坂戸城の戦い
---天文20年(1551年) 長尾房長---
「報告します!政景様率いる4000の軍勢がこの城に進軍中との事!その中には長尾景実もいる模様!」
「わかった。下がって良い」
政景、やはりそなたはそちら側に付いたか…。
実虎が上杉家を継ぎ価値の無くなった長尾家の筆頭家老程度の役職で満足するなど、そのような愚か者に育てた覚えはなかったのだがな。
まあよい、これ以上愚か者に任せておけば我が上田長尾家は越後での影響力が失われていく一方だ。
従順な犬になるのではなく、ある程度の力関係がある狂犬となれば、いくら主家と言えど雑な扱いはせずあくまで対等な関係でいられたのだ。
それが我が上田長尾家の在り方であったのに。
「景国、よく見ておけ。あれが従順な犬に成り下がった者だ」
「兄上…すっかり牙を抜かれてしまいましたな…」
それに比べて景国はわしの教えをよく理解しておる。
愚か者程の才は無いが、充分及第点はあげてもいいだろう。
「しかし父上、奴らは本当に動くのでしょうか?」
「心配いらん。確約まで貰っておるのだ、わしを信じよ」
「だとよいのですが」
とにかく、戦に勝てなくても負けなければ良い。
もう一度我が上田長尾家の力を思い知らせて、相応しい立場を用意して貰わねば…。
---板木城付近 長尾政景---
私は発地長芳がいる板木城を包囲していた。
「敵は門を固く閉ざし、出てくる気配がない模様!」
「ご苦労、下がって良いぞ」
「政景、ここは力攻めにて素早く落とす方が良いのではないか?」
「それもそうなのですが、ここは降伏を促してみます。長芳は話の分かる男ですので」
私はみずから使者となって城に赴くと、城の中に通してくれた。
案内され広間に来ると、そこに長芳が腕を組んで佇んでいた。
「政景様、いくらなんでも不用心なのでは?我らは今や敵同士なのですぞ」
「私を殺す気ならとっくにしているはずだ。だがここに案内させたということは少なくとも話す気はあると見える」
「政景様、私は房長様に恩義がございます。この私を取り立てていただき、板木城を任せて頂いた恩が」
「わかっている。お主はこの上田長尾家によく尽くしてくれていて、父も私もお主に信頼を寄せている。そんなお主だからこそ、これからも私を支えて欲しいのだ。父に従ったままでは…私はお主まで討伐せねばならぬ」
「政景様…」
「忠義者のお主を父の愚かな行動によって失いたくない。今ならまだ不問にできる。これからも私を、上田長尾家を支えて欲しい」
私はそう言うと頭を下げた。
周りの家臣達がざわめく中、長芳はじっと黙ったまま何かを考えているようだった。
数秒の沈黙があった後、長芳はゆっくりと口を開いた。
「…政景様、なぜあなた様はお父上と共に歩まれなかったのです?我ら上田長尾家なら独立を果たす事だって出来たでしょうに」
「越後は一人の主の元纏まらなければならんのだ。各地では力を持った大名達が領土拡大を狙って動き出しており、いずれこの越後を狙う者達が現れる。その時に分裂したままでは越後はたちまち蹂躙されてしまう。越後で生まれ育った者として、それだけは断じて許してはならんのだ」
「そこまで越後の事を考えていらしたのですな。政景様の御心、分かり申した。ですがもう少しだけ時間を下され」
「承知した。明日の朝までだ、それまでは待てぬ」
「充分でございます」
「ではこれにて」
私は立ち上がり広間を後にしようとした時、長芳から再び声を掛けられた。
「政景様、最後にもう一つだけ。政景様から見て、上杉実虎とはどのような男で?」
「私がお仕えするに相応しい御仁だ。日ノ本を見渡しても、あの方程の英傑はそうはおらぬ」
私はそう言うと、長芳の「お答えいただきありがとうございます」という言葉を聞いて部屋を出た。
そして翌日の朝、板木城から降伏するとの返事をもらい、板木城の兵を部隊に加えて坂戸城へ向かった。
