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女神様は怒っています!シリーズ

女神様は怒ってます!

楠 結衣 様に表紙風のバナーをいただきました。


挿絵(By みてみん)

 

 今から十八年前、女神様よりある国に神託が下りた。

 それはーーー。


『もうすぐわたくしの愛おしい子が生まれるわ』


 と。


 ◇◇◇


「はあ~」


 小さくため息を零したのはかつては(・・・・)美しい少女だった。

 いや、今も十分美しいのだが、如何(いかん)ともしがたいことに、その美しさを損なうものに、彼女の顔は彩られていた。

 本来なら艶やかにきらめくシルバーの髪は艶を失い、目の下には隠し切れない黒々とした隈ができ、睡眠不足から白目は充血し、食事が満足に取れていないことから、痩せて顔色も悪くなっていた。


 そんな状態の彼女を、周りの人間は陰気だの根暗だのと、密かに(さげす)んでいるのだ。

 そう、彼女をこの状態に追いやった者どもこそが、こぞって彼女の悪口を吹聴していたのだった。


 彼女が居るのは学園の生徒会室。溜まった仕事を一人(・・)でしているのである。

 ただし、彼女は生徒会役員ではなかった……。


 彼女の立場は、生徒会長である王太子の婚約者。本来なら王太子がしなければならない仕事なのに、『王太子のフォローをするのも婚約者の務め』という、訳の分からない言い分でやらされているのである。


