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エリオット



この晩の王城は少しばかり賑わっていた。

豪華なシャンデリアの下、増員された楽団が絶えず舞踏曲を奏でる社交パーティが開かれているのだ。

招待されてめかし込んだ貴族たちは思い思いに踊ったり酒や料理を楽しんだり、おしゃべりに興じている。


そんな中、ひときわ目立つ絹のドレスを身にまとった金髪の女性がヒールを鳴らして歩いていた。

客たちは女性とすれ違うと、頭を下げたり挨拶をしたりする。


「聖女様、ご機嫌麗しゅう」

「あらこんにちは」

「聖女様、今日もお美しい」

「ありがとう」


聖女と呼ばれた女性は挨拶には笑顔で返しながらも、何かを目指して真っすぐに歩いていた。


しかしやがて一人の男性の後ろ姿に追い付いて、女性はピタリと足を止めた。


「エリオット、ここにいたのね」


エリオットと呼ばれた背の高い男性は人を避けるようにして従者と共に会場の隅にいたようだが、声をかけられて振り返った。


「スフィリア」


美しい顔のエリオットに名前を呼ばれて、金髪の女性は微笑んだ。

男性の従者は気を利かせたようにすっと姿を消して、女性はエリオットの隣に収まった。


「やっぱりエリオットは人と話すことにあまり興味が無いのね。特にご令嬢達。彼女たちは貴方と話したそうにソワソワ貴方を見ているけど」

「いや、彼女たちも僕とそんなに話したいわけでは無いと思うよ」

「そんなことないわ。彼女たちは隙さえあれば貴方に群がって来るわよ。憧れの貴方にお近づきになりたい下心満載の女の子ばっかりですもの」


エリオットはイエスともノーとも言わず、整った顔で小さく笑った。

ハッキリと言及するのを避けたようにも見えるし、返事が面倒くさかったのを上手く隠したようにも見える微笑みだ。

しかしスフィリアはエリオットが困っているのだと捉えたようで、「大丈夫よ」とエリオットに更に近付いた。


「私は分かってるわ。貴方は基本、令嬢なんかに興味ないものね。でも私が隣にいれば大丈夫よ。私がいれば、彼女たちはそうそう貴方に近づいて来れなくなるから」

「近づいてほしくないだなんて、そんな冷たいことは思っていないよ」

「あら、私には正直に言っていいのよ?貴方は誰にでも親切で誠実だけど、実は興味ないものにはとことん興味ないじゃない。私だけは知ってるんだから」

「そんなことはないよ」


否定して微笑んで見せたが、エリオットは確かに興味のないものに使う時間ほど無駄なものは無いと思っている。

この社交パーティも第二とはいえ王子だから来客の相手はするが、深く個人の事を知りたいとも思わない。

王族という立場上、良い関係性を築いていかなくてはならないことは心得ているが、令嬢達をはじめとした多くの貴族たちに対して義務感以上の感情は持てない。


しかしエリオットがそれを言葉で否定しても、スフィリアは首を振る。


「エリオットは昔からそうなのよ。私にはバレバレなんだから」

「……そうかな」


何度も否定するのも、実際にエリオットがスフィリアと話すようになったのはスフィリアが聖女に選ばれたたった2年前の話であると突っ込むことも、どちらも放棄したエリオットは、もう微笑むだけで黙っていることにした。


しかしスフィリアはエリオットの微笑みを再びいいように解釈したらしく、満足気にニッコリした。

そして通りかかった給仕を呼び留めて酒の入ったグラスを2つ手に取り、エリオットにその一つを手渡した。


「飲みましょ」

「いや、遠慮しておくよ」

「あらどうして?」

「お酒を飲みたい気分じゃないんだ」

「じゃあ、今日も早く帰っちゃうの?」

「そうだね。今晩のうちにやっておかなくてはいけないことがあるから」

「ふうん……」


スフィリアはあからさまに機嫌を損ねたようで、唇をツンと尖らせた。


しかし機嫌を損ねたはずなのに、何故かスフィリアはエリオットの腕に自分の腕を絡めようと手を伸ばしてきた。

エリオットは踊る男女を避けるふりをしてスッとスフィリアから身を躱し、自然に立ち去ろうと試みた。

だがスフィリアはまだ逃がしてくれる気は無いようだった。


「あ、待ってエリオット。じゃあ今夜は飲まなくてもいいから、もう少し話しましょ、ね?……そうそうこの間は大変だったのね。被害を最小限に抑えて魔物を撃退したって聞いたわ」

