敗北
少し戦闘の描写があるので苦手な方はお気をつけください
魔女の芋蔓でそれ以上進めなくなり、安全な場所から指を咥えて見ている事しかできなくなってしまったエリオットたちは、目の前の攻防に息をのんでいた。
あのホーネットの最低ランクの芋魔法は、実は強かったのだということは分かっていた筈だった。
でも、いまエリオットたちが目撃しているホーネットの魔法は前回のそれ以上だった。
きっとあの時のホーネットはまだ、全力では無かったのだ。
廃墟と抉られた地面しかなかったはずの丘の上は、巨大な蔓と巨大な蛭がうねり合って絡み合って引きちぎり合って、まるで樹海の化け物がぶつかり合っているような光景だ。
雑魚の魔物たちはその戦いの余波で押しつぶされて、王都に辿り着く前に悲鳴を上げて潰されていくが、巨大な蛭たちは人型魔物の体の一部らしいのに、芋蔓に吸い付いては栄養を補給してどんどんと数を増やしていく。
一方のホーネットの方は、その芋蔓の再生力と生命力を最大にまで引き上げて応戦しているようだった。
「ふふふ、素敵ですね魔女さん。それはそれは食べ応えがあります」
「食べられる気は、無いです」
「良いですよ、魔女さん。食べられる気満々の食事など興醒めですからね」
エリオットがいる場所から二人の会話を聞き取ることは出来ないが、魔物は遠くから見ても分かるほど嬉しそうにヘラヘラと笑っていた。
しかしホーネットにはいつものおどおどとした表情は見受けられない。
長い前髪が汗と泥で張り付き、顔も頬の怪我も露わになっていても、ホーネットはしっかりと前を向いている。
野暮ったい筈の黒のローブが砂塵と共に舞い、バサバサと音を立てた。
魔女の紫色の瞳が、魔物の姿を射抜く。
「わたしは貴方に敗ける気も、無いです」
ホーネットが、相棒と呼んでいた大きな芋蔓の上に飛び乗った。
ついでに、何故かその場にいたスフィリアも脇から生えてきた細い蔓に巻き取られて、蛭や芋蔓が地面に打ち付けられるたびに爆風が起こって危険な地上から助け出されていた。
ホーネットの相棒である芋蔓はホーネットを載せている蔓で蛭たちの牙を素早く躱し、その隙をついて瞬時に生やした別れ枝を鋭いレイピアのように尖らせて、容赦なく蛭の口に突っ込んだ。
芋蔓は蛭の体内でも枝を伸ばし、蛭を串刺しにしてそのまま魔物の体から引きちぎった。
どろりとした液体をまき散らし、ゴムのような巨大蛭が大きな音を立てて地に落ちる。
「ちょっと痛いですよ。見かけによらず乱暴ですねえ」
「貴方はここで倒さなくては、いけませんから」
ハヤブサのような勢いで蠢く巨大蛭の間を駆け抜ける芋蔓に乗ったホーネットは、次々と蛭たちの腹を裂き、その巨体を蔓で刺して地面に縫い留めていった。
エリオットは何もできないもどかしさを感じつつも、ホーネットの圧倒的な強さに見入っていた。
隣に立つ兄のエルトリッドも、エリオットとほとんど同じような表情でその場に立っていた。
「兄さん、このままであれば」
「ああ、南の魔女の優勢だ。このまま彼女が競り勝てば、人型魔物の脅威は消える」
エリオットはコクリと頷いた。
そうだ。
この戦いは、きっとホーネットの勝利で終わるだろう。
ホーネットは普段内気だが、引いてはいけない時に絶対に負けたりしない。
人生の大部分を自分の魔法に注いだ真摯なあの魔女は、きっと人から奪った力で戦う魔物などに負けることは無い。
彼女の頑張りが、こんなところで敗ける筈がない。
積み重ねてきたものが、あんな魔物に崩せるわけがない。
しかし、エリオットとエルトリッドの半歩後ろで戦いを見ていたレベッカは、眉根に皴を寄せていた。