 彼女は王妃教育のために、授業が終わるとすぐに王宮へと行っていた。なので、この生徒会の仕事をしているのは休み時間の間だった。


 彼女はもうとっくに限界を超えていたのだが、誰も手を差し伸べようとしなかった。


 それが……この後、最悪の事態を引き起こすとも知らないで。


 ◇◇◇


 昼休みが終わり午後の授業が始まったところで、あるクラスに異変があった。それは王太子の婚約者が授業に出ていないことだった。

 真面目な彼女は授業に遅れたことはなく、公務などで学園を休むまたは遅刻、早退をする場合は事前に連絡をしていた。

 その彼女が何も言わずに授業を休んだのである。


「先生、何かがあったのではないですか?」

「チッ」


 女子生徒の言葉に言われた教師は小さく舌打ちした。この教師は生徒会の顧問をしていて、我が物顔で生徒会室に出入りする王太子の婚約者のことを、毛嫌いしていたのだ。


 ……というか、お前が生徒会役員をしっかり指導できていないから、その割を婚約者が食らっていたのだが、そのことに思い至らない時点で……手遅れなのである。


「見に行かなくていいのでしょうか」


 発言をした侯爵家の令嬢のことを苦々し気に見た教師はーーー。


「それならば、友達思い(・・・・)の貴女が、見に行かれてはいかがですか」


 教師のあまりな発言に教室の空気は凍った。教師は子爵家の出で、学園内では爵位は関係ない(それに教師と生徒である)とはいえ、使い走り的なことを侯爵令嬢に言ったのだ。

 そこは暗黙の了解というものがあって、子爵家や男爵家の生徒に言うのが筋であるのだが、それを無視したのである。


 侯爵令嬢は冷ややかな笑みを口元に浮かべると、口を開いた。


「分かりましたわ。わたくしが見に行ってまいります。ですが……このことは、先生(貴方)が言ったことですから、この授業を欠席にしないでいただけますわよね」

「ああ、もちろんだとも」

「よろしいですわ。行きますわよ」


 立ち上がった侯爵家令嬢は取り巻きに声を掛けた。


「おい」

「あら、まさか、侯爵家の令嬢であるわたくしに、一人で行けなどとおっしゃいませんわよね」

「わかった。行くがいい」


 令嬢は取り巻き四人と共に教室を出ていった。


「チッ。爵位を振りかざしやがって。女は素直に従ってりゃいいんだよ」


 暴言を吐いた教師に、教室にいる生徒は何も言わずに俯いていたのだった。


 ◇◇◇


「本当になってないですわ。だからお一人で行動するものではないと、申しておりましたのに。いざという時に困ると、散々申しましたのに!」


 教室を出た侯爵令嬢は、探す少女のことを心配している態で、憤まんやるかたなしという風に文句を言っていた。

 が、廊下の角を曲がると口元をニンマリとゆるめた。


「ウフフッ。普段は陰気くさくているだけで気分を悪くするだけだったけど、今回は役立ってくれたじゃない」

「本当ですわ」


 取り巻きその一の伯爵家の令嬢がすかさず追従した。


「あの先生の授業って、面白くないのですもの。もう少し工夫をするべきよね」

「本当に。自分の指導不足を棚に上げて、テストの点が悪いと文句ばかり言うのですもの」

「その授業を聞かなくていいのですから、少しくらい感謝してさしあげるわ」


 侯爵令嬢たちは話しながら生徒会室に辿り着いた。彼女たちはノックなどせずに扉を開け放った。

 そしてーーー。


「「「「「キャー!」」」」」


 悲鳴を上げたのだった。


 ◇◇◇


 生徒会室で少女は倒れていた。それも彼女の周りには赤い液体が広がっていたのだ。

 侯爵令嬢の悲鳴を聞いて駆けつけた人達によって、少女は医務室へと運ばれた。

 診断は過労だった。少女の周りにあった赤い液体は、赤い色のインクだった。


 それをサロンで聞いた王太子はーーー。


「人騒がせな。あいつは俺の婚約者の自覚はないのか」

「ないのでしょうね。自覚があるのであれば、もっと身だしなみに気をつけるでしょう」

「そうそう。それにさ、自分が高位貴族だっていう自覚もないんじゃないの」

「下の者を使えないなんて、ダメダメだろ」


 王太子に続いて、宰相の息子、魔術師長の息子、騎士団長の息子の発言である。


 そもそも、こいつらが少女に仕事をすべて押しつけているから、彼女は余裕がなくなってあの状態なのだが、それを分かっていないのである。


 “ピキッ”


 どこかで青筋のたった音がしたが、彼らには聞こえていなかった……。


「もう~、みんな~、そんなことを言っちゃ可哀そうだよ。彼女だって頑張ったんだよ」


 サロンの中でただ一人の異性、庇護欲をそそる可愛らしい少女が、軽く頬を膨らませながら言った。


「アザト男爵令嬢は優しいな。あいつにアザト男爵令嬢の十分の一でも可愛げがあればな」

「そうですよ。すべてのことを一人でやろうとしないで、助けを求めればいいのに」

「ほんと、可愛くないよね」

「というか、あいつは可愛くお願いなんてできないだろうよ。されても可愛いなんて思えないさ」


 ……暴言の嵐である。


 “ピキッ ピキッ”


 またもどこかで青筋を立てている音がしたが……こやつらには聞こえていないのであった。


 ◇◇◇


 王城にも少女が倒れたことが報告された。それを聞いた国王は影へと言った。


「確か報告では王太子たちのフォローのために、生徒会を手伝っていたのだったな」

「はい、そうでございます」

「過労になるほど、大変な仕事だったか?」


 国王も王子時代に学園の生徒会長をしていたので、当時を思い出しながら首を傾げた。それを影の長は眇めた目で見た。


「書面にてご報告しております」

「そうであったな。これ、その報告書を持てい」


 国王の言葉に侍従が一人部屋を出ていった。


「陛下、わたくしからよろしいでしょうか」


 王妃の言葉に国王は頷いた。


「わたくしも学園に通っていた頃は、生徒会に居りましたわ。王妃教育もありましたが、そこまで大変だったことはございませんでしたわ」

「そうです。私も皆と楽しく活動したと記憶しています」


 王妃に続いて、少女の父親である公爵も眉を寄せて顔をしかめながら言った。続けて少女の家での様子を、苦々しい口調で話した。


 曰く、食事はなるべく一緒にとっているのだが、いつも暗い顔でこちらが話しかけても一言二言しか返事をしないとか、何が気に食わないのか食事途中で席を立つことがままあるとか。


