騎士団寮
ホーネットとレベッカは魔力の放出を押さえる特殊な金属で出来た腕輪と足輪を両手足に付けて、騎士団寮での生活を開始した。
レベッカの方は一週間も経たないうちにお気に入りの騎士を見つけたようで、ここでの生活を満喫五しているようだし、食堂や廊下ですれ違う騎士とも直ぐに仲良くなって気安く挨拶を交わしたりしているが、ホーネットは部屋の外にもなかなか出られないようなありさまだった。
ここは住処の森の奥とは違って芋畑には囲まれていない。
芋蔓たちは呼べば地中を駆けて来てくれるだろうけど、ホーネットがここに連れてきているのは古株の芋蔓の分身のチビ芋だけ。
それにここではホーネットは気ままな一人ではなく、部屋を出れば廊下で人とすれ違ってしまう。
食堂まで食べ物を取りに行けば、これまた人に見られてしまう。
何でここにいるんだと苛々させてしまうかもしれないし、迷惑をかけていることを嫌がられるかもしれないし、邪魔だと怒られるかもしれない。
なんだか魔法学校にいた時の事が思い出されて、ホーネットの胃はキリキリと痛んでいた。
(で、でも逆に考えれば……魔法学校で何とか乗り越えたんだから今回だって、多分大丈夫な筈……)
この日、朝食時をすっかり過ぎて、騎士たちが訓練に出たと思われる頃、ホーネットは静かに部屋を出た。
目的地は、昨日エリオットに案内してもらって何とか覚えた食堂だ。
食堂は北の塔と南の塔の一階に一つづつあり、それぞれ百人程入ることのできるとても大きなものだ。
ホーネットは南の塔の食堂を目指して、長い廊下をなるべく音を立てないように進んでいた。
そして長い廊下の突き当りの階段を降り、玄関を通り過ぎて渡り廊下に差し掛かる。
渡り廊下は庭を横断するように設置された小路に屋根が付いているような作りで、もうすっかり昼に近い青い空や白い雲が見えた。
今日は天気がいいなと一瞬立ち止まると、ホーネットはたまたま庭を横断してどこかへ向かっていたらしいエリオットに呼び止められた。
「魔女さん、こんにちは。もしかして今から朝食?」
「え!!??あ、は、はいい!」
「遅いね。寝坊した?」
「い、いいいえ」
「寝坊じゃないんだ?でもこの時間だと食堂はもう朝食を提供していないかも。もう少し待てば昼食だけど、お腹すいてるよね」
「あ、は、はい」
「じゃあこれあげる」
「な、なんですか……?」
「クッキー。今朝寄付をしている孤児院の様子を見に行ってきたところでね、クッキーを貰ったからおすそ分け」
「い、いいんですか?」
「いいよ。僕はもう一袋貰ったから」
「ありがとうございます……」
ホーネットが可愛らしい袋を受け取ると、エリオットは朗らかな微笑を作った。
「そうだ、ここの環境は大丈夫そう?不便があったら言ってね」
「不便なんて無い、です。ありがとうございます」
「むさ苦しい場所だけど、多分魔女さんが魔物に見つかることは無い、この国でも一番か二番に安全な場所だから。その点でも安心して」
「あ、ありがとうございます……でも迷惑かけてごめんなさい」
「全然迷惑じゃないよ。でも早く魔物は倒さないとね」
それから何か思い出したのか、エリオットは少しだけホーネットに近づいてきて声を低くした。
「魔女さんたちが言ってた雪山の魔女と洞窟の魔女の死体も確認した。それから昨晩、4人目の魔女の死体が見つかった」
「魔女速報で、わたしも、知りました。た、食べられちゃったのは、この国の東の渓谷に住んでいた篝火の魔女さん……」
エリオットは静かに頷き、目を伏せた。
篝火魔女は東の侯爵領に身を隠していたそうだが、あの人型魔物に居場所を突き止められて食われて死んでしまったとのことだった。
結局、人に紛れて魔力放出を抑制していても、絶対に見つからないということは無いらしいと今回の事で分かった。
「でも人に紛れていれば、一人森の中や渓谷に住んでいるよりはターゲットにされにくくなっている筈だよ」
「は、はい……」
「何とかして守るし、きっと魔物は倒す。……あ、それからこれ。これも渡そうと思ってたんだ」
エリオットはゴソゴソと内ポケットの中に手を突っ込んで、何かを引っ張り出してきた。
「これは、なんですか?」
「孤児院でお守りを作ろうっていうイベントがあって、それに参加した時に作ったんだ。先週だけど」
「お守り……」
「物凄く不格好だけど、不運を肩代わりしてくれるって言われる植物が中に入っててね、だからその、気分だけでも効果があればと思って」
「こういうお守り、初めて見ました……」
「そうなんだ。魔女さんたちにはお守りの概念があまり無いのかな」
「い、いえ。魔女はお守り大好きです。でもお守りって手作り、できるんですね……すごいです」
