15話:前を向け
WGSF本部を出て徒歩10分程度で着いた、少し値が張るホテルの一室と言った風情のゲストルームに通された私は、その部屋で何をするでもなくふかふかのダブルサイズのベッドに寝転んでいた。
今日は疲れただろうから早く休んだ方がいいよ、とロヴィーナさんに言われたそれを正しく実践しているつもりではないが、ただ、今はなんのやる気も起きなかった。
ロヴィーナさんの言う通りただ疲れているだけかもしれないが、多分それだけではない。
「……………」
ふう、と息を吐きながら天井から床まである大きな窓に目をやれば、建ち並ぶ数々のビルに邪魔されて見づらいけれど橙色に染まっている空を認識することが出来る。
眠りに就くにはまだ早過ぎるし、夕食はあいにくと食べたい気分ではなかったのでどうしても今日ばかりは無理だとロヴィーナさんに断っておいたから、つまりこの時間帯に一般の人がやっていることをしなくていい私にはやることがない。
…まあ後半はどう考えても自業自得なので文句のつけようもないのだけど。
誰かが運んでくれたらしいリムジンに乗るまでは持っていた私のボストンバックがちょこんと部屋の隅に置いてあるのが視界に入っても、TVや部屋の壁に埋め込まれている本棚を見ても、やる気や暇を潰す気力は湧いてこなかった。
暇を潰すにはもってこいのそれらも、今の私には無用の長物だ。
TVの電源を付けても、興味を引く本を手に取っても、きっと全然身が入らないで逆に苛々するはめになるのが目に見えている。
それから何よりやる気だ。根こそぎ誰かに持ってかれたかのように指一本、瞼を開けているのもかったるい。皆無と言うよりこれはもうマイナス状態だ。
さっきまではそれなりに元気だったというのに、一人になった途端に襲ってきた無気力感と疲労感に内心自分でも驚いている。
ホームシック…は、まださすがにありえないと思うし、今日はほぼ一日中緊張していたから疲れて当然だとも思うが、こんなにも燃え尽きるとはさすがに予想していなかった。
何がそんなに私の気力を削いでいったのかと人知れずに考えようとして、はたと止まる。
きらきらと地面から生えているたくさんのビルを照らしながら沈んで行こうとしている太陽を視界から追い出すために目を閉じた。
そうすれば、まるでさっきまで一緒にいたかのように鮮明にひとりの人間の姿が脳裏に浮かぶ。
ホームシックじゃない。疲労困憊でもない。
考えるのもふざけてるほど、原因なんかとっくに分かっている。
「アデラ…」
繰り返し繰り返し、ふとした拍子に瞼の裏に現れては消えるのは彼女だ。
…原因、なんて呼ぶのは些か不謹慎と言うか、押しつけがましい気もするが。
ここ数日間で、私は夢にも視たことないような毎日を過ごすハメになった。
もちろん、良い意味でも悪い意味でも、だ。
《支配者》の資格を取るのがとても大変で危険なことだというのは世界的にも周知の事実で、当然私だってそれをちゃんと理解しているつもりだった。
ニュースで軍人やルーラーたちの訃報を耳にすることも多いが、取得した後のことではなく得る過程でだって死人が出ることもある、そのくらい危険極まりない場所に私はいるのだと、理解しているつもりでいた。
何処何処の何々学校で演習中に何人死亡、とアナウンサーが原稿を読み上げるのを、ああ私も気を付けなければとか同い年くらいの子が同じ職業を目指している途中で死してしまった現実に心を痛めながら聞いたことだって何回かある。
試験中や演習中に思いもよらない事故がある事例を、そうやって何度も聞いていたのに、まさか自分たちがその事例の仲間入りをするとは露ほども考えていなかった。
油断していたわけでも舐めてかかったわけでもない。
でも、理解しているつもりだったわりには何処か遠い自分たちとは関係のない出来事なのではないかと、そう思っている部分も無きにしも非ずだったかもしれない。
驕りだったのだろうか。覚悟が足りなかったような気もする。
死ぬのは自分じゃなくて、例えば今回みたいに大切な友人たちかもしれなくて、残して行く側になるのではなく残される側になるという覚悟を、多分していなかった。
死に直面しているのは当然、私だけではなく同じ場所に立つ周りの人間も巻き込んでの話だというのに。
結局、私が怪我ひとつ負うこともなく無事に生還したことで、考えの足りなかったそれが浮き彫りになる結果となった。気を付けようと心掛けていたのは己の身のみで、死ぬかもしれない現実は自分だけに降りかかるものだと、色々なものが足りな過ぎた中途半端な思考がどれだけ甘い妄想にすぎなかったのかを身を持って思い知ることになった。
更に言うならば私は、死ぬのは自分だけ、という形の覚悟もほぼ皆無だったのだからこれはもう笑うしかない。
だって私は、崩れ落ちる試験会場に踊る炎を見て、想像でも夢でもなく現実で迫りくる死が怖くなって踏み出そうとした足を易々と引っ込めたのだから。