 だがそれは、疲れすぎて少女の頭が回っていないのと、固形物や油が多い料理を胃が受け付けなくなっていたからだとは……もちろん公爵は気がついてないのであった。


 “ピキッ ピキッ ピキッ”


 どこからか聞こえてきた音に、部屋の中にいた者たちは口を噤んだ。辺りを見回したが、音の発生源は見当たらない。そこにーーー。


『お話にもならないわ! あなた達! 今からすぐに学園に来なさい! 馬車を使うことは許さなくてよ! 自分の足で走ってきなさい!』


 その言葉と共に、国王、王妃、公爵、宰相、大臣たち、近衛騎士たち、この部屋に居た侍従、侍女たちの足は扉へと向かって走り出した。


「どうしたのだ。体がいうことを聞かん」

「わ、わたくしもですわ」

「誰か、止めてくれ~」


 悲鳴を上げながら駆け足で廊下を走る国王たちを、王宮に勤める人たちは唖然とした顔で見ていたが、国王たちが通り過ぎると自分たちも同じように走り出したことにギョッとした。


「「「「「なぜだ?」」」」」

「「「「「私が~!」」」」」


 それは国王たちが進む先々で同じことが起こっていった。途中から前からくる集団に恐れをなして逃げようと横に逸れたり、近くの部屋に入ったりした者もいたが、国王が通り過ぎると他のものと同じ様に後をついて走り出すことになったのだ。

 騎士団の者たちも例外でなくその集団に加わり、王城から集団が走り出たのだった。


 ◇◇◇


『お話にもならないわ! あなた達! 今からすぐに学園に来なさい! 馬車を使うことは許さなくてよ! 自分の足で走ってきなさい!』


 この言葉は学園にいた王太子たちにも聞こえていた。


「キャー! なんなの!」

「なんで自分の体なのに、勝手に動くんだよ」

「止まれ、止まれ、止まれー!」


 王太子たちも勝手に体が動き出し、サロンから出て校舎の外へと駆け出していた。気がつけば、校舎から教師、生徒関係なく、学園関係者全員が出てきて王太子たちの後ろについて走っていたのだった。


 ◇◇◇


 それぞれの能力に関係なく、一定の速度で走らされる人々。今は校舎の周りを長い列になって走っている。


「どう、ゼイゼイ、なって、ゼイゼイ、いるん、ゼイゼイ、じゃ」

「あの、ヒューヒュー、声、ヒューヒュー、は、ヒューヒュー、()、ヒューヒュー、(がみ)、ヒューヒュー、様、ヒューヒュー、では、ヒューヒュー、ない、ヒューヒュー、でしょう、ヒューヒュー、か」


 息も絶え絶えに学園長が言えば、事務長も苦しそうな呼吸の合間に答えた。


「ば、ハアハア、かな、ハアハア、なぜ、ハアハア、女神、ハアハア、様、ハアハア、が、ハアハア、我らに、ハアハア、この、ハアハア、よう、ハアハア、なこと、ハアハア、を」


 王太子も苦しい息の合間に言った。


「わ、ゼエゼエ、かり、ゼエゼエ、ませ、ゼエゼエ、んが、ゼエゼエ、女神、ゼエゼエ、様の、ゼエゼエ、不興、ゼエゼエ、を、ゼエゼエ、買った、ゼエゼエ、ので、ゼエゼエ、しょう」


 宰相の息子も苦しい呼吸の合間に、王太子の言葉に答えた。それを聞いた皆は思った。


(どうして?)


