来訪
「改めて、協力してくれてありがとう」
「あ、あの……なんですか、これ……」
ホーネットは両手に辛うじて収まった大きな箱を見ながら、おそるおそる首を傾げた。
目の前には、訪ねてきたかっこいい男性。
そして渡されたずっしりと重い白い箱。
一体、何が入っているのか。
ホーネットは二日前に魔物と戦って、その間も人と話し詰めで中々疲弊していたが、男性がさほど日をおかず再び訪ねてきたので、もう頭がくらくらしてきたところだった。
「それは、今王都で人気のある菓子屋のタルトだよ。後で褒賞も出ると思うんだけど、一足先にお礼をと思って」
「た、たると……」
「タルト、好き?」
「え、えっと、わか、分からないです」
「食べたこと、ない?」
「な、ないです」
「そっか。おいしいよ」
男性は縮こまるホーネットに向かって小さく笑った。
「!!!?????」
目の玉が飛び出るかと思った。
驚いて思わず二度見をしてしまった。
かっこよすぎる男性が、何故か自分に笑いかけている。
ホーネットは、まるでよく分からない状況に混乱していた。
(え?えっ、え?!意味が分から、ない!)
(魔物と戦ったことだって、人の国に住まわせてもらってるんだからお手伝いするのは当然のことだし、お礼を言われるようなことじゃないし)
(わたしダサい魔女で面白い事を言った訳でもないのに、なんで笑いかけられてるんだろう!?)
「魔女さん、それでね、」
「ひいっ!!!!!」
バタン!
ホーネットは驚きのあまり、思わず玄関扉を閉めてしまった。
「ま、魔女さん?!ごめん、僕何かしたかな」
「…………」
扉の向こうで尋ねてくる男性は、何も悪いことはしていない。
しかしタルトも貰って微笑みかけられて、ホーネットの処理能力が追い付かないのだ。
申し訳ないと思いつつも、ホーネットは玄関の横にある傘立ての後ろに隠れていた。
「魔女さん、大丈夫?」
「……」
「もしかして、甘いもの嫌いだった?」
「……」
「もしそうだったのなら謝るよ」
「……あ、あ、あまいものは」
「え?」
「甘いものは好き、です……」
「そっか。よかった」
扉の向こうの男性はボソボソ喋るホーネットの声をなんとか聞き取ったようで、少しほっとしたようだった。
「じゃあタルト、食べてみて」
「……は、はい」
「今日はもう行くね」
「は、はい」
「じゃあ」
「は、はい」
男性がザッザと去っていく音がして、ホーネットはへなへなと床に座り込んだ。
力がもう入らない。
ホーネットは暫くぼんやりとしていたが、ハタと思い立って白いケーキの箱を開けてみた。
高級そうな紙の箱の中からは、宝石と見まごうばかりのべりーがぎゅうぎゅうに敷き詰められた大きなタルトが顔を出した。
「き、きれい……おいしそう……」
ホーネットは、男性から貰ったタルトを大切に食べることにした。
きっともう、こんなに綺麗なものは貰えない。
食べたらなくなってしまうのが悲しいけれど、食べずに捨ててしまうのも辛いから少しづつ少しづつ食べよう。
そう思ってちまちまと食べていたのに、何故か男性は数日と置かずにまたホーネットの家にやって来た。
「え、何で……?」
扉をコンコンと叩く音がして、開けたらまさかの男性がまた大きな箱を持って立っていた。
「これはお礼だよ。魔女さんの活躍は本来こんなケーキなんかに釣り合うものではないけれど、魔女さんは甘いものが好きだと言ってたから」
「わ、わ、わたしお礼言われるようなこと、してないです」
「してくれたよ。誰も歯が立たなかった魔物を撃退してくれた」
「で、でもこの間、もうケーキ貰いました」
「あれだけじゃ感謝は伝えきれないと思って」
「ぜ、全然伝わって、ます!本当に!」
「いや、本当に感謝してもしきれないほどだから。受け取って」
大きな箱を手渡されて、ホーネットはついよろけてしまった。
ホーネットは人に優しくされたことも、こんなにものを貰ったことも無いから分からない。
それに、こんなにかっこいい人が短期間に何度もホーネットを訪ねてくる意味も分からない。
ホーネットに話しかけてくる意味も分からない。
「この間のタルトはおいしかった?」
「あ、は、はい」
「じゃあ、また買ってくるよ」
「え?え、また?い、いいです!」
「お礼だから。遠慮しないで」
「ち、ち、違います。ほ、本当に大丈夫です!え、遠慮はしてないです!!」
ホーネットはしっかりと断ったつもりだった。
しかし男性は、美味しいお菓子を持って来ることを止めなかった。
ある時は綺麗な色のマカロンだったし、ある時はクリームたっぷりのスポンジケーキだったり大きなクッキーだったりもした。
男性がくれるお菓子は、ホーネットが見たこともなかったような綺麗なお菓子ばかりだ。
そしてどれも大きくて、絶対に一人では食べきれないサイズのものばかり。
ただでさえ小食のホーネットは最近、ケーキばかり食べている気がする。
まあ、甘いものだけで生きていける自信はあるし、男性のくれるお菓子はどれもとても美味しくてほっぺたが落ちそうなので幸せではあるのだけれど。
「魔女さん。実は今日、美味しい茶葉も持って来てみたんだ。たまたま手に入ったから」
「お、お茶、ですか……?」
男性は、何故かまた今日もホーネットを訪ねてきた。
片手にはお菓子の箱、そしてもう片手には珍しい色の茶葉が入ったガラス瓶を持っている。
男性はきょとんとしたホーネットの顔をじっと見つめて、何かゆっくり考えるように口を開いた。
「それでね、魔女さんさえ良かったらなんだけど……お茶を淹れて、お菓子を食べない?」
「え?」
「もちろん、都合が悪ければ断ってくれて全然構わないけれど」
「え、えっと、お茶、って、い、いつですか?」
「今だと、どうかな」
「え、えっと、あの、どこで、ですか」
「どこでもいいよ。外の木陰の下にする?」
「あの、そ、それって、わたし一人ですよ、ね……?」
「いや、よかったら一緒に」
「えっっっ???」
ホーネットは、男性が優しくて誠実でダサい魔女の話も聞いてくれる広い心の持ち主だということは感じているから、嘘を言う筈はないとは思っていた。
しかし、流石に今の言葉は耳を疑ってしまった。
(この男の人は今、木陰で、お菓子を食べてお茶を飲みたくて、でも、誰と一緒に????)
