17話:第一関門来たり
「………え、もう?」
久しぶりにWGSF本部に顔を出してくれた二ロバニアさんと紅茶やら茶菓子やらを美味しく頂きながら楽しく談笑…している最中にさらりと発せられた台詞に、私は優雅に傾けていたカップごとびたりと固まった。
ただ単純に理解出来なくて数秒、その後、意味は咀嚼出来たはいいが往生際悪く理解したくなくて数秒。その間で、人間に器用にぱたんと耳を半分に折って聞きたくない台詞をシャットアウト出来る機能があればいいのに、なんて場違いなことを考える。
けれど残念なことに人間にはそんな機能ついてないし、あったとしても私はもうそれを聞いてしまったのだから今さら意味はない。
…と、いうか、現実逃避はさて置き、…本気なのだろうか。二ロバニアさんのさっきの言葉は。
曰く、そろそろ相棒と交流してもいいんじゃないか?…だ、そうだ。
そろそろあいつと…交流?
頭の中でとにかくその言葉を繰り返す。
あいつ…あいつ…、あいつって言えばやっぱり……“彼”…だよね?
咀嚼して咀嚼して、ようやっと嚥下したと同時に、私は自分でも吃驚するくらいの速さで顔と手をぶるんぶるんと左右に振っていた。
いやいやいやいや!無理でしょどう考えたって!!
「無理ですって!普通に考えて不可能ですって!」
「不可能を可能にする《竜騎士》候補生がそんな弱気なこと言ってどうする」
「…なんかすみませんでした」
最もなことを言われてしまって大人しく引き下がった私を見て、二ロバニアさんが笑う。
なんか変わったなレリア、と嬉しそうに頭を乱暴に撫でてくれる彼から頂戴した言葉にそうかなと首を傾げながら、でもやっぱりと先ほどの台詞に食い下がった。
「…まだ私、軍人クラスでもないのに」
「一般人、ってわけでもないだろう。それに、プリゼーラで培われた知識も経験もある」
「それは…まあ…」
落ちこぼれでも一応は世界屈指のマンモス学校、公立プリゼーラ高等学院の生徒だったわけだし…、とニロバニアさんに渋々肯定してはみせたが、それでもやはり納得がいかない。納得がいかないというか心の準備が出来ない。
いつかは直面する壁だとは思っていたけれど、まだ一ヶ月余りでもうその壁と向き合わなければいけないのか、という気持ちのが強いのだ。
やらなければいけないのは重々わかっているのだけども…。プリゼーラで培われた知識も経験も、もちろんないわけではないけれど、それが凄く役に立つか否かと聞かれたらすぐにはイエスとは頷けない程度のものであるし…。
…ちなみに、ただでさえ成績が崖っぷちの私がライダーになるためとは言え何ヶ月も学院を休むのは冗談抜きでやばいのではまさか留年…と、王都に滞在してからこの一ヶ月余り心底憂いていた問題があったのだが、どうやら二ロバニアさんが我が家に訪れたあの日にWGSFが新人育成期間として学院に公休扱いを頼んでいてくれたらしい。
この間、久しぶりに連絡をとった時に母がそう教えてくれた。…聞かなかった私も私だが、出来るならもっと早く教えていただきたかったものである。
毎年何十、時には何百もの《支配者》候補生を輩出しているプリゼーラとWGSFは浅からぬ仲らしいので、学院長は快くその申し出を承認してくれたらしい。
国のために己のために、延いては世界のために頑張るのですよ、と学院長が母伝いに私に下さった伝言に、なんか自分の身の上に起こっているとは思えないほど規模の大きな話だ、とプレッシャーを感じて肩が重たくなったのは言うまでもない。
苦くも思い出された学院長の伝言に今の状況も相まってずううん、と暗くなる私に、二ロバニアさんは優しく諭すように話を続ける。
「王都に来たはじめの頃より大分成長したんじゃないかと、ロヴィーナが褒めていたよ、レリア。俺ももちろんそう感じたし、リチャードも…あいつはなんか笑いを堪えながらだったが、それなりだと思うと言っていた。サクラスだって表面上には出さないが、丸っきり認めてないわけじゃあるまい。…お前の言う軍人の基準値が俺には今一わからんが、別にいいじゃないか、一般人に毛が生えた程度でも」
