従者の疑問
「お茶を淹れました。どうぞ」
騎士団本部にある自らの書斎で騎士団の備品関連の書類を整理していたエリオットの前に、スッと温かなお茶が置かれた。
顔を上げて見てみれば、その人物はエリオットの予想通り従者のトードだった。
「ありがとう」
「いいえ」
礼を言ってからスッと茶を口に含むと、爽やかな香りが口に広がった。おいしいお茶だ。
トードはやはり良いものを選んでくる能力に長けている。
エリオットが満足げにお茶を味わっていると、盆を持ったまま下がる気配のないトードがじっとエリオットの顔を見つめてきた。
「どうした?僕の顔に何か?」
「いえ。顔は相変わらずかっこいいです。でも質問はあります」
「質問?どうぞ」
「はい。エリオット様によく似た人物を城下の菓子屋で目撃したと度々聞くのですが、貴方が最近ふらりといなくなる理由はそれですか?」
異国の血が混じったトードの金の混じった瞳にじっと見つめられたエリオットはピタリと動きを止めた。
が、すぐに手に持っていた茶を飲み直しながら返事をした。
「そうだね」
「もう!そうだねじゃないですよ。外に出たいなら一言言ってくださらないと」
「次からは気を付けるよ」
「本当ですか?」
「うん、本当」
「……分かりました。次からは私が必ずお供しますからね。それはそうとエリオット様、甘いもの好きでしたっけ?」
「いや、別に」
エリオットが穏やかな表情を変えることは無かったが、トードはきょとんと怪訝な顔をした。
別にと言うのに、何故毎回甘いものを買い求めるのだろう、とそのトードの顔が言っている。
「なんだか怪しいですね」
「怪しい?」
「甘いもの、好きでもないのに食べるようになったのですか?」
「元々、食べようと思えば食べられるよ」
「でも好きでは無いですよね?」
「まあ、そうだね」
「ですよね。ではもう一つ質問です。そもそも菓子を買うのにかかると想定される時間より遥かに長い時間、エリオット様は留守にしていますよね」
「それもそうだね」
「では、買った菓子は何処で食べているのです?」
「そういう話か。まったく、トードは母親みたいだ」
「話を逸らそうとしても無駄ですよ。菓子を買って、一体どこへ行かれているのです?」
エリオットはじっとトードの顔を見たが、ムッと口を結んだトードが目を逸らすことは無い。
長い付き合いの従者が忍耐強い正確なことを知っているエリオットは、小さく肩を竦めた。
「迷いの森に少し」
「……迷いの森?あの迷路のような森ですか?」
「そうだね」
「えっと、でもそんなところ、行ったところで迷いませんか?」
「うん。最初は何時間も迷ったよ。でも段々道が分かってきた」
「それはすごい……ではなくて、一体何をしに行っているのです?まさか迷路の攻略にはまってしまったなんて言いませんよね」
「流石に言わないよ。少し話をしてみたかった人物がいてね」
「少し話をしてみたかった人物?エリオット様が話しをしてみたいと仰るなんて珍しい。でもあんなところに人なんて……」
トードは首をかしげたが、すぐにハッと気が付いて目を見張った。
「も、もしかして南の魔女ですか?」
「そうだね」
「エリオット様は、南の魔女を話してみたかったと仰ったのですか?」
「そうだね」
「あのモサくてダサい芋魔女ですか!?」
思わず不躾に本音を漏らしてしまったトードに対して、エリオットは何も返事をしなかった。
しかし今のトードはエリオットの些細な変化には気が付けず、さらに質問を重ねる。
「何故です?何故モサい芋魔女に会いに行こうなんて思ったのです?」
「何故って、礼をしなければと思って。彼女は先の戦いの功労者だから」
「でも今度、第一王子が直々に褒賞を届けに行く手筈では無いですか。わざわざエリオット様が行く必要など」
「僕は彼女には感謝してもしきれないと思っているよ。それにさっきも言ったけど、少し話をしてみたかった」
「なんで話をしてみたいと思ったのです?」
「トードも見たと思うけど、彼女の魔法が想像を超えたものだったから、少し興味が湧いて」
「エリオット様がきょ、興味?!確かに魔女の魔法はすごいものでしたけど、でも、それだけで?!」
驚愕した顔のトードはエリオットの文机にさらに近付いて、グイッと身を乗り出してきた。
