第一章 邂逅編⑦
⑦
【五日後の月の日 夕刻】
鍛冶場は普段通りの炎天下と化している。
ただいつもと違うのは、小気味よく響いていた金属音が、弱く、また不規則に鳴っていた。
イオリの修行が始まって五日が経過した。
ムネチカの鍛冶仕事の合間を見て、イオリは刀鍛冶の修練に勤しんでいた。
ムネチカの教育は、全て己が基本となる。つまりは、何歳にはこれができた、あの時にはそれができた、と自分の実体験が基盤である。故にイオリの向き不向きはや得手不得手はあまり考慮していない。仮に、怪我などをしても、自分もしたがそのまま続けられた、と強行してしまう。
加えて、例の鍔への期待が、ムネチカをそうさせる要因にもなっていた。
ムネチカが鍛冶場に入ったのは7つの時だった。それまで父親の背中をずっと見てきたからということもあってか、はたまた才能や遺伝というもののおかげだろうか、その時には熱した鉄を叩く鍛錬に秀でていた。まるで鉄と会話をしているかのように最適な調子で緩急を付けていく。また、火加減においても最高の眼を持っていた。入れる薪の量、今の鍛錬において必要な炎の大きさなどを感覚で会得しているようだった。幼少期のムネチカに足りないものとすれば、鍛錬においては腕力のみであった。
その後父親からは鉄や薪の知識、鍛錬の細かな手順や成形、砥、鍔や鞘の作成、そして鍛冶屋として鎌や包丁といった金属類の扱い方を徹底的に仕込まれた。
本来であれば、数ヶ月に渡って知識を納め、まずは向こう鎚になることが目標となるのだが、良くも悪くもこの家系は一人で打ってきたために、入門から鎚を持たせる。
この五日間、ひたすらに灼熱の鍛冶場にて、今まで振るったことのない思い鎚を振り下ろさせている。来る日も来る日も、疲労によって腕が上がらずとも鍛錬に励み、豆ができようとも休むことなく続けてきた。そのせいかはというと。
「駄目だな。」
「……。」
肩を落として落胆的に、だがはっきりとムネチカの口から放たれた。
それに答えるかのように、裾をきゅっと握り締め俯くイオリ。
何が違うというのか、ムネチカには理解が及ばなかった。この年頃の自分であれば、と考えが駆け巡る。
イオリはお世辞にも鍛冶屋に向いているとは思えないほど運動において音痴だった。走るのも遅く、薪の一本運ぶので息を切らし、鎚も日に数回ほどしか打ち込めない。さらに気の弱さが災いしてなのか、かなり火を恐れている様子が何度も伺えた。薪がはじける音にいちいち驚き、火力が上がっていくに連れて引き下がっていく。そして極めつけにこの数日、一度も気が練られていなかった。元々無いのは知っていたが、鍛冶場に入り、触れることで覚醒するのではないかと期待していたが、それも徒労に終わった。
「白気の血縁故に、俺では力不足なのか。」
ぶつぶつと自分の世界に没入するムネチカ。
するとずっと俯いていたイオリが、長い前髪の隙間からムネチカを見つめ、消え入りそうな声を発する。
「あ、…あの、ムネチカさん。」
その声はムネチカの耳に届かずむなしく消えいった。
この疎外感、自分が存在しないのではという感覚が、どこかに覚えがあった。
無性に虚しく、悲しくなり、また俯いてしまう。こういう時には決まって母を思い出してしまう。
と、その時鍛冶場に二人の声が響いいた。
「こりゃムネチカ。またイオリに無理させおって。」
「今日はこれくらいにして、夕餉にせんかのぅ。」
佐倉の老夫婦だった。風呂敷に食事を詰めて持ってきてくれていた。
イオリとその母親が発見された晩、拳闘士団員が数人慌ただしく何やら人を追っている様子が目撃されており、外出は控えていたそうだ。そしてほとぼりが冷めた頃にムネチカを尋ねると、あの晩に起きたことをムネチカは二人に話した。
イオリを初めて見たとき、佐倉家のふたりはとても驚いた様子だった。
おじいさんはいつの間に子なんぞ作りおって、と冗談めいて言っていたが、かなり動揺している様子だった。