「……軍人の基準値がわからないって、それでいいのか二ロバニアさん…。あなた仮にも軍のお偉いさんなのに…」
「軍事学も教わったんだろう?」
「え?ええ、まあ、…触りだけですけど」
「だったらそれで十分だ。第一、なにがそんなに不安なんだ?お前はあいつと正面切って対峙したこともあるくらいだ。なにも心配することはないはずだぞ」
「あれは咄嗟というか、反射というか…、…身体が勝手にと言いますか…。とにかく緊急事態だったからで出来たことであってですね…」
「よし。だったら今回もそれで行こう」
「私と彼を緊急事態に陥らせるつもりですか!?」
「冗談だよ」
「………………」
このおじさんは…。
真顔で心臓に悪いことをさらりと言ってのけた二ロバニアさんに微かな不信感を抱いた。平生だったらいいものを、どうするべきかの不安とこれからへの緊張に頭をフル回転させてる人にそういう微妙な冗談は言わないでほしい。
しかし、二ロバニアさんと学院長の励ましと言う名のただのプレッシャーを改めて噛み締めてみて考えるに、いつまでも無理です出来ません、ではやはり済まない話だと思った。そんなことで通る出来事ではないし、なによりそんなの、私が嫌だ。出来るとこまで頑張ると拙いながらも心に決めたのだから、弱音ばかり吐いてはいられないのだ。
「あいつはこの一ヶ月間、お前のことを待ち続けている」
「……『騎手の方が尻込みしてどうする』?」
「わかってるじゃないか」
伏せた頭の上に乗った手のひらと共に落ちてきた言葉に先回りをして疑問符をくっ付けると、二ロバニアさんが頭上で笑う気配がした。
包むようにして持っているカップの中身がゆらりと揺れる。
私が心の中で葛藤しているのをわかった上でこういう台詞を訴えてくるんだから、そうは見えなくともこの人は軍人さんなんだなあ、となんとなく感心して、そうしてから、ああいや違った感心なんてそんなことしている場合じゃないと気付いて顔を上げた。
頭の上に乗っていた二ロバニアさんの手のひらが弾みで落ちる。
「レリア?」
勢い良く姿勢を正した私に驚いたのか、二ロバニアさんが頭から滑り落ちた己の手と私の顔を交互に見比べてから首を傾げる。
その表情を、もっとの驚きとそれから喜びに変えてやるつもりで、肺一杯に吸い込んだ息を言葉に具現化させて吐き出した。
「…、……いきます」
固く強張ってしまったかもしれないが、それなりに意志を持った声音だったと思う。
何も言わない二ロバニアさんにもう一度確かめるように行きます、と先ほどよりはっきり口にすると、彼は大きく瞬きを繰り返した。
「…レリア」
「行けます。…大丈夫です」
私の決断が予想外だったのか、それとも疑っているのか、とにかく瞬きばかりを繰り返す二ロバニアさんに思いをぶつける。
そうすると、その驚きの表情が段々と明瞭に嬉しそうになっていくものだから、私はなんだか急に恥ずかしくなった。
自分で嬉しそうな顔にしてやるって、意気込んだくせに…!
「レリア!」
「うわあ、止めてくださいそんな当たり前なこと言ったくらいで激しく感動するの!」
「なんて言うか、うん…そうだな。親の気分だ。成長したなあ、レリア。偉い偉い」
「このくらいで褒められる私って一体…!」
「いいじゃないかお手軽で」
「それは私がって意味ですか!」
本当に親のように喜んでくれる二ロバニアさんに顔が熱くなる。かいくりかいくりと撫で回される頭に、更に熱が身体中に集まる。
成長だなんだと笑う彼に、ほんとにこの程度で喜ばれるんだから(ポテンシャルが人より低かったのもあるけれど)私はまだまだ頑張らなくちゃなと改めて痛感したし、でもやっぱり嬉しい気持ちもあった。こんなに私のことで喜んでくれるなんて…と。
…残念ながら、二ロバニアさんの次の台詞で全部おじゃんになったけど。
「よし、そうと決まれば善は急げだ。明後日辺りにでも会いに行くか」
夕飯はカレー!くらいのノリで掲げられた提案にぎょっと目を剥いた。
え、明後日!?
