、茶化して笑っていたリチャードさんの声も聞こえなくなっている。

明らかにチャンスだ。集中して、“彼”とコミュニケーションを取る最高のチャンス。

そろそろと、“彼”の様子を窺いながらも確実に手のひらを鼻先へと近付けていく。

その一瞬一瞬がめちゃくちゃ長いようにも短いようにも感じられて、ごくりと喉が鳴った。

センチ単位でどんどん進んで行く手と、なんのアクションも起こさず大人しいままの竜。

緊張がピークに達するその前に、私は覚悟と淡い期待を胸に抱いた。

もう触る!なにがなんでも触る…!

ひんやりとした空気が、爬虫類質の竜の肌から漂ってくるのを感じられるほど近くまで手のひらが接近して、それから…。


「…う、うりゃっ」


ぺた。




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