「その話か。そうだね、あの日は大変だった」


先日のエリオット率いる第二騎士団が遠征へ行った帰りの話だ。

南の国境付近で、エリオットたちは最近は大人しかった筈の魔物の軍勢に襲われた。

人型が率いていた魔物の軍勢の不意の奇襲に、エリオットも手練れの騎士たちも不覚を取られた。

なんとか体勢を立て直して応戦したものの、戦況は芳しくなかった。

そこで騎士たちは、援軍を呼びに行く役目を担うようにエリオットを説得した。

本来なら指揮官であるエリオットは何が何でも残るべきだったのだがその人型の魔物が異常で、何故かエリオットに執着しているような素振りを見せたので、エリオットは騎士たちの総意によって一時戦線から離脱することになった。

エリオットは渋々走り出し、幼い頃に使ったことのある最短ルートを使って王都を目指した。

途中で迷ってしまったが何とか王都に辿り着き、兄である第一王子の第一騎士団の援護を得て何とか魔物を撃退したというのが事の顛末だ。


「最近は魔物が民を襲う事例も少なくなっていたと思ったのに、いきなり人型の魔物が他の魔物を率いて襲って来たんでしょ?しかも貴方を狙って。ちょっと異常よね」

「人型の魔物は何十年に一度見るか見ないかの希少種だ。しかも他の魔物たちを従えているとなると、ちょっとどころではなくかなりの異常事態だよ。それこそ、こんなふうにパーティに悠長に出席している場合じゃない」

「もう、エリオットってば。皆を無駄に心配させないためにって名目で、パーティはパーティで楽しめばいいのよ」

「……いや、兄さんとも話しているのだけど、何か恐ろしい事の前触れな気もしていて、心配なんだ」

「恐ろしい事って、でもまだ起こったわけじゃないでしょ?現に第一騎士団が撃退してるんだし大丈夫よ」

「何かあってからでは遅いよ。僕は国も民も傷付けさせたくはない」

「エリオットってば真面目過ぎるわ。もう少し羽目を外してもいいのよ?」


真剣な顔をしているエリオットに見せつけるように、スフィリアはグラスの中の酒をグイーッと一息に飲み干した。


「エリオットも、飲んでくれればいいのに」

「また、機会があったら。それより魔物の話だけど、スフィリアにも聖女として協力を仰ぐ事になると思う。その時までにもっと研鑽を積んで準備をしておいてくれるとありがたいな」

「えっっっ??!!」


エリオットは逸れて行きそうだった話を元に戻しただけのつもりだったが、何故かスフィリアはグラスを取り落としそうになる程驚いた声を上げた。


「どうしたの?スフィリア」

「どうしたもこうしたもないわよ。私に協力を仰ぐって、それは嫌よ」

「え?」

「だって、相手は魔物でしょ?なんでエリオットは私を戦場に連れて行こうとするの?!私が死んじゃうかもしれないのよ?ここは『君は安全なところにいてくれ』って言うところなんじゃないの?しかも研鑽ってなに?私はもう生まれ持った素晴らしい力があるの!聖女なの!十分凄いでしょ?!なのにまだ何かしなきゃいけないの?」


酒は先ほど飲んだばかりだし、まだ酔っているという訳でもなさそうなスフィリアは真剣に憤っているようだった。

何かスフィリアの逆鱗に触れるようなことを言ってしまったらしいと考えながら、エリオットは誰にも聞き取れないような小さな溜息をついた。


「……誤解させたのなら謝るよ。僕はもちろん君を危険に晒したいわけでは無いよ。でも君は聖女で、癒しの力を持っているよね。君が戦場にいてくれたら皆心強い筈だから」

「だから嫌よ!無理!私、女の子なのよ!エリオットは私が怪我したり危ない目に遭ってもいいわけ?」

「そんなことは言ってないよ」

「しかもエリオットは私に汗水たらして研鑽しろって言うし。何にも持ってない凡人ならともかく、私は選ばれし聖女なんだし、男なら女の子に努力とかそんな面倒なことさせないでよね」