「ぶりっ子リリアーネと雪山の魔女と洞窟の魔女、それから篝火魔女の力が本当に合わさった魔物だって言うのなら、あれだけで終わる筈ないじゃない……」
結果は、レベッカの懸念した通りだった。
人型魔物はホーネットの猛攻を受けても、終わらなかった。
巨大な蛭がどれだけ串刺しになろうと、蛭はホーネットの芋蔓に吸い付いて回復する。
魔物は決して倒れないばかりか、微笑を絶やさなかった。
「食べれば食べただけ強くなる……これは私に与えられた特別な力なのでしょうね」
「そ、それでも……」
疲弊してきたホーネットが魔力を直接芋蔓に伝える為に大地に降り立って、手を地面に押し付けている時、蛭の巨体で支えられていた魔物もまた地面に降りて来た。
何処で学んだのか、人間の貴族のような優雅な足取りで近付いてきて、屈んでいるホーネットの真ん前に立った。
「貴方の芋蔓の再生力は素晴らしい。流石ですね。普通の魔女の3倍くらいの強さです。でも私は魔女を4人も食べましたよ」
魔物はすっと膝を付き、ホーネットの顔に手を伸ばした。
「ま、まだ……!!」
ホーネットの頬に触れようとした魔物は、割れた大地からものすごい勢いで伸びた芋蔓に弾き飛ばされた。
しかし魔物は何食わぬ顔をしてホーネットの背後に回り、ぬるりとした細い蛭でホーネットの頬を撫でた。
辛そうなホーネットとは違い、全くの余裕の表情だ。
「もうそろそろ限界が来たのではないですか、魔女さん?ここら一体をまるで地獄のように変えてしまう攻防を繰り広げたのですから、無理もありません。可哀そうに、肩で息をしている。貴女はもう立ち上がれないのでは?」
「っ、ま、まだ大丈夫です!!」
ホーネットは叫んで、両手に力を込めた。
揺れた大地は再び割れて、大きな芋蔓が幾つも飛び出し、魔物の蛭を下から串刺しにしていく。
それは大地から巨大な無数の針が突き出てきたようなすさまじい光景だった。
一瞬、ホーネットが全ての蛭を捉え切ったようにも見えたが、崩れ落ちたのはホーネットだった。
「……げほっ」
鼻から血が噴き出し、ホーネットが大きく咽た。
ぼたぼたと、地に真っ赤な鮮血が飛び散る。
ホーネットはそれをグイッと拭いて再び前を見たが、明らかにホーネットはもう限界だった。
魔物がそれはそれは嬉しそうに笑い、ホーネットの頬に触れた。
今度のホーネットは魔物を睨むだけで、碌に抵抗が出来ない。
「こうも美味しそうだと、我慢が出来ませんね」
魔物は目を細めると、垂れてきた涎を長い舌で舐めとった。
愛おしそうにホーネットを見つめて、顔をグイッと近づけた。
一方のエリオットは、考えるよりも先に動いていた。
誰が止める声ももう聞こえなくて、枯れ始めた芋蔓の守りの間をすり抜けて、ホーネットに顔を近づけて行く魔物に向かって走りだした。
しかしエリオットが間に合うことは無く、魔物はまるで食べるようにホーネットに口付けた。
いや、魔物はまるで熱烈なキスをするようにホーネットに覆いかぶさったが、実際に魔物が吸い付いたのはホーネットが鼻血をぼたぼた垂らしていた鼻だった。
「!!!???」
ホーネットはわずかに残った力で抵抗したが、魔物はまるで意に介さず、一息にズルルルとホーネットの鼻から血を吸い込んだ。
「やっぱり、今まで食べたものの中で一番美味しい」
「ごほ!ごほごほげほっ!!」
いきなり鼻を塞がれて呼吸を奪われ、更に大量の血を吸われたホーネットは殊更酷く咽た。
そして魔物がホーネットの頬から手を離すと、支えを失ったホーネットはそのまま地面に突っ伏した。
「つい沢山つまみ食いをしてしまいましたが、残りは私の住処で食べるとしましょう」
魔物は地面に伏しているホーネットの腕を取り、引っ張り上げた。