周辺国の動向
---天文21年(1552年) 相模国 小田原城---
越後から帰還した氏康達は氏康の自室にて話をしていた。
「全く、お主は思い付きで行動を起こし過ぎじゃ!今川の雪斎和尚から話が来ていたのを忘れたか!」
幻庵の言う話というのは、今川武田北条の間で互いに婚姻を結び強固な三国同盟を結ぶつもりであるという話であった。
その利点として互いに背後を気にする必要が無くなり、今川は東海道、武田は信濃、北条は関東とそれぞれの目標に全力を注げるようになるというものだ。
「爺よ、相手はあの武田と今川であるぞ?信用などできるものか。しかもあの話は今川が一番得をする事は見ればわかる。あの両家によって我らは滅亡の危機にまで追い込まれたのを忘れたとは言わせんぞ」
「お主の言うことも分かるが…」
「それに私は心底実虎殿と戦わなくて良かったと思っている。あの異常なまでの鋭さに異質な存在感、たった数年で越後を統一したのは伊達では無いと感じた」
「うむ…儂も長いこと生きてきたがあの者が漂わせる雰囲気は父上(北条早雲)の物とはまた違った物であった。まさに神仏の加護をその身に宿しているかのような…」
「爺がそこまで言うとは…尚更血の繋がりを持てたことは正解だったようだ。越後の様子を見れば実虎殿が民を大切にしていることもわかったからな」
「本当に実虎殿を気に入ったようじゃな。まあ今川はともかく、武田は上杉北条が同盟したとなれば嫌でも方針転換をしなければならんだろうな。もしかしたら向こうから接触を図ってくるやもしれん」
「その時はその時だ。それと上野の残る勢力は横瀬氏と長尾氏、そして長野家を含めた西上野の者達か。横瀬と長尾は問題ないとして、西上野の連中は長野家を中心として纏まっている上、降伏勧告にも応じない姿勢を貫いているのだから厄介だ」
「長野家か…前は上杉に義理立てして北条には降れないと申しておったが、この同盟でどう態度を変えるかじゃな」
「北はとりあえずそんな所だとしたら、次は南の里見家だな。安房と上総は小田原の守備を考えても必ず取っておきたい」
「里見に関しては北の問題が片付いてからじゃな。その後に伊豆や相模の兵を持って一気に攻める、でないと佐竹や結城等の介入を許してしまうからの」
「わかった、じゃあ次の目標は里見討伐だ。一先ず上総の国人領主達に調略を仕掛けるとしよう」
「では風魔を送り込もう。所領安堵を条件に促せば寝返るじゃろうて」
「よろしく頼む」
こうして話が終わると氏康は小姓に早川姫を連れてくるように命じると、しばらくして部屋に早川がやってきた。
二人は早川に座るよう促すと、先日決まった話をし始める。
「早川、お主の嫁ぎ先が決まった」
「私の嫁ぎ先…ですか?」
「あぁ、越後の上杉実虎殿だ」
「上杉実虎様…」
「うむ。実際に越後に向かうのは上野が安定してからじゃがな」
早川は遂に自分も他家に嫁ぐ事が決まったのかと思うと不安だった。
慣れ親しんだ相模を離れるのはもちろん、自分にそのような大役が務まるのかと…。
しかも相手は越後の龍と称され戦に滅法強い御方だと聞き及んでいる。
そんな強い御方の支えになることが出来るのか、尽くすことが出来るのか先行きが不安で仕方がなかった。
「そう不安そうな顔をするな。父である私が直々に会って我が娘を任せてもいいと判断したのだ。自信を持て」
「わかりました。父上がそう判断されたのなら私からは何もありません。両家の繁栄のため尽くす所存でございます」
「うむ、実虎殿を支えてやってくれ。まあまだ向こうに行くには時間がある。今からそう硬くならなくてもよい」
早川は敬愛する父が大丈夫と言ってくれた為少し不安が軽くなったが、それでも一抹の不安は残っている
だが、父がそこまで太鼓判を押す実虎の事がとても気になっていた。
---天文21年(1553年) 甲斐国 躑躅ヶ崎館---
「そうか…上杉と北条が同盟とな」
「はい、北条家の早川姫が実虎の元に嫁ぐようです」
甲斐国にある躑躅ヶ崎館では、武田家当主武田晴信と軍師の山本勘助が話し合いをしていた。
「ようやく弾正(真田幸隆)のおかげで砥石城を落としこれから信濃を取ろうと言う時だったのだが…してやられたな」