「……君の今の聖女の力も素晴らしいけど、もう少し多くの人を癒せるようになれたらいいと思わない?」

「もっと多くの人間癒せるようにって、私にもっと働けってこと?そもそも人を癒せる力って私しか持ってないでしょ。私はもう十分凄いでしょ?」

「……分かったよ」


小さく首を振ったエリオットは文句を言うスフィリアの横を通って、スッと王城のバルコニーへと移動した。

バルコニーには酔いを冷ましている数人の客と、夜空に浮かぶ月しか先客はいない。


「ねえエリオット、待ってよ」


スフィリアは予想通りエリオットの後をついてきて更に何やら訴えているが、この場所であれば多少うるさくても周りの迷惑にはなるまい。


「エリオットってば」

「大丈夫、聞いているよ」


バルコニーの隅で立ち止まってスフィリアの方に振り向くと、スフィリアはホッと安心したような顔をした。

そしてエリオットに甘えるように寄って来て、バルコニーの手すりにもたれて隣に並ぶ。


「ねえ、もしかしてエリオット、貴方は真面目だから私の事をみんなと平等に扱おうとしてる?だから戦場に駆り出すとかそういうことを敢えて言ったの?じゃあ私たちの関係が正式に変わったらその問題も解決されるかしら」

「関係?」

「そうよ。エリオットは、陛下から婚約者の事とか聞いてない?」

「婚約者?」


スフィリアはお互いだけが分かるような内緒話をしているかのような声色だが、エリオットの方は彼女が何を話そうとしているのかさっぱり分からないままだった。


「そうよ。第一王子は早く婚約者を決めろってせっつかれてる状況だし、一つ違いの貴方もそろそろ婚約者も決めなきゃいけない時期じゃない?陛下は何か言ってなかった?」

「婚約者について?」

「そうよ。陛下に貴方の婚約者について話をしたら、まず貴方に意中の相手がいるか聞いてみるって言ってたわ。何か聞かれたでしょ?」

「いや……。ごめんね、よく覚えていないんだ」

「え?覚えてないの?」

「そんな質問をされたことは覚えているけれど、婚約者だとか意中の相手だとか、人ごとにしか聞こえなくて。なんと答えたかは覚えていないかな」

「え……ええっ?!」




そろそろパーティ会場の半数に酔いが回ってきたと思われる時点で、エリオットはスフィリアと別れた。

スフィリアはあれから何杯かお酒を飲んでいたが、顔見知りの貴族に預けてきたので心配はない筈だ。


王城の敷地内にある騎士団本部に行こうと従者と合流し、エリオットは関係者と別れの挨拶をかわしつつ、パーティ会場を後にする。

そして絨毯が敷かれた廊下を進んでいると丁度、華やかなドレスを身に着けた令嬢たちの一団が向こうの角からやってくるところだった。


「そういえば聖女のヤツ、第二王子にくっついてこれ見よがしに私たちのこと睨んでたよね。あれ何のつもりだろうね?」

「スフィリアでしょ。あの子、数年前まで私たちと同じ普通の令嬢だったのに、いきなり資質があるって抜擢されて、何にもしなくても今や天下の聖女様だもの。王子だって思い通りに出来るって思い込んで調子に乗っているのよ」

「なるほどね。でも、なんであの子なんかが聖女の資質を持ってたのかしら。顔も中の下。体型も中の下。性格も普通に悪いし、聖女らしく振舞おうとする責任感すらもないみたいだし」