きょろきょろと周りを見回す。
しかしどれだけ確認してもこの場には、男性とホーネットしかいない。
……ホーネットは、史上最高に緊張した面持ちで木陰に正座をしていた。
少し離れた隣には、男性が座っている。
横顔は彫刻のようにきれいで、まつげが長い。鼻も高くて、おでこも滑らかできれいで、やっぱりとてもかっこいい。
男性を直視できなくて目を逸らすも、やっぱりホーネットの緊張は収まらない。
もはや、今この場で土に埋めて欲しい程緊張している。
体は強張って石像のように動かないし、折角男性が切り分けてくれたナッツのケーキも、手を伸ばした瞬間に緊張でガクガク震えてしまうだろうから食べられない。
(ど、ど、ど、ど、どうしたらいいの)
(わ、たし、ほんとうにどうし、たらいいの)
しかし男性は親切にもホーネットの緊張を和らげようとしてくれているのか、お茶まで淹れてくれた。
「魔女さん。申し遅れてしまったのだけど、僕はエリオット・メレオライトといいます」
「え、え、え、エリ、オッさ、んですか」
エリオットは自分の名前を滅茶苦茶に発音されたというのに、それでも小さく笑っていた。
やはり器の大きな人だ。
「魔女さんにはお世話になったのに、自己紹介もしてなかったと今更気が付いて」
「あ、い、いえ……」
「魔女さんの名前も、教えてもらってもいい?」
「わ、わ、わたしなんかの、な、な、な名前ですか?」
「はい」
「あ、あ、わたし、ホ」
「ホ?」
「ホー……ホー、ネット、っていい、ます」
「ホーネット。うん、覚えた」
そう言って頷いたエリオットは、何故かコホンと咳払いして話を続けた。
「折角だから、ホーネットさんって呼んでもいい?」
「?????!!!!!」
(え???????!!!!!)
(わたしの、なまえ?!ホーネットって呼んで、くれるのは、お芋さんたちしかいないのに?!)
(わたし、誰かには芋子としか呼ばれたこと、なかったのに?!)
無理だ。
良く分からないけど、このかっこいい男性に名前なんて呼ばれたらきっとホーネットは破裂して死んでしまう。
血液が沸騰して心臓が暴走して爆発して死んでしまう。
だから、絶対にそんなの無理だ。
反射的に木々の間に隠れてしまったホーネットを見て、エリオットは慌てて「魔女さん」と呼び直した。
そして嫌な顔一つせずに、ホーネットが木陰に帰ってくるのを待っていてくれた。
ホーネットが木陰に正座し直すと、エリオットはまだ手付かずのホーネットのケーキを手で示した。
「そうだ魔女さん、まだケーキに手を付けていないようだけど、食べてみて」
「あ、は、はい」
ケーキを食べる為に伸ばしたてはまだ震えてしまうけれど、ホーネットと呼ばれるよりはまだダメージは少ない。
カタカタカタ。
震える手が食器同士を鳴らしてしまうけれど、もう後戻りはできない。
ホーネットはケーキを切ってさしたフォークを何とか口まで運び、エイッと中に入れた。
緊張で殆ど味は分からなかったが、何となく美味しいことは分かった。
甘くて優しくて、包まれるようなフワフワとした食感だ。
「おいしい?」
「あ、は、はい。美味しい、です」
「良かった。ナッツが好きなの?」
「あ、えっと、は、はい」
「他には?魔女さんのこと、もう少し知りたい」
「え????!!!!!」
「あ、いや、果物とか、今度ケーキ買う時の参考になればと思っただけだよ。あと魔法の話を聞いてみたい」
「あ、あの、わ、わたし、えっと、果物だと桃が好き、です。それから魔法は……」
…
その晩、ベットで顎まで布団をかぶったホーネットは昼間の事を思い出しては心臓が破裂しそうになるという現象を繰り返していた。
(え、え、え、エリオット、さんと話して、一生分の運を使い果たしちゃった、気がする)
(それからわたしは、一生分、喋った、気がする)
(なんだか不思議な、時間だったなあ)
(緊張してただけで過ぎちゃった、けど)