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刀神記  作者: 貉
邂逅編
8/9

第一章 邂逅編⑧

⑧ 

【翌日火の日 早朝】


早朝からムネチカは、外れの村タハタに訪れていた。外にいるにもかかわらずまるで鍛冶仕事中のような汗を蓄えながら。

 イオリがいないと気が付いたのはほんの数十分前、目を覚ました時に判明した。初めは外のお墓か、もしくは水でも飲みに行っているのだと思っていたが、それにしても人の気配がなく、家の周りを捜索すると見つからなかった。しかし、よく見ると足跡がうっすらと残っていた。小さく、子供のものだった。その足跡はどんどんこの家から離れていき、途中からはなくなってしまっていた。

 ムネチカの家からタハタ村までの道には分かれ道があり、片方の道は山の方へ続いている。少し前まではキコリ村の道になっていた。そこは昼間でも陽の光があまり入らず、薄暗くなっており、背の高い木々が鬱蒼と生い茂る。道はしっかり整備されておらず、一度道に迷えば方角がわからなくなり、大人でも道に迷うという。タハタ村はキコリ村と友好的であったため、行き来が激しく、迷うものも少ない。拳闘士団の者が徴収に尋ねる時にはキコリ村の者が出迎えていた。

 気の弱いイオリのこと、一人で薄暗い山林の方へは行かないだろうと予想し、ムネチカはタハタ村の方へ向かったのだった。

  「はぁ、…はぁ。いない、どこいったんだ。」

 寝起きからいきなり全力で走ったためか、体力には自信のあるムネチカも息切れを起こしていた。酸素を欲して肺が大きく開く。

 心当たりのあった佐倉家にはいち早く訪れた。しかし結果は外れ。考えてみれば、佐倉家がムネチカの家を訪ねることがあっても、ムネチカから佐倉家を訪ねることは少なく、またイオリは佐倉家に言ったことはなかった。かくまっているのではないかと詰め寄ったが、佐倉家の老夫婦も驚きを禁じ得ない様だった。

 イオリは刀剣士団関係者のため、拳闘士団員がイオリのことを知らずとも、あまり表立って捜索するわけにはいかない。そのため、佐倉家とムネチカ、三人だけで、名前も呼ぶこともできずに探し回らなければいけなかった。

 家と家の間、米櫃の中、蔵や床下などを探し回るが見つからない。今日は火の日、早朝だからまだいいが、昼前には見つけなければあの二人が来る。あの二人はもしかしたら、イオリの顔を覚えているかもしれないのだ。

  「ムネチカ、見つかったか。」

 年の割に体力のある佐倉の爺さんが、なぜかムネチカよりも余裕をもって駆け寄る。

  「いや、…全然だ。」

  「もしやとは思うが、…匿ってもらっておったキコリの方へ行ってしもうたのでは…。」

 ありえない、と思っていたが、ずっといた村という言葉に自信がなくなっていた。

 どのくらいの年月かはわからない、だがイオリにとっては母親と過ごした場所。母親がすでにいないことは理解しているだろうが、自分の帰る場所だと感じている可能性は少なくなかった。

  「じゃがあの山への道は知っているものでなければ険しい。街道にいない分彼奴らに見つかることは少なかろうが、早々に探す場所を変えるぞ。」

 キコリ村が殲滅された今、あそこに向かうもの、あそこから向かってくるものはほぼ皆無と考えていい。つまりこの村におらず、街道にもいないと考えると、かえって山林にいることは安全なのかもしれない。しかし、山林には獣もいる。安心はできない。

 大きく頷くと、爺さんとムネチカはキコリ村の街道へ駆け出した。


正午にはあの不良共が来る。それまでには見つけなければ。



薄暗い山林に木霊する鳥の声や木々の風に揺られる音、時折獣のような鳴き声にびくつく小さな背中が一人、けもの道を歩いていた。

道なき道をまっすぐ歩くだけではなく、時折曲がってみたり、はたまた倒木の下を通ってみたりと、なにやら複雑に歩みを進めていた。

イオリは思痕を読むのにかなり高い力を有している。本来であれば、気を卓越した者だけが有するこの力だが、イオリは生まれつき、自分以外の生物に纏う気に敏感であった。故にムネチカの鍛冶中の赤い気も視認することができ、またそれが思痕、つまりはどういう強い思いが込められているかも読むことができてしまう。それは人の心の内が読めてしまうに等しかった。イオリの臆病さの由来はここからきているものでもある。