「では菓子は、魔女に会う為に毎回持っていくのですか?」
「それは手ぶらで訪ねるわけにもいかないし、彼女は甘いものが好きだと言ったから」
「甘いものが好きだから!?……そ、それで何回ほど会いに行かれたのです?」
「まあ、実際には会いに行ったというほど大層なことじゃない。礼を言って、菓子を渡して帰るだけだよ。でも最近、やっと挨拶以上の話ができた」
「やっと話が出来た!?……ちなみに、どんなことを話したのです?」
「魔法の話を聞いただけだよ。あとは名前や好きな果物も教えてもらった」
「好きなものと名前も自ら聞いたのですか?!……エリオット様が?」
「そう驚く事かな。名前くらい普通に聞くものだと思うけど」
「いやエリオット様が女性に率先して名前を聞いたことなど、今まであっただろうか……?しかも好きなものまで把握して……」
トードは何やらブツブツ呟いている。
エリオットは特段いつもと変わらない顔でお茶を啜っていたが、目の前のトードは頭を押さえたり天井を仰いだり、忙しそうにウンウン唸っていた。
エリオットは暫くお茶請け代わりに悶える従者を見ていたが、トードはやがて動きをピタリと止めた。
「エリオット様」
「どうした?」
「失礼を承知でお伺いしますが、もしかして貴方はブス専ならぬ芋専だったりするのですか……?」
「芋専?」
「もしかしてあの芋魔女のようなダサい女性が好みだったりするのですか?という意味です」
「え?」
「だから、エリオット様はあのような芋っぽい女性にときめいたりするのですか?」
「……ああ、なるほど。トードは、魔女さんが僕の恋愛対象であるかどうかを聞いてるわけだ?」
「はい」
神妙な顔をして頷いたトードに、エリオットははははと声を上げた。
「まさか。魔女さんは僕たちの命の恩人で、見かけによらず芯の強い女性なんだなという印象以上の事はないよ。ああ、申し訳ないけどお替りを」
エリオットはついでに、お茶のお替りをトードに要求した。
納得し切れていないような顔をしながらも、トードはお茶のお替りを淹れるためにくるりとエリオットに背を向けた。
エリオットはそんなトードの背中を眺めながら、(しかしトードのやつ、何を言い出すかと思えば)とため息をついた。
トードは魔女がエリオットの好みの女性なのではないかなどと勘違いをしていた。
エリオットのよき理解者であるトードが珍しく質問責めにしてくるなと思ったが、なるほど、トードはそんなトンチンカンな考えに至ったわけだったのか。
真面目だけど実は惚れっぽい性格で、過去には隣国の魔女に遊ばれて泣いたこともあるトードは案外恋愛脳なので、エリオットのことも『もしや』と思ったのかもしれない。
だけど、トードとエリオットを一緒にしないで欲しい。
そこにはトードが言ったような事実はない。
エリオットはちょっと魔女の事を知りたくてちょっと話してみたかっただけで、それはすなわち彼女の魔法に興味があるだけなのだ。
なのにそれを恋愛対象だなんて、むしろ恩人である魔女に失礼なくらいだ。
それにそもそも、エリオットは恋愛のことなどよく分からない。
惚れた腫れたとか誰が可愛いとか可愛くないとか、エリオットはそんな事には全然興味がない。
もちろん、誰かを好きだという感情も知らないし、誰かを独り占めしたいという感情もあまり理解できない。
しかも今は異常な魔物が現れて、やるべき事と考えるべきことが山積みだ。
だからエリオットには、魔女にお礼がてら少し話すくらいの時間はあっても、誰かを特別に気にかけるような時間などないのだ。
「トード」
「はい、なんでしょう」
ティーカップを置いて再び書類に目を通し始めたエリオットは、傍で書類整理を手伝ってくれていたトードに声をかけた。
「ここ数年での魔物の被害情報をもう一度見直して不審な点がないか見てくれるかな?それから、隣国の人型魔物についての情報提供をまとめてほしい」
「かしこまりました。一晩で完了させます」
「ありがとう。それと……この茶葉を少し分けてくれないかな」
「茶葉、ですか?勿論構いませんが、何故?」
「いや。甘いものに合いそうだと、ふと思って」
「甘いもの?」
「うん」
「……まあ、いいですけど」
トードは他にも何か言いたげだったが、とりあえず頷いてくれた。