遺産なんて要りません!
【弁護士ロイヤーの場合】
私の雇用主であるキング氏が亡くなったのは半月前の事だ。まだ齢五十の健康体だった彼がジョギング中に急性心不全で倒れた事は不可解にも思えたが、それは兎も角として私は職務を全うすべく彼が住んでいた山中の大屋敷へ赴いた。
「皆さんお揃いですね。これより私が生前のキング氏から預かっていた遺言状を開封します」
私は現在、自分を含めて七人の関係者が並び座った円卓席の一つに腰掛けている。この場において私は完全な脇役でしかないが、皆の視線を一身に受けながら封を開ける今だけは渦中の人と言って良いだろう。
「では私が代理人として内容をお伝えします。ええ、拝啓……」
「御託は良い。要点だけ簡潔に述べてくれ」
しかし早速だが私は左隣に座った〝主役の一人〟に横槍を入れられた。キング氏の御子息にして三兄弟の長男プリンス氏は、卓上に置いた指をカツカツと鳴らして話を急かせる。父親の事業を形式上は継いだものの、経営権が宙吊りとなった彼の逸る心境は理解出来た。
「畏まりました。他の皆様方も宜しいですかな? はい、異を唱える者は居ないとの事なので、主文は後回しで結論を述べるとしましょう」
実のところ私は生前のキング氏から遺言の概要を聞かされていたが為、それと書面に齟齬が無い事をざっと確認するだけで要望に応えられた。資産家の遺産を巡って紛糾必至となる事が明白なだけに、余計な時間を消費しないで済むのは此方としても有り難かった。
「それでは申し上げますが、キング氏名義の資産は土地・事業・現金を含めて一括譲渡となり、相続者以外への分配は一切行われません。これが要点の一つ目です」
私がこう述べた途端に出席者達から大きな響めきが起こった。それもその筈、裕に百億ドルは下らないキング氏の財産を唯一人が総取りすると言うのだから、選ばれなかった者が素直に納得するとは到底思えない。
「そんな……、いや、それで一体誰が相続するんだ?」
だが私の予想に反して取り乱す者は皆無だった。内容に驚きはしたが冷静に話の続きを待つ印象で、これには私の右隣に控えた探偵デック女史も興味深々に腕を組む。キング氏の不審死に疑問を持った彼女は、私の助手という体裁でこの場に同席していた。
「では要点の二つ目。誰に遺産が存続されるかという点ですが――」
勿体ぶって前置きした私の言葉を出席者は固唾を飲んで注視する。左席から順にプリンス氏、次男のルーク氏、三男のビショップ氏、キング氏の奥方であるクイーン氏。そして最も波紋を呼ぶであろう妾の子エリザベス氏が見守る中、意を決した私は雇用主の遺言を伝えた。
「――遺言状開封の場において、皆で話し合って決める様にとの事です」
【長男プリンスの場合】
「成程ぉ。まあ父上らしいと言えば父上らしいなぁ」
遺言の内容に円卓の間が響めく中、俺は逸早く主導権を握らんとバクバクとした心臓を懸命に抑えながら発言した。焦った余りに変なイントネーションが言葉尻に付いてしまうが、誰もが予想外の展開に混乱を来していて気付いた様子は無い。
「ここはぁ父上の思惑にまんまと嵌らず、冷静に問題を解決したいと俺は思うんだ。自分達が大金に目を眩ませ、骨肉の争いを繰り広げたら奴の思う壺だ」
動悸と眩暈に苛まれつつ何とか言葉を捻り出すと、皆は互いに顔を見合わせながら俺の意見に頷いた。此奴らの腹の底は依然として見透かせないものの、一先ずは相手の出方を窺う方針で一致したのだろう。
「まず弁護士さんに確認しておきたいんだが、話し合いの末に全員で均等に分けるとか、一旦誰かに相続させた上で後から再分配って事は可能なのか?」
「残念ながら行えません。恐らくキング氏も予期していたのでしょうが、今し方にプリンス氏が申された事は悉く禁止事項として記されています」
やはりか、あの糞親父。俺に社長職を押し付けてきた面倒臭がりの癖して、自分で面倒事を起こすのは好きだとか始末に負えない。奴が俺の困惑した顔を思い浮かべて彼の世に逝ったと考えたら無性に腹が立ってきた。
「それからもう一つ。相続権を有するのは此処にいる俺と弟達、母上、それからエリザベスの五人だけで間違い無いな。話が纏まった後で六人目の縁者が現れるとか勘弁だぜ」
「間違いありません。もしもキング氏に他の愛人やエリザベス氏以外の隠し子が居たとしても、その者達に遺産の相続権は発生しませんのでご安心を」
このボケが余計な事を言うんじゃねぇよ。ほら見ろ、母上の顔が見る見る内に険しくなって、唯でさえ立場の弱いエリザベスが完全に萎縮しているだろ。
「じゃあ俺が任されている会社の経営権も含めて、遺産相続は五人の内の誰か一人に行われる。それを決めるだけの至極単純な会議って事だな」
なんて簡単そうに言ってみるが、利害の絡む人間同士の話し合いが一致する事は極めて稀だ。では最終的にどうするかと言えば多数決が必然になり、詰まるところ自分の賛同者を得た人物こそが此のパワー・ゲームを制する。
「だったら話は早い、まずは我こそはと思う奴は挙手してくれ。立候補者の意見を聞いた上で最も支持を集めた者に継がせれば良い」
ここからは先を見通して動く事が重要だ。何しろ俺は親父から任された会社の経営を、厄介極まりない此の遺産を継ぎたくないのだから!
