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16話:始動

「……確かに頑張るとは言ったけどさすがにこれは頑張らせ過ぎでしょおおおおお!!」

「口動かす余裕があるならもう少し速度上げてもいいかな、レリア」

「リチャードさんの鬼っ!」


口を動かしながらも、足は休ませることはない。というより休ませられない。足を止めたが最後、私は半端ない痛みを体験することになってしまうから、なにがなんでも走り続けなければいけないのだ。

だから凄い速度で移動する面積の狭い地面から落ちないようにするのに今の私は精一杯で、背後で機械のコントローラー片手に私のトレーニングに付き合ってくれている先輩の表情を窺うことは出来ない。が、多分きっと、彼は楽しそうに私があたふた爆走しているのを見て笑っているんだろうなと簡単に予想が出来た。

悪い人ではないしどちらかと言えば優しい人ではあるが、優しさの示し方が分かり難いと言うか…特殊と言うか。飴と鞭を使い分けるプロみたいなのだが、だというのに飴の部分が鞭と紙一重と言うか…。

つまり彼は、人はそれをサドと呼ぶんじゃないか、というような性格の持ち主なのである。

まあなんだかんだでいつもは結局優しいだけど…今はまったくもって優しさの欠片もなかった。今日は意地悪一直線だ。

勢いよくロールし続ける地面の上で足を回転させること早10分。既に私は身体中汗まみれで顔は真っ赤なはずだ。

一目見ればああこれがこの子の精一杯なんだなと理解出来そうな状態なのに、この人は更に容赦なく速度を上げるようとするのだから、私のこの必死な状態が見えてないとしか思えないし、サドだとも思う。…だってそう思うしかないでしょ、どう考えても。本当に今にも崩れそうなくらいぎりぎりだというのに、更に、とか言うんだから。


「どこをどう見たら余裕そうに見えるんですか!?」

「三週間前より確実に体力も脚力も付いたからこその余裕なんじゃないわけ?」

「だからどの余裕!?」


気持ちのままに無理です無理です、と何度も連呼すると背後から予想通りすぎる楽しそうな声が返ってきて、うわこの人やっぱり愉快犯だと足の力が抜けそうになった。

もう無理だって何度も言ってるじゃないですか…!

後を振り返ってなに考えてんだ、と怒鳴りたい気分だが、もちろんそんな度胸は私にはない。

そもそも振り返ること自体が出来ない。

少しでも走る以外の動作をすれば、盛大にこけるのが目に見えているからだ。

結局言葉だけで全力で否定するしか対抗する術がない私は、懸命にあーだこーだとリチャードさんに訴えてみるが、ものの見事に全てのらりくらりとかわされてしまう。

…なんか段々遊ばれているだけのような気もしてきたんだけど…。

無理だと訴えるのに走りながら喋り続けているから、元よりゼロ近くだった残りの体力が限りなくゼロになりつつある。

ぜえはあと犬よろしく息切れが激しい私を見て、しかしリチャードさんは表面上は爽やかに聞こえる笑い声で私を褒め称えた。


「凄いな、レリア。超元気じゃん。やるーう」

「喋ってないとやってられないだけで元気があるわけではないんです!後の八割ほどはリチャードさんのせいだと思います!」

「始めの頃は一言も喋れなかっただろーに」

「それとこれとはまた別問題で…、っああああー!いま上げましたねスピード!!」


私の台詞に被さるようにがしょん、と機械が作動する音が耳に届く。それと同時に滑る地面…トレッドミル、一般的にルームランナーと呼ばれる機械(マシン)のベルトコンベア状の踏み台が今までより早く回転しだしたものだから、思わずうぎゃ、とか潰された動物みたいな小さな叫びが口から飛び出した。

うわああもう信じられない…!ついにやっちゃったよこの人…!なにしてくれてんの!?

苦情も申し立てようと口を開くが、突然スピードを上げたそれについていけなくて躓きそうになったので敢え無く断念。なんとか態勢を立て直して足を負けじと回転させる。

なんの合図もなしにスピードレベルを上げるという良い子はやっちゃいけないような偉業…悪業を成し遂げた彼は、呑気に背後でがんばれー、なんて宣っている。

このやろ…人事だと思いやがって…!

