名将の後悔
---弘治元年(1555年) 加賀国 大聖寺城---
「「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」」
加賀侵攻から月日が経ち10月に入った頃、朝倉軍が駐留する大聖寺城は地獄のような様相だった。
そこら中に死体が転がり柵や城門は見る影もなく、その上を狂気の軍勢が踏み散らしていた。
「く、来るなぁ!!!うわぁぁぁぁぁぁ!!」
「こんな数防ぎきれない!ぐわぁ!」
「殺しても構わん!ここを守りきるのだ!!」
「「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」」
目は窪み身体は皮と骨のような状態になった農民達が、鍬や竹槍を持ち念仏を唱えながら際限なく攻めてくる。
その様子を本陣から見ていた朝倉景隆と副将の山崎吉家は焦っていた。
「くそっ!何なのだあの軍勢は!狂っているのか!」
「まずいですな…今は何とか持ち堪えていますがこの状態が続けば先に疲弊するのはこちらです。時期的にはもうすぐ雪が降り始めるのですが…」
「こんな時…宗滴様ならどのような采を振るわれたのだろうか…」
なぜ優勢だった朝倉軍がこのような事態になったのか、それは8月まで遡る。
大聖寺城を攻め落とした朝倉軍は付近にある敷地山に本陣を敷き一揆勢の拠点を攻め始めた。
初めは勢いそのままに優勢だったが、徐々に一揆勢のなりふり構わない戦い方に苦戦を強いられる。
がしかし、名将朝倉宗滴の指揮により一進一退の攻防を繰り広げていた。
膠着状態が続き8月も終わりを迎える頃、陣中にて采配を振るっていた宗滴の身体は遂に限界を迎える。
病により倒れた宗滴はこれ以上は戦えないと判断し、副将だった朝倉景隆を総大将に任命し自身は一乗谷に帰還したのだった。
だが、帰還した宗滴は時が経つにつれもはや立ち上がる事すら出来ないほど弱っていき、最後の力を振り絞って実虎と景隆宛に文を書くと、その数日後にその時がやって来た。
「どうやら儂もここまでか…。長く生き過ぎたと思っておったが…こんな間際に行く末を見てみたい若人が現れるとは皮肉なもんじゃ…。」
「「宗滴様…!!」」
「ふっ…揃いも揃って情けない顔を並べおって…これでは朝倉の行く末は決まったも同然ではないか…。こんな事になるなら…あの時儂の手で…朝倉家を…」
「宗滴様…?宗滴様!!」
1555年9月23日、朝倉家の重鎮にして日ノ本屈指の名将と呼ばれた朝倉宗滴は、当主義景を始め親族一同に看取られ息を引き取った。
この宗滴の死によって越前の地にて小京都と呼ばれるまでの栄華を極めた朝倉家は、衰退の一途を辿ることになる。
そして現在、総大将となった朝倉景隆は宗滴からの遺言に従い大聖寺城の守りを固め雪が降り始めるまで死守することにした。
連日の大攻勢により城はもちろん、宗滴が死去したという事実で将兵達の心身は疲弊し切っており陥落は時間の問題であった。
「景隆様、この調子では7日も持たないかと…」
「くっ…上杉家はどうしておる?」
「上杉は現在手取川にて一揆勢との睨み合いが続いております。どうやら向こうにも相当な数の信徒達が動員されているようですな…」
「これが宗滴様でも攻め切れなかった一向宗の恐ろしさ…か…」
一方、ここに来て勢いを取り戻した七里頼周はほくそ笑んでいた。
「ふっふっふっ、我らが少し本気を出せば朝倉軍などこんな物よ。それにしても信徒達は本当に御しやすくて助かるな」
「頼周様、この調子ならばあと数日で朝倉を壊滅に追い込めますな!はっはっはっ!」
「やはり御仏の加護は絶大でございます!面白いように信者共が我々の手足となって動いてくれるのですから!」
「さあ同志達よ、我々の楽園を守る為により一層祈りを捧げようではないか!」
頼周達の居る場には僧兵達の下卑た笑い声と酒池肉林が広がる。
頼周はこの楽園を誰にも奪わせまいと固く心に誓うのだった。
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