 と。不興を買ったと言われても、身に覚えのないことだと思っている人々。


 その様子を見ていた女神は“ギリッ”と、奥歯を噛みしめた。


 ◇◇◇


「どう、ゼハゼハ、いう、ゼハゼハ、こと、ゼハゼハ、だ」

「ちち、ハアハア、うえ」


 学園に着いた国王は校舎の周りを走っていた王太子たちと合流した。王城から学園に来るまでの間に、貴族どころか平民に至るまでが、国王の後をついて走ってきていた。


 彼らは学園に併設されている闘技場へと方向を変えて走った。そして中に入ると、行儀よく観客席に並ばされていった。全員が闘技場の観客席に収まったが、体の自由はまだ戻らずに、座ることが出来ずに荒い呼吸をしながら立たされた。


 そこに闘技場の真ん中に天から光が降りてきた。あまりの眩しさに目を閉じる人々。

 光が収まると、そこには美麗な女性が身の丈より長い杖を持って立っていた。その杖の先には金色の輪が左右に二つずつ付いている。


 女神は一度杖を持ち上げると、地面に打ち付けるように下ろした。


 シャラ~ン


 澄んだ音が鳴り響いた。


『これはどういうことなのか、説明しなさい!』


 女神はきつい眼差しを国王に向けた。国王はまだまだ荒い息をしていた。女神の問いに答えようと、何度か大きく呼吸をしてから、やっと口を開いた。


「どういう、とは、どのこと、でしょうか」


 途切れ途切れの言葉に女神の眉間がよった。


『脆弱な。これしきの距離で、そのように呼吸を乱すとは。加護に頼り、心身を鍛えることを怠った証でしょうね』


 女神は独り言ちた。フウーと軽く息を吐きだすと、再度国王を見詰めた。


『まさか、自分たちがしたことが分かってないとでもいうのかしら?』


 女神の言葉に困惑した顔でそっと見交わしあう人々。その様子を見て、再度息を吐きだした女神。


『そう。自分たちが何をしたのか分かってないと。私の愛おしい子を虐げておきながら、分かってないというのね!』


 女神の言葉に驚愕する人々。その視線がある少女のもとに集中した。


「何をおっしゃるのですか、女神様。この通り、女神様の愛し子様は、健やかに過ごしております」


 王太子が隣にいるアザト男爵令嬢の肩を抱いてエスコートをするように一歩前に……出ることは出来ないので、存在を誇示するように胸を張った。


『はあ~? 何よ、その子は?』


 女神は眉間にくっきりとしわが出来るまで寄せて、吐き捨てるように言った。

 その様子に学園の関係者及び、王城に勤める者、男爵令嬢のことを知っている王都民は、困惑した顔をした。


「女神様の、愛し子様ですよね……」


 神官長が震える声で確認するように聞いた。


『そんなわけないでしょう! 私の愛おしい子はその子じゃないわ』


 驚愕の表情を浮かべる人々。その中でも事実に気づいた者から、顔を蒼褪めさせていった。


「で、ですが、この者は、女神様と同じ髪色をしております!」


 それでも認めたくない神官長が、再度口を開いた。女神は露骨に顔を顰めた。


『まぁー、わたくしと同じ色の髪色なの~。ふ~ん』


 気のない……というより馬鹿にしたように言う女神。それから鋭い視線を向けるとーーー。


『ところで、さっきから馴れ馴れしく口をきいている貴方は、何者なのかしら?』

「わ、わたくしは、神官長をしておるもので」

『聞いてないわ!』


 名前を名乗ろうとした神官長の台詞をぶった切るように、女神は言った。


『というか、なに勝手に神官長を決めているわけ? わたくしはちゃんと愛おしい子のことを伝えた神官長に、次の神官長の名前を伝えているわ。……ふ~ん、そういうことだったのね。どうりであの子が生まれてから、この国の神官長と連絡が取れないわけだわ。手続きもなしに勝手に代替わりしていたからなのね』


 女神の言葉に下位貴族と王都民は信じられないものを見る目で神官長のことを見た。


『そう。読めたわ。つまりこの国の者たちは、神官長というのはただの名誉職かなんかだと思っていたわけね。だから、私からの神託をこれ幸いとして、前の神官長から奪い取り、続きの神託を聞いていなかった、というわけね』