走るために握っていた拳にそれ以外の力が加わるが、それもすぐに走るための力に変わってしまう。なにせさっきの倍くらいの速さで足を動かさないとトレッドミルから落ちる…いや、落ちるなんて生易しいものじゃない。これはもう振り落とされそう、という表現の方が合っていると思う。

さっきの倍くらいの速さで足を動かさないとトレッドミルから振り落とされそうなので、怒る気力や体力も走るパワーに変換させないといけないのだ。

トレーニングの範囲を超えているんじゃないかと錯覚するほど回るコンベアから振り落とされそうになるのを防ぐために、私は死ぬ気でコンベアの上を爆走する。

今なら世界記録でも出せそうな勢いである。……いや、それはさすがに言い過ぎだけど。

てゆーか大体なんでこんなにスピードが上げられる仕様になってるわけ!?そのうち誰も使わなくなるよ、こんなトレッドミル!


「ちょっ、これ本格的に無理…っ!」

「いーから走れ。さもなくばまた落ちてたんこぶ作るハメになるぞー」

「……リチャードさんの鬼!悪魔!」

「お、大したもんだ。これだけスピード上げてもまだ話すだけの余裕が…」

「ないです!ヨユーなんてほんとにまったく全然塵ほどもありませんっ!」


またスピードアップでもされれば、それこそトレーニング初日に晒すことになった醜態を彼の言葉通り繰り返すはめになる。

もうとっくに治ったはずなのに最近まで腫れていた後頭部がズキンと疼いて冷や汗が出た。

あんな痛い思いは二度と御免被りたい。

…滝のように湧き出し流れる汗が目に入ったせいで滲む視界は、果たして本当に汗のせいだけなのだろうか。




****




「お疲れ様、レリアちゃん」


悪魔のようなトレーニングから解放されたのは、あれから30分後だった。

トレーニングルームに備え付けてあるソファにうつ伏せで力なく横たわりながらよく耐え抜いたな自分…、と自画自賛していると、頭の方から声がかかる。

死屍累々の体で顔だけ上げると、私の癒しであるロヴィーナさんがスポーツドリンク片手に微笑んでいるのが見えた。


「……ロヴィーナさん…」

「大丈夫?大分、大変だったみたいだね」


きらきらと輝く笑顔で心配そうに顔を覗き込んでくる彼女の優しさは心身ともに疲れ果てている私にマイナスイオンを与えてくれる。わあい、癒されるー…。

スポーツドリンクを進めてくれるロヴィーナさんに甘えてそれを手に、むくりと身体を起こしてソファに座る。隣に腰掛けてよく頑張ったね、と笑ってくれる彼女にそれほどでもー、と照れ笑いを返してから、ああそうだと手を打った。

これさっきからずっと思ってたことなんだよね…。


「あの、ロヴィーナさん、ひとつ質問いいですか?」

「うん、なあに?」


ばちん、と打ち鳴らした手に問い掛けを予想していたらしい彼女は私の言葉に驚くことなく軽い調子で頷いてくれた。

それに続けて、トレーニング中にぶわっと湧き出して来た疑問を口にしてみる。


「…私、リチャードさんに実は嫌われてる、とかじゃないですよね?」


もちろん本気で嫌われていると思っているわけではない、が、あそこまで嬉々とした顔でしごかれまくると一瞬だが実は…、なんて疑ってしまう。その質問に、私の意図を察してくれたロヴィーナさんが小さく苦笑を漏らしながらうーんと首を捻った。

