伝言役
「こんにちは魔女さん」
きい、とホーネットが扉を開けるとそこには雨よけのフードを被った人物がいた。
雨に少し濡れているからか、普段よりもどことなく愁いを帯びているようにも見えるが、本物だ。
想像や幻ではなく、実在するエリオットだった。
「あ、あ、あ、あ……」
本物を前にして固まってしまったホーネットは、かろうじて喉を震わせる事くらいしかできなかった。
全然、心の準備なんて出来ていない。
風に吹かれた何かが家の外壁に当たる度に、思わず玄関の扉を見てしまうような毎日を過ごして来たけれど、まさか本物が来るなんて全然思っていなかった。
(ど、ど、ど、どうし、よう……)
ホーネットはつい後ずさりをして、縮こまった。
それを見たエリオットは何を思ったのか小さく目を伏せたが、すぐにいつもの穏やかな声色で用件を話し始めた。
「また訪ねてきちゃってごめんね。でも今日はちゃんとした用事があって来たんだ。第一王子と聖女が魔女さんに褒賞を授与しに来る日程を決めたくて」
「ほ、ほほほ、褒賞……?」
「魔女さんは騎士団を窮地から救ってくれたからね。その話、してたよね」
「で、でも褒賞、別に、いらないです……」
「ううん。受け取って。これは僕からではなく国から、しかも第一王子と聖女から授与されるものだから」
「で、でも」
ホーネットは助けを求めるように後ろを見たが、芋蔓はもう窓から外に出て地中に帰ってしまっていたあとだった。
やけにがらんとして感じる後ろの部屋が、今は物凄く心細い。
そしてエリオットも相変わらず丁寧で優しいけれど、やけに遠く感じた。
「魔女さん。第一王子と聖女、それから護衛がここに来ても差し支えない日を教えて」
「え、えっと」
「ごめんね、でもこれは断れないよ。褒賞を魔女さんに受け取ってもらうのは、もう決まったことだから」
そう言ったエリオットの声には、どこか有無を言わせない圧力のようなものがあった。
そんな状況に対してホーネットがいいえと押し切れるはずもなく、ホーネットは首を縦に振るしかなかった。
「あ、は、はい。じゃあ、い、いつでも大丈夫、です……」
「分かった。ありがとう」
「い、い、いいえ」
「じゃあこちらで確定させるね。トード、兄さんと聖女の予定を見せて」
「かしこまりました、エリオット様」
ホーネットの視界の外から、この国ではあまり見慣れない雰囲気の男性がスッと現れた。
エリオットの一挙一動に集中していたホーネットは、突然知らない男性が出てきたことにギョッと驚いてしまった。
どうやら男性はエリオットの従者のようだが、そこにいた事にすら全く気が付かなかった。
(そ、そうだよね、エリオットさんは王子様だから、じゅ、従者の人が付いてくることくらい、普通、だよね……!)
ホーネットは二人目の来訪者を認識して更にソワソワと視線を泳がせていたが、エリオットの方は手馴れたもので、従者のトードから渡された第一王子と聖女の予定をちらりと見比べて、テキパキと訪問日を決めてしまった。
「じゃあ、来週の3日目に。時間は正午でいいかな」
「は、は、はい」
「ありがとう」
エリオットは礼を言ってからトードに正式な訪問状を書かせて、それをなにやら説明が記された数枚の紙と共にホーネットに手渡した。
「当日の服装は正装が好ましいけど、魔女さんは正確には王国民では無いから大丈夫。それから褒章を受け取る時の作法だけど、一応ここにまとめたから時間があったら見ておいて。まあ間違ったり守れてなかったりしても、別に大丈夫だけどね」
ホーネットが渡された説明書きは、どうやらエリオットが直々に書いたと思われるものだった。
丁寧でしっかりとした字が並んでいる。
こんなところにもエリオットの人となりが現れているようだ。
しばらく文字をじっと見ていたホーネットは、思い切ったように顔を上げた。
「あ、あ、あの」
「どうしたの?」
「あ、」
「あ?」
「あ、あ、あ、貴方は……えっと、その日に来るのは第一王子さんと聖女さんと、護衛の方々、だけ、ですか?」
「うん。僕がここに来るのは正真正銘今回で最後。心配しなくても大丈夫だよ」
「え、あ、えっと」
エリオットは穏やかとも形容できる表情だが、ホーネットは折角上げた顔を思わず伏せてしまった。
(そ、そうだよね)
(エリオットさんは当然その方が、いいよね)