現在イオリは、思痕をたどってキコリ村を目指していた。そこには足跡として残る思痕があった。『大切なものを絶対に守るために逃げる。』そういう強い、まるで母親のように感じられる思痕だった。その痕をイオリは、寂しさやなつかしさを感じ、もういないはずの者を追いかけていた。

「はぁ…はぁ…。」

道は知っているとはいえ、ただでさえ体力のないイオリには相当険しい道のりであった。服は泥が所々付着し、擦り切れ、腕や脛など、擦り傷も見られた。

早朝よりも少し早い時間にイオリは家を出た。それまで飲まず食わずであるため体力にも限界が近い。それでも、キコリ村への歩みは止まることはない。

昨日の修行の最後、ムネチカが見せた気をイオリは感じ取っていた。『落胆』『困惑』『不安』、そういった感情を読み取ってしまった。

「…折角、拾って、もらったのに…ごめんなさい。」

人知れず、届くことのない謝罪がこぼれる。同時に、追っていく足音に母親の姿を重ねる。

「…かあ、さま…。」

自分のこれからや、将来も今は考えられないほどに、人に迷惑をかけたくないという気持ちが先行して、イオリは家を出た。

もうどのくらい歩いてきただろう。そう思うころ、徐々に山林が開けてくるのを感じた。そして、何かが焼ける臭いも、この時点で分かってきた。未だキコリ村の戦いの匂いがあたり一帯を埋め尽くしている。村人が生活する声も、木を切る音もなく、ただただ嗅ぎなれた気の焼けた仁王が充満している。

さらには目に見えず、数少ない者が感じられる思いが流れ出す。『恐怖』『悲痛』『絶望』そういった痛みや悲しみが嘆きとなり思痕としてそこら中に、まるで黴のようにあたりの木々にへばりついていた。その中には所々に『歓喜』『狂乱』『破壊』といったものも感じ取れた。

「……う、うぇっ。」

あまりの感情の多さに、イオリは嘔吐する。何も食べていないからか胃液しか出てこない。喉が焼け付き、口の中にいやな粘着きを覚え、唾液を飲み込むのも億劫になる。小さな体が震え、冷たい汗が体中から噴き出す。

歩んでいた足が、ここで止まってしまう。これ以上は進んではいけない、と体が拒絶反応を示す。涙が止まらず、たまらず目をぎゅっとつむる。イオリは、目で見ることによって思痕を感じ取るため、目さえつむってしまえば見ることはできない。

