褒章
「第一王子さんと聖女さんが来たら、あ、挨拶をして、それから……」
ソファの上のホーネットはブツブツと呟きながら、エリオットがくれた作法の説明書きで何度も読んでいた。
もうすぐ第一王子と聖女がホーネットに褒賞を渡すためにここにやってくる。
『おいおいホーネット、見事にガチガチだな。大丈夫かよ』
窓からにゅるにゅると入ってきた芋蔓が、緊張して青い顔のホーネットに声をかけた。
「だ、大丈夫じゃないかも……」
『……緊張するなって言うのもホーネットには無理な話かもしれないが、ホーネットは渡されるもの受け取ればいいんだろ。簡単だ』
「た、多分本番になったら、受け取り方とかも忘れそう……」
『おいおい、流石に大丈夫だろ』
「でも思い出せたとしても震えて動けなくなりそう……」
『……。』
芋蔓も流石にお手上げと思ったのか口をつぐんだが、気を取り直してホーネットの気を紛らわす方向にシフトしたようだった。
『そうだホーネット、褒章って何貰えるんだ?』
「褒章はお金、って言ってたよ」
『金か。ならそれで今度新しい服でも買いに行くか?』
「服……?」
『ああ。ホーネットはいつも黒のローブばっかだろ。これを機にワンピースとかスカートとか、女の子らしい服を買ってみたらどうだ?』
「え?い、いらないよ。そんなの似合わないよ」
『似合うかどうかなんて着てみなきゃわからないだろ』
「着なくても分かるよ。それに、可愛い服なんて着る機会、ないよ」
首を振ったホーネットを見て、芋蔓は肩をすくめるような仕草をした。
『着る機会なんて自分で作ればいいだろ。ほら、例えばあの男が訪ねてくるときとか』
「え、エリオットさんのこと?む、無理だよ。可愛い服なんて似合わなすぎて驚かれちゃうよ」
『驚かれたとしても、少しでも可愛いと思われた方がいいだろ?』
「そ、そんな迷惑なこと、思ったことないよ。わ、わたしはお話し、できればそれで十分だよ」
芋蔓は、真剣に言ったホーネットにはこれ以上何を言っても無駄だと思ったのか、それとも来訪者がもうすぐそこまで来ていることを感じ取ったからか、ぴたりと黙ってしまった。
コンコン。
「南の魔女ホーネットはいるか?」
扉のノック音と共に、低い男性の声がした。
(き、き、き、き、き、来た!!!)
飛び上がりたい気持ちを押さえて、ホーネットは慌てて時計を確認した。
丁度、時計はポーンと穏やかな鐘を鳴らしたところだった。
第一王子と聖女が到着したのは、約束の時間ピッタリだ。
「南の魔女ホーネット。いるのなら返事を」
「は、は、は、は、はい」
ホーネットは急いで返事をしてガチャガチャと扉を開けた。
開いた扉の間から、何人もの人影が目に飛び込んでくる。
(う!!!ま、まぶしい……!!)
まず扉の前に立って自らノックしていたのは第一王子エルトリッドだ。
改めて見ると、かっこよくて自信に満ち溢れていて、いかにもカリスマがありそうな男性だった。
こんな男性に見つめられたら、ホーネットのような陰の者は直ぐに蒸発してしまいそうだ。
「忙しいところすまないな」
「い、い、いいえ……」
「聞いていると思うが、今日は褒賞授与の件で来訪した」
「は、は、は、はい」
そしてエルトリッドの隣で微笑んでいるのは、煌びやかな衣裳に身を包んだ聖女だ。
艶やかな髪をばっちり巻いて、綺麗な肌に完璧な化粧をして、可憐な笑顔を湛えている。
(せ、聖女さんもま、まぶしい……!!!)
ホーネットが思わず目を細めると、聖女はふふふと笑いながら一歩前に踏み出してきた。
「始めまして、南の魔女さん。聖女のスフィリア・オードリーよ」
「は、は、は、は、はじめまして」
「子供みたいに緊張してるのね。髪の毛は羊みたいだし、噂通りの魔女さんね」
「あ、す、すみません……」
「謝らないで、責めている訳じゃないの。大丈夫よ」
背の高いヒールを履いている聖女はホーネットを見下ろしながらにっこりと微笑んで、上質なスカートの裾を揺らした。
(聖女さん、わたしみたいな魔女にも、優しい……)
(それに可愛いなあ。モテそう……)
ホーネットは女の子らしい仕草でエルトリッドの横に戻って行くスフィリアを見ながら、そんなことを素直に思っていた。
ホーネットたちが挨拶を済ませている間、後ろでは何人かの騎士と従者たちがせかせかと仕事をしていた。
簡単な台を設置したり、大きな騎士団の紋章のついた旗を地面に立てたりしている。
褒章は魔女相手でも「はいどうぞ」と受け渡されるのではなく、ある程度の作法に則って渡されるのだ。
そしてその準備が整ったところで、騎士の一人がエルトリッドに声をかけた。
頷いたエルトリッドはホーネットを手招きした。
「では南の魔女。略式で申し訳ないが、褒賞の受け渡しに早速移らせてもらう」
「は、は、はい」
ホーネットはぎくしゃくとしながらも、エルトリッドがここに立つようにと指示した場所まで歩いて行った。
「よし、そこに立っていてくれ」
「は、はい」
「よし……。いや、良くないな。服装についてとやかく言うつもりは毛頭なかったが、流石に前髪で顔面が見えないのはよろしくない」
「え?」
「今だけ失礼させてもらうぞ」
きびきびと指示を出してくれたエルトリッドは、いきなりホーネットの目の前に立った。
何事かと思ってホーネットが驚いていると、エルトリッドはすっと手を伸ばして来て前髪を全て掬い、どこからともなく出してきたシンプルな髪留めでまとめて留めた。
「あっ、えっ、あ……!」
ホーネットはいきなり視界がパッと明るくなって、一瞬何が起こったのか分からなかった。
でも長年恥ずかしがり屋をやってきて培われた反射神経で顔を隠し、来客に見られる前に慌てて家の中に飛び込もうとした。
(ひ、ひ、ひええええええええええ!!!!!)