「えぇ、我らが信濃を取ろうとすれば上杉が黙ってはおらず、関東管領のいない上野に手を出そうとすれば北条が出てくる。進路を完全に塞がれましたな。しかし、雪斎和尚からの誘いに乗るかと思っていたのですが…」
「氏康程の者ならあの同盟が今川有利なものである事には気付くであろう。過去に北条に対してあの様な事をしておきながらこの話を持ち出せるとはあの和尚やはりとんでもない奴よ」
「上杉が関東管領を担いで関東に出兵していたなら和尚の話にも乗ったと思われますが、越後の龍も頭の切れる男のようです」
「なぜこうも関東には英傑が揃うのであろうな…厄介極まりない」
晴信と勘助は愚痴をこぼさずにはいられなかった。
ようやく信濃への足掛かりが出来た途端に越相同盟締結の報が齎されたのだ。
武田家の方針として貧しい甲斐国を救うため信濃を取り、それと同時に関東管領不在の上野国にも手を伸ばそうと考えていたが、この方針は変えざる負えなかった。
「御屋形様、上杉北条を同時に相手取るのは危険でございます。ここは上杉に南信濃の領有を認めてもらう代わりに北信濃には手を出さないという不可侵条約を結ぶべきではないかと。上野に関しても諦め、今は西に進むべきだと進言いたします」
「やはりそれが現状最善手であろうな。となれば使者は虎綱(高坂昌信)に任せるか。あの者なら上手く取りまとめてくれよう」
「良き人選かと」
「うむ。虎綱を呼べ!」
こうして晴信は一先ず北信濃を諦め、西に進むことを決断する。
しかし、晴信はいずれ実虎とは雌雄を決する時が来るだろうと予感していた。
(いずれ時代が大きく動く時が来る…その時まで勝負は預けるとしようではないか。越後の龍、上杉実虎よ)
---駿河国 駿府館---
今川家の宰相である太原雪斎は今後どうするかを考えていた。
「まさか北条が私の三国同盟を蹴って越後と婚姻関係を結ぶとはな…上杉は関東管領の要請に従って出兵すると踏んでいたが読みが外れたようだ」
今川家は現在駿河と遠江を支配しており、三河の松平を従属させていたので実質三ヶ国を治める大大名であった。
そんな今川家は落ちぶれた将軍足利家に代わり上洛して天下を差配しようと目論んでおり、その為次なる目標を尾張国に定め、数年前から調略や圧倒的な軍事力を持って西進を開始する。
しかし、武田とは同盟を結んでいるとはいえ背後に北条家という大国が存在しているため、そちらにも兵を割かねばならず未だに尾張を取る事が出来ずにいたのだ。
そんな状況を打開するため、雪斎は三国同盟を結び背後の不安を取り去りたかったのだが、上手く行かないものだと嘆いた。
「さて、私の身体が朽ちるまでになんとか後顧の憂いを断っておきたいのだが…どうしたものか…。いや、婚姻同盟は無理でも不可侵同盟ならば北条も首を縦に振るかもしれん。だがそれには武田が北信濃を諦めてくれればいいのだが」
「雪斎よ、眉間に皺を寄せて何を考えているのだ。もしや北条のことか?」
雪斎に声をかけたのは今川家当主今川義元であった。
「そうでございます。今川が今後大きく飛躍するためには北条武田との付き合い方は重要でございます。我が策が成っていればこんなにも悩む必要などなかったのですがな」
「なに、北条に余計な手出しをしなければ良いだけのこと。もし歯向かうなら叩き潰してやれば良い」
「義元様、いつも言っていますが慢心、油断は禁物でございます。義元様の悪い癖ですぞ」
「わかったわかった、和尚の言葉はいつも耳が痛い」
「はぁ、私が居なくなった後が恐ろしくて堪りませぬ」
「何を言うか、私だって伊達に和尚の教えを受けてはおらんぞ」
「とにかく、北条上杉が同盟を結んだことは武田や我等にとって厄介極まりないのです。今川家の未来の為にも付き合い方を考えていくべきでございます」
「和尚がそこまで言うなら私も腹を括ろう。北条に河東を渡しても構わん、今川の為和尚の知恵を貸してくれ」
「ははっ」
雪斎は恐らくこの策が最期の奉公になるだろうと予感していた。
義元は間違いなく英傑の器であるが、昔から慢心や油断をしてしまうところがあり、雪斎はそれが気掛かりであった。
そんな義元の為、少しでも後顧の憂いを断つべく黒衣の宰相と呼ばれた手腕を発揮していく。
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