それから返って来た答えは、やはり考えていた通りで私も苦笑をするしかない。


「自主的にレリアちゃんのトレーニングに付き合うくらいだから、嫌いなわけじゃないと思うよ?第一、嫌う理由もないだろうし。…だから性格だよね、あれは。リチャードの」

「…それもそれで問題な気がします」

「うん…僕も常々そう思ってるよ…」

「いつも愉しそうですからね…あの人、私が汗だくでランニングしてるの見て…」

「……サクちゃんが必死になってる時もなんか幸せそうな顔してるんだよね、彼」

「…………」

「…………」


この話題のせいで、やや青い顔色の私とロヴィーナさんが俯いて膝を見詰めるというなんとも言えない図になってしまった。

恐るべしリチャードさん…。しかも何年来の付き合いらしいロヴィーナさんが言うには、彼の鞭を振るう強さ度合いはこんなもんじゃないらしい。

まだ強く振るえるのね…、鞭。ますます恐るべし、リチャードさん…。


「でも悪い人じゃないから、これからも宜しくしてあげてね」


どんよりとした空気を振り払うように、ロヴィーナさんが先ほどの私がしたように手のひらを合わして音を鳴らす。

それに慌てて天の助けとばかりに飛び付いて、私も暗い空気を払拭させることに務めた。


「ええ?いやいや、逆に私がいつも宜しくしてもらってる方ですよ。今日だって紆余曲折ありましたけど、付き合ってもらったことに変わりありませんから」


言葉通り、とても忙しい身であるはずの《支配者(ルーラー)》であるリチャードさんが私の…というかライダー候補生のトレーニングに付き合ってくれるだなんて本来なら有り得ないことだ。

まだ正式ではないが彼が所属している第3突撃部隊に入ることになっているとは言え、普通ならばWGSFに必ず滞在しているトレーニングトレーナーが《支配者(ルーラー)》や《竜騎士(ドラゴンライダー)》の候補生の訓練に付き合うことになっている。

だというのにここ三週間の間、私が王都を訪れた次の日から始まった訓練に専属のトレーナーの姿はなく、変わりにリチャードさんをはじめとするWGSF所属第3突撃隊の方々が先ほどのようにトレーニングの面倒をみてくれていた。

あまりにも忙しい場合は普通にトレーナーの人がみてくれるのだけど、それにしたって可笑しな話だと感じていたから、四日ほど前に同じ第3突撃部隊に所属…する予定らしいサクラスに不本意ではあるが何故なのかその理由を尋ねてみた。

ここでもやたら馬鹿にされたり誰がお前なんかに教えるか等という紆余曲折があったが、齷齪(あくせく)しながらどうにか聞き出した話によると、どうやらWGSF内でもそんなことをするのはやはり第3部隊だけらしい。

第3部隊の隊長がルーラーだろうがライダーだろうが、とにかく己の下に就くと確定していなくとも上から任された候補生は自分の隊の連中で育てる、というそういった方針を持っているらしい。だから部下のみなさんもそれに倣っているのだとか。

私からしたら、それはとても有り難い話だった。

人見知りというか極度の緊張しいの私が、これからお世話になる先輩や上司の人たちとトレーニングを通じてそれなりに仲良くなれる機会を与えてくれたからだ。

本当に、これ以上ないほどのチャンスだったし、今でも変わらずそう思っている。

ロヴィーナさんと会う時も…かなり不本意だがサクラスと会う時も、とにかくいらないほど緊張したからこれからまた隊の人と顔合わせをするたびにそんな思いを味わうのかと不安になっていた私にとって、先輩方が直々に面倒を見てくれるトレーニングは絶好のコミュニケーションの場になった。

初めのうちは相変わらず懲りることなく緊張はしたが、ばしばしと容赦なくしごかれたからなのか段々と余裕がなくなった私は、然程彼等に対して必要以上に緊張することも猫を被ることもなかったから…というよりトレーニングについてくことに必死で出来なかったから、いつもより早く彼等と距離を縮めることが出来た。

これを有り難いと言わずになんと言おう。今ではそれほど気負うことなく、隊の人やそれらに関わりのある人たちと楽しく会話出来るようになったのだ。凄い。

――ただ、そんな有り難い方針を持ってして私を助けてくれた隊長さんに、残念ながら実はまだお会いしたことがない。

リダリス、という世界でも屈指の物資流通国を国際訪問する世界政府の要人の護衛に私が王都を訪れる丁度一日前に出掛けてしまったらしく、三週間経った今でもまだ帰ってきていないからである。一緒にその任務に借り出されたダンさんという人にも、まだ会ったことがない。

そんなことでここ三週間ほど、どんな人なんだろうとまだ見ぬ上司になる隊長さんを想像するたびに早く会ってみたい気持ちと、やはりその時になると緊張するからまだ遠慮したい気持ちとが交差する日々を私は送っている。


「…そろそろ会えそうな気もするんだけどねー」


二日ほど前に報道で、世界政府の要人が無事リダリスの視察を終えた、と言っていたことを思い出して小声で予想を呟いてみた。

私が言った紆余曲折が可笑しかったのかロヴィーナさんのツボに入ったのかはわからないが、彼女が楽しそうに笑うのを横目に、ぐだぐだと反芻していたここ数日の出来事を脳内で締め括った。…大体いつまでも大切な先輩を放っておくのは失礼だ。

