劣勢
迷いの森の奥にある芋魔女の家。
「お、おはよう、お芋さんたち」
昼過ぎ、庭の畑に屈みこんだホーネットは芋たち相手に挨拶の練習をしていた。
片手には、『これで貴方も人気者!挨拶の基本』という題名の本を持っている。
「や、やっほー」
「ちょ、調子はどう?」
「今日もか、かわいいね」
畑にいる芋の蔓たちはホーネットの挨拶を聞きながら、うねうねと生き物のように動いて思い思いの事をしている。
挨拶の練習に付き合って律儀に頷いてくれる子もいれば、長い練習に付き合わされて飽き始め、ホーネットの髪を三つ編みに編んでいる子や土の中に帰ってしまった子もいる。
しかしホーネットの挨拶の練習は謎の男性に道案内をした事をきっかけに今まで続いていて、もう毎日の日課になっていた。
(魔法学校にいた時は救護室の先生とだけは喋ってた、けど、今は全然人と喋らなくなってて、益々お喋り出来なくなってるから、練習)
(もしもまた道に迷った人が来たら、次はきっともう少し上手に、道案内ができるように)
(友達が欲しいとか、そんなことまでは願わないからせめて、怖がらせたり、おどろかせたりしないように)
暗記をするように何度も挨拶のフレーズを繰り返して、ホーネットはふと、頭上に広がる朝の空を見上げた。
どこか濁ったような色をしていて、何となく肌にまとわりつくような風が吹いている。
今日は少しおかしな天気だ。
雨が降りそうなグレーの空なのに、結局雨は降らなかった空模様。
思えば、謎の男性が訪ねて来た日もこんな色の空だった。
(そういえばあの男の人、急いでたけど、ちゃんと用事に間に合った、かな……?)
…
「全軍、臨戦態勢!くるぞ!!」
精鋭騎士が集まった第一騎士団を率いる第一王子エルトリッドの鋭い号令が響いた。
騎士たちが武器と防具を一斉に構える音がする。
太い叫び声と唸り声が、両側にある崖に反響する。
現在エリオットと第一騎士団第二騎士団の合同軍がいるのは、南の国境付近。
数か月前にエリオットが人型の魔物と遭遇した地点だ。
そこに、人型の魔物が再び軍を率いて現れたのだ。
突然の事だったが、報告を受けた騎士団は対魔物訓練を重点的に行っていた第一第二団を中心に編成された。
騎士団が到着した時には民が魔物に何人か襲われた後だったが、騎士団はこれ以上の被害を出さない為、迅速に交戦を開始していた。
「例の人型は、今回は更に多くの魔物を連れている」
エルトリッドの呟きに対して、補佐として横に立っていたエリオットは静かに頷いた。
「はい。群を抜いて不気味な魔物です」
「そうだな。奴に私たちの策が通じるといいがな」
「……」
魔物は南の国境の先にある時空の裂け目から出てくるのだと推測されていて、本来なら野生動物のように人里に降りてきて欲望のままに人を襲ったり暴れるだけなのだが、今回もやはり状況が違う。
人型の魔物が多数の魔物を統率し、計画的に攻撃を仕掛けてきている。
今までこんなことは無かった。
文献を手当たり次第読み漁ったが、知能を持った魔物が群れで王国を襲ってきた事例はあっても、まるで騎士団を真似したように統率を取って攻めてきた事例は一つも無かった。
今回も先日のように撃退できるといいが、なんとなく嫌な予感がまとわりつくようにして離れない。
長い黒髪で切れ長の目を持った人型の魔物が、対岸でエリオットを見つけてにやりと笑った気がした。
しかしエリオットが魔物が笑った理由を考えるより先に、人型魔物が動いた。
更なる突撃の号令をかけたかのような動きだった。
「来るぞ!!第一騎士団前列はそのまま戦線を維持!第一騎士団後列及び第二騎士団は私の指揮の元迎撃態勢!」
怯むことなく先頭に立ち、的確な指示を出すエルトリッドの号令に再び騎士たちが動いた。
歪な触手や欠けた牙をむき出しにして向かって来る魔物の軍勢を、正面から迎え撃つ。
地響きがして、両者が激突する。
隊をなして突撃してくる猿のような見た目をした魔物を盾が受け止め、槍を突き立てる。
