越後の主(前編)
長くなってしまったので前後編に分けます。
後編は今日中か明日には投稿しようと思っています!
---天文16年(1547年) 春日山城 長尾晴景---
景虎の名声は日を増すごとに高まっている。
家中でも多くの者が景虎を推しているようで、おそらく私に代わって当主になってもらいたいのだと聞かなくてもわかってしまう。
父上から家督を譲られて十年程経つが、父はよくこんな越後を治めていたものだと何度思ったか。
特に父が亡くなってからは定実様の権威が復権したのを契機に多くの勢力が独立しようと反抗してきた。
だが、それらを鎮めたのは景虎だった。
景虎は持ち前の武勇と天才的な軍略の才、それに毘沙門天様の加護をもって次々に成果を上げた。
毘沙門天様の加護か…たしか昔に話してくれたことがあったな。
夢の中で出会い、命を救って貰った上に加護まで授かり、この日ノ本に安寧をもたらす様に言われたと。
あの時は半信半疑だったが、今のあいつを見ればそれが本当だったのだと確信できる。
もしこの話を聞いてなかったら私はあいつに嫉妬していただろうな。
なぜ私にできなくて景虎にできるのだと、なぜ私を差し置いて羨望の眼差しを向けられるのかと。
景虎は優しい子故、私に代わって家督を継ぐ気など無いだろうが、周りが黙ってはいないだろう。
それに景虎の上には影康と影房もいる。
あの二人がどう思っているか分からないが、間違いなく良い気はしていないはずだし、もしその時になったら確実に反対してくることが予想される。
さて…どうしたものかなぁ…。
---越後国 某所 本庄実乃---
ここは越後国内にあるとある寺。
儂はここにある人物達を集めていた。
「よくぞ私の呼び掛けに応じてくれた、感謝する」
集まってくれたのは鳥坂城主の中条藤資殿、中野城主の高梨政頼殿、栖吉城主の長尾景信殿、与板城主の直江実綱殿、三条城主の山吉行盛殿の計五人だった。
「集まってもらった訳は他でもない、景虎様に長尾家の家督を継いでもらうことに関してだ」
私を含めたこの六人が共通して考えている事がこれだった。
今の越後には力ある国主が必要であり、晴景様や定実様ではどうしても力不足なのだ。
その点景虎様は武勇に優れ軍略に通じ、民を思う優しさがある。
決して晴景様や定実様を悪く言うつもりはないが、景虎様と比べるとどうしても劣ってしまう。
「既に長尾家家中では景虎様を推す声が上がっているようだぞ」
「越後上杉家でも宇佐美定満殿や定実様も景虎様に興味を持たれているらしい」
「ふむ…動くなら情勢がある程度落ち着いている今か…」
「晴景様の様子はどうなのだ?」
「それがよく分からんのだ。景虎様に対して不満を持っているものだと思ったのだが、景虎様の事が耳に入ってもそんな素振りを見せていない」
普通兄を差し置いて弟がこうも注目されては嫉妬や不満を持つものだが、そういった素振りが無いとは…。
でも確かに晴景様は何かと景虎様を頼られているし、無茶な命令も無ければしっかりと褒美も頂いている様子。
もしや、晴景様は景虎様に託されるおつもりでいらっしゃるのか?
「晴景様自身が景虎様に当主の座を譲ろうとお考えになられてるのでは?」
「まさか、いくらなんでも自分の地位を譲るような事をされる訳がなかろう」
それもそうか、実質越後を支配している守護代の地位を自ら手放すような者がいるとは思えん。
「景康様や景房様はどうなのだ?」
「あの御二方はおそらく景虎様に対して良くは思っていないだろうな。晴景様とは違い、景虎様の話題を出す事も嫌がられてしまわれる」
なるほど…晴景様よりこの二人に注意しておかねばならんな。
何もしでかさなければ良いのだが…。
「ではその御二方に注意しておくとして、すぐに行動を起こすか否かだ」
「待ってくれ、景虎様の意思はどうなる?
