長尾為景の死
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---天文11年(1542年) 越後国 林泉寺 長尾虎千代---
俺が林泉寺に入ってから、早くも6年が経過した。
この6年間はほぼ毎日寝る時以外は修行と鍛錬漬けの日々で、そのおかげか体格から武具の扱い、教養や兵法をかなり身に付けることが出来た。
林泉寺の住職で俺の師でもある天室光育は俺の驚異的な成長具合に驚きを隠せないらしく、特に腕自慢の者をものの数秒で打ち負かした時のあの顔は忘れもしない。
他には、寺に置いてある様々な書物を片っ端から読み漁ったり、城郭を模した模型を使ってよく遊んだりした。
修行や鍛錬は厳しいものであったが、母上や兄上がまめに手紙を寄越してくれて、そのおかげで日々の厳しい修行に耐え、自分の力を高めることが出来たのだから感謝しかない。
俺がそんなことをしながら寺で修行をしていた間、越後国内も荒れた状況にあった。
まず俺が林泉寺に入った天文5年に、以前から反為景派として争っていた上条城主の上杉定憲の兵乱に上田長尾家の当主長尾房長が呼応した。
反為景派の軍勢は為景を討たんと進軍し、父もこれに対抗するため軍を起こして両者は保倉川にかかる三分一橋の付近(現在の新潟県上越市)一帯で激突した。
初め父の軍は劣勢に立たされていたが、相手側の裏切りもあり最終的に勝利を収めている。
しかし、この戦で負傷してしまった父は家督を晴景兄上に譲って隠居したが、依然として実権を握ったままだ。
その後は敵対した上田長尾家との抗争が続いており、未だに落ち着かない状況になっている。
この間にも越後の民は終わらない戦に苦しみ嘆いているのに、今の自分は寺で修行するしか出来ないのが歯痒かった。
それでも出来ることはないかと考えた結果、春日山城下の見回りをしようと思い立った。
なぜ見回りなのかというと、こう長く戦が続くと無法者が多くなって町の治安が悪くなってしまうからだ。
とはいえ師に許可を得ないと行けないので頼みに行くと、意外にあっさり許可を貰えた。
師曰く、「苦しむ民に救いの手を差し伸べるのが寺の役目。本来ならば坊主が武器を手に取るなど言語道断だが、それがこの地を治めている御方のご子息ならば文句は言わん」だそうだ。
ちなみに林泉寺は曹洞宗のお寺であるため、住職である師は一向宗の坊主のように武装するのを好ましく思っていない。
それに越後国内には一向宗の信仰を禁止する『無碍光衆禁止令』(むげこうしゅうきんしれい)という命令を過去に父が出しているので、浄土真宗の武装した坊主どもはいない。
こうして俺はここ数年決まった時間に城下の見回りをし、悪巧みを働くものには厳しく罰を与え、困っているものには食料を分けたり手助けをしたりした。
そんなことをしていると民の間で長尾虎千代の名前は有名になり、その名声が春日山城の兄上や父の元にまで届くようになった。
兄上からの手紙には、当主としては治安維持をしてくれてありがたいが、兄としてはあまり危険なことはしないでくれ。と言っていた。
そんな日々を送っていたが、この年の12月に父上が病に倒れそのまま帰らぬ人となってしまった。
俺がそのことを知ったのは兄上からの書状であった。
師に説明をし急いで城に戻って父の部屋に案内されると、そこには白い布を顔に被せられた父と兄上達(晴景、景康、景房)がいた。
「虎千代、よう来たな。だがもう父は…」
「はい、父上のこと無念にございます…。父上は最期、どのようなことを仰っておられましたか?」
「我らに越後長尾家を頼むと。お前のことについては…何も。だが虎様なら何か聞いておられるかもしれん。後で虎様のところに行って差し上げなさい」
「そうですね…。母上も悲しんでおられるでしょうから…」
「あぁ…。それと虎千代、お前には敵対勢力が動くかもしれんから父上の護衛を頼みたい。お前の成長は聞き及んでいる、それを見込んで父上の護送を頼みたいのだ」
「承知致しました。必ずや無事に父上の亡骸をお送りしてみせましょう」」
部屋を退室した俺は、その足で母上の元へ向かった。
部屋に入ると、そこには少しやつれた様子の母上がいた。
「虎千代…おかえりなさい。こんな母の姿を見せてしまって申し訳ありませんね」
「気にしないでください母上。父上が亡くなられたのです、無理もありません」
「ありがとう虎千代。なんだか虎千代の顔を見たら少し元気が出てきました。せっかく会えたのです、お寺での日々を教えてくれませんか?」
そして俺は寺で過ごした6年間のことをいろいろと話した。
なんとか母に元気になってもらうと面白おかしく話をしていたら母の顔にようやく笑顔が戻ってきた。
「ふふふ、さすが私の息子です。見回りのことは私も聞き及んでいましたが、全てあなたの成長につながっていたのですね」
「はい。師にも良くしてもらってますし、良き日々を送れていると実感しております」
「では私からも住職様に感謝を申しておかねばなりませんね」
そうやって笑顔になってくれた母は、居住まいを正すと父との最後の会話について話し始めた。
「為景様はずっとあなたのことを怖いと感じておられてました。虎千代の目を見ていると底知れぬ何かを感じる。自分は弱い人間だから、会うのが怖くてお前をちゃんと見てやることができなかったのが申し訳ないと…」
だから会っても目を合わせてくれなかったのか…。
てっきり単純に嫌われているだけかと思っていたのだが、父が俺を避けていただけだったなんて。
「あなたを寺に入れたことも、これで本当に良かったのかとずっと後悔していたそうです。ですがあなたの成長が伝えられるたびに内心嬉しかったようですよ」
「そうだったのですか…。それならば手紙の一つくらい送ってくれてもよかったのに…」
「今更父親面なんてできないと。ずっと避けてきたくせに手のひらを返してなんて真似、出来るはずがないと仰っておられました。だから、最期に一つだけ」
「虎千代が健やかに立派に成長してくれたこと、父として嬉しく思う。この越後を兄達と共に頼んだ。そう言い遺されてました」
全くあの人は…どこまで不器用な人なんだろう…。
確かに幼い頃の扱いについて思うところはあるが、そうならそうと言ってくれれば良かった。
とはいえこの話を聞いたからと言って父に対する思いがそう簡単に変わるかと言われたら変わらない。
自分にとって父は嫌いな人だが、長尾為景という一人の男の手腕、能力に関しては尊敬できる。
そんな尊敬できる人に越後を頼むと言われたのだ、力を尽くさずにはいられないだろう。
「父の最後の言葉、しかと心に刻みました。必ずや兄上たちと共にこの越後を治めて見せましょう」
「為景様もその言葉を喜んでおられるでしょう。頼もしくなりましたね、虎千代」
「私ももう12の年になるのですよ。いつまでも子供ではありません。それはそうと、母はこれからどうなされるのですか?」
「私は仏門に入って為景様を弔おうと思います。虎千代、この越後を頼みましたよ」
「お任せください、母上」
その後は母は仏門に入り、名を『青岩院』と号し父の菩提を弔う余生を過ごしたのだった。
そして数日後父の葬儀が執り行われることになったが、予想通り春日山に敵対勢力が迫ってきたため俺は甲冑を身に着け刀を振るいながら父の柩を護送し、何とか無事に葬儀を執り行うことができた。
しかし、兄上は父亡き後の越後をまとめるのに苦労しており守護の上杉定実の復権を許してしまう。
それゆえ守護派の勢力に勢いがついてしまい、越後長尾家は次第に劣勢に立たされてしまうのだった。