未だに笑いながらレリアちゃんが構ってあげてる気もするけど、なんてからかうように言ったロヴィーナさんにまさかと返してから、ひとつ伸びをする。

そのついでに壁に掛けてある時計に目をやれば、時刻はもう6時を過ぎて7時近かった。

どうりでお腹が鳴ってるわけだ…。

このトレーニングルームは候補生専用の部屋なのでそんなに待遇されてなく、地下に造られてあるので窓がなく外の様子はわからないが、空はもう大分暗いのではないかと思う。

考えながら、今日もたくさん動いたしご飯が恋しいと唸る胃を抱えて隣を見ると、地響きのような空腹を訴える胃の叫びが聞こえたらしい、ロヴィーナさんに笑われてしまった。

…うげえ、女の子にあるまじき品のなさ全開なお腹の鳴り方だったんだけど…。


「もう夕食の時間だね」


恥ずかしくてどうしようもないと表情で語る私に、トレーニングルームに大きく鳴り響いた胃の音については直接なにも言わず、ただお腹が減るのは当然だと暗に言葉にしてくれたロヴィーナさんに感謝しつつ照れ笑いを返す。食堂行かないと食べ損ねるかも、と帰宅を促してくれる彼女に甘えて、私はソファから腰を上げた。

それと同時にまた私のお腹が鳴って、二人で顔を見合わせて苦笑する。


「え…へへへ、……なんかすみません…」

「いいって、あれだけ頑張れば誰だってお腹減るよね。昼食後から今までずっと動いてたんでしょ?」

「休憩はちゃんと挟んでたんですけど、なにも食べないでやってたんで…」

「水分補給も大切だけど、お腹になにか入れるのも大事だよ。適度に、だけど」

「ですね。身を持って知りました。明日からなにか食べ物持ってきます」

「うん。それがいいね。その方が効率もいいだろうし、やる気も出るだろうし。…あ、そう言えばこの間、サクちゃんもサンドイッチ食べながらトレッドミルの上走ってたかも」

「え、食べながら走ってたんですか?」

「…うん、確か」

「ううわあ…」

「…すごい野性的だよね?」

「…野蛮なんじゃないんですか?」


他愛もないことを喋りながら二人で外に続くドアへと近付いて行く。

わざわざ忙しいのに顔を出して話にまで付き合ってくれた先輩のために開けたドアを、ありがとうと言いながらロヴィーナさんが潜って行くのを見届けた後、私も一歩足をルームの外に出したところで…なんとなく背後を顧みた。

理由は本当にひとつもなく、ただなんとなく。

先ほど頭の中を駆け巡っていた数日間の反芻が、再び脳内を侵食しだす。

振り払うわけではなく、思うままに思考の波に捕らわれると、走馬灯のようにここで励んだ己のトレーニングの様子が浮かんできた。


「………………」


窓ひとつないやや閉塞感があるこの空間で懸命に体力作りに励んだこの何週間は、とても長いようで、そう感じる以上に早く過ぎ去った。

ライダーやルーラーとしては愚か、まだ普通の軍人でも足りないくらいの体力や精神力だが、それでもリチャードさんが言ってくれたようにこの何週間でそれなりに進歩しているような気もする。…なんせ初日はトレーニングについていくどころか開始10分足らずで後頭部に大きなたんこぶを作って医務室に運ばれたくらいなのだから、それと比べればやはり成長しているはずだ。…というよりそう思いたい。

一ヶ月近く家に帰っていなくとも深刻なホームシックには陥っていないし、隊の人間どころかWGSF内で度々会う人とも(一部除く)仲良くなれたのも私からしたらそれだけで十分な成果だと思う。後は、隊長さんともうひとりの隊員さんに会えば、知り合いにならなければいけない人との顔合わせはほぼコンプリートである。

凄く凄く小さな歩幅かもしれないけれど、それでも確実に後退ではなく前進している自分を感じながら、私はくるりと身体の向きを変え、ロヴィーナさんの後を追った。

背後でばたん、と扉が閉まる。


「レリアちゃん?どうかしたー?」

「いえ、大丈夫です!すみません、いま行きまーす!」





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