幸せ花気分は何処へやら、すっかり現実に引き戻される。
「それこそ早っ!え、うそ、明後日ですか?二ロバニアさんのそろそろって明後日?」
「今日がよかったか?」
「明後日がいいです!凄いそろそろしてる!ナイスそろそろ!そろそろって言ったらやっぱり明後日ですよね!」
「生憎と俺は一緒に行ってやれないが、隊の奴が引率してくれるだろう。頑張れよ」
「…仕事ですか?」
「世界政府に呼ばれてるんだよ。まったく、新人の引き抜きくらいで毎年大袈裟な」
「……お疲れ様です」
世界政府、だなんて言われたら付いて来てほしかった、なんて我儘は言えまい。
とんとん拍子で決まっていく私と“彼”との交流会の予定に少しの不安を覚えるが、行けると宣言してしまった以上行くしかないだろう。さすがに竜がなんだー!というような強い心持ちではないが、なにより本気で行くつもりでいるのだし。
よし、と気持ちを強く持とうと意気込む私の隣で、二ロバニアさんが楽しそうに指を鳴らす。
音につられてなんだなんだと顔をそちらに向ければ、彼はアドバイスだと言って人差し指を立てて、こう続けた。
「合言葉は、騎手の方が尻込みしてどうする、だからな。忘れるなよ」
「え、合言葉?そんな軍事的な…」
「後は…そうだ。あいつはお前の相棒だろう。名前を考えてやれ」
「な…」
「なまえ」
「名前!?」
連続して出てきた予想外の言葉に今度は耳を疑った。特に後半。
合言葉がアドバイスなのにも疑問だったが、特に後半。
なまえって…名前だよね。私の名前はレリア・シュープリーです、のなまえ。
人間なら余程のことがない限りは持っているあれ。
その名前を…私が“彼”につけてやれですと…!?
理解出来るがそれを脳が拒否する言葉をぽろりと零した二ロバニアさんの方を向くと、彼は不思議そうに首を傾げた。
どうやら命名する前で躓いているとはいざ知れず、単純に名前が決まらなくて困っていると思ったらしい。
「なんだ、名無しの権兵衛か?まあそれはそれで味があっていいと思うが…」
「いえ違います考えますちゃんと!」
危うく私の相棒が名無しの権兵衛になりそうだったのを阻止したところで、しかしどうしたものかとまた頭を抱えたくなった。
だって…名前って…。
そりゃあこれから一緒に…たぶんだけれど働いていくことになるわけだから、ずっと“彼”とか竜とか他人行事みたいに呼ぶのは可笑しいとは思っているけれど、しかしまさかここで命名しろと言われるとは…。予想外だ、ほんとに。
「なまえ……」
なんというか、現実味がないのだ。
犬とか猫とか、一般的なペットに命名するわけじゃない。
食物連鎖の上位に食い込む空の王者の名を頂くあの竜に、私自身が名前をつけなければいけなくて、しかもその子は私の相棒になる子なのだから更にプレッシャーなのだ。
なんて冗談みたいな話なんだろうか。…悲しいことに冗談なんかではないのだからこそ、こうして悩むハメになっているんだけど。
「ど、どうすればいいのやら皆目見当がつきません…」
「そんなに悩むことか?ポチとかでいいじゃないか」
「…犬じゃありませんよ」
「タロウ、ゴロウ、ジロウ、タマ、ミケ、ブチ…後は、…シロ?」
「それも大方、犬猫につける名前でしょう。大体、あの子白色じゃないじゃないですか」
「ま、俺が決めたって仕方ないからな。ちゃんとお前が考えてやれよ」
「…はあい」
不思議な助言を残して、二ロバニアさんは自分のカップの紅茶を全部飲みほした。
長閑な気持ちと雰囲気で楽しんでいた茶会は、なんだか可笑しな方向に曲がってしまって修復不可能だ。折角の休憩時間が、とは感じなかったけど、心は少し重くなる。
新たに出来たふたつの試練に脳内の大半を占められながら、冷えてしまった手の中にある紅茶が揺れるカップを見詰めて、私はここのところ悩んでばっかだなあと頭の隅で思った。