---春日山城 宇佐美定満---
「実虎様、政景殿に任せてしまってよろしかったのですか?万が一寝返るようなことがあれば…」
「その心配は無用だ。政景は裏切らぬ」
裏切らない…か。
どうにも私はあの男を信用することが出来ん。
一度裏切っているというのもあるが、腹の底に何かを抱えているような隙の無さが引っかかるときがある。
まあ、身内を疑いたくないというお気持ちはわかるが、少しは用心しておいた方がいいのではなかろうか。
まして大事な甥である景実様を共に向かわせるなんて。
「とはいえ政景殿は一度反旗を翻いたこともあり、此度の相手も父である房長殿でございます。口裏を合わせているやもしれませぬ」
「定満、そなたは政景を疑い過ぎだ。我が見る限りあの者の言葉に嘘偽りは無いと見える。それに我を仕留める機会ならいくらでもあったのに、それをしていないということは房長に同調することはありえんだろう」
「しかしですが…」
「くどいぞ定満。我が心配ないと言っているのだ」
「無礼な物言い大変お失礼いたしました。ですが景実様もおられますので、念のため忍びを向かわせて様子を見させておきましょう」
「…わかった、そなたがそこまで申すなら忍びを向かわせよう」
「ははっ」
実虎様には申し訳ないが、やはり私は不安なのだ。
忍びには景実様のお命が危うい時は命を懸けて守るように厳命しておかねば…。
---坂戸城 長尾房長---
「敵の軍勢はこの坂戸城を囲んで降伏を促してきております!」
「長芳め、取り立ててやった恩を忘れ敵に下りよって。奴のせいで予定が狂ったわ!それに村上家からの連絡は無いのか!!」
「村上からは何も…早く援軍をよこす様にとは言ってあるのですが…」
くそっ!なぜこうも使えぬ奴らばかりなのじゃ!!
どいつもこいつもわしの足を引っ張りよって!なぜこうも上手くいかんのだ!!
「降伏などありえぬ!門を閉じ奴らを寄せ付けるな!」
「はっ!」
まだだ、村上の兵が来さえすればこの状況を何とか出来る。
わしはまだ諦めんぞ政景!
しかし、それから一月ほど経ったが相変わらず村上からの連絡はなく籠城を続けた。
その間何度も降伏を促す使者がやってきたがすべて追い返した。
「なぜだ…何故村上は来ないのだ!!」
「父上…ここはもう降伏しては…」
「馬鹿者!今更下るなど出来るわけがないであろう!!」
景国まで弱気なことを言い出しよって…あの愚か者に降伏だと?
そんなことわしの意地が許さんわ!
それに下ったところで実虎が二度も背いたわしを許すとも思えん。
すると一人の兵が息せき切って部屋に飛び込んできた。
「報告します!村上家の砥石城が武田家によって陥落したとのこと!村上家からは援軍は出せないと!!」
「なに!?それは真か!!!」
「はっ!今しがた村上家から忍びがやって来まして、そのような事態になったと!」
「父上…もはや…」
何故だ…村上家は今までも武田家の侵攻を幾度も跳ね返してきたはず。
前の戦いでは武田家の重臣を討ち取るほどの大勝利を収め、それからは侵攻してくる気配もないと言っておったのに。
…もはやこれまでか。
「これより城から打って出るぞ!奴らに我が上田長尾家の意地を見せつける!」
「「はっ!」」
---本陣 長尾政景---
「坂戸城の城門が開き、城から兵が打って出てきました!!」
「承知した。中央を突破されぬようなんとしてでも食い止めよ!」
援軍が来ないとわかって玉砕覚悟で突っ込んできたか。
事前に実虎様からの報告があったから対応できたが、まさか村上家を動かしていたとはな。
もし村上に何事もなく予定通り越後に攻め込まれていたら春日山が危なかった。
だが父の運もここで尽きたか。
「政景、この本陣に敵は攻めてくるのか?」
「ご安心ください、事前に打って出てきても大丈夫なように布陣しましたし、もし責められたとしても必ず御身をお守りいたします」
景実も戦場の様子が変わったからか少し震えているな。