【次男ルークの場合】
ふっふっふ、兄さんの魂胆はお見通しだよ。立候補を促しながら誰一人として手を挙げずに静まった室内を見渡し、その様子を捉えて落胆した横顔を見れば火を見るより明らかだ。
「候補者が居ないなら推薦にしたらどうだい。因みに僕はプリンス兄さんが遺産相続を受けるのが自然かつ最善の選択だと思うけど」
「なっ!?」
驚愕の表情で僕を見下ろしてきた兄さんには同情するよ。だけど父さんが半ば投げ出す形で兄さんへ託した会社の経営や諸々の資産管理は、とても僕の手に負えない苦行なだけに是が非でも受け継いで貰わないと困る。
「建設・製造・観光、果てに金融まで手を広げた多角経営に加え、派閥争いの絶えない役員達や口煩い株主を束ねるなんて誰でも出来る芸当じゃない。僕らのお家騒動で無用な混乱を招くより、このまま現社長の兄さんに任せるのが正解さ」
「お、お前……!?」
さぞかし兄さんは重責から解放されたいのだろうが代わりは御免だ。時間はお金で買えないのが世の理、厄介事を背負わされて人生を棒に振るなんて僕には真っ平だね。
「い、いや経営に精通しているのは子会社を任せているお前だって同じだろ。寧ろ個々の事業を把握していない俺より、現場に近いお前の方が地に足付けた経営を行えるかも」
チッ、追い詰められて形振り構わなくなってきたな兄さん。だが甘い。
「何を言っているんだい、子会社一つで既にてんてこ舞いの僕に社長なんて務まる訳がないでしょうに。明確なビジョンがあるなら未だしも僕みたいな小兵には無理な仕事だよ」
なんて僕が言っても兄さんは納得せず、別の理由作りを頭中で巡らせているのが一目瞭然だ。まあ彼の境遇を考えたら無理ないし、こうした場合に備えて次善の策を用意しているけど。
「あ、だったら思い切ってビショップに任せてみるのはどうかな。いっそ僕とか兄さんみたく現体制に関わる人間じゃなくて、全く新しい風を吹き込んだ方が会社の発展が望めるよ」
こんな提案をしながら兄さんにウインクしてみると、絶望で淀んでいた彼の瞳に微かな光が戻ってきた。そして僕の意図通りに彼は目前にぶら下がった餌へまんまと食い付く。
「な、成る程ぉ。それは面白い考えだな!」
本人はバレてないと思っているが、動揺や興奮の際に決まって生じる声の上擦りが兄さんの心境を如実に物語っている。どうやら僕に向けられた矛先を変える事には成功した様だ。
「どうだいビショップ。君が遺産を相続してみないか?」
まあ弟が就任したら色々と面倒事も起きそうだが、そんな時に備えて兄さんを副社長辺りに置いておけば安心だろう。これで僕に火の粉が降り掛かる心配は無くなった!