 続きの神託という言葉に、国王を含めた高位貴族たちがギョッとした顔をした。


『確かに前の神官長は高齢だったけど……それだから、負担を掛けないように数回に分けて話しかけたのが、仇となったのかしら』


 女神は悩まし気に息を吐きだした。


 ◇◇◇


 そうなのである。あの当時、この国の神官長は高齢で女神からの神託を受けるのに、一度では負荷が大きかったのである。


 だから、まずはーーー。


『もうすぐわたくしの愛おしい子が生まれるわ』


 と、女神は伝えたのだ。それを神官長はすぐに王城へと知らせたのである。

 このことを聞いた国王を含めた高位貴族は思ったのだ。神託を受けることが出来る神官長という名誉職(・・・)は、王家とも近しい神官がなるべきだと。

 神官長の何たるかを知らない者どもが、愚かなたくらみを抱いたのだった。


 さて、祈りの間での神託は高齢の神官長に負担がかかるが、抜け道的なものが存在した。それは夢の中で神託を受けるというものだ。

 ぶっちゃければ、眠っている間に意識を神界に引き寄せてそこで話すのである。

 これなら体に負担はかからず、女神様とも直に話せるので意思の疎通もしやすいのだ。

 神官長はこの方法で、続きの話を伺った。ついでに今までの務めを労われ、次に神官長を託す人物の名前も伝えられたのだ。


 前の神官長は、朝起きて朝食後にそのことを伝えようと思ったのだが、昨夜のうちに王国上層部の意思を受けたものが、神官長に毒を盛ったのである。

 これにより、残りの神託その他が伝わらなかったのだが、自業自得というものだろう。


 そしてそのことにより、どの子が“女神様の愛し子”か判らなかったために、女神様に近い特徴を持つものが“女神様の愛し子”だろうと王国上層部と神官たちは考えた。そのために、女神様の髪色に近いピンクブロンドのアザト男爵令嬢を、“女神様の愛し子”と尊重したのであった。


 ちなみに女神様の髪色は頭頂はゴールドだけど、毛先にいくにつれてだんだんとピンクゴールドとなる特別な髪色だった。


 ◇◇◇


 蒼い顔で脂汗を流しまくる国王以下高位貴族たちに、下位貴族と王都民は冷ややかな視線を向けた。

 その様子を観察していた女神は、フッと息を吐きだすと言った。


『まあ、今更ですものね。起こったことは仕方がないわ』


 その言葉に国王以下高位貴族は希望を見いだして表情を明るくしかけた。がーーー。


『ここまで蔑ろにされたのですもの。この国から加護を失くすことにするわ』


 この言葉に国王以下高位貴族だけでなく、この場に集められた者たちがギョッとして動きを止めた。

 ……いや、この国すべての者が女神の話を聞いていて、聞こえた内容にギョッとしたのだ。


「お、お待ちください、女神様。わしらは知らなかったのです。どうかお慈悲をお願いします」


 実直で知られる王都で有名な鍛冶屋の職人が、胸の前で手を組んで祈るように言った。

 女神は小首を傾げると、ぱちくりと瞬きをしてから言った。


『どうしてわたくしが慈悲を与えなくてはならないのかしら』


 集まった人たちは絶句して、何も言えなくなった。その様子を見ていた女神はパチパチと瞬きをした。


『思い違いをしないで欲しいわ。わたくし、ちゃんと言いましたわよ。私の愛おしい子を虐げた、と。どの子がわたくしの愛おしい子だと知らなくても、子供を虐げていい理由にはならないでしょう』