まあ無理もない、初陣なうえもしかしたら敵が攻めてくるかもしれんのだ。
それでも何とか気丈に振舞おうとしているところを見ると、大将としての器を持っているようだ。
「政景様!敵の勢い凄まじく、間もなく前線が突破されるかと!」
「まずいな…上田衆を敵に回すとこれほどまでに手ごわいとは。敵を何としてでも食い止め、決して本陣には近づけさせるな!私も兵を率いて敵と当たる!」
「政景、お主も出るのか?」
「少々油断をしておりました、ここは私が出た方がよろしいでしょう。景実様は本陣で守りを固めておいてくだされ」
「わかった。政景、必ず戻ってくるのだぞ」
「御意」
私は兵を率いて敵に当たると、その中に弟である景国の姿を発見した。
「景国!ここから先には進ませぬ!!」
「兄上、そこを通してもらいますぞ!!」
景国の軍勢と激しくぶつかる。
最初は一進一退の攻防を繰り広げていたが、父の軍勢も加わり徐々に押されつつあった。
「ははは!そんな程度か愚か者!!だから犬になるなと言ったのだ!!」
「くっ!あなたのような男がいるから越後は!!」
「うるさい!貴様ごときがわしに意見などするな!」
敵の勢いは凄まじく何とか保っていた均衡が崩れるかと思ったその時、父上達の軍勢の側面をある部隊が強襲した。
「皆の者私に続け!!突撃ぃ!!!!」
「「おおおおおおお!!!!」
その部隊とは本陣にいるはずの景実の部隊だった。
横っ腹を抉られるような形となった父達は一気に勢いを無くし、後詰の北条高広殿の部隊も加わり徐々に包囲されつつあった。
「大将自ら突撃してくるだと!?そんな馬鹿な!!」
「父上!もう持ちませぬ!!」
「長尾房長、景国!覚悟!!」
完全に包囲された二人は討ち取られ、残った兵も全員降伏し坂戸城の戦いは幕を閉じた。
「政景!無事であったか!」
「景実様、お助けいただき感謝いたします。景実様のおかげで勝利することが出来ました。ですが、あのような危険な真似は今後はお控えくだされ」
「それは…でもお主が抜かれていたらどのみち本陣にまで敵が来ていたのだぞ?」
「それでもです。大将が先頭に立って突撃するなど危険すぎます」
「うぅ…済まなかった…」
私に叱られて肩をすくめてしまった。
これは少し言い過ぎたか…。
「…ですが、あの御姿はまさに実虎様のようでした。見事な初陣でしたよ、景実様」
私がそう言うと瞬く間に笑顔になりすっかり上機嫌になってしまった。
この辺りはまだまだ年相応だな。
その後首の検分を終え、諸々の処理を終えると春日山まで報告に帰った。
実虎から労いの言葉を貰い論功行賞を終えたあと、父達の亡骸を弔う許可を得たので菩提寺である龍言寺にて弔うことにした。
「父上、景国、私が二人と共に戦っていれば違った未来があったでしょう。しかし、父上は私のことを犬と言っておられましたが、私は越後にとっての番犬になる道を選んだのです。これからの時代、越後は一枚岩となって外敵と戦っていかねばならない、その旗印として実虎こそが相応しい。私はかの男に越後の未来を託そうと思います。どうか父達も見守ってくだされ…」
「政景様」
私が父上達の墓の前にいると、後ろから声をかけてきたのは妻の綾(仙桃院)だった。
綾は私の隣に来て静かに手を合わせた。
「私はこれからもずっと政景様の傍におります」
「綾…気を使わせてしまったな。すまない」
「いえ、私は政景様の妻ですから。それにどこか寂しそうにしていらしたので」
「綾はなんでもわかってしまうのだな…でも大丈夫だ。自分がやるべきことはわかっている。今日だけ…今日で感傷に浸るのは終わりだ」
その後も綾は何も言わず、静かに傍にいてくれた。
こうして父達との決別を済ませた私は、次の日から越後の為身を捧げていくこととなるのだった。
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