【三男ビショップの場合】
あの弁護士の隣に座っている助手の人、可愛いなぁ。
「……」
何だか俺とやたら目が合っているし、これって少なくとも脈アリには違いない。早く会議を終えて連絡先を聞きたいが、よりによって何で自分と反対側の席に座っているんだ。
「どうだいビショップ。君が遺産を相続してみないか?」
とか考えて現を抜かしていた時だ。いきなり俺の名前がルーク兄貴から挙がり、皆の注目がプリンス兄貴から突如として自分に移ってきたのは。
「い、いやいや冗談っしょ。プーのおいらじゃ右も左も分からないし」
「その点なら心配は要らない。僕達が全力でサポートするよ」
「ああ勿論だ。別に今日明日で全ての引き継ぎを終える必要もないし、取り敢えずは形式的に就任するだけで良いんだぞ」
この糞兄貴共が、どう客観的に捉えても俺が務まる役割じゃないだろ。俺は駄目な三男坊として兄達やママから金をせびる立場がお似合いだし、事実それを自覚して今日まで道化として振る舞ってきたんじゃないか。
「煽てても駄目だぜ。おいらがそんな器じゃないって事は周知の事実だろ」
「いや、君は自分で思っているより才能に恵まれた人間だよ」
「またまたぁ、ルーク兄貴ってば冗談が好きだな」
こんな馬鹿げた提案を持ち出した理由は明白だ。遺産相続者の選択肢を自分とプリンス兄貴の二択から、俺とプリンスの二択にする事で自分を遠のかせる狙いだろう。
「困ったな、ママも何とか言ってくれよ。パパが頑張って一から築き上げた会社を俺が瞬く間に潰しちゃっても良いのかい?」
今までに兄二人は愚弟の俺を引き合いに出し、散々に甘い汁を啜ってきた御身分だ。それが今更こっちに厄介事だけを譲ってくるなんて筋違いだと思い知らせてやる。
「そうねぇ、率直に言って今のビショップに任せるのは不安かも。この子は自由気ままだし」
「だよな。おいらと比べたらまだ年下のエリザベスの方がしっかりしていると思うよ」
「わ、私はそんな……」
常日頃から兄貴達の喧嘩を間近で見てきた俺には、二人の茶番劇でしかない思惑が手に取る様に分かるぜ。此奴らは金と自由とを天秤に掛けて後者を求めていやがるんだ。
「怖がらなくて良いさ、エリザベス。きっと優秀な兄貴達が問題を解決してくれる」
俺が妹に穏やかな笑みを向ける背後から、恨めしい兄貴達の視線をヒシヒシと感じたが良い気味だ。俺は最後まで愚弟を演じ切ってこの嵐をやり過ごしてせる!
【奥方クイーンの場合】
ああ、なんて素晴らしい光景でしょうか。私の愛した息子達は醜い争いをする事なく、互いを認めながら残された会社の行く末を真剣に話し合っている。
「母上、本当にビショップでは務まらないと思いますか。俺達のサポートがあったとしても?」
「私はあくまで〝今の〟ビショップには荷が重いと言っただけよ。貴方やルークが一から教育を施してくれるなら、きっと素晴らしい経営者になれる素質があるわ」
「え、ちょ、ママ!?」
そんな目をしなくても分かっていますよ、ビショップ。貴方は敬愛する兄達を思って自分を態と抑えているって。
「僕も母さんと同意見だ。勿論プリンス兄さんに不満がある訳じゃないけど、少なくとも僕は人の上に立つより補佐が得意だから何方かが会社を継いでくれると有り難い」
「あらルーク。そうやって人を気遣える貴方だって良い後継になれると私は思うけど」
「うえっ、あ、いやそんな僕は!」
自分が自分がでは無く、そうやって譲り合いを行える美しき兄弟愛は私の教育の賜物かしら。慌てると目を見開くルークの反応も相変わらず面白いわ。
「まあ兎も角、貴方達の誰が継いでも事業は安泰ね。私はこの屋敷に住み続ける以外には何も望まないし、他の資産も相続した人が自由にすると良いわ」
そうよ、私はあの人が残した遺産になんて興味が無いのよ。いや厳密に言うなら〝遺言状の相続対象になっていない遺産〟にこそ興味がある。
「大丈夫よ、エリザベス。小難しい事は彼らに任せておきましょう」
「は、はい。お母様」
ああ、なんて可愛らしいんでしょう。お人形みたいに整った容姿もそうだけど、奥ゆかしく謙虚で控え目な性格は自分と血が繋がっていなくとも推せるわぁ。
「もし気分が悪くなったら言って頂戴ね。私が休憩を申し出るから散歩でも行きましょう」
息子が立派に成長したのは喜ばしい反面、手が掛からなくなった事で物寂しさを覚えていた私が、実の母を亡くして引き取られた彼女と出会ったのは三年目になる。
「お心遣いありがとうございます。お母様」
ああ、私の元へ舞い降りた天使。そりゃあ正妻として少なからず言いたい事もあるけど子供に罪はないし……。いいえ、こんなに愛らしいのは別の意味で罪かも知れないわ。
「堅苦しくしないで良いのよ。だって貴女は私達の家族なのだから」
私はあくまで四人の子供に中立的な立場でいなければならない、なんて我慢は今回の相続が終わるまでの話。これが決着付いたら私はエリザベスと……、ウフフ!