 女神の言葉に半数以上の人間が俯いた。心当たりがあるのだろう。そんな中で、一人の女性が震えながら声をあげた。


「恐れながら……私は、子供を虐げた覚えはありません」

『あら~、わたくしの言葉を嘘だと言いたいのかしら? それとも自覚してないだけかしら?』


 この言葉に女性は何も返せずに口を閉ざし、俯いた。


『ここまで言っても、私の愛おしい子がどの子なのか解らないようね。本当に度し難いこと』


 女神がそう言った時に闘技場の中へと入る扉が開き、一人の女生徒が姿を現した。その姿に目を(みは)る人々。


「女神様」

『まあ、嫌だわ。そんな呼び方をしないで』


 首を傾げて『ね♡』と笑う女神にシルバーの髪の少女は困ったように笑い返した。


「お久しぶりです、お母様」

『あなたも。と言いたかったけど、ずいぶんくたびれたわね』


 女神の言葉に苦笑を返す少女は、手を差し出す女神のそばへと近寄っていく。その様子に観客席は騒然となったけど、女神が一言『うるさいですわ』というと、誰の声も聞こえなくなった。

 そばに来た少女を抱きしめて少女に蓄積された疲労を取り除くと、女神は冷ややかな視線を闘技場に集まった人々へ向けた。

 否。その視線はここに居ない、この国の民すべてを見渡していた。その視線を向けられた人々はガタガタと震えだした。

 そう、彼らには覚えがあったのだ。()の少女のことを蔑みの対象として話していたことが。


『本当に人とは度し難いものね。自分たちが楽をするために、一人の人間をここまで苦しめることが出来るのですもの』


 人々の声にならない言葉を拾った女神は薄く笑った。


『公爵、あなたは娘であるこの子に、将来の王妃となるために知っておくべきこととして、本来ならあなたがしなければならない、領地のことをこの子にさせていましたわね』


 人々の視線が公爵へと突き刺さった。


『王妃、あなたも本来であれば王妃の仕事としてしなくてはならないことを、この子にさせていましたよね。それも王妃教育と銘打って。もともとの王妃教育はとっくに習得済みなのに。この子が優秀だからといって、それはないのではないかしら』


 国王は王妃へと驚きの視線を向けた。


『国王、あなたも最近王妃の仕事が早いからと、自分がするべき仕事を回していたわね。それがすべてこの子にいっていたのは、ご存じないわよね』


 国民の視線は、今度は国王へと向いた。


『大臣たちも、城の文官たちも、王子妃の試練と称して、この子に仕事を押しつけていたわね』


 大臣たち及び文官たちは周りの視線に耐え切れずに、俯いた。


『極めつけは、そこの王太子たちね。王太子の仕事はすべてこの子に丸投げして、学園でも生徒会の仕事を投げ出して遊んでばかり。それなのに、この子を貶めて嘲笑っていたわね』


 王太子と側近候補の宰相の息子、魔術師長の息子、騎士団長の息子、それからアザト男爵令嬢へと、極寒のブリザードを思わせる視線を向ける女神。その視線を恐れるように身を縮こまらせて俯く王太子たち。


『そして、そんな状態を諫めることも導くこともできないで、何が教育者なのかしら』


 学園の教師たちも顔色を白くさせて、女神の視線から逃れるように俯向いている。


『ねえ、そんなにも仕事を押しつけらていたこの子が、酷い状態だと一目瞭然だったわよね。それなのに助けようとするものは一人も現れず、学園の生徒たちも上に同調してこの子を嘲笑っていたわね』