一度は佐倉家でイオリを預かる案が出たが、ムネチカがこれを断固拒否し、刀鍛冶に育てるの一点張りでいうことを聞かなかった。
「さぁさ、イオリ、こっちへおいで。」
佐倉のおばあさんが手招きすると、イオリはとてとてと、おばあさんの腕の中へ向かう。
お婆さんに会ってからというもの、すっかり懐いているようだ。
「おやおや、どうしたのかねぇ。」
抱きついた手は震えている。恐怖からなのか、疲労からかはわからない。
「ムネチカ、いい加減にせんか。お前とこの子では違いがあろう。」
見かねたおじいさんがムネチカに詰め寄る。
「じいさんだって見ただろあの鍔を。あんな国宝級の代物を持ってるんだ。立派に育ててやんなきゃ母親だって浮かばれないだろうが。」
焦燥感に駆られ早口に、語気も荒くなる。
「あんな子供に血豆を作らせておいてよく言うわい。父親ぶるのも大概にせい。」
両者一歩も譲らず、啀み合う二人。
「まぁまぁ、お腹が減っては機嫌も悪くなります。夕餉にしましょう。」
おばあさんのその一言で、ムネチカ、そしてイオリの腹の虫が鳴り響く。
一時休戦し、居間へ向かう四人。
おばあさんの着物には、イオリの手にできた豆が潰れて出た血が付着していた。
.【同日月の日 夜】
火が起こっていないムネチカの家には打って変わって涼しい夜風が吹き通る。
風に揺れる稲の音、虫の音、静か過ぎて川の音さえも聞こえてくる。そんな中、疲労と満腹感によってすやすやとイオリの寝息が居間に響く。囲炉裏に背を向ける形で眠っている。
夕餉が終わり、おばあさんは洗い物、居間ではムネチカとおじいさんが沈黙を続けていた。
先に沈黙を破ったのはムネチカだった。
「俺は、餓鬼の頃にはもう鍛冶屋の修行をしていた。そう言う生き方しかしらん。」
囲炉裏の中央には小さな火がゆらゆらと燃えていた。それを見つめムネチカは言う。
「こいつが、あの白気の手がかりを持ってるってことは、なんからかの血縁ってことだ。俺は諦めきれねぇ。」
「お前さん、やはり復讐なんぞに取りつかれておったか。」
おじいさんも声を低めて言う。おばあさんの洗い物の音が響く。
「なんぞ、って。親父もお袋も、何の罪もなく殺された。やったのは士団の長だ、俺たちは関係ない。」
「だからどうした。その刀を誰が振るう。使い手がおらねばそれらは包丁以下じゃ。それともお前が振るうのか。そんな犬死させるためにここまで保護してきたわけじゃないわい。」
イオリを起こさない程度に、しかし出せる最大限の声で言い合う。
両親を殺された恨み、これまで受けてきた屈辱の数々を思い出す。
「……何も知らねぇくせに。」
「なんじゃ。」
つい今まで隠してきたことを口に出そうになったところでぐっと飲み込むムネチカ。
「とにかく、こいつは俺が育てる。それだけは譲らねぇ。」
今まで向けたこともない相手に、威圧するムネチカ。しかし真っ向から受け止め動じない。
「好きにせい。じゃがな、これ以上この子の身体から血の一滴も流させることは許さん。よいな。」
ムネチカの威圧を、睨み返し、さらに大きな圧で返す。感じた子度がないおじいさんの気に驚く。
(な、なんだこの爺さん。)
「おじいさん、それくらいにして、そろそろ戻りますよ。」
洗い物を終えたお婆さんが嗜める。
「ムネチカ、この子がムネチカと同じじゃというのであれば、弱さも一緒のはずじゃ。その痛みは十分理解しているじゃろ。」
「……」
今度はムネチカをたしなめる。興奮して冷静になりきれない者には、冷静な第三者が必要だ。
イオリに母の墓を案内したときのことを思い出し、自分が過ごした夜のことと重ねる。気が付けばかなり長い沈黙が流れていた。
「よろしい。ではまたの。」
最後には微笑んで家をさるお婆さん。
その横に並んでおじいさんも帰路に着く。
囲炉裏の火は未だ燃え、チリチリと音を立てる。
背を向けていたイオリの目は、人知れず開き、そして涙がこぼれる。
次の日の朝、ムネチカの家からイオリの姿はなかった。