【庶子エリザベスの場合】
はぁ、何だか面倒な事になってきたわね。
「堅苦しくしないで良いのよ。だって貴女は私達の家族なのだから」
「そう言って頂けると嬉しいです。私は本当に幸せ者です」
こうして慎ましく良い子を演じているのも飽きて来ちゃった。何方にしても私が遺産を継ぐ訳にはいかないし、あのポンコツ兄弟でも隣の能天気おばさんでも誰でも良いから、とっとと不毛な話し合いを終わらせて貰えないかしら。
「――だから兄貴達、おいらなんかを担いでも良い事が無いぜ?」
実の母に蒸発された私がキングの家に入ってから早三年。初めは資産家の屋敷で悠々自適に過ごせると思ったのに、私が想像していたのとは別の意味でこの連中は面倒臭かった。
「いいやビショップ。お前には父上に通じる才覚がある――」
義母はいびるどころか執拗に距離を詰めてくるし、三兄弟は初めて出来た妹だと喜んで私を何かと気に掛けてくる。こちとら迫害されようが虐められようが踏ん反り、生涯に渡ってこの家に寄生する覚悟で来たのに拍子抜けよ。
「――僕も同意見です。貴方の才能はプリンス兄さんに勝るとも劣らない」
逆に温厚だと思っていたキングは私に娘以上の事を求めてくる始末で、それだから心臓発作に見せ掛けて毒殺したのは良いけど、まさか遺言状の中身がこんな内容とは予想外だった。
「……はぁ、誰でも良いから早く決めて欲しいわ」
「どうされました、エリザベスさん?」
「!」
下手に会社なんか貰って身動きが取れなくなるのは困るし、それだったら遺産を継ぐ奴からおこぼれを貰う方が効率が良い。何より今の私が大金を手に入れるのは不味い。
「え、あ、いや何でもないですよ」
他には聞こえない筈の呟きを目敏く拾ってきた隣席の女……、此処では弁護士さんの助手と名乗っているけど、確か解決率100%で有名な名探偵だと私は記憶している。
「先程から御兄弟様の間でばかり話が進んでいますが、貴女様は参加しなくて良いのですか」
「え、ええ。私はこの家に置いて貰っているだけで満足ですから」
大方キングの不自然な死に疑問を持ち、遺産相続の場で犯人を見定めようって腹でしょうね。明らかに人を信用していない曇った目を私達に向けているのが其の証よ。
「そうですか。これは失礼致しました」
この探偵が目を光らせている限り、遺産を相続した人はキング殺害の最重要容疑者にされる。だからこそ私は絶対に勝者となる訳にいかない!
【探偵デックの場合】
有名資産家の謎の死と莫大な遺産相続。事件の匂いを嗅ぎ取った僕は知り合いの弁護士さんに頼み込み、遺言状が開封される円卓の場に同席させて貰う運びとなった。
「どうも見込み違いだった気がするなぁ」
「デック氏、何か分かりましたか?」
「いえ今のところは別に」
ペット探しや浮気調査とか下らない依頼ばかりな僕が望んでいたのは、多額の遺産を巡って起きる華麗なる一族の争いだ。だけど実際その場に来て観察を続けたところ、今回の件は僕が求めていた類の話じゃないと感じてきた。
「――では間を取ってルークが遺産を相続し、俺とビショップが支えるのはどうだ」
「ちょ、ちょっと待って下さい。僕は御二人みたいな個性を持たない凡才ですって」
長男は何とかして相続を放棄したい思惑がバレバレだし、次男はその意図を見越して彼や弟に重責を押し付けようと目論んでいる事も明白だ。
「だから兄貴達、おいらは会社に関与するつもりは無いから二人で……」
三男はやたら僕の方をチラチラしているから怪しいとも思ったが、単純に邪な感情を抱いているだけと気付いてガッカリした。と言うか僕ってよく中性的な顔で勘違いされるけど男だし、何で名前の時点で気付かないのか不思議なんだけど。
「あ、そしたらエリザベスにやって貰うのはどうだ。大学の成績も確か優秀だったよな」
「はえっ!? わ、私ですか!?」
女癖の悪さで有名なキング氏の事だ。もしや女性陣には恨みを抱かれているかも知れないと踏んだ僕だが、この二人に関しては肝心の遺産に全くもって無関心ときた。
「それは駄目よ。この話が済んだらエリザベスは私とイチャ……、あ、いやゲフンゲフン」
そもそも葬儀が終わって遺体が埋葬された今、余程の有力証拠が見付からない限り真相究明は難しい。その取っ掛かりに成り得るのが遺産相続だったのに、容疑者の誰もがそれを望んでいないとか完全にお手上げだ。
「だったら母上が遺産を相続し、いっそ僕達を纏めて引っ張ってくれるのは」
「うふふ。貴方達ったらもう、良い加減に親離れしないといけませんよ?」
巷では解決率100%の探偵と謳われる僕だが、その実は確たる証拠が無い場合に〝事件性はありません〟で済ませるからだ。然して推理が得意な訳じゃない凡人に打つ手はもう無い。
「……やっぱり下手な事に首を突っ込むものじゃないね」
何だか眠くて視界も虚になってきたし、頃合いを見て早々に退散するとしよう。この争いは僕の想像とは別の理由で長引きそうだ。〈完〉