――そんなことがあって当然のことながら自己嫌悪に陥った私の目の前に現れたのは、実は無事生還していた彼女ではもちろんなく、手負いの竜だったのだから自分の運の悪さを呪うしかないとあの時は心底思ったのをよく覚えている。
なんの因果なのかは知らないが、大切な親友を助けられなかった翌日に街中で竜と対峙することになるなんて、それこそ夢にも思わなかった出来事だったのだ。…まあ街中でいつ何時、竜に遭遇してもいいように構えている人もそれはそれで問題がありそうなものだけど。
その数日後には、突然現れた軍人のおじさんに《竜騎士》になれると告げられてよく理解もしないまま、あれよあれよと言う間に王都にまで到着。
電網の正体を知って暗殺に脅えたり、覚悟について考えたり、相変わらず元気に落ち込んだりして、それから私はそこで、本物の《竜騎士》に会った。
とても人を安心させる優しい雰囲気を持ったそのライダーさんと会うどころか握手して話までして、彼女の後輩であるやたら腹の立つ奴にも会ったけれど遠くから見ている分には中々面白い人で、それから王都のこんな良い部屋に泊まることにもなった。
私の父は軍人だけど、あまりいい階級ではないので給料も一般のビジネスマンと然程変わりないからこんな良いホテルには多分易々とは泊まれないだろう。…流血でも覚悟しない限りは。
とにかく、私は今日一日で普段では絶対に経験出来ないであろうことを体感してきたに違いない。
そりゃあ緊張したり落ち込んだり、疲れることだってたくさんあったけど、でもこんなに素晴らしくて素敵な体験はそうそう出来ないはずだ。
――私は幸せ者だ。
それでも、…もしかしたらそうだから、かもしれないが、それでもふとした瞬間に脳裏を過るのはアデラとあの日私がその場を後にした時に崩れていった試験会場だった。
燃え盛る炎と何もかもが崩れ去る音に目を瞑って耳を塞いで、私は精一杯やったのだと自分自身に言い訳をする私と、それを冷めた目で見詰める私。
ぐるぐると堂々巡りをするビジョンと想いに、情けないことに疲弊する。
自分で勝手に己を責めているくせにそれに疲れてしまう、だなんて最悪最低にもほどがあるが、考えるだけでどうしようもない気持ちになってしまう。
「だめだなあ、私……」
けれど、時間が経った今ならわかる。
多分、こうやっていつまでもうじうじと失くした友のことを考え続けて囚われている私のことをアデラはよく思っていないはずだ。
いい迷惑なのよ、と、私の都合の良い妄想かもしれないが、きっとアデラはそう言うに違いない。
いつまでもそんなことばっかり考えて、やたらと想われる側の気持ちにもなりなさいよ。大体想い方、ってのがあるでしょーが。ほんとに鬱陶しいからいい加減止めてくれる?あんたに心配されるほど落ちぶれたつもりなんてないから。…なんて、叱られそうだ。
厳しいことを言うわりにはいつも笑っていて、課題が終わらないと泣きつく私をなんやかんや言いながら助けてくれて、誰よりも努力家で負けず嫌いだった優しい彼女。
場違いな所に入学してしまったと初日から半泣き状態だった一年生だった頃の私に、一番に声を掛けてくれたのもアデラだった。
私を数え切れないほど助けてくれたアデラは、…だけどもういない。
「……情けな…」
そうやって理解しているつもりでいるのに、どうしたって振り切れない想いがあってそれが更に暗い気持ちに繋がってしまう。
いつまでも過去に拘ってはいられない。わかっているのに、自分に何度も言い聞かせているのに、考え辿り着く思考の果てはいつも一緒で、自分の短慮さに苛々する。
――でも、もうこんなことばかりはしていられない。
確定ではないが私はライダーになれるかもしれないのだから、相棒まで決まってしまったのだから、うじうじと膝を抱えてばかりではいけないはずだ。
無理矢理でも誤魔化しでも、今はとにかく前を向かなくては。
アデラはいなくとも、私の時間は正常に進むのだ。
ここのところ緊張したり興奮している内は少なくともアデラのことを考えなくても済んだと考えてしまう私も、私だ。見詰めて受け入れて、それから――…。
「………うん、よし。反省会終了」
きっとすぐにはこの気持ちに整理はつけられない。
今までみたいにぐだぐだ悩む時だってあるに違いない。
それでもこうやって、このままではいけないと自分に喝を入れられるくらいには進歩したじゃないかと自身を褒めて、私は閉じた瞼の上に片腕を乗せた。
自分で出来るだけ、…出来ないことのほうが多いしまたすぐに落ち込むと思うけど、でもやれるだけのことはやろうと思う。
…助けられなかった、あなたのためにも。それが例え、アデラを救えなかった罪悪感から逃れるためだったとしても今の私にはそれすら必要だから、だから、今はその想いを胸に頑張ろうと決めた。どんな形であれ、前を向いて、ゆっくりでもいいから歩くのだとこの数日の間に考えたのだ。
「……あでら…」
…と、そこまで考えて、ゆらりと襲ってきた睡魔に予想より遥かに疲れていた私の意識は瞬く間に飲み込まれた。