 学園の生徒たちも俯いて震えている。女生徒の中には泣き出す者もいたが、声は封じられているので泣き声は聞こえてこなかった。


『この国の国民もそう。こいつらが流したこの子の悪評を信じて、一緒になって嘲笑していたわ。これのどこが虐げていないというのかしら?』


 闘技場どころかこの国の国民に顔を上げている者はいなかった。

 その様子をもう一度見回した女神はため息を吐きだした。


『私の可愛い娘。もういいかしら?』

「もういいとは、お母様」

『貴女が言った人間の世界を見てみたいというのは、これでわかったでしょう。もうこちらにお戻りなさい』


 少女は少し考えてから首を振った。


「いいえ、お母様。私はまだこちらに居たいですわ」

『このような目にあったのに?』

「これはこれで貴重な初めての体験でしたわ。いえ……そうです。この世界の国というのはこの国だけではないのでしょう。私はこの国以外も見てみたいのです」


 女神は暫し考えてから頷いた。


『そうね。わたくしも少し尚早だったわ。確かにこの国以外も知るべきね。ええ、それならば、人として天寿を全うしてから、また会いましょう』

「私の我が儘を許してくださってありがとうございます」

『可愛い娘の頼みですもの』


 女神と少女はにっこりと笑い合った。それから、ふと少女は真顔になって聞いた。


「先ほどこの国の加護を取り上げるとおっしゃいましたけど、本当ですか」

『ええ。それくらいしないと、わたくしの腹の虫が治まらないわ』


 女神の言葉に俯いていた人々は顔を上げて、女神と少女のことを見た。


「お母様は、怒っていらっしゃるのですね」

『駄目かしら?』

「いいえ、お母様。なさりたいようになさってください」


 そう言いながらも、少女は心の中で(お母様はお優しいこと)と思っていた。女神の力を使えば、この国を滅ぼすことなど簡単なことだ。それに加護を失くすと云っても、すぐに加護が消えるわけではなかった。徐々に薄れていくのである。


 だが、そのようなことを知らない国民は絶望を味わっていた。中には何とか女神か少女に話しかけようと口をパクパクさせているが、声を封じられているので少女は気づくことはなかった。女神は……もちろん無視しているのである。


『それならば、あなたはどうするのかしら』

「どうするとは、お母様?」

『他の国に行くのであれば、送るわよ。……というより、わたくしがあなたをこの国に置いておきたくないわ』


 その言葉に目を丸くした少女は、それから嬉しそうに笑った。


「それでしたら送っていただけますか、お母様」

『ええ、よろしくてよ。そうそう。今まで十分に働いたのだから、その対価をもらっていくことにしましょう。あら、そんな顔をしなくても大丈夫よ。心が傷ついた慰謝料も国民全員から、それぞれの持ち金から見合った額を頂くことにするから。ねっ、それなら公平でしょう』


 女神はそう言って片目を瞑った。少女は少し呆れたように見てから、苦笑を浮かべて頷いた。


『それでは皆さん、わたくしたちはこれで消えますわ。因果応報ですので、悪しからず』


 そう言うと女神は手を振って、少女と共に姿を消したのだった。


 ◇◇◇


 さて、それからのことだけど、女神の娘で人間に転生した少女は、女神の力で髪の色を変えて隣国からスタートして、各国を旅してまわった。

 その資金は……慰謝料として元母国の国民から没収されたお金だった。女神は国民それぞれの総資産に一年間の収入を足したものから百分の一を徴収したのである。

 もちろん、王家や高位貴族ほど奪われた金額は多いが、それほどのことをしたのだから甘んじるしかなかった。

 というよりも、お金を取り返そうにも彼らはこの国から出ることが叶わなくなったのだ。


 そして、少女は母国から合わせて十カ国目で運命の出会いを果たして、結婚をした。

 男の子を二人、女の子を三人授かり、孫も十七人生まれ、六十八歳で天寿を全うしたのだった。


 ◇◇◇


 その母国のことだが、少女に仕事を回していた各部署は、一時期混乱したそうだ。というのも、少女はいつもきちんと各部署に終わった書類を届けてくれたのだが、居なくなると思わなかった人々は、あとのことを考えずにごちゃごちゃに混ぜて書類を置いていたのだ。

 まずはどこの部署の書類かの仕分けから始まって、それの処理に入るまでに時間がかなりかかったのである。

 急ぎの重要案件もごちゃごちゃにしていたため、対処が遅れて深刻な事態に陥ったものも、一つや二つではなかった。


 それに国王からして、仕事に忙殺されたのである。 まず王妃に渡していた仕事が国王のもとに戻ってきたのだ。

 それから国王はあの後に、影からの報告書を読んだ。今までにも読んでいたつもりだったが、学園から問題なく過ごしているという報告が来ていたので、おざなりに見ていただけだった。