目を閉じることで、周りの音が聞こえてくる。すると、遠くの方で話し声が聞こえた。何かを言い合っているような声だ。しかしその声には、聞き覚えがあった。

その声が次第に近づいてくる。

「ったく、拳王様も人使いが荒いぜ。燃え尽きた村に金になるを探してこいだとよ。」

「絹もなんも燃えちまったぜ。元々炭の村だ、炭なら腐るほどあるけどな。」

 顔に覚えはないが、声だけは記憶にあった。恐怖として覚えていた。母を殺したカマセとイヌマであった。

  「大体、お前がちんたらして納品が遅くなったのが悪ぃんだろうが。」

  「てめぇふざけんな。あの女とっ捕まえるっつったのはおまえじゃねぇか。」

  「てめぇも乗り気だったろうが。人のせいにすんのも大概にしやがれ。っと、何だこの餓鬼。」

 言い合いながらも近づいてきたカマセがイオリに気が付く。

  「汚ぇ餓鬼だな、ゲロも吐きやがって。うせろ、殺すぞ。」

  「ひっ……。」

  「おい、ちょっと待て。なぁんか見覚えあんぞ。」

 イヌマがイオリを眉間にしわお寄せ凝視する。着ているものや髪型、体系などを確認する。

  「お前もしかして、…あの女のガキか。」

  「はぁ、まじかよ。てめぇ面見せろ。」

 カマセも近づき、イオリの髪の毛をつかみ上げ、顔をうかがう。

  「い、いたっ…。」

  「はっ、マジだぜ。まさかお前だけおめおめと生きてやがったとはなぁ。」

 髪をつかんで、イオリが浮くほどの高さまで上げるカマセ。その顔には何か悪だくみをする嫌な笑顔があった。

  「てめぇの母親には散々なことをされたぜ。こちとら日々の疲れを癒して貰おうと思ったのに死んじまいやがってよ。落ち込んだなぁほんと。」

  「……。」

 痛みと母への冒涜の屈辱に耐えるイオリ。

  「ってめぇ、何か言えよ。親の不始末はてめぇが責任とんだよ。」

  「こき使って、豚と同じ小屋で糞に塗れて飼ってやるよ。たっぷり楽しませて貰ってから殺してやる。」

  「…うぅ。」

 溜まらず涙があふれ嗚咽が止まらない。

  「ははっ、聞いただけで泣いてやがるぞこいつ。」

  「まぁ、まずは腹いせをさせてもらおうか、っとぉ。」

 イオリをつかんだまま、その腹部に気を纏わず一発入れるカマセ。

  「うっ。」

 その衝撃で下に落ちるイオリ。腹部を抑えながら痙攣し、縮こまる。

  「おいおい、びくびくしやがって虫みたいなやつだなぁ。」

  「もともと薄汚れてやがったんだ、虫同然だ。」

 カマセとイヌマが高笑いをする。

 あの夜、そして夢にまでみたあの金切り音のような、べたりと張り付いて消えないこの笑い声が、思い出させる嫌な記憶。

 力を振り絞りやっと立ち上がるイオリ。その足はがくがくと震えており、口からは鮮血が流れ落ちる。

 よろよろとふらつきながらも、来た道を戻るように走り始める。もはや走るとも言えない速度だ。そして母親と同じ道をたどる。

  「あ、なんだ、こいつ逃げようってのか。」

  「いいぜ、ほんのお遊びだ。こいつの体力が持つまで、石を多く充てられた奴が勝ちな。」

 必死に逃げる子供を的に、遊び感覚で提案するイヌマ。

  「ちょうどこの先にはムネチカの家もある、ちょうどいい暇つぶしだ。」

 母の思痕を、奇しくも逃げる形で追うことになるイオリ。時折、頭部や背中、腕に石が投げつけられ、また狂気に満ちた笑い声も同時に響く。

 母はどういう気持ちだったろう。

 何故自分を抱えて走ってこれたのだろう。

 どうして身を犠牲にして守ってくれたのだろう。

 何故自分だけ生きているのだろう。

 思考が巡る。こういう時に限って頭はおぼろげなはずなのに、焼けに思考が鮮明になる。

 自分たちを庇ったことで焼かれた村。母を犠牲に生き延びてしまった自分。生き延びても誰かの迷惑になる自分。

 この自分に、何の価値があるというのだろう。

 そう思えてしまった瞬間、イオリはその場に倒れこむ。体力も、精神も、もう限界だった。

 二人の笑い声もかすんで聞こえる。

  「か、あ、さま…。」

 そうだ、これでようやく母親に会える。そう思うと何故だか怖くなかった。

 きっと、向こうで笑って許してくれる、そしていつものように抱きしめてくださる。ムネチカや佐倉家の老夫婦も、きっと清々しているはず。

 イオリの目が朧げになり、次第に瞼が閉じていく。

 瞼を閉じ光が閉ざされた瞬間。夜のように真っ暗な空間の中にイオリはいた。

  「こ、ここは…。そうか、もう。」

 死を悟った。昔から、気が感じられない自分は、よく周りから幽霊だと言われることもあった。これで正真正銘に幽霊だ。