「そうよね。スフィリアが男好きの生臭聖女だってバレたり、何か不祥事起して失墜しないかしら。もしくは、力が突然消えてなくなったとかでもいいわ」

「ほんとそれ!私たちからしたらあんな聖女、何のありがたみも無いしね。ただの令嬢がラッキーで聖女に選ばれただけなんだから」

「運でこんな格差ができるなんて、本当に理不尽よね」


着飾った令嬢たちはああだこうだと大きな声で話しながら、廊下を闊歩している。

エリオットは令嬢たちに姿を見せないように足を止め、従者と共に彼女たちが歩き去っていくのを待っていた。


「その話で言うと、聖女が今狙ってる第二王子は顔もいいし性格も穏やかで、結婚しても国母にはならなくていいから超楽よね。結婚するなら最高の相手じゃない?」

「それはそうかもね。第二王子はやっぱり顔以外第一王子には及ばない感じはあるけど、そのあたりはいくらでも妥協できるし」

「うんうん、第二王子は顔は最高ランクよね。でもやっぱり私も強くてカリスマ性のある第一王子派かもだけど」

「私はこの際どっちでもいい。ああ、私も聖女に選ばれていれば、王子たちとも簡単に仲良くなれたんだろうなー。いいわよね、聖女は聖女って言うだけで特別扱いしてもらえて」

「あー、チヤホヤされて楽して暮らしたーい」

「あー、聖女の資質欲しー」



令嬢たちが大声で話す会話が嫌でも耳に入ってしまったエリオットは無言のまま、進むことなく踵を返した。

騎士団本部へは遠回りになるが、令嬢の一団を避けて別の道を使うことにする。


「エリオット様」


後からついてきた従者がエリオットに声をかけた。

いざという時はエリオットの影武者にもなれるような、エリオットと背丈のよく似たトードという従者である。

エリオットと付き合いの長いトードは、エリオットの心中を察していたようだった。


「なんだか、令嬢とはあんな輩ばかりですね。人を妬んで他人の不幸を願ったり、幸運がやってくるのを寝て待ってるような人間ばかり。彼女たちに言及されてしまうほど聖女も怠惰が目立ちますし、しかもエリオット様は微妙に悪口言われてましたし」

「ははは」

「笑いごとですか」

「まあ僕の話は置いておいて、妬みや怠惰は令嬢や聖女に限った話でもない。あれくらいは良くあることだよ」

「そうでしょうか」

「みんな、多かれ少なかれ思うものだから」


頷いたエリオットもまた、ああいう感情を知っている。

第一王子である年子の兄が自身よりも遥かに優秀で、常に結果を残してきた人間だったから、いつも兄と比べられたエリオットは先ほどの令嬢達と同じようなことを思っていた時期がある。


兄が秀でているのは与えられた才能のおかげだ。だが自分にはそれがない。何故自分にだけ与えられなかったのか。不公平だ。努力なんて無駄だ。永遠に追いつけることはない。何もしたくない。恵まれて生まれた兄が羨ましい。兄のようになりたい。褒められたい。妬ましい。理不尽だ。


でも、ある日のエリオットは気が付いた。

兄よりは恵まれていないかもしれないが、誰かを妬むことが烏滸がましい程には、自分は十分に持っている。

王族として既にある程度の力ある地位に生まれ、最高とは言えなくても悪くない能力を与えられ、不足の無い環境で学ぶことも訓練することも許されているのだから、文句なんて言うべきじゃない。

そのことに気が付いたから、エリオットは自分なりに努力を続けてきた。

兄に追い付けるように、王子として恥じない力を身につける為に訓練をした。

民を守り、騎士と共に戦えるように日々精進した。

辛いと思うこともあったし全部放り出してしまいたいと思うこともあったが、今はそれをしなくて良かったと思っている。


でも、だからエリオットの方が令嬢達より優れていると言いたい訳じゃない。

研鑽はしたくないと言い張った聖女より自分が崇高だと思っている訳じゃない。


人それぞれ考え方が違うから、彼女たちがどんな意見を持っていても別にいい。

それが彼女たちの生き方なのだから、エリオットには関係ない。

でも一つ言えるのは、あの聖女と本当の意味で話が合うことはこの先無いだろうし、エリオットがあの令嬢達と直接話してみたいと思うことも永遠に来ないのだろうという事だけだ。



「もういこう、トード。明日の騎士たちの練習試合の予定を詰めよう。それから、過去の人型魔物についての文献もまとめる」

「かしこまりました。徹夜はもう許しませんけど、私もお手伝いしますね」




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