これからきっとホーネットがどれだけ待っても、エリオットが扉を叩く事は無い。
でもこれでエリオットは今後一切、ダサい魔女の顔を見なくてもいいし、口下手な芋魔女の相手をしなくても済む。
これはエリオットにとって有難いことで、ホーネットだって望んだはずのことだ。
「じゃあ、用が済んだから帰るね」
用を済ませたエリオットは従者を従えて、くるりと踵を返した。
彼はもう、ホーネットをと要件以外の話をすることも無い。
「…………」
最後なのだから、挨拶くらいしっかりとしなければとホーネットは考えたが声が出なかった。
ざ、ざ、と土を踏んでエリオットと従者が遠ざかっていく音と雨音がやけに耳に響く。
当たり前だがエリオットが立ち止まる気配などまるでなくて、ホーネットは小さく俯いた。
ホーネットは予想していたよりも遥かにしょんぼりとした自身の気持ちに気が付いて、小さく息を吐いた。
(そっか)
(わたし、やりたいこと、あるみたい……)
(……でも)
(迷惑に、なっちゃうし、嫌がられる、と思うし、今更自分勝手、だし……)
ホーネットも去っていくエリオット幸に背を向けて、家の中に帰ろうとした。
しかし扉を閉めようと取っ手に手をかけた瞬間ふと、芋蔓が『パンツ見せるよりは簡単だろ』と言ったことを思い出した。
「あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あの」
慌てて身を翻したホーネットは外に走り出て、思い切って声を絞り出した。
声に気づいたエリオットがピタリと足を止めた。
そして振り返って「魔女さん、濡れちゃうよ」と焦るエリオットを無視して、ホーネットは叫んだ。
「す、す、す、す、スイートポテト、つ、つ、つ、作ったんですけど、た、た、た、食べます、か?も、も、っも、もしよかったら、です、けど……」
迷惑はかけたくない。
でもホーネットは、エリオットにそんなに早く帰らないで欲しいと思ってしまった。
いや、どうしても早く帰らないで欲しかった。
無我夢中だったホーネットは崩れ落ちてしまいそうな程に緊張していた。
噛みまくりだったけれど、最後まで言い切れたのが奇跡のようだ。
だけど、ホーネットのすぐ傍まで駆け足で戻ってきたエリオットは、殆ど聞き取れていなかったようだった。
荷物入れの中から取り出したタオルで雨に濡れ始めたホーネットの頭を庇いながら、聞き返した。
「……今、なんて言ったの?」
「あ、あの、す、す、スイートポテト、作り、ました」
「それで、続きは?」
「た、た、た、て、食べ、食べ、ませんか?」
「スイートポテト作ったの?」
「は、はい」
「魔女さんが?」
「は、は、は、はい。お、おいしいか分かんないですけ」
「食べる」
エリオットはホーネットの言葉に被せて即答した。
そして後ろを振り返り、何事かと駆け寄ってきた従者に一言指示を出していた。
「トードは帰っていいよ」
「えっ」
「次の予定までに少し時間があるから、僕は少しここに留まる」
「えっ、あの」
「トードは確か書類整理がまだ残ってたね」
「それはそうですが……」
従者はそれはそれは何か物申したそうな顔をしていたが、エリオットには取り付く全く島がない。
溜息をついた従者は、渋々と帰り道を辿り始めた。
「あ、あの、従者さん、大丈夫ですか?迷いませんか?」
「森の木に目印をつけてあるから大丈夫」
「そ、そ、そ、そうですか、よかった……」
従者の後ろ姿を見送ってから、ようやく足に力が入るようになったホーネットは立ち上がって家の中に向かう。
エリオットは少し後からホーネットに付いてきて、でも家の中には入らずに扉の前でピタリと止まったので、ホーネットは恐る恐る聞いてみた。
「あ、あの、も、も、も、も、もしよかったら、入っても……」
「魔女さんの家に?」
「は、はい。そ、その、雨に濡れます、から。あ、魔女の家だけど危なくない、ですよ。トラップとかは無いです、よ」
「トラップがあるなんて思ってないけど……入っていいの?」
「あ、は、はい。掃除、してあります。汚くない、です」
「はは、汚なそうとも思ってないよ」
エリオットはフードを頭から外しながら、ゆっくりと家の中に入ってきた。
ホーネットの見慣れた住処の景色にエリオットがいる光景が、なんだかとても異色に見える。