 ふと、強い気を感じた。あたりを見渡せど闇ばかりの中、目を凝らすと、白い光が見える。

  「な、なんだろう。」

 次第に近づくと、それは光っているように見えたが、白く燃え盛る火の玉のようなものが浮いていた。そしてそれが火ではなく、気であることに気が付く。

 気がない自分の物ではない、しかし他人の物とも思えない不思議な感覚だった。

 恐る恐るその気に触れると、白い気はイオリを包み込み、激しく燃え盛る。

  「うわっ。」

 炎ではないとわかっているがつい手で払いのけようとするが、変わらず燃え盛る。恐怖のあまり目をぎゅっとつむる。

 熱さはなく、むしろ心地よさを感じ恐る恐る目を開けると、この白い気は特大な思痕であることが分かった。そして、本来あり得るはずもないことだが、思痕が語り掛けてくる。

  『守れ。母が命を賭して守った己が命を。無残に散りゆく同胞の命を。』

  「そ、そんな。そんな力、僕には…。」

  『ただ念じるだけで良い。まぎれもなくお前の意思で【斬る】と。それだけでいい。勇気も自身も必要はない。お前のまま、ただ念じろ、守るために。』

  「【斬る】…。そ、それだけ。」

  『お前の前に、斬れぬものなどなし。ひたすらに、眼前のものが斬れる意志だけを持て。』

 意識が薄れていく。

  「ま、まって、あなたは。」

  その気はこれ以上はもう語ることはなく、ただ一つ、自身の内側に何か熱いものがあるのを感じながら、意識がまた落ちていく。


  「おらっ、さっさと起きろ。」

  「こいつら一族はほんとすぐ死んじまうな。」

 うっすらと、徐々に瞼が開き、光が視界に入り込んでくる。さっきまでのことは夢だったのだろうか、自身の身に変化は何も見られない。それどころか、身体に蓄積された疲労や痛みが思い返される。

  「いっ…。」

 胸やわき腹あたりに強い痛みを感じる。痛みで声も出ない程だった。眠っている間に暴行されていたようだ。

  「お。お目覚めみたいだぜ、まだまだ遊べそうだ。」

 カマセが倒れているイオリに手を伸ばそうとする。

  「や…っ。え…。」

 すると、イオリがその手を払いのけた。

 自分でも信じられなかった。今までも虐めや迫害を受けていても、やり返す、抗うといった行動は示さなかった。自分にはその力がない、もっとひどい目に合う、そういった気持ちが先行した。

 しかし今は、確実に、自身の意思で抵抗したのだった。

  「てめぇ…、このカマセ様のいうことが聞けねぇってのか。」

  「うっ…。」

 激高し強く腹部を蹴るカマセ。イオリは宙を浮いて地面に叩きつけられた。。

その体に追い打ちをかけようと、再びつかもうと近寄るカマセ。

仰向けからすぐに上体を起こし、たまたま転がっていた木の枝を握るイオリ。

 「こ、こないで…。」

 握った木の枝を闇雲に、ただただカマセに向かって振り回す。

 しかし、いうことを聞かない子供に憤るカマセはますます激高する。

 「…遊んでやろうと思ったが、もういいわ。お前は惨たらしく殺してやるよ。」

 カマセの右手に纏っていた気がさらに大きくなり、小さな火のように燃え、拳を包み込む。

 「お前みたいな刀剣士団に最も近い奴は、どっちみち嬲り殺しの運命だ、あの母親みたいに顔の原形もとどめず、足も手もグニャグニャにして、殺してくださいって懇願するまで苦痛を味わわせてやる。」

母がそんなことをされていたのかと知るイオリ。

うつむき、涙が流れ、身体が震える。枝を持つ手に力が入る。

 「そうだ、もっと恐怖に震えろ、もっと泣けよ、命を乞え。俺様に服従しろぉ。」

そういって黄色く燃える右手を振りかぶり、イオリめがけて振り下ろすカマセ。

震えているのは何故だろう、涙はなぜだろう。恐怖からだろうか。

違う、守ってくれた母を、何もできなかったのが悔しかった。

そしてまた、この人は母が守った自分を殺そうとしている。もう一度、母を殺そうとしている。

 母を守れ、自分を守れ。

 あの時暗闇で聞いた声が反響する。

  『まぎれもなくお前の意思で【斬る】と。』

 斬る。命を脅かす者を斬る。守るために。ただ、斬ると念じる。

 斬る、斬る、斬る、斬る。

カマセの振り下ろす拳に合わせ、握りしめた木の枝を、横一閃に振り切る。

  「嫌だ…っ。」



拒否の確固たる意志を思わせるイオリの叫びと同時に振り払われた、木の枝による横一閃。

振り払う瞬きの間に、枝は白く耀く気を纏って、カマセの拳から腕にまで、横に真っ二つにした。




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