貰ったお守りは不格好に手縫いされたただの小さな場布団のようなものだったが、確かに中に乾燥した植物が入っているようだった。
ホーネットはそれを両手で大事に包み、お礼を言おうとした。
しかしお礼は高い声に遮られ、エリオットには届かなかった。
「エリオット?何してるの?」
ぱっと顔をあげれば、ホーネットとエリオットから少し慣れた場所にいるエリオットの従者の他に、こちらに大股で歩いてくる人影が見えた。
「なんだか随分親し気だけど、誰と話してるの?」
眉根にしわを寄せつつ現れたのは、聖女のスフィリアだった。
そしてホーネットの顔を見るなり、益々怪訝そうな顔をした。
「……芋魔女?」
いきなり表れて容赦なくホーネットを睨みつけるスフィリアとの間に入ったエリオットはスフィリアをたしなめた。
しかしスフィリアはホーネットが両手で持っているものを見て、益々眉をつり上げた。
「ねえエリオット、あの芋魔女が持ってるのって、貴方が作ったお守りじゃない?」
「そうだね」
「なんで芋魔女なんかが持ってるの?」
「僕があげたからだよ」
「あげた?盗られたじゃなくてあげたって言ったの?」
「そうだね。あげたと言ったよ」
いきなり、スフィリアは右手を振り上げてホーネットが持っていたお守りを叩き落とした。
「もしかしてエリオットが前に無理やり休みを取った時、この魔女と街にいた?!私がいくら誘っても忙しいって言うくせに、この魔女といたの?!」
「……」
「最近はやたら訓練の合間に騎士団寮に帰ったり、騎士団寮で昼食摂ったり、事あるごとに寮の周りをうろうろしてると思ったけど、この魔女を匿ってたからなの?!」
叫んだスフィリアの顔は、前回見た神々しい物とはかけ離れていて、ホーネットは思わず後ずさりをしてしまった。
しかしエリオットはホーネットを庇うようにしながら、地面に落ちたお守りを拾い上げた。
「スフィリア、僕が自分の休日に何をしていようが勝手だと思うし、お守りを叩き落としたことも良くない事だと思うよ」
「なんでエリオットはそうやって説教するの?私は悪くないのに、おかしいのはエリオットよ!貴方の大事な騎士団を救ってくれたから恩があるのは分かるけど、こんな芋魔女に優しくして、勘違いされたらどうするの!?困るでしょ?!」
ばしん!
音が出るほどの勢いで、スフィリアはエリオットの手からお守りをひったくった。
そしてそのままお守りを地面に投げ捨てて、ヒールの靴を高く持ち上げた。
あっ、とホーネットは思った。
このままでは、せっかくのお守りが踏みつけられてしまう。
ホーネットは思わず、スフィリアの足元に屈みこんだ。
聖女を突き飛ばすことなどは出来なかったが、お守りを守りたいと思って咄嗟に両手をお守りの上に被せたのだった。
「邪魔しないで、この芋魔女!!!」
「!!!!」
(いたいいいいいい!!!!)
スフィリアの足に思いっきり踏みつけられて、ホーネットの両手の甲が痛んだ。
「魔女さん大丈夫?!スフィリア、君は何を考えているんだ!」
動けずにいたホーネットはそのまま二度目のスフィリアのヒール攻撃も受けてしまうところだったが、エリオットが助け起こしてくれたおかげで助かった。
「何って、貴方こそ何よ!なんで貴方はその芋魔女なんかを庇うの?!」
「スフィリア、ちょっと落ち着いてくれ。この状況は明らかに君が正常ではないよ」
「正常じゃないですって?!誰のせいだと思ってるの?!エリオットがおかしいからでしょ?!そんなダサくてモサい魔女に優しくして、おかしいわよ!私にはそんなに優しくしてくれないのに!!」
スフィリアは叫んで、踏み損なったホーネットの手を踏むように地面にヒールを打ち付けた。
しかし暫くして、ハッと顔を上げた。
「分かった!その魔女が悪いんだわ!魔女は邪悪な魔法を使うんでしょ!エリオットは操られているのよ。ならその魔女を消せばいい。私が助けてあげるわ!」
スフィリアはそう言い残し、くるりと背を向けて駆けだしていった。
「……」
まるで他人事のようにあっけにとられていただけのホーネットは、スフィリアが何について怒っているのかあまり実感がなかった。
あれはまるで最近読んだ恋愛小説の主人公が、好きな男性が別の女性を好きだった時に悲しんで問い詰めるシーンにも似ていた。
確かにエリオットはホーネットのような奴にも優しいし、とても素敵だ。
だが、かっこいいエリオットがダサいホーネットを好きになる訳はあるまいし、スフィリアはそんな情熱的な勘違いはしなくてもいいのではないだろうか。なんて、あまり働いていない頭で考えていた。
しかし、問題はこの後だった。
この3日後、王都上空は灰色に覆われて、いかにも不吉な曇天になっていた。