 いや、おざなりどころか、他の重要案件を優先して、読んでも全く頭に入っていなかったのであった。

 改めて読み直し、あまりな王太子の態度に眩暈を起こしたあと、王妃と王太子を呼び出して叱責したのだった。

 が、叱責したからといって、仕事が減るわけではないのであった。


 仕事に忙殺されたのは、もちろん王妃と王太子もだった。

 王妃は……少女に回していた分が戻ってきたことにより、余裕がまったく無くなり、日に日にやつれていった。それでも誰も代わりに仕事する者はおらず、睡眠時間を削って仕事をするしかなかったのだった。

 さて、王太子は……というよりも王太子は今まで婚約者に仕事を丸投げしていたので、上がってきた案件に対処が出来ずに無能の烙印を押されることとなった。もちろんそれは生徒会の仕事でも同じだった。生徒会は機能しなくなったので、早々に次の世代に引き継がれることになった。

 それにより王太子の地位から下ろされ、第二王子が王太子の座に就き、後に国王になったのである。

 元王太子は、一生を下級文官として過ごした。それでも仕事を与えられたのは、国王の温情であろう。もちろん結婚はできなかったのである。


 公爵は娘にしていたことを知った領民に反発されて、早々に爵位を譲って隠居することになった。公爵夫妻は領地に小さな邸を与えられたが、メイドが居つかないことで、自分たちで身の回りのことをやるしかない状態になった。もちろんできるわけがないので、邸は汚れ、本人たちも薄汚れていった。見かねたある領民が一年がかりで最低限の生活が出来るように、家事を教え込んだのだった。

 そして公爵家は女神の愛し子を蔑ろにした家と、周りから言われ続けることになった。跡を継いだ少女の兄だけでなくその子孫も苦労することになったのだった。


 王太子の側近候補だった者どもは積極的に少女を虐げていたとして、平民に落とされて騎士団や王宮などの下働きをさせられて過ごした。彼らも婚約は解消され、寄り添おうとするものは現れずに孤独に一生を過ごしたのだった。


 アザト男爵令嬢は……自分から“女神様の愛し子”と言ったわけではなかったが、周りからのあれそれで増長した態度をしていた。それに思うところがある人々が多くいたので、あの後人々から距離を置かれることとなった。王太子以下取り巻きもあの後に離れたので、学園を卒業まで一人すごすこととなった。もちろん結婚したいという者は現れず、遊ばれて痴情のもつれから相手に刃物を向けたものの返り討ちにあって亡くなったのだった。


 学園については、前は諸外国からも留学させたいと打診があるくらい、高い教育を施す学園と有名だった。だが、女神から『諫めることも導くこともできないで、何が教育者なのかしら』と言われたことが広まり、評判は地に落ちた。

 もちろん、生徒会顧問をしていた教師は、指導力がないとされ、あの後すぐ学園を解雇されたのである。


 それからこの国の貴族と縁付こうと考える者は居なくなり、あの時に婚約や婚姻をしていた者ものたちで、婚約を解消されたり離縁された者が少なくない数いたそうだ。


 だが、女神が降臨したと聞いた女神の信者たちが、この国に巡礼してくることになり、一大観光地となったのはなんという皮肉だろう。



 そして、数百年経って女神に許されて、また加護をもらえるようになるのは……別の話だろう。




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― 新着の感想 ―
[一言] まあ自業自得ではあるのだが、元々自分がやっていた仕事が帰ってきただけなのになんでそこまで余裕なくなるのか。ぬるま湯に浸ってた間に仕事忘れた? というか生徒会はともかくまだ学生というか正式に王…
[気になる点] 愛し子が言われるままに仕事をしていた気持ちが理解できなかった。 王侯貴族があまりにポンコツ過ぎでは? [一言] 面白そうで読んでみましたがたいしたザマーもなく因果応報で終わったのが消…
[気になる点] 王様や王妃様が多忙になるような「仕事」って具体的に何があるのでしょうか? 王様がする仕事は、国の運命を決めるような「王様にしかできない事」だと思うのですが、 多忙になるほどの数がある…
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