関東管領上杉憲政
---天文21年(1552年) 越後国 春日山城---
春日山城の大広間には実虎を始め越後上杉、長尾家の家臣達が勢揃いしていた。
その理由というのが、関東管領上杉憲政が越後入りをしたからである。
居城である平井城が落城し、上野国の国人衆達にも頼れなくなった憲政は越後の龍と呼ばれる実虎を頼る為、山を超えこの春日山城までやってきた。
重苦しい雰囲気が漂う中、上杉憲政本人がやってきた。
「実虎殿、出迎え大義である。おもてをあげよ」
「この度は我が春日山城までお越しいただき感激の至りにございます。それで、どのようなご要件で我が城に?」
「うむ、そなたらも知っておるかとは思うが、我が所領である上野国が憎き北条の手に落ちてしまった。関東管領である儂を追放し、関東の地を我が物にせんとする北条家を討つべく、儂と共に戦う栄誉を授けようと思う」
まるで自分の為に力を貸すのは当たり前かのように話す憲政に実虎は呆れつつも表情には出さずに冷静に対応した。
「それは誠に光栄なお話ではありますが、仮に北条家を打倒できた際にはどのような褒美が期待出来るのでしょうか?」
「もし北条家を討伐できた際には、山内上杉家の名跡をそなたに継がせることを約束しよう!関東管領の地位と山内上杉家の名跡が継げるのだ、これ程の褒美はないであろう?」
「「おお!!」」
憲政の言葉に実虎の家臣達は、越後の国主から関東の実質的な支配者になるかもしれないと思い湧いた。
この時代官位や役職というのは国を治めるのに絶大な効力を発揮した。
官位は朝廷から、役職は幕府からそれぞれ任命されるのだが、関東管領という役職は幕府の役職の中でも特に位の高い役職で、京の足利将軍家を補佐する管領がいるように、関東の足利家を補佐する管領が関東管領と呼ばれている。
幕府の権威が失墜している現在では京も関東も管領が権力を握っており、実質的な支配者となっていた。
しかし当の実虎は表情を変えること無くただじっと憲政を見続ける。
「どうじゃ実虎よ、もちろん関東管領であるこの儂に力を貸してくれるな?」
「…憲政様、その前にひとつお聞きしたいことがございまして」
「なんじゃ?言うてみよ」
「御嫡男の龍若丸様はどうなされるおつもりで?仮に我が跡目を継ぐにしても龍若丸様の存在を無視する訳にはいきませぬ」
「それが実はのぅ…龍若丸は北条家に捕らえられてしまったのじゃ。おそらく今はもう…」
そう言うと憲政は悲痛な表情を浮かべながら俯いてしまう。
「そんな事情がございましたか…。お辛いことを聞いてしまい申し訳ございませぬ」
「いや、良いのじゃ。でも、だからこそ北条の者共を許す訳にはいかんのだ!!」
憲政が拳を握り力強くそう言うと後ろに控える家臣達も「そうだそうだ」と同調する。
実虎の家臣達もそんな憲政の様子に、北条家を許せないという声が上がり始めた。
そんな様子に憲政は満足気に頷くと、ここぞとばかりに実虎に共に立ち上がってくれと懇願してきた。
「実虎殿!どうか、どうかこの儂に力を貸してはくれぬか!?」
「…お断り致す」
「よう言ってくれ…は?い、いま…何と?」
「お断り致しますと言ったのです。憲政様」
実虎の一言にこの場にいるほとんどの者達が驚愕した。
憲政達は口をパクパクさせながら信じられないという顔を浮かべ、実虎の家臣達はどういうことなのかとざわめきが起こる。
そんな雰囲気を無視して実虎は淡々と理由を述べていった。
「まず、我々のいる越後から関東に出向くとなれば山を越えて進軍しなければならず、しかも一度の遠征で北条家を滅ぼすことができるとは到底思いませぬ。ということは何度も関東に赴かなければならず、かなりの年数が掛かる事に加えその分の兵糧や兵の補充など多くの問題が起こるでしょう」
「それに、我が関東を離れればその隙を見て再び北条家が攻めてくる可能性は充分にあり得ます。そうなれば鼬ごっことなり、我が関東に釘付けとなっている間に、我らが現在目を向けている越中や能登の情勢が悪化する恐れがあります」
「し、しかし…我と共に戦ってくれれば関東管領の座が手に入るのじゃぞ?関東の肥沃な大地も手に入り悪くない話だと…」
「その肥沃な関東の地を手に入れるまでにはかなりの年月が必要になってくるでしょう。そうなれば上方の情勢が大きく変わり、時代の流れに遅れてしまうことになるやもしれませぬ。我が目指すのは京であり、関東ではありませぬ」
はっきりと関東に興味がないと言われてしまった憲政は、信じられないといった表情を浮かべていた。
そんな実虎の様子に、憲政の家臣達が非難を始める。
「実虎殿!憲政様が直々にお願いをしているのに些か無礼な物言いではないか!」
「それにこの越後から京に上るなど、それこそどれだけの年月が掛かると思っておられる?」