家に入ったエリオットは少し周りを見回したようだったが、玄関横に見つけた傘立てに脱いだ雨よけのフードを掛けた。
そしてソファに腰かけてホーネットを待つことにしたようだった。
「スイートポテト、多分すごく美味しいと思う」
「そ、そ、そ、そうですか?」
「うん」
キッチンで準備をしているホーネットに声をかけたエリオットは、何故か少し嬉しそうだった。
ホーネットが芋魔法使いだから、スイートポテトも美味しいに違いないと期待をしているのかもしれない。
ホーネットは一番上質な木のお皿を棚から引っ張り出して来て、その上に一番見栄えのいいスイートポテトを幾つか乗せた。
(よ、よよよよよ、よし)
(が、がんばれ、がんばれわたし……)
準備が整ったので、ホーネットはエリオットの待つテーブルに菓子とお茶を運んだ。
緊張で震えてきて、ぜんまい人形のようにカクカクと動いてしまったが、零さなかったのだからきっとホーネットとしては及第点だ。
「ど、どどどどどどど、どうぞ」
「ありがとう。いただきます」
エリオットはホーネットが準備した木製のフォークを手に取って、切ったスイートポテトをゆっくり口に運んだ。
そして飲み込んでから、小さく驚いて呟いた。
「すごく美味しい」
「お、お、お、おいしいですか?」
「うん。すごく」
「そ、そ、そうですか、よかった……」
ホーネットはヘロヘロと床に座り込んで、ほっと息をついた。
強張っていた気持ちが、少しだけほぐれる。
芋料理は結構得意だから、褒めてもらえて嬉しかった。
エリオットはぺろりとスイートポテトを完食してくれて、芋の葉で作ったお茶も美味しいと言ってくれた。
ホーネットはそれだけで満足だった。
だけど、それだけでは終わらなかった。
エリオットはホーネットの顔を覗き込んで、予想外のことを口にした。
「また、食べに来てもいい?」
「え?」
「魔女さんの、迷惑じゃなければ」
「ま、まままままた、食べたい、のですか??!!」
「うん、また食べたい」
「ほ、ほんとうですか?」
「うん」
「お、お菓子、す、好きなんですね」
「まあ、嫌いじゃなくなったみたい」
「あの、じゃあ、その、それでよければ、い、い、いつでも」
「いつでもいいの?」
「あ、は、はい。あの、来てくれるお礼、にお菓子、たくさん作っておきますので」
「本当?もう来るなって言わない?」
ホーネットはコクコクと頷いた。
訪ねて貰ってお菓子も貰ってしまうのでは不公平だったけど、来てもらう御礼にホーネットがお菓子を作れば多少はウィンウィンにもなれる気がする。
ホーネットはスイートポテトを運んだお盆を胸に抱いたまま、安堵の息をついた。
しかしふと、テーブルの上に置きっぱなしにしていた物がホーネットの視界に入った。
ホーネットが「あっ」と声をあげる前に、ホーネットを見ていたエリオットがその視線の先に気が付いた。
「あ。魔女さん、この本……」
「え、え、え、えっと、えっとですね!それは、わたしではなくて、あの」
エリオットが手に取ったのは、芋蔓が置きっぱなしにした「男を手玉に取る本」だった。
「魔女さん、男を手玉に取りたいの?」
「あ、あの、それはえっと、誤解で、それ、えっと」
「魔女さんもこういうものを読むんだ。意外」
「あ、だから、ちが……」
「ふうん、こんなことするんだ」
少しだけ意地悪な顔になったエリオットは、まだそこまで過激ではない第一章の最初のページをめくりながら笑った。
ちなみに第一章のテクニックその一は、「上目遣いを準備して、相手の名前を呼んで微笑むべし」というようなことが書かれていた。
「あ、それはちが、います、えっと、その」
「魔女さんはこの本を読んで、誰に実践するつもりだったの?」
「え?だ、誰にも、するつもりなんて、なくて、ほんとに、見ていただけで」
「そうなんだ」
エリオットは焦るホーネットと本を交互に見比べながら、くすくすと笑っていた。
「折角だし、試しに僕にやってみる?」
「えっ」
「ははは、なんてね」
ホーネットは迷惑をかけていないだろうかとか、無理させていないだろうかとか、最初から最後まで緊張していたが、エリオットは楽しそうに笑ってくれていた。
本心は勿論分からないけれど、誰かに言われて笑っているとも思えなくて、ホーネットはちょっぴり嬉しくなった。