頭が幾つもついた犬のような魔物の攻撃を躱し、剣で刺し貫く。
蛇と獅子が混ざったような魔物からは距離を取り、一斉に矢の雨を降らせる。
「各個撃破を徹底せよ!孤立はするな!」
自らも腰の剣を引き抜いて戦場の真ん中に降り立ったエルトリッドが叫ぶ。
しかしエルトリッドの目の前で、攻撃を防御し切れなかった騎士が一人倒れた。
渾身の一撃を躱され、隙をつかれた騎士も負傷して後ろに下がる。
「負傷者は下がれ!陣形は崩すな!」
「第二騎士団も援護射撃を!弾幕を厚く!」
最初は何とか魔物の攻撃を受けきれているように思えた騎士団だったが、じりじりと圧されてきている。
エリオットは思いつかない打開策を考えながら、ぎりっと唇を噛んだ。
「うぐ!」
うめき声が上がる。
剣先が虚しく空を切る音や槍先が欠ける音が激しくなってきて、とうとうエルトリッドの横を守っていた騎士の一人が尻もちをついた。
「危ない!」
「兄さん!」
エリオットとエルトリッドの叫びは、全く同時だった。
そして、尻もちをついた騎士を咄嗟に庇ったエルトリッドが魔物の爪で背中の防具を切り裂かれたのと、エリオットが槍で魔物を貫いたのもほぼ同時だった。
「助かった」
「でも防具を貫通して皮膚が少し切れています。兄さん、無茶は止めてください」
「少しの無茶で仲間が助かるのなら止める道理はないだろう。だがまずいな。圧されている」
「はい」
「準備が足りなかったのかもしれない。得体の知れない敵への対策が甘かったのかもしれない。だが、このまま突破されるわけにもいかない」
「はい」
戦況が芳しくないことを肯定しながら、エリオットはエルトリッドを引き摺るように後ろまで撤退し、白い包帯を手早く巻いて応急処置を施した。
エルトリッドは処置されている間何やら考えていたようだったが、やがて決断したように口を開いた。
「援軍を呼ぶ」
「第三、第四騎士団ですか?彼らまで呼んでしまえば王都の守備が手薄になり過ぎます」
「いや、騎士団ではない。第三の勢力だ」
「第三の勢力?」
エリオットが首をかしげるが、エルトリッドは大きく頷いた。
「我が王国の西の辺境には雷轟の魔女が住んでいただろう。魔女たちは俗世のごたごたに巻き込まれるのを嫌うが、緊急事態だ。彼女に助力を頼む」
「魔女、ですか」
「ああ。魔女の魔法ならば、打開策になり得るかもしれない」
「確かに魔法は強力ですが、手を貸してもらえるでしょうか?」
「同じ国に住んでいるんだ。こういう時くらい協力を要請しても罰は当たらん。それに魔女も魔物は嫌いな筈だからな」
言うが早いか、エルトリッドは伝令兵を呼びつけた。
確かに魔女は大きな戦力になり得るかもしれないが、俗世離れしている彼らと共闘するという選択は騎士の誰もが考える事ではなかった。
しかし柔軟に物事を見定めて時に突拍子もない策を弄する姿勢は、エルトリッドの人を惹き付けるカリスマ性を構成する一部だ。
エリオットは騎士団で一番早い馬を用意し、エルトリッドが呼んだ伝令兵に乗るように指示して全速力で走らせた。
「得体の知れない魔物には、人知を超えた魔法で応戦する!魔女が来るまで持ち堪えろ!」
今までとは勝手の違う魔物たちに圧されているばかりだった騎士たちは、魔女の加勢に小さな希望を見出し、奮起の声でエルトリッドに応えた。
「只今帰りました!」
馬も伝令兵も頑張ったのか、雷轟の魔女は思ったよりも早くやって来た。
これで戦況が変わる。誰もがそう思ったが、次の瞬間違和感を感じた。
何やら様子がおかしい。
魔女はまるで洗濯物のように馬にぶら下がっており、ピクリとも動かない。
「北に住んでいる雷轟の魔女を連れてきました!でも彼女、二日酔いで動けないそうです……!」
「えっ」
辛うじて防衛を続けていた騎士たちは、小さな呟きを漏らす。
エリオットには彼らの落胆が手に取るように分かった。
雷轟魔法は最高ランクの魔法だと聞く。