「越後の龍がこれほどまでに無礼な男だったとは」
口々に悪態をつく憲政の家臣達に実虎は冷ややかな目を向け、さらなる理由を述べた。
「そして今述べた理由の他に、もう一つお断りさせていただく理由があります」
「もう一つの理由?」
「憲政様、先程龍若丸様が北条家に捕らえられたと仰いましたが、それは憲政様がそう仕向けたのではないですか?」
実虎のまさかの一言に、またもや場は驚愕に包まれる。
憲政達は冷や汗をだらだらと流しながらまずいと言った表情を浮かべ、実虎の家臣達はどういうことだ?といった声が上がった。
「な、何を言い出すかと思えば儂がそう仕向けただと!?ふざけるのも大概にしろ!!」
「ふざけてなどいません。実は平井城が落城する前から我の手の者に様子を探らせていたのですが、どうやら数人の家臣と龍若丸様が囮として置き去りにされていたとの報告を聞いております。なぜ嘘を付かれたのですか?」
「そ、それは…」
「白々しい芝居まで打って我らの同情を誘おうと謀ったようですが、家臣の目は騙せても我の目を騙すことは出来ません。それに、これから共に戦おうと思っている者達に対して嘘を付くような人間と手を結ぶなど断じてあり得ない!」
実虎は怒気を含んだ声で言い放った。
そんな実虎の覇気に広間にいる者達全員が気圧されたが、憲政は震えながらも実虎に言い返す。
「わ、儂が生きてさえいれば良いのだ!関東管領であるこの儂が生きてさえいれば、多くの者が再び儂の元に集まってくれる!そしてその者達と共に関東の地を取り戻すのじゃ!第一龍若丸を連れて逃げることなど出来るわけがなかろう!?もし儂ではなくあの子が生きていても北条家相手では力不足な上、傀儡にされてしまうやもしれぬ!そんなことは山内上杉家の威信にかけて断じて許されない!!だからこそ儂が生きるために龍若丸を囮にしたのじゃ!それの何が悪い!!!」
はぁはぁと息を挙げながら憲政は絶叫したが、そんな憲政を実虎は冷ややかな目で見るのだった。
「結局、ご自分の命が惜しいから龍若丸様を囮にしたのでございましょう?北条兵が迫ってきている中、まだ幼い龍若丸様を置いてご自分は家臣達と共に安全なところまで逃げた。置いて行かれた龍若丸様があの後どうなったのかご存じでしょうか?」
「し、知らぬ…」
「平井城を任せた家臣達が自分の命惜しさに龍若丸様を刀で脅し縛り上げ、北条家に売り渡したのです。売り渡した家臣は北条家によって殺され、龍若丸様は小田原城下にて泣き叫ぶ気力すらなくした状態で処刑されたとのことです。我は、父に見捨てられ絶望の中殺された龍若丸様のことを思うと…胸が引き裂かれそうな思いでございます。そのような仕打ちをしたあなたに協力する気など微塵も起きない!今夜は春日山城下の宿に案内しますので明日には出て行かれよ。定満、御一行を丁重にお送りせよ」
「なっ、待たれよ実虎殿!北条家を討伐できた際には関東管領の地位に加え上野国や北条家の相模伊豆もくれてやろうぞ!」
「聞こえなかったでしょうか?我はこの城から出て行ってくだされと申したはずです」
「そ、そんな!くっ…このような仕打ちをしてただで済むと思うなよ田舎大名風情が…」
実虎は半ば強制的に退出させると、未だ困惑している家臣達の方に向き改めてこれからの越後上杉の目的を話した。
「いまだ混乱している者もいるだろうが、なぜ我が要請を断ったか。それは、我が子を切り捨て自分の命を優先するような者は信用出来ぬからだ。考えてみろ、北条家との戦でもし危機的状況に陥った際、またも自分の命を優先するため我らを切り捨てるだろう事は容易に想像できる」
「確かに、自分の大切な跡継ぎでさえ自分が助かる為の道具にした訳ですからな…。しかし、関東管領の地位と関東の地が手に入るのは魅力的ではありましたな」
「実乃の言う通り、関東管領の地位と関東の地は悪くない話だったが、我が目指すのは京である。京に上るには北陸街道を通らねばならぬ。だからこそ越中や能登、いずれは加賀を手に入れべく行動している。そんな中関東に釘付けされては敵わん。それに、この越後でも治水事業を押し進めているであろう?それが完成すれば現在は湿地帯となっている場所が広大な農地に変わる。関東を手に入れるのに何十年も掛けるよりも安全で確実な方法だ」
実虎が理由を話すと家臣達は皆納得した顔をしていた。
その後も改めて実虎の展望を家臣達に説き、家中の意志を統一していくのだった。
一方追い出された憲政達は、日も暮れかけていたためこともあり、宿で一泊した後蒲原郡から蘆名領に入り、佐竹氏を頼る為常陸国へと向かう事となる。
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