兄の優しさ
第3話です
---天文5年(1536年) 越後国 春日山城 長尾晴景---
弟の虎千代が目を覚ましたとの報告を受けてから数日後、ようやく暇のできた私は弟の部屋にやってきた。
「虎千代、助からないと聞いたときは肝を冷やしたぞ。身体の調子はどうだ?」
「兄上!見舞いに来てくださり感謝いたします。母上や侍女たちが甲斐甲斐しく世話をしてくれるおかげで調子は良いです」
「そうかそうか。私にできることがあれば遠慮なく申してくれ」
虎千代とはかなり年が離れており、昔からよく私に一緒に遊んでほしいとせがまれたものだ。
しかし私は身体が弱いこともあってすぐに疲れてしまうのだが、そんな時は一緒に部屋でできる遊びをしたいと幼いながら気遣ってくれる優しい子だった。
去年から私が政務に関わることになってきて、共に過ごすことが難しくなってきているが仲のいい兄弟だと思っている。
そんな虎千代だが、調子がいいと言う割にはなんだが浮かない顔をしているな。
少し聞いてみるか…。
「虎千代、なんだか浮かない顔をしておるがなにか思い詰めてないか?」
「え?そんな風に見えましたか?」
「うむ。他の者の目は騙せるだろうが、兄である私には通用せんよ」
「…兄上には敵いませんな。兄上は…私が夢の中で毘沙門天様にお会いしたと言ったら、信じてくれますか?」
夢の中で毘沙門天様に会っただと???
「毘沙門天様は戦の絶えぬ今の日ノ本を嘆いておられました。そこで某の命を救う代わりに、日ノ本に安寧をもたらす様にと仰せつかったのでございます。その際に毘沙門天様の加護を授かりました」
「と、虎千代、想像も出来ない話ゆえ理解が追い付かぬが…それは真の話なのか?」
「はい。嘘のような話かとは思いますが、加護を貰い神からそのような命を受けたのです。最初は興奮していてやってやるぞ!って心持ちになっていたのですが、時が経つにつれ本当に自分なんかに出来るのだろうかと…」
にわかには信じられん話だが、なぜか妙に納得してしまう自分がいる。
なぜなら、久しぶり会った虎千代はどこか前と違う雰囲気を纏っておった。
私自身それが何なのかを理解することはできないが、父が持つ武士としての格を感じるそれとは明らかに異なるものであるのは間違いない。
あのひどく真剣な顔、どうやら嘘や妄言という訳では無さそうだな。
「ま、まあ、信じることなど到底できないありえない話ですので今の話は気にしないで…」
「いや、信じようではないか虎千代。まさか我が弟が神にそのようなことを仰せつかるとは、兄として鼻が高い」
「え…?信じて頂けるのですか…?」
「うむ。私の頭では理解できないが、今日お主にあった時から前と雰囲気が違うような気がしていた。その理由が今の話だとすると、納得出来るところもある」
「兄上…」
「それに可愛い弟が真剣な顔で申してきたのだ。兄として信じてやらぬ訳にはいかんだろう。虎千代、よくぞ話してくれた。兄は嬉しい限りだ」
「…ありがとうございます。兄上」
「礼には及ばない。では私は戻るとしよう」
そして私は部屋を出ようとした時、伝え忘れていた事があったのを思い出した。
「あーそれと、明日父上から詳しい話があると思うがそなたは林泉寺に預けられることとなった。しばらく会うことができないが、息災でな。」
あの話が本当なら、弟が抱えているものは手には余る代物であり、そんなものを一人で抱えて生きることなど出来るわけがない。
誰かと共有しなければ、今は大丈夫かもしれんがいずれきっと壊れてしまう。
兄として、少しでも虎千代の支えになれればよいのだが。
---越後国 春日山城 長尾虎千代---
なぜ兄上にこの話をしたのか自分でもわからない。
でも、毘沙門天様の代わりに日ノ本に安寧をもたらすという大きすぎる夢を誰かに共有してほしかったんだと思う。
あの場所で毘沙門天様に誓った時覚悟をしたつもりだったのだが、時間が経つにつれそのあまりにも大きな重責に心を消耗していた。
俺も武家の息子として生まれたからわかるが、今の日ノ本に平穏をもたらすことはもはや夢物語である。
なにせ至る所で戦が行われており、一国を落ち着かせるのにすら何年も掛かってしまうのだから。
だが神から命を受けたということ、そしてこれほどまでの力を授けられたこと。
これをもってして成し遂げられなかったらと考えると押し潰されそうになる。
それに今からなにか行動を起こそうにもあの父が俺を自由にさせてくれる訳が無い。
馬鹿正直に全て話したところで子供の戯言としか受け取って貰えないだろう。
だから兄上には本当に救われた気持ちだ。
流石に未来の知識まで話すことは出来なかったが…。
毘沙門天様には情けないとお叱りを受けるかもしれないが、どんな力を授かろうと私は人の子なのだから許して欲しい。
翌日、兄上が言っていた通り父から呼び出しを受けた俺は父の部屋へと赴いた。
「父上、虎千代でございます」
「入れ」
父の部屋に入ると、机に目を向けながら何かを書いていた。
「お前には林泉寺に入ってもらう。住職には話を通してある」
「かしこまりました」
相変わらず目を合わせようともしない父は用件は済んだから出で行けと言う。
そんな様子に溜息を吐きたくなる気持ちを堪えてすぐに部屋を出た。
そしてこれが、父との最後の会話になったのだった。
父の部屋から出ると自室に帰る途中ある男に声をかけられた。
「おや、これは虎千代様。御父上とお話ですかな?」
「柿崎殿、お久しぶりでございます。そうです、某の今後について少しばかり」
声をかけてきたのは柿崎景家という長尾家の宿老だ。
越後国内でも猛将と名高い人物である。
「そうでございましたか。それにしても虎千代様は相変わらず良い眼をされていますな」
「そうでしょうか?」
「えぇ、力強い将来が楽しみな眼をされています。虎千代様の隣で共に戦える日を楽しみにしておりますぞ」
「某も楽しみにしております。それでは父上や兄上をよろしく頼みました」
「ははっ!」
そして数日後、母上や政務の合間を縫って来てくれた兄上に見守られながら林泉寺へと向かうのだった。
今回もお読み頂きありがとうございます!
ご意見ご感想お待ちしております。
筆者の励みになります。