それはもう、一騎当千と言ってしまっても過言では無いくらい人知を凌駕した力だ。
手に負えない魔物と対抗できる術が王国にあるとすれば魔女だけだという雰囲気になっていたのに、実際の魔女は使い物にならなかった。
「……じゃあ、東の篝火魔女は?」
「東にも馬を走らせました。でも篝火魔女は帰省中とのことです」
「く……では北の秋雨魔女は」
「この間結婚して、もう我が国にはいません」
「そうか……。分かった。ならば力業で雷轟魔女の酔いを冷ますか」
馬に無残にぶら下がったままの魔女をどうにかして起そうと試みたエルトリッドが、魔女に一歩近づいた。
だが次の瞬間、「うおええええええええええ!」と声を上げた魔女が盛大に吐いたので、近づくことも困難になってしまった。
「ど、どうしますか殿下……」
騎士の一人が弱弱しい声を出した。
エルトリッドは狼狽えるなと騎士を叱咤したが、その顔もまた渋いものだった。
魔物はもうすぐそこまで迫っている。
疲弊した騎士たちの防衛線も、きっともう何時間ともたない。
蠢く沢山の魔物の後ろで、あの人型の魔物が笑っている。
あの人型の魔物が突然現れてから数か月。
エリオットは出来る限りの情報集めに奔走した。考えうる限りの防衛対策を練ったり、新たな戦略の訓練も怠らなかった。
しかし、どれもこれも人型魔物には通用しなかった。
聖女は最後の最後まで援護を嫌がって今も城の中で遊んでいるだろうし、頼みの綱だった魔女も二日酔いで戦力外。
騎士団はもしかしたらここで終わってしまうのだろうか。
大した抵抗も出来ずに、あっけなく。
「成す術なし、か……」
「……いや」
唇を噛んだエリオットを、一人否定した者がいた。
顔を上げれば、エルトリッドが組んだ腕を解いたところだった。
「この国に魔女がもう一人いる。南の魔女だ」
「……あ」
言われてから思い出した。
この数か月、エリオットは迷いの森で道案内をしてくれた芋魔法を使う魔女の事などすっかり忘れていた。
「……でも」
この国にいる4人目の魔女、もさもさの芋魔女。
何を喋っているのかよく分からなくて要領を得なくて、ぶかぶかのローブを着て前髪で顔を隠した内気な魔女。
巷では、芋魔法は最低ランクの雑魚魔法で、下手をすればそのへんの虫よりも弱いかもしれないと言われている。
芋の魔女が民たちの間で「もさい」だの「ださい」だの言われていることもエリオットは知っている。
現に、エルトリッドの言葉を聞いた騎士たちもざわつき始めている。
「エルトリッド殿下、まさかあのモサい芋魔女に協力を仰ぐとか言い出したりはしませんよね?」
「いやいや芋魔女では雷轟魔女の足元にも及びませんよ。足手まといになるのがオチです」
「芋魔法なんて最弱のザコ魔法ですよ。そんなしょぼい芋魔女を呼び出したところで、この窮地で何ができるんですか?」
騎士たちはエルトリッドに迫ったが、エルトリッドはもう腹を決めたように言い切った。
「南の魔女にも協力を頼む。彼女も腐っても魔女だろう。私たちが持たない打開策を持っているかもしれない。エリオット、確か最近迷いの森に入っていたな。魔女を連れてきてくれるか」
自分を強く信じ抜けるところもエリオットが憧れる部分ではあるが、芋魔女を連れてきても戦況は変わらないのでは、とさすがのエリオットも思った。
だが、こうなってしまえばエルトリッドが意見を変えることは無い。
エリオットにできるのは、兄の選択が最悪の結果にならないように努力することだけだ。
「最近、というか数か月前です。でも迷いの森に近づいたことすらない者に比べたら、魔女の家に辿り着く役目は僕が適任かもしれないですね」
「なるべく早く頼む」
「善処します」
エリオットは静かに頷き、従者が引いてきてくれた自分の馬に跨った。
迷いの森には最初に人型魔物に襲われた時に入って以来だから、迷わずに魔女の家に辿り着ける自信はないが、やるしかない。
そして、あの内気で気弱そうな魔女が微かでも打開策を持っていてくれればと祈るばかりだ。