(か、顔が外に出てる!!は、はははは恥ずかしすぎる!!!)
しかしホーネットは、「待て」と言ったエルトリッドに簡単に腕を掴まれて、逃亡を阻止されてしまった。
「これから褒章の受け渡しだ。帰るな」
「は、ははははは放してください……前髪を上げるなんて聞いてない、です……!」
「しかしあんなに顔を隠した状態で褒章を受け取るのは、流石に遠慮してもらわねば」
「い、いいいいいやです……!」
ホーネットは体をよじったが、エルトリッドはびくともしない。
そればかりか、来客に顔を見られまいと頑張っていたのにもかかわらず簡単に前を向かされてしまった。
(ぶ、ぶぶぶ不細工でダサい芋魔女って笑われる……!)
しかし顔を晒したホーネットを待っていたのは不細工だと罵る声でもなく、傷が醜いと笑う声でもなかった。
「これはまた」
抵抗するホーネットの顔を真正面から見たエルトリッドは、なぜか驚いたような声を出した。
そしてその隣のスフィリアはホーネットの顔を見て誰よりも目を丸くしていたが、一番最初に我に返ったのもまたスフィリアだった。
「エルトリッド、魔女さんを放してあげなさいよ。彼女、顔が真っ青よ」
「あ、ああ。驚いてしまってすまなかったな、南の魔女」
ようやくエルトリッドから解放されたホーネットはすぐさま髪留めを外して、長い髪で顔を隠した。
だが、それを見たエルトリッドは少しだけ残念そうだった。
「しかし前髪は切らないのか?目も悪くなるし、顔を出さないのはもったいないのでは?」
「め、目はとてもいいので心配、いりません……」
「随分と頑なだが、傷跡が気になるのか?確かに大きなものだが、化粧で隠せたりするんじゃないか?」
「け、化粧なんていつもしない、ので」
「ねえエルトリッド。もう魔女さんの前髪についてどうこう言うのは止めましょ。魔女さんだって嫌がってるし、魔女さんの顔なんて見えてても見えてなくてもいいじゃない」
そう言ってエルトリッドを止めてくれたのはスフィリアだった。
「芋魔女の素顔が意外に不細工じゃなかったから驚く気持ちは分かるわ。でも魔女さん無理をさせるのは可哀そうよ。それに予定時間も迫ってるし、さっさと褒章渡して帰りましょ」
「確かに、次の予定までに時間に猶予がある訳ではないな。始めるか」
エルトリッドはスフィリアに背中を押されるようにして準備された台まで歩き、褒章の受け渡しの準備を始めた。
程なくして始まった褒賞の受け渡しは、国王からの感謝の言葉の代読から始まって、淡々と進んでいった。
何故こんな仰々しく感謝されなければならないのかと謎に思っていたが、人間の国にもいろいろあるのだろう。
そんなことを考えていたら、ホーネットは気づいたらもう褒章と感謝状を手に持っていた。
貰う予定のものを受け取っているのでもう帰ってもいいのかと思いきや、次はスフィリアがホーネットの前に歩み出てきた。
「魔女さん、戦場で活躍した貴方には特別に聖女の祝福を与えるわ。本来は活躍した騎士が与えられることが多いのだけど、今回は特別ね」
微笑んだスフィリアは、ゆっくりとホーネットの頬や肩に触れて、楽団の指揮をするように祈った。
別にホーネットの体に異変はないし、特別な力も加護もそんなに感じないけれど、さすが聖女なだけあってスフィリアは神々しい。
すごいなあとホーネットが眺めていると、祈り終えた様子のスフィリアがホーネットの耳元にゆっくりと顔を近づけてきた。
「ねえ魔女さん」
何事かとギョッとしたホーネットだったが、スフィリアはそれには構わず、内緒話をするようにこっそりと呟いた。
「そういえばさっきエルトリッドが顔を出せばいいのにって貴女に言ったけど、あれ、お世辞だと思うわ。真に受けちゃだめよ」
「あ……はい」
最初から特に真に受けることも無かったホーネットは素直に頷いた。
「ふふ。そうよね、それくらい分かるわよね。じゃあ、聖女の祝福と褒章の受け渡しはこれで終わり。お疲れさまでした、魔女さん」
こうしてなんとか褒章の受け渡しも終えたものの、疲れ切ってしまったホーネットはその日、早々にベッドに入ったのだった。