「それについては私に任せてくれ。必ずや景虎様に立ち上がってもらうように話を通しておこう」
景虎様の傍でその才を目の当たりにした私が必ず説得する事を約束すると、全員の意思を確認した。
すると、一人も違う考えの者がいなかったようなので、段取りを詰めてすぐに行動を開始することが決まったのだった。
---栃尾城 長尾景虎---
ある日の夜、実乃が自室を尋ねてきた。
俺は実乃を部屋に入れると彼はひどく真剣な表情で俺に話を始めた。
「景虎様、今宵訪れた理由は一つにございます。単刀直入に言いますと、景虎様には越後の主となってもらいたく存じます」
俺は一瞬何を言われたのか分からなかった。
越後の主?どういう事だ、実乃は何を言っているんだ。
「待ってくれ、私の聞き間違いでなければ私に越後の主になってもらいたいと言ったか?」
「はい」
「それは…兄上に代わり私が越後長尾家の当主になれと?」
「その通りにございます」
「ふざけるな!!貴様、自分が何を言ってるのかわかっているのか!?」
俺の怒号が部屋どころか城中に響き渡る。
しかし、実乃の目はじっと俺を捉えていた。
「景虎様、今この時にも民達は争いに怯えながら暮らしているのです。またいつ反乱が起こるかわかりませぬ」
「それは…だが、貴様は俺に長尾俊景や黒田秀忠のような真似をしろと?」
「景虎様を支持する者達は大勢おります。既に中条藤資殿、高梨政頼殿、長尾景信殿、直江実綱殿、山吉行盛殿は私と共に景虎様を支持すると」
正直薄々そんな雰囲気を感じていた。
周りの者が何かと私を持ち上げ、兄と比較しそれらしいことを言ってくる。
俺はそんな声を聞かないようにしていた。
聞かないようにしていたのに…ここまで面と向かってはっきりと言われてしまったら、兄上を弟としてではなく越後の国で生きる者として見なくてはいけなくなってしまう。
俺が毘沙門天様に託された日ノ本に安寧をもたらすようにという目的を果たすには今の立場では成しえないこともわかっていた。
分かっていたからこそあえて目を逸らし続けた罰だというのか?
…そうか、未来の知識にあった俺が長尾家の当主になるというのはこの事なのか。
兄上に何かが起きるのではなく、俺の手によってその事態を引き起こしてしまうのだ。
兄上のためにやってきたことが、何よりも兄上を追い詰めることになっていたとはなんという皮肉なのだろう。
どうしたらいい、どうしたら全て丸く収まってくれる?いったいどうしたら…。
その時、実乃の俺を呼ぶ声が響いてきた。
「景虎様!大丈夫でございますか!?」
「…すまない、少し考え事をしていた」
「申し訳ございません、急な話ゆえ少お心を煩わせてしまいました。今日のところは…」
「いや、構わない。ずっと目を逸らし続けた私の責任でもある。実乃、一つ聞いていいか?」
「…?何でございましょう」
「兄上達の身を脅かすようなことにはならぬな?」
「我々は穏便に事を済ませたいと思っておりますが、向こうの出方次第でございますれば…」
「そうか、それが聞ければ良いのだ。返事についてはもうしばらく待ってほしい」
「承知いたしました。どのような判断でも我々は景虎様の意思を尊重させていただきます」
俺は考えが纏まらないのでもう少し待ってもらうことにした。
次の日になっても頭の中がぐるぐるとしており、政務にも気が入らない状態だったため実乃が気を利かせて少しだけ休みをもらい、その間俺は長尾家の菩提寺である林泉寺に訪れていた。
林泉寺に現れた俺に師である天室光育は驚きつつも俺を中へ入れてくれて、いろんな話をした。
これまでの事や俺が悩んでいることについても聞いてもらった。
師は「その答えを持つものはどこにもいない。己を信じることが何よりも最善である」との言葉を貰った。
その後母上にも会いに行き、同じように話を聞いてもらった。
「そうですか、あなたが越後の主に」
「そうなのです。いったいどうすればいいのかわからなくて…」
母は少し考える素振りを見せた後、こう言ってきた。
「あなたは晴景様をどう思っておりますか?」
「どうって…私にとって唯一無二の兄だと思っております。いつも優しくて幼い頃の私を支えてくれた御方です」
「ならば、今の晴景様はあなたの目にはどう映っていますか?情けなく感じますか?」
「…いえ、私の目には…辛そうに見えます」
兄上はもともと心優しい人だ。
争い事を好まない温厚な性格で、武芸より芸事の方に関心がおありな様子だった。
そんな兄上が父に半ば責任を押し付けられるように当主となり、そして今に至る。
落ち着いて冷静に考えてみると、当主としての兄上は昔よりもどこか無理をしているように感じたのを思い出した。
「私も同じ意見です。以前たまたまお話しする機会があったのですが、昔の晴景様と比べて何やらお辛そうなご様子だと感じました」
「母上もそう感じたのですね」
「えぇ、ですからこう考えてはどうですか?当主の重責を背負ってお辛そうな晴景様に代わり、自分がその重責を引き受け兄のために当主になるのだと」
兄のために当主になる…か。
だが俺達が勝手にそう思ってるだけで実際は違うのかもしれない。
「とはいえ、晴景様がどのようにお考えかは晴景様にしかわかりません。ですから必ず話をしなさい、晴景様とあなたでお話をするのです。そこでちゃんとお互いの思ってることを伝え合うということを忘れてはなりません」
「そう…ですね、確かに兄上のお考えを聞いたことはありませんでした。ありがとうございます母上、あなたに会いに来てよかった」
「ふふふ、私も久しぶりに愛しい我が子に会えてうれしゅうございました。景虎、あなたは私の自慢の息子です。自信を持って、自分が為すべきと思ったことをしなさい。母はいつまでもあなたの事を見守っていますよ」
その後他愛もない話を少ししてから帰路に着いた俺はその道中、気分は行きよりも随分と良くなった気がした。
事の重大さに目を奪われ、しなければならない事に気付けていなかった自分に反省し、俺は実乃に自分